77.Lady Red(6)
女性の美しさは一つではない。
極まった芸術性を思わせる王女レイラ、強気な風を吹かせるブリジットにヴィクトリア、静かで神秘的なアンナ。
彼女たち全てに違いがあり、だからこそ美を語り始めれば枝分かれする。
その上で下宿から姿を現した女性に抱いたアンナとザックの印象は、概ね一致していた。
「こんにちは。お初にお目にかかります、カメリア夫人。僕はザック、こちらがアンナ。今日はこちらの下宿にいらっしゃる方へ依頼したいことがあり、訪ねた次第です」
アンナとはまた違う、触れれば折れそうな儚い長身の女性、カメリア。
ストレートロングの赤毛に、冬にも負けないアイスコーヒーの瞳。
赤いケープが目立つ冬着をまとうも、全体の沈む色合いのせいもあって厚みがまるでない。
それでいて彼女の表情からは、湯気のような温かみを感じられるので、アンナは思わず目を見張ってしまう。
対してザックは事前に知っていたのか、カメリアの問いに詰まることなく答えていく。
「依頼ですか。ここにはそのようなお話をされる方が、数えるほどいらっしゃいますので……医者か画家か、それとも──」
「探偵です。フォレスター氏はいらっしゃいますか?」
「あの人でしたか。残念ですが、彼は出かけています。戻るのは今少しかかると。よろしければ、中でお待ちになってください」
「それはありがたい。お言葉に甘えさせていただきます」
医者、画家、探偵。
アンナからすれば馴染みの薄い言葉が飛び交い、白い息を吐きながら少女は二人のやり取りを見届けていた。
アンナとアイザックのような怪物を探すのに、オカルトマニアの下を訪ねるのは頷ける。
しかし探偵は常識的な事件を扱うのが仕事であり、非現実的な存在を探すには適さないはず。
どれだけ難事件を解決しようと、それは人間が理解できる範囲のできごとだから。
怪物が引き起こした事件の最たる例を挙げるとすれば、クリスティー・ヘブンスコールのところにいる魔笛の怪人だ。
主との契約に不義理を働いた者から、笛を鳴らしながら大切なものを奪う。
これに対して調査が進むどころか、巷を賑わせる噂にしかなっていない。
「なんで探偵なのか。そう思ってそうだね、アンナ」
「うん。探す人なら、ザックの部下たちだけでもいいよね」
「彼らを評価してもらえて嬉しい限りだが、今回の目的は違うんだ。探偵に依頼したいのは、その前段階。知っていそうな人を探すだよ」
「知っていそうな人を探す……」
ザックの話に当てはまるのは、昨日までに出会ってきた怪物を知ると噂の人物たち。
その全てが外れであり、アンナからすれば無駄足を踏まされた感覚だけが残されていた。
そんな彼らと同じ人たちを、さらに多く増やす。
目の前の青年が持つ意図を汲もうとすると、疑問と不満が少女の中で浮かび上がり、半目で開かれた深い紫の瞳がザックの顔をジッと見つめる。
「言いたいことは分かった。けれど大切なことなんだよ。昨日までは大通りを歩くみたいなもので、表立った店を先に見て回ったんだ。だから今度は、細く暗い裏路地を行く。昨日のキミみたいにね」
「──そのために私のところへ来たのか。随分と怪しい依頼のようだな、お客人」
アンナの疑問を解いてから、カメリアが促す屋内へ。
そうしているところで、堂々とした男性の声が二人の会話に割って入って来た。
自信に満ち、己の正しさを疑わない不遜な音色。
たった一声でアンナとザックの両方の意識を引っ張った人物は、濃霧の中から乱れのない歩調で現れた。
「怪我をした怪しい男と身綺麗な少女。快く迎え入れるにはいささか疑問が多くある二人だが、気は確かか、カメリア夫人」
「貴方のお客様です。この程度の不自然さはささいなものでしょう」
「不用心だな。しかし一理ある。問題を抱えていなければ、私の下へ来る用事はない。……いいだろう。歓迎しよう」
ハンチング帽をかぶった朽葉色の髪に、灰のかかったインバネスコート。
紳士としての正装を忘れず、かつ野外での活動を意識した服装に目が行く彼は、依頼人と認識したザックではなく、まずカメリアへ声をかけていく。
同程度の背丈の彼女と話ながら、下宿の玄関へ近づく彼だが、ふんだんに荷物が入った袋を抱えていた。
中身はワインのボトルを代表に、ジャガイモとタマネギを中心とした野菜の集まりに、ソーセージやスパイスなど。
一人分だとしたら、節制すれば数日は暮らせる量の食料だ。
「まずは中へ、お客人。紅茶を出すので、それで温まるといい」
「用意するのは私です。貴方が作れるのは、趣味の薬だけでしょう。それとパーシヴァル。頼んだ物はそろえてくれたのですか?」
「当然だ。多少量は減ったが、物はそろえた」
「では、貴方の分の紅茶は控えますね。お客様。この方は気にせず、どうぞ中へ」
張り詰めた空気に遠慮ない物言い。
そんな会話を交わす二人を見て、アンナとザックは屋内に入ろうとした足を止めてしまう。
しかし険悪さはなく、パーシヴァルと呼んだ探偵から、流れ作業でカメリアは荷物を預かっていた。
仲が悪い訳ではない。ただお互いの性格から、他者からは不仲のようなやり取りに見えてしまう。
それを示すかのように、彼のコートと帽子も預かるカメリアが不服そうな顔をするも、外の霧のような湿り気はない。
「あ、ああ。失礼するよ、カメリア夫人」
「……寒かった」
「ごめん、アンナ。キミだけでも先に入れてもらえばよかったね」
「別に。寒かったのは顔だけだから、平気」
ようやく下宿の中へ入ったアンナとザックだったが、冷えた外気から逃れた二人の反応は違うものだった。
寒さを特に気にはしていないザックに対し、アンナは頬をかすかに赤くしている。
そんな少女へ気の回らなさを青年は謝罪するも、受けた彼女は手袋をつけた手で頬を温めながら、心配を払いのけていく。
今のアンナの視線はザックにはなく、なぜだと疑問を顔に描いてカメリアを見る探偵へ向けられていた。
「探偵、初めて見た」
「ふむ。そういえば名乗っていなかったな、お客人。職業上、ただ探偵と呼ばれる機会は多くあるが、必要もなく名を伏せるのは礼節に欠ける。相手が依頼人となれば、なおのこと」
アンナの視線に気がつき、自身が名前を教えていないことを思いだした探偵は、コートを脱いで身軽になった姿で少女と青年の前まで歩み寄る。
右手を差しだし、しかし作る表情は尊大なまま。
ともすれば見下しているようにも捉えられる様子で、彼は名前を告げていく。
「パーシヴァル・フォレスター。私立探偵だ。今回の依頼を聞こうか、お客人」
暖房の効いていない屋内。
そこで素手をさらすパーシヴァルは、まずアンナと握手を交わしていくのだった。




