72.Lady Red
冬が始まり、秋の涼やかな風が肌を裂く冷気を帯びてきた。
至るところで蒸気が吹き上がる町中でも、それは変わらない。
行き交う人々は厚手の外衣を羽織り、口からはかすかに白い息が吐かれ。
呼吸も蒸気も、遠方を見通せる澄んだ空に昇っていき、機械の町から消えていく。
「どこへ行っても、空は変わんないね。ミア」
王国の首都、その一角。
住宅地の街道で、アンナは立ち止まったまま、自身の口からこぼれた白を目で追っていく。
季節が移り変わっても、友だちがいなくなったあの日と空は変わらない。
どれだけ栄えている場所でも、寂れた小さな町でも、頭上に広がる青はあの子がいたときと同じまま。
「変わらないのは、ザックもだけど」
二ヵ月が経っても変化がないのは、少女の少し離れた場所にいる青年も同様。
見上げるのを止めて、次にアンナが目を向けたのは、見知らぬ家の玄関で家主と立ち話をしているザックの背中。
外出の際には、夏だろうと構わず来ていたロングコート。
ようやく似合う季節になりはしたが、目元を隠す前髪が胡散臭さをなくすことはない。
一見すると怪しい話を持ちかけている。
そう捉えられる様子をアンナはぼんやりと見ていると、話し相手の家主が首を振りながら扉を閉めてしまった。
「ここも駄目だったよ。翼がある猫とか、湖にいる怪獣とかの噂なら知っているそうだが。それ以外の怪物は聞いたこともないらしい。白い手袋に至っては呆れられた」
「そっちはいいの?」
「まあ、おそらく別件だろう。僕たちが探しているのは、あくまでも僕とキミの同類さ」
扉が閉まっても礼を告げていたザックが、アンナの下にまで戻ってくると、彼はいつもと同じ張りついた笑みを浮かべていた。
こうなることは想定済み。
そう語る口元には悲観の文字がつづられていない。
「これで外れが十件目」
「キミと会うまでは、いつもこの調子だったなあ。それよりアンナ、寒くはないかい? 車が行き来できる場所なら、車内で待ってもらうことができたんだけど……」
二人のいる場所は、蒸気自動車が往来する大通りから外れた、狭い街道。
通れるとしたら一台の車のみ。そんな幅の道だからこそ、ザックはアンナを連れての徒歩を選択していた。
近くの大通りで蒸気自動車を停め、怪物の話を聞きこみに行っている間は、車内で待ってもらう。
これも選択肢にはあったが、誘拐を考えると断念する他なかった。
ブリジットをはじめとして、護衛がいるのなら話は別だが、今は王子として動いている訳ではないので、大ぴらには動かせない。
だから傍に連れたままザックは活動をしていたが、冬が訪れた空の下に少女を置いておくことへ、青年の良心は苦みを感じていた。
「別に、平気。ブリジットのおすすめ、暖かいから」
「とても可愛いし、似合っているよ。けど、このままだと僕がカナルミアに怒られる」
心配を抱えるザックの瞳に映るのは、青年の気持ちを知らず、心なしか嬉しそうにしている少女の姿。
肩にかけられたクローク、足を隠すロングスカート。
これらを含めて、大人しい空気感のガーリーコーディネートが、アンナに施されていた。
露出が極力減らされていて、ぬくぬくするとアンナが告げるも、ザックは苦笑しながら彼女の頬へ手を伸ばした。
「ほら、冷えてる。そろそろ昼時だから、どこか室内で落ち着ける店に行こう」
「いいけど。また芋と魚はダメだって」
「アンナこそ、菓子店には寄らないから我慢してくれよ」
手から頬へ。ザックの温かさを感じるアンナが口にしたのは、とある人物から託された忠告。
しかし似たことをザックも告げていく。
手が重なり、かすかな笑みも重なって。
目つきの鋭い使用人の姿すら、二人は重ね合わせていった。
「それじゃあレストランでも探そうか。ここまで来ても厳しい使用人に従って」
「フィリップも言ってた」
「……どうしてこういうときは、いつも僕が不利なんだ」
二人を見つめる厳しい目。
だがザックに限っては、その数はアンナの比ではなく、厳格な執事の眼差しすら足されていく。
自業自得と理解しながら、どこかぶつけようのない不満をザックは抱き。
そんな彼の手を頬をから外し、アンナは手をつないで歩きだす。
「はあ。彼の調子が悪くなかったら、こうして歩き回ることもないのに」
「アイザック、まだ寝てるんだ」
「その表現が合っているかは話し合いたいところだけれど、まあそうだね。あのハンドベルの効力は相当強いらしい。あれから交代したのは、一回ぐらいだったかな」
「うん。全然会えてない」
「代わった時間も五時間くらい。昔を思い出すけれど、明らかに先日の一件が絡んでいるだろうから心配だね」
人を操れる白銀のハンドベルが発端となった、アイザック暗殺未遂事件から一ヶ月。
人間であるザックは、こうして地に足をつけた毎日を送っているものの、怪物アイザックは違った。
元より不定期だった人格の入れ替え。以前は週に二度は彼らの交代があった。
しかし今はその頻度を露骨に落としている。
「昔?」
「十歳にもならない幼い頃さ。お互い、一ヶ月は入れ替われなくて困ったときがあったんだよ」
「今はないんだ」
「ある程度はね。その話は、後で屋敷にいるときにでもしよう」
それよりも今は、昼食を摂る店をどうするか。
頭の中で描いた地図を頼りに、近場にある首都でも評判の店を、ザックは探そうとしていく。
アンナをあまり歩かせるのも気が引けると、値段に目をつぶって距離を優先。
具体的な場所を知っている訳ではないので、ザックは周りを見ながらアンナと歩いていると、つながっていた手からスッと感覚が消えた。
「アンナ、何か見つけたのかい?」
「今、誰かこっちを見てた」
ザックが振り返ると、路地へ駆けていく少女の後ろ姿が目に入る。
短い返事だけを残して青年の視界から消えたアンナは、そのまま知らない道を蹴っていく。
アンナの深い紫色の瞳に映るのは、赤い小さな人影。
少女か、または少年か。どちらにせよ、二人を見ていた視線を背中で感じたアンナは、その人影を頭に残しながら追っていた。




