65.Snow anthus(3)
地下にいたザックのもとで、ヴィクトリアとクリスティーが足並みをそろえて早一日。
秋の冷えた風が空を澄み渡らせ、星空にたゆたうのは満ちた月。
耳をすませば、遠く彼方の音すら捕まえられる。
そう思えるような静かな世界で、たった一人、ヴィクトリアはたたずんでいた。
そこは一週間前にも足を踏みいれた、煌びやかなパーティー会場。
外行きの衣装である刺繍入りのクラシカルなワンピースは、伝統を残した外観にほどよく馴染み。
前進的な彼女の姿勢は、蒸気機関を取りいれた最新の内装にも引けを取らない。
「殿下のお考えも理解しているつもりです。未だ世間には知られていないようですが、それでも早期に事態を収拾するのは当然のこと」
だが、ヴィクトリアは一人だった。
記憶にある着飾った人々は影すらなく、場に彩りをと置かれた花に、口を滑らかにする軽い食事を並べるテーブルもない。
あるのは少女を照らす明かりだけ。
まるで単独の舞を披露する場のように開けた空間は、ヴィクトリアのつぶやきを余すことなく受け止めていく。
「ですが、これだけは譲れません」
アイザック、もといザックの無事は知れた。
怪人の犯した罪を黙認していた、ヘブンスコール親子の取引も段取りは整って。
不安定な一面があったアンナも、ザックと再会できてからは落ち着いている。
ヴィクトリアが抱える心のつかえは順調に取れてはいるも、まだ全てではない。
それを解消したいから。
少女はこの場に足を運んで、ある人物を待っていた。
「どうしてこんなことをしたのか、それを私が聞きたいんです」
あの日、待ち人がいたであろう場所に立つ少女は、既に何度も胸の内で問いかけている。
けれども返ってくるのは、自分自身の疑問の声。
出るはずのない答えを求めて繰り返すも、分からないだけがあふれていく。
そんな少女の背中をかすかな音がポンと押し、ゆっくりとヴィクトリアは振り返った。
「お父様」
「──どうしたんだ、ヴィクトリア。突然いなくなったと思ったら、こんなところに呼び出して。私がどれだけ捜したと思っているんだ」
ヴィクトリアの深い海色の瞳に映ったのは、彼女の父親。
ここまで大慌てで来たのか。乱れが目立つ私服と汗にまみれた全身、灰色の髪もまとまりがなく、顔色も喜びと困惑で何ともいえないものとなっている。
見慣れた姿。心配をかけるといつもこうなる、普段のミッドデイボーン男爵。
しかしそんな彼を前にして、ヴィクトリアは沈んだ表情のまま。
「……叱るのは後だ。痛いところはないか? 具合が悪そうだが、何があったんだ? いや、今は無理に答えなくていい。とにかくさあ、家に帰ろう。ヴィクトリア」
「残念ながら、そのつもりはありません、お父様。今この場で、お聞きしなければならないことがありますから」
「ヴィクトリア、何を怒っているんだ。もしかして、この一週間姿をくらませたのは、家出のつもりだったのかい? お父さん、何かしたかな。まさか最近、家に中々帰れていなかったからか。だが仕事だから仕方ないと、納得してくれていたじゃないか」
一週間の間、行方が分からなくなっていたのは、ヴィクトリアが不満を抱えたまま家出をしたから。
そんな結論を出した男爵の目に曇りはなく、しかし理由が分からないと灰色に染まったまま。
いなくなってしまった愛娘を心配する父親。
そうとしか見えない男爵は、少しずつヴィクトリアとの距離を詰めていた。
本当は今すぐにでも抱きしめたい。しかし我慢して、娘の話を聞こうとする姿勢を見せる彼に、ヴィクトリアはため息一つで押し返す。
「まず、貴方は誰ですか? 上手く演じていると思っているようですが、こういったとき父ならまず、謝罪ばかりを繰り返すものです」
ヴィクトリアを心配している今の男爵も、いい父親に見えるのも間違いではない。
しかし彼女の知る男爵は、自身に不手際があったと感じると、頭を下げることを第一としていた。
腰が低く、貴族らしい自信は後日の胃痛につながり、笑顔と愛想だけで場をしのぐ。
それが少女の父親であり、家族にすら怒ることをためらうような人物で。
機嫌の悪さを見せる少女を前に、堂々としている男爵とは印象が重ならない。
「それにお父様は、私のことをトリアと呼びます。まさかご自身の娘の愛称をお忘れとか、ございませんよね?」
「本当にどうしたんだ。お前はそんなことを言う子じゃ──」
「もう一つ。操った方々と、従兄殿はどこに行ったのですか?」
ヴィクトリアの次の質問に、男爵の足は固まる。
今まで奏でられていた音楽が、振るわれた指揮棒によって止められるように。
口は結ばれ、豊かな色使いの表情は洗い落とされて、人間らしい動きはこつぜんと人形染みたものに変わる。
「ああ、あの王子の差し金ですか。なら、お遊びをする必要はありませんね」
喋る声は無機質に。瞳が宿すのは新月の空の色。
男爵の姿形をしながらも、人それぞれの音色を失った人のような何かは、ひどく冷たい声音を震わせる。
暗い空の果てを思わせるその声を、ヴィクトリアは険しい表情で迎えるも。
男爵の姿をした何かは、身構える少女に小さく首を傾げるだけだった。




