86.Dear chaser(4)
霧が晴れた王国の首都。
寒さを表す青空の下、十一日ぶりに下宿を目にしたアンナが抱く感想は、前回と同じまま。
特徴がない、区別がつかない。ひとたび別の道へ行ってしまえば、きっと一人では見つけられない。
そんなレンガ造りの下宿の玄関を再びまたいだ少女もまた、以前と同じ系統の温かな冬服を着こなしていた。
「よくお越しくださいました、お客様。期日に間に合ったようで何よりです」
「間に合わなかった場合のことは考えたくないですね。間に合った今でも、首は少し締まっています」
「あの後、パーシヴァルから金額を教えていただきましたが、よく揃えられましたね。……偽造ですか?」
「まさか。滅多なことを言わないでください」
変わり映えのしない下宿内で、キョロキョロと辺りを見回しているアンナをよそに、ザックは下宿の女主人であるカメリアに話を通していく。
彼の背後に控えるのは、若者の間で賑わう流行りものの服を着た、屋敷の使用人が二人。
ザックと歳が近い彼らは友人を装いつつ、それぞれの視線は四方へ散っていた。
「車は、隣接している駐車場に停めていていいんですね?」
「ええ、平気です。二台までしか置けませんが、ここの駐車場ですから」
「尾行はありません、アイザックさん。ですが、物が物なので早く渡した方がいいかと」
「そこまで警戒しなくてもいいさ。この辺りの調査は、数日前からキミたちに頼んでいるんだ。キミたちが異常なしというのなら、僕はそれを信じるよ」
挨拶を兼ねて雑談を交えるザックとカメリアに、緊張の色を隠しきれない使用人たち。
一見すると、下宿へ来慣れた青年に連れられて、初めて会う女主人を前に緊張する友人二人。
そう思える大人四人だったが、実際は違う。
使用人の一人が握る鞄を中心とした、冷気がこもる言葉の投げ合い。
ザックとカメリアが立つ金銭という薄氷を、使用人たちが必死に支えている状態だった。
「では準備が整いましたら、彼の部屋までご案内します。あの人なりにですが、待っていましたよ」
探偵へ用意した資金を渡すのは、ザック自身の手から。
それが誠意だとして青年が鞄を受け取ると、使用人二人が作っていた笑みから喜色の色が褪せていく。
ここから先、ザックの注意は探偵へ向かう。
より警戒を強めるのはこれからだと気を引きしめる彼らは、お互いに顔を見合わせて頷いた。
「──こんにちは、アンナさん。今日も付き添いのようですが、また私と一緒にいますか?」
「今日は、ええっと……」
ザックと使用人たちが最後の段取り確認をしている間、カメリアは待たされているアンナに声をかけていく。
人となりを多少なりとも知っているせいか、初対面のときよりも温かみのある彼女に対して、少女の返答は遅れていた。
今回に限って言えば、ザックへ同行する理由はアンナにはない。
主だった要件は探偵の信頼を勝ち取り、王国を騒がせる殺人鬼の尻尾をつかむこと。
怪物へつながるものはなく、むしろ下手な刺激を避けるために屋敷へ置いておいた方が安心できる案件だ。
それでもザックがアンナを連れて来たのは、ひとえにカメリアが理由だと、本人も薄々気づいている。
先日と同じく物騒な話は任せて、カメリアの下で楽しく過ごして欲しい。
そんな意図を感じているから首を横に振りかけるも、目の前の女性に教えてもらったことがネジとなって止めていた。
「ザックのしていること、気になるから。少しだけ話聞いてる」
「そうですか。私は下で控えていますから、嫌になったらいつでも来てください」
「うん、分かった」
気になることは、自分で確かめる。
耳に障る話をどうしてザックは進んで聞きに行くのか、知りたいと思ったアンナは首を動かす意味を変えていく。
同時に考えるのは、嫌なことを前にしても進もうとしていた人たちのこと。
友だちのミアをはじめとして、ザックは無理な橋を渡っているような空気があり、アイザック王子暗殺未遂のときのヴィクトリアも積極的な一面があった。
魔笛の怪人とつながりがあるクリスティーも例に漏れず、白銀のハンドベルであるスノードロップですら、捜すという一点だけは突出している。
どうしてみんな、足を止めないのか。
薄暗い教会で膝を抱えていた自分と彼らでは、何がそこまで違うのか。
気になるからこそ、アンナは意を決して使用人たちと話しているザックへ声をかける。
「ザック。今日は一緒にいる」
「……無理せず、夫人のところに居ていいんだよ」
「別に、無理じゃない。それに、あんなことをした人が誰なのか、知っておきたい」
「それなら今じゃなくても……いや、分かった。犯人を知る権利はキミにもあるからね」
例えどんな家庭であろうとも、一度は耳にする事件の全貌と犯人の動機。
しかし記憶に霧がかかっているアンナにとっては、今回が初めてといっても過言ではない。
少女の思う通りにさせてみるのも経験だと考えたザックは、凛としたアンナの瞳を認めて歩きだした。
カメリアの先導を受けて階段を上がり、記憶にも新しい一室の扉の前へ。
ノックをし、許可の声が返って来たのを耳にしたザックは、鞄の持ち手をわずかに強く握り、ドアノブを回した。
「こんにちは、フォレスターさん。約束通り、提供する資金をお持ちしました」
平静に努め、普段の作り笑いも崩さずに。
開け放った扉の先に紙巻煙草を咥えているだけの探偵をザックは認めるも、視界の端には別の人影も映っていた。
高価な椅子へ乱暴に座る、身も服装も汚れ傷ついている荒んだ瞳の少年。
そんな古風な内装が似合わない彼を見たザックは、思わず後ろを振り返り、アンナの姿を捉えるのだった。




