80.Lady Red(9)
殺人鬼。
蒸気機関によって夜の暗さも緩和されつつある世の中においても、聞けば身が震える不穏な存在。
ザックが探している怪物なんて目ではない。
霧よりも存在があやふやなものより、身近なものへ被害を出している存在の方が、人間は危機感を覚えてしまう。
「マスメディアは切り裂き魔だなどと騒いでいたが。あれを飾った言葉で表す彼らは、大層な趣味を持っているようだ」
「この一年で関連があると発表された、あの事件たちですね。確か、被害者は四人」
「いや、おそらく五人だ。昨日のことも含まれると私は踏んでいる」
「昨日ですか」
同一人物による犯行と思われる四つの事件。
それを思い起こしたザックだったが、パーシヴァルは首を振りながら、そこへもう一件を加えていく。
昨日起きた事件となると、アンナとザックにとって思い当たるものは一つしかない。
貧民街で見つけた、無惨な姿となっていた女性。
彼女が五人目の被害者だとすれば納得ができるし、続くパーシヴァルの言葉も肯定の意をふくんでいた。
「ここからそう遠くない場所に、貧民街があってね。そこで昨日、女性の遺体が見つかった。新聞はまだ出回っていないが、警察も関連していると判断するはずだ」
「知っています。僕たちもあの場にいましたから」
ザックにとっては全身の傷が覚えていると主張するほど、記憶に焼きついたできごと。
薄暗い小屋の中で倒れていた女性の姿は、一夜程度では忘れはしない。
粗暴な警察官の暴力も、体のあちこちが怒りの色を示している。
警察署で受けた尋問だって恨みを覚えているし、立場を匂わせた後、自分を囲んでいた警察官たちの態度には、気持ち悪さすらザックは感じていた。
怒気すら混ざった声でザックは探偵の言葉に応えるも、隣にいるアンナは青い声を上げていく。
「ザック。この話、本当に聞くの?」
遅れて目にした青年にすら刻まれた惨状は、当然アンナにすら染み渡っている。
表情の変化は少なくても、声を染めている不安の色は誤魔化せない。
衣服の袖すらつかんでいる少女にザックができるのは、いつもの笑顔を見せることだけ。
「僕は、ね。公私ともに無視できる話じゃない。でも、アンナが聞く必要はないよ」
「離席するというのなら、夫人の下を訪ねるといい。彼女はここを一人で切り盛りしている以上、人手は欲しているはずだ」
黒い空気が漂いはじめる中で、パーシヴァルもザックに続いて言を発していく。
淡々と。暇人に働き口を紹介するように告げるも、その裏には強制的な退室の意図もふくまれていた。
ここからは女子供が聞くような話ではない。
そう言いふくんだ彼らの声に、アンナは静かに頷いた。
「じゃあ……あの人のところに行ってくる」
「そうするといい」
「話が終わったら、僕から声をかけるよ」
ミルクティーを飲み干して、アンナは椅子から廊下につながる扉へそっと進んでいく。
道中で何度も足を緩めては振り返り、後ろ髪を引かれている様子を見せる少女に、ザックは極力温かみのある声音を意識して言葉を口にする。
平気だよ。少しの間離れても、僕がどこかへ行くことはない。
そうザックが告げるも、結局扉が閉まるまでアンナの瞳は青年の姿を逃さないよう躍起になっていた。
「ひどく依存しているようだな」
「そう見えますか。僕にということでしたら、たぶん違うと思います」
少女が廊下へ出たことを見届けて、カメリアのいる一階へ向かう気配を感じるまで。
男性二人は終始無言のまま。
ようやくパーシヴァルが沈黙を破ったかと思うと、ザックは困ったように首を傾げて探偵の言葉を否定する。
アンナが他者へ心を開いているのは、自身に大きく空いた穴を埋めるため。
元より一人だけが占有していた場所を、少女は色んな人に貸すことで満ちているように見せている。
友だちのミア。あの明るい少女がいた部分を、ザックをはじめとした知人だけで埋められているかと聞かれると……
そんな訳がないと、ザックは厳しい口調で否定するしかない。
「それよりも話の続きを。場合によっては僕の依頼の前払いとして、殺人鬼を追う活動資金くらいは出せるかと」
「いいだろう。ただし、君の素性が前提にそぐわないと判断した場合、警察へ出頭してもらうことになる」
「構いません」
ザックが国の王子であり、その前提をもって国の治安を守るため、殺人鬼の情報を共有する。
そう同意をなした二人は、握手ではなく言葉を結んでいく。
「ではまず、先の発言だが。昨日の遺体発見時に、犯人と思しき人物が連行されたと耳にしたが、あれは貴方だと?」
「ええ。偶然居合わせただけだったのですが、この身なりがひどい誤解を生んだようで。怪我は取り押さえられたときのものと、警察署での尋問で受けたものです」
「ならば厳罰を受けたのでしょうね、関わった警察官は」
「その通り、と私情としては言いたいですが。こうしてザックと名乗っていた以上は、こちらにも非があります。退職処分まではいかないかと。──この話は、いったいどこから?」
「子どもだよ。カメリア夫人が言っていただろう、少年が来ていると。貧民街の情報は、現地の子どもを介して得るようにしている」
「それなら、夫人に伝えるよう言っていたワインは……」
「ただの依頼料だ、どうしようもない大人へのな。君は気づかなかっただろうが、騒ぎになった際、彼もその場にいた」
土地勘のある人物を使い、報酬には糸目をつけない。
それが良質な情報を得るための手段だと、パーシヴァルは述べていく。
今日訪れた少年をふくめ、他にも数人の子どもへ仕事を与えていると告げるパーシヴァルの口ぶりは、小遣いをあげる父親に近いものがあり。
使える足は多い方がいいと語る探偵に、ザックも同意した。
「実に便利だよ。醜い欲求を覚えた大人より、彼らの言動は素直だからな」
「大人の方が正確であると僕は思いますが、違うんですね」
「未熟ゆえに自分すら騙せない。利益のために嘘を重ね、それを成立させられる技量を持った子どもなど、そうはいまい」
「なるほど。それもそうですね」
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
言動にそんな霧をかけられるのは、嘘をつき慣れた大人だけ。
大半の人間は嘘を苦手とし、年若いとなればなおさらだ。
「さて、お客人。殺人鬼については、どこまでご存じかな?」
「詳しくはないですね。新聞を読んだ程度です。犯行の始まりは、おそらく去年から。被害者の共通点は女性であることと、刃物で切られて亡くなったということ。そしてこれまでの四件は、同一犯である可能性が高いことから、大量殺人者──殺人鬼と呼ばれている」
「表面的だな、取る新聞を変えることをオススメする。正確にいうならば、被害者は全員二十代以上の女性であり、体を売ることを生業としている。誰もが赤い衣装で身を包み、切創から判断してまずは首、その後に腹部と的確に致命傷を負わされていた」
殺人鬼についての話は、二人の発声だけでは収まらない。
紙とペンを用意したパーシヴァルは、自身の把握している事件の特徴と犯人像を、次々と文字に表していく。
「客か、知り合いか。全員が抵抗少なく害されている。犯行の前後で誰かと会っていたという目撃例がほとんどなく、犯人の人物像としては、ナイフを使うことに固執した異常者と言ったところか」
「通り魔ではないと」
「突発的であるのなら、狙う必要のある首ではなく、まずは腹部に突き刺すのがセオリーだ。現場も荒れた様子が少ない。断定はできないが、警戒が薄れる相手だった可能性は高いだろう」
鮮明に思い出すつもりはないが、パーシヴァルの言を受けて、ザックも昨日見た光景をぼんやりと思い返していく。
女性が倒れていた小屋の中は、探偵の言うとおり荒らされた形跡はなかった。
腰を落ちつけているところで突然やられた。そうとれる状態だったと、自分で挙げた通り魔の線を切っていく。
「動機は……いまいち見えてこないですね」
「二件目以降はそうでもない。数を重ねるたびに、ナイフの扱いが上手くなっているからな。楽しくなっている。模倣犯だとするならば、手口だけが同じで洗練はされない」
「一度目の感覚が忘れられなくなっていると」
「ああ。だから奴としては、もう初犯の動機は関係ない。ただ人を切る感覚に酔っている」
どんな理由がきっかけだとしても、後戻りができないほど深みにはまっている。
薬の常習犯と変わらないと断ずるパーシヴァルは、まだ終わりではないと文字をつづる手を止めない。
「これまで警察が犯人だと挙げた人物は、納得のいく線を掴んではいたが、どれもが外れだった。浮浪者に医者、肉屋と床屋に、遊んでいる貴族。手あたり次第に捕まえては、不当逮捕を繰り返している」
「それに僕も巻きこまれた訳か」
「失礼を承知で聞くが、どうして現場に? 私としては訪れる理由が見当たらない」
「近場に住んでいる、オカルトマニアの家を訪ねていたんだ。その帰り道にアンナが貧民街に行く子どもを見つけて、追いかけたらこの始末。運が悪かった」
「怪物探しか。その話が事実であることを願うよ」
怪物探しをしていた成り行きで、貧民街に踏みいってしまった。
そんな話は、口にしたザック自身ですら胡散臭さを感じさせ、パーシヴァルも疑念を覚えずにはいられない。
だが、疑惑と信用の天秤が平行になっているのは、ひとえにアンナの存在があるからだ。
嘘をつけない少女が信頼し、素性をすら口を滑らせた。
それは価値ある情報だとパーシヴァルは認めている。
「──正体不明の殺人鬼。キミの話を聞いていたら、そんなことを思ってしまったよ。新聞社が好きそうなフレーズだ」
「下らない。オカルトに傾倒しすぎだ、依頼人。理性を失った人間が起こしている、ただの殺人事件だよ、これは」
起きている事実だけを並べれば、謎多き殺人鬼。
しかし、それは違うと首を振る探偵は、あくまでも人間が引き起こしているものだと告げていく。
「奴の手口ではないからな」
パーシヴァルの続く短い言葉は、ザックには向けられず。
同じ室内にある紙の山ができたテーブルへ、視線とともに放たれていた。
シトロングリーンの瞳が見ているのは資料か、それとも埋もれている何か、か。
独り言ちた探偵の思いをはっきりとは聞けなかったザックは、ティーカップを一口分傾け、ゆっくりと霧の晴れない窓の外を眺めるのだった。




