78.Lady Red(7)
窓の外は白と灰が入り混じり、遠い空はあいにくの曇り模様。
寒さも相まって気の滅入る景色だが、そんな無彩色の世界とは無縁だとばかりに、下宿の中は暖色に満ちていた。
暖炉の見た目をした蒸気式の暖房はこだわりが感じられ、合わせて室内を飾る調度品たちは、クラシカルな意匠でまとめられている。
そこへ椅子に腰かけて収まるパーシヴァルは、足を組む姿すら堂々としたもので、この場に負けない迫力を見せていた。
「座りたまえ、諸君。君たちの仔細は知らないが、依頼人である以上は先も言った通り歓迎しよう。多少の粗相も気にはない。なに、私の部屋だ。私も好きにするし、君たちも楽にするといい」
この暖かで古式ゆかしい外観の部屋に住む者として、法は私の手の内にある。
それを暗に告げるパーシヴァルに、アンナとザックは無言で頷き、促されるがままに席へ座った。
部屋全体を見回せば、彼のいう自由は語るに及ばず。
必要性の薄い本は棚へ収められ、逆に今必要としているであろう本は四方に散っていて。
何らかのメモや数式にスケッチが描かれた紙の山は、机の上で雪崩を起こしている。
しまいには、三人の間に置かれたテーブルの上に、使い終わったコーヒーカップが積み重なっていた。
「ふむ。確かこの辺りに、かけるものがあったはずだ。体が温まるまでは、羽織るなりなんなりするといい」
「ありがとうございます、フォレスターさん」
「ありがと。……綺麗な柄」
「夫人が置いていった物だ。女性の依頼人や冬場に渡せとな」
一度は座ったものの、二人からわずかな震えを見て取ったパーシヴァルは、心が椅子に根を張る前に立ち上がり、部屋の中からブランケットを見つけていく。
それを彼から受け取った二人だが、使い方と目を向けるところは別々だった。
ザックは言われた通りに両肩へかけ、前髪で隠れた視線はすぐにパーシヴァルの下へ。
対してアンナは、ブランケットを少し折り畳んで膝にかけ、自身の足をおおった柄に目を奪われていた。
パーシヴァルの用意したブランケットは、彼の言葉がなくともカメリアの趣味であると分かる、派手な色彩のないもの。
多くとも三色でまとめられたそれは、部屋の雰囲気にも溶けこんでいる。
「本題は茶を淹れてからにしよう。まずはそうだな。君の怪我だが酷そうだ。この下宿には丁度、医者がいる。傷だらけの人間をひとたび見れば、どこへだって走りだすお人好しのな」
「僕のは見た目だけですよ。わざわざ診て貰うほどでもないし、痛みもほら、大したことない」
「なら、その上げた腕の震えは演技か? くだらない嘘をつく口もあったものだ」
ザックからの話は長丁場になると踏んで、本題の前に相手の緊張を解そうとしているのか。
それとも怪しい人物を観察する時間として、何かしらの理由をつけているか。
相対しているザックからすれば、どちらにも思え、いつもの作り笑いを浮かべてみるも、パーシヴァルからは笑顔の一つも返ってこない。
隣で大人しくしているアンナにしても、温かい場所で落ち着けるようになったからか、視線は二人よりも部屋全体へばかり向いている。
居心地が悪い。
探偵にまじまじと観察されるという初めての体験に、ザックの内心は穏やかさとは遠い場所にあった。
王族として探られたら痛い懐はあるも、一般的に忌避される類の罪は犯していない。
その自信はあるはずなのに、彼に見られていると不思議な引け目を感じてしまう。
「……警戒していた私が、馬鹿だったようだ。嘘が下手だな、君は。誘拐の線を考えていたが、ならばここまで少女の自由を許さないだろう」
「この子を連れていると、変な目で見られているときがあると思ったら。やっぱり、そう思われてるんですね」
「当然だ、他に何を思う。歳の離れた妹などと考える前に、怪しいという印象が先行するだろう」
二ヵ月前の錬金術師が住む町のときから、ザックだけはその視線を感じていた。
ザック自身、アンナを妹とするのは無理があるとは分かっている。
だから冷たい視線を全身で受け止めつつも、その正体には目をつむって来た。
「──吸わないんですか?」
もう一人の自分である、怪物アイザックと行動をともにしているときは、どう思われているのだろう。
そんなことを気にするザックだったが、流れるように行われていたはずの行動が止まるところを目にして、ふと疑問を口にする。
「禁煙中だ。構うな」
懐からケースを取り出し、中から引き抜いた物を咥えたパーシヴァルは、ザックの指摘の直前に逡巡していた。
紙巻煙草。
葉巻ではなく、市販品のありふれたものを口にする彼だったが、咥えた煙草に禁煙の言葉を浴びせていく。
そんなパーシヴァルの思いとは別に、彼の体はライターを探しているのか、空いている手が行き場を失っていた。
まだ冷えが残るアンナとザックの体温のような微妙な空気が、パーシヴァルの煙草を起点に流れていく。
探偵も禁煙中と告げはするも、自身で下した判断に不満があるのか、紙巻煙草を口から離さない。
「……その箱。棚に仕舞ってください、パーシヴァル」
「早いな、夫人。もう淹れてくれたのか」
どう声をかければいいのかと考えたザックが、まずはと口を開きかけた途端、ノックと冷気を連れて廊下側の扉からある人物が現れた。
それは部屋への案内は住人であるパーシヴァルに任せ、お茶の用意をしていたはずのカメリアだった。
煙草を咥える探偵を見るや否や、彼女は呆れた表情を隠さずに、部屋の中へ踏み入っていく。
「違います。お湯を沸かしている最中ですので、この惨状を片づけに来たのです。お客様。この人がライターに手をつけたら、叩いて下さって構いません。医者の許可は得ております」
「私は許可をした覚えはない」
パーシヴァルと言葉を交わしつつも、三人が囲むテーブルの上を片づけていくカメリア。
せめてお茶を出す場所だけでもとコーヒーカップを回収し、持って来ていた布巾で拭いていく彼女は、ふてぶてしい探偵の言葉を黙殺していた。
彼が何を言おうと、カメリアが下した決定はくつがえらない。
その一端がブランケットだと気づいたのか、アンナはカメリアとパーシヴァルの顔を見比べていく。
「なんか、ヴィクトリアとクリスティーみたい」
「あの二人か。アンナと一緒にいたときの話は聞いたけれど、僕としては彼とその父親に同情するよ」
「なんで?」
「なんでって……あー、うん。そうだね。アンナ、この話は聞かなかったことにしてくれ」
下手に女性に逆らうと怖い。
そう告げかけたザックは、思い浮かべた女性たちを隠すように笑い、意図が読み取れなかったアンナを誤魔化していく。
パーシヴァルとカメリアを見て、ザックが思い浮かべたのは三人。
実姉のレイラ、使用人のブリジット、そしてアンナが知り合ったヴィクトリア。
誰もが押しの強い部分があり、そんな部分が恐怖する原因だろうとザックは考えていた。
「……こんなことを考えている時点で、カナルミアには怒られそうだ」
「それよりもパーシヴァル。またあの少年が玄関まで来ているのですが、仕事でよろしいのですね?」
「仕事以外で彼はここへ来ない。昨日あった事件を追わせるために呼んだが、予想より少し早いな。夫人、私が買ってきたワインを渡しておいてくれ。それで伝わる」
「人使いの荒いこと」
お互いの要件を投げ合って、了承は行動で示していく。
信頼といえば聞こえはいいが、一見して不仲にも思える二人のやり取りに、アンナの関心が高まっていた。
「何か?」
「二人は仲いいんだね」
「そうでしょうか。この人とは腐れ縁以外ありません」
たちまちにテーブルの上を片づけたカメリアは、また静かに部屋の外へ足を向ける。
そんな彼女の背中をジッと見ていたアンナに気がついたのか、振り向くと同時にカメリアは微笑みを浮かべていた。
先ほどまで、パーシヴァルと叩き合うような会話をしていた人物とは思えず、ザックは言葉を失うも。
アンナは女性の振る舞いに興味が尽きないのか、臆せず声を発していた。
「本当に何もありませんよ。それでは、後ほどお茶をお持ちいたしますので。しばしのお待ちを」
微笑むカメリアが口にする、声音の色は何色か。
アンナとザックは読み取れず、パーシヴァルは煙草を咥えたまま頷きもしない。
退室する彼女を見届けながらアンナが疑問に思うのは、カメリアの表情の意味と自分の感覚。
感じたことは間違っていたのか、それとも一言で集約されるような間柄ではないのか。
今のわたしには分からない。だから後で、ザックに教えてもらおう。
そう心に決めたアンナは、パチンと火花が散る音を耳にした。




