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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
69/84

69.Snow anthus(7)

 どこまでも遠く、雪原を白に染める女性の声。

 神秘的。それ以外に当てはまる言葉がない彼女の声音は、まるで教会で鳴らされる鐘そのもの。


 言葉を交わせば冷気が心に染み入り、歌を聴けばその心地よさに眠りにだってつくだろう。


 水辺であれば男を惑わす魔性の歌声。

 しかし一面が白と黒の世界では、彼女の魅了は女神が差し伸べる柔い手と同じ。


「ああ、そうだな。まだ希望はある。素敵な音色を聴かせてくれて、ありがとう」


 雪では凍てつかせられない、明日を見る熱。

 それを瞳に宿した誰かが、白の女性にお礼を言った。


「慰めのつもりか? いらねえよ。……ったく。早く雪止まねえかな」


 しんしんと降り積もる雪のように。

 音なく心を凍らせた誰かが、女性に背を向けたまま耳を傾ける。


「やれやれ。いつまで経っても、人は君に頼りっきりだ。ぼくを通さなきゃ、思いすら届けられないというのに」


 けれども、白の女性は一度も彼らを瞳に映さなかった。


 見ているのはたった一人。

 寄り添い合い、手をつなぎ、同じ言葉で会話ができる、女性にとっての唯一の人。

「ねえ、彼らのことをどう思う。──白銀の君」

「どうも何も、興味ありません。私には貴方しかいませんから」


 人々は女性に意思を伝えられない。女性は人々の願いが理解できない。

 その間を取り持つのが、女性と手をつなぎ合う彼だった。


 全てが透き通った純白の二人。

 願いを聞き、歌を届け、人々の心にもたらされるのは望んだ色。


「貴方しか、いないんです」


 勝手な願いを告げる彼らのことは、どうだっていい。


 ずっと一緒の彼の言葉なら、どんな望みがこめられた歌だろうと歌ってみせる。

 彼が手を引いてくれるのなら、けっして離さずどこへでも行く。


 ずっと、ずっと。一緒だから。

 ──私は貴方の願いで歌い続ける。


「なのに、どこへ行ってしまったんですか」


 だが、永久に思えた二人の蜜月は、雪原が人々の色で塗り替えられたときに断絶した。


 人々の心にあった七色は、いつの日にか玉虫色に。

 彼を通じて女性に届く願いは多彩になり、同時にひどく暗い色が増え。


 そして気がついたら、女性の下から彼の姿は消えてしまっていた。


「──誰か、捜してるんだ」

「……ああ、先ほどの。人であるのに私と話せるのですか。私の歌を聞かないどころか、舞台に上がってくるなんて。無礼な方ですね」


 女性に残されたのは、全てが冷たいだけの真っ白な雪原だけ。

 そんな一色だけだったはずの世界に、彼女の知らない色が紛れこむ。


 夜空に似た黒と、火を思わせるまばらな赤。

 そして覗けば深みにはまりそうな紫の瞳を持つ、小さな少女。


 アンナと呼ばれていた人間が、女性の背後に現れた。


「大切な人?」

「貴女の問いに答える気はありません。あの王子も、怪物も、そして貴女も。私の邪魔ばかりをして。本当、気に入らない」


 女性にはない暗い色。

 その一色が世界に混ざっただけで、彼女の表情に苛立ちが描かれていく。


 ポツンと立ち尽くすアンナは、彼女の背中を捕らえるが、対して女性は振り返らない。


 認めない、嫌いだ、早くどこかへ言って欲しい。

 そう願って言葉を放つも、感情の読めない少女は小首を傾げるだけ。


「よく分かんないけど、絶対逢いたい人なんだね」


 ここがどこなのか、目の前にいる背を向けた女性は誰なのか。

 想像はできても明確な答えは輪郭を持たず、アンナの頭の中で浮かぶのは霧と影のみ。


 それでもアンナは女性に不信感を抱かず、むしろこの声には聞き覚えがあると、道のない雪原で足を進めていく。


 歌声はもう聞こえない。

 降り注ぐ雪は手足の先を凍らせて、女性の姿が遠くなっていく。


 けれど少女の瞳は、月日と同じように一点を見つめていた。


「その人はわたしも捜せるかな。ねえ、どんな人?」


 例え白銀以外が目に映らなくなり、猛毒となった冷気が全身を(むしば)もうと。

 アンナはあの子のように、立ち止まらず手を伸ばす。


 あの子──ミアなら、きっとこうするから。


「教えて」


 アンナの手は雪にはばまれ、届かないはずだった。

 そのはずが、突然引っ張る力が少女の手に加わり、遠かった女性の肌に触れる。


 訳が分からず言葉を失うも、機会を逃すまいとアンナは両手を動かした。


「知りたい」


 貴女のこと、大切な人のこと。

 鐘の音のような歌声の人なんて、ミアはきっと知りたいはず。

 そんな女性の想い人とくれば、教会でザックの話を聞いたときと同様、うるさくなるのが目に見える。


 だから離さない。

 両手でしっかりとつかみ、懸命に力をこめ、まぶたを閉じてお願いと祈っていく。


 その思いが通じたのか、それとも気まぐれか、ただ呆れただけなのか。

 吹雪いていた一面の白は落ち着き、消えた女性の輪郭が戻ってくる。


「……気に入らない。何をそんなに知りたいの」

「分からない。でも、約束したから」


 冷え切った白銀の瞳と、夜空めいた深い紫の瞳が重なった。


 どちらも冷たく、しかし交わらない別の色。

 だからこそ二人は対峙するも、アンナだけが色彩のつぼみを見せていく。


「ミアが知りたいって言ってたこと、わたしが知りたいって思ったこと。ザックが全部教えてくれるって。だから離さない。貴女のことを知りたくなったから」

「ふざけてる。それは貴女の都合でしょう、私には関係ない」

「ある。だって、貴女の捜している人も興味あるから」


 彼のことも知りたい。

 そう示す言葉に、女性は初めて振り返った。


 自身の手を必死につかむ小さな少女。

 非力で、希薄で、気がついたら霧のように消えてしまいそうで。


 そんな少女の瞳に宿る、深い意思に女性は捕まってしまう。


「彼の……ことも?」

「うん」

「嘘ね。そういう人は何人も見てきた。でも、全員彼のことなんてどうでもよくて、だから……」


 私の下から彼がいなくなってしまった。

 だからアンナのことも信用しない。誰であろうと、人間は信じない。


 そう告げる女性に、アンナはうっすらと口元を緩めた。


「なら平気。わたし、怪物だから」


 どう見ても人間な黒い少女。

 それを否定するように女性の瞳に映ったのは、アンナの背後に現れた黒い霧。


 形はなく、認識したと同時に雪へ溶けていく黒い霧は、笑っているようにも見えた。


「……本当、気に入らない」

「ダメかな」

「駄目もなにも、貴女には私の歌が効かないじゃない。──少しだけ。彼の話をしてあげる。それで満足して」

「うん、分かった」


 何でもできた女性の歌。

 それが通じず、どころかわがままを押し通してくるアンナに、女性は深いため息をついていく。


 折れた訳ではない。

 過去をふくめても珍しい、彼に興味を持つ人間。


 そんな少女に彼のことを聞かせたいから、女性は振りほどこうとした手の力を弱めた。


「貴女、名前は?」

「アンナ」

「そう、アンナね。私は──」


 何も知らないと告げる無垢な瞳。

 それを前にした女性が考えるのは、どこから彼を語っていくか。


 少女の無遠慮さには腹が立つも、彼のことを知ってくれようとする人がいる。

 そう思うと、アンナの髪色にあるような小さな火花が心に飛び移り、女性は心なしか頬に赤を差していた。

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