79.Lady Red(8)
濃く、甘く。
優しく明るい茶色となった紅茶は、温まった部屋でも湯気を上げ。
添えられるのは、小皿の上で少し雑な列をなしたショートブレッドたち。
アンナとザックの前に用意されたのは、来客用のミルクティーとお茶菓子。
しかしパーシヴァルがテーブルの上を見ると、温かい白湯だけが鎮座していた。
「さて、そろそろ話を聞こうか。お客人」
全てをそろえたカメリアは、素知らぬ顔で部屋から出ていき、何も言わずに白湯だけを置かれていったパーシヴァルは、彼女の背中を一瞥しただけ。
よくあることなのか。そのまま本題に入ろうとする彼に、ザックは苦笑いを浮かべていく。
「その前に僕たちの自己紹介を、フォレスターさん。まず、この子がアンナ。僕の母親違いの妹で……というのは、通じないですよね」
「事情があるのは理解した。あからさまな嘘だが、それに免じて深くは聞くまい。たまにある話だ」
「ありがとうございます。それで僕なんですが──」
前髪で目元を隠し、表情が読みにくい。
端正な顔立ちだが、人形然とした表情のなさで感情が分かりにくい。
似ているといえば似ているが、兄妹的というにはほど遠く。
肩を並べている分にはお似合いの曖昧な男女と、落としどころを見つけたパーシヴァルは、まれにいる奇妙な依頼人として飲みこんだ。
それに頭を下げるザックだったが、次に自身の名前を言おうとしたところで言葉が詰まり、何かに後押しされてようやく口から現れたそれは、最初の予定とは様相が変わっていた。
「僕はアイザック・マーティン・エリク・レイモンド。どうぞ、ザックと呼んでください」
「……不愉快だ。女王陛下の名の下に、もう一度その名を口にできるか」
ザックの口にした名前を耳にした途端、パーシヴァルの態度は一変していく。
当然だ。素性も知れない青年が、自国の王子の名前を口にすることなど偽名の他にない。
表舞台に立つことが少なく、怪しい噂が多い人物だとしても、数いる王族の中ではレイラ王女の実弟として国民に名前が知られている。
姿を知らないから騙れると思ったのか。
そう疑うも、パーシヴァルの目にはすでに嘘が下手な青年はなく、本名だと言わんばかりの堂々とした姿だけが映っている。
「ザックは王子だよ。というより、なんで本名を言ったの、ザック」
「依頼する内容を考えて、隠すべきことじゃないと思ってね。怪物を探す手伝って欲しいんだ。ただの依頼で終わらせるつもりはないよ」
「わたしみたいに?」
「そう、キミみたいに」
一度解かれたはずの警戒は、段階を越えて敵意へ。
パーシヴァルのシトロングリーンの瞳に、黒みがかった色が混じり始めたところで、ミルクティーで潤ったアンナの声が色を上塗りした。
言動の一々に怪しい風が吹くザックとは違い、シンプルなショートブレッドに気を持っていかれているアンナは、探偵からすると単純だ。
男性二人のやり取りに価値はなく、ともすれば今すぐにでも話が終わることを望んでいる。
口を挟んできたのは、ザックが予想と違う発言をしたことを不思議に思っただけで、ザックが分けていた真偽の理由には興味がない。
アンナの関心にひどい強弱がある。
そう考えたパーシヴァルは、煮えた腹に入れるための氷をいくつか用意した。
「アンナ嬢。今の彼が口にした名前は、本当かな」
「本当だよ、長いから覚えてないけど。ザックもアイザックも、本当」
「では、王子ということも認識していると」
「うん。城にも行ったし、レイラにも会ったよ。屋敷のみんなも、殿下って呼んでる」
「先に言った、怪物を探しているというのも?」
「そう。昨日もそれでいっぱい歩いた。わたしも、ザックの言う怪物だよ。……あれ、これは言っていいの? ザック」
「言ってから聞かないでくれ。まあ、そういうことなんだ。フォレスターさん」
やはりザックの言葉には軽さを感じてしまう。
しかし抑揚の足りない少女の言葉には、真実味をパーシヴァルは覚えていた。
頓着しないから、思ったことをそのまま口にしている。
嘘があったとしても、既に発言したあとだったり考える間があったりと、隠す霧としては機能していない。
表情だけは嘘が上手い青年とは違い、嘘への興味が少ない少女。
そんな彼女の迷いない言葉を、パーシヴァルは腹へと落としていく。
「仮に貴方が王子だとして、なぜ正式な訪問ではなく、このような形でうちへ来たのか。お聞かせ願いたい」
「公的に出せるものではないから、という建前は置いておこう。実をいうとひどく個人的な用件でね。まずは一個人として話がしたかったんだ。受けてくれる場合は、こっそりとだけれど後で正式に国からの使いがくるよ」
国として、王子としてではなく。アイザックという一人の人間として、ここまで来た。
そう語るザックに向けるパーシヴァルの視線は、まだ信用をつづり切れていない。
しかし咥えていた煙草を握りつぶし、新たな紙巻煙草をケースから取り出しかけた彼は、煙草を凝視するとともに熟考していく。
「お客人。余暇のお遊びであれば、よそへ行った方がいい」
「生憎と趣味ですらなくてね。病人が医者を探していると思って欲しい」
「それで怪物を? まだ奇跡を起こす遺物探しの方が、冗句として笑える」
「いいね、遺物。もしあるのだとしたら、僕はそっちでも構わないよ」
不信感はぬぐえないし、言葉を交わすたびに窓の外と同じ濃霧が目についてしまう。
前髪で隠された瞳のように、ザックの本音は捉えられない。
ザックへそんな印象を抱いたパーシヴァルは、煙草を吸えないもどかしさも混ぜて、深いため息をついた。
「怪物探しか。実在するのだとすれば興味は尽きないが、今は先約がある。お客人、この話は後日改めてとさせていただきたい」
お忍びで来たとされる怪しい人物。
そういうことにして話を進めようとしたパーシヴァルの口からは、ザックの想定とは違う形での断りが飛びだしてきた。
「驚きました。てっきり、引き受けてはくれないと思ってました」
「まだ名前と来た目的を聞いただけだ。それだけで概要すら聞いていない依頼を断りはしない」
あくまでも保留。先約を済ませてから、腰を据えて話を聞こう。
そう告げるパーシヴァルに、ミルクティーとともにザックは話を飲んでいく。
パーシヴァルは単身だ。同時に二つも三つも依頼は受けられない。
それを考慮して、持ちこもうとした依頼を伏せたままにするザックだが、今度は彼の興味が探偵の話に結ばれていく。
「ありがとうございます。つかぬことをお聞きしますが、その先約というのは、どういった依頼なのかはお聞きしても?」
「貴方に関係の……いや、関係があるとするのならば、貴方のここまでの発言を認めよう」
「それは、今の依頼が国や貴族に関係があるということですか」
「その通り。なに、この首都にいれば嫌でも耳にすることだ。もしくは、この国にいればだろうか」
部屋は暖かいのに、パーシヴァルを中心とした空気が重く沈んでいく。
笑える話ではない。そう鋭い目つきで前置きをした探偵は、低く冷たい一言を下へ流した。
「殺人鬼だよ」
ザックは作り笑いを止め、ショートブレッドに伸ばしかけていた手を引っこめる。
対して小さな口で、ようやくショートブレッドを食べ終わったアンナは、探偵の告げた言葉を頭の中で思い浮かべられず、ティーカップを傾けながらザックへ顔を向けていた。




