表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
65/84

65.Snow anthus(3)

 地下にいたザックのもとで、ヴィクトリアとクリスティーが足並みをそろえて早一日。

 秋の冷えた風が空を澄み渡らせ、星空にたゆたうのは満ちた月。


 耳をすませば、遠く彼方の音すら捕まえられる。

 そう思えるような静かな世界で、たった一人、ヴィクトリアはたたずんでいた。


 そこは一週間前にも足を踏みいれた、煌びやかなパーティー会場。

 外行きの衣装である刺繍(ししゅう)入りのクラシカルなワンピースは、伝統を残した外観にほどよく馴染み。

 前進的な彼女の姿勢は、蒸気機関を取りいれた最新の内装にも引けを取らない。


「殿下のお考えも理解しているつもりです。未だ世間には知られていないようですが、それでも早期に事態を収拾するのは当然のこと」


 だが、ヴィクトリアは一人だった。

 記憶にある着飾った人々は影すらなく、場に彩りをと置かれた花に、口を滑らかにする軽い食事を並べるテーブルもない。


 あるのは少女を照らす明かりだけ。

 まるで単独の舞を披露する場のように開けた空間は、ヴィクトリアのつぶやきを余すことなく受け止めていく。


「ですが、これだけは譲れません」


 アイザック、もといザックの無事は知れた。

 怪人の犯した罪を黙認していた、ヘブンスコール親子の取引も段取りは整って。

 不安定な一面があったアンナも、ザックと再会できてからは落ち着いている。


 ヴィクトリアが抱える心のつかえは順調に取れてはいるも、まだ全てではない。


 それを解消したいから。

 少女はこの場に足を運んで、ある人物を待っていた。


「どうしてこんなことをしたのか、それを私が聞きたいんです」


 あの日、待ち人がいたであろう場所に立つ少女は、既に何度も胸の内で問いかけている。

 けれども返ってくるのは、自分自身の疑問の声。

 出るはずのない答えを求めて繰り返すも、分からないだけがあふれていく。


 そんな少女の背中をかすかな音がポンと押し、ゆっくりとヴィクトリアは振り返った。


「お父様」

「──どうしたんだ、ヴィクトリア。突然いなくなったと思ったら、こんなところに呼び出して。私がどれだけ捜したと思っているんだ」


 ヴィクトリアの深い海色の瞳に映ったのは、彼女の父親。

 ここまで大慌てで来たのか。乱れが目立つ私服と汗にまみれた全身、灰色の髪もまとまりがなく、顔色も喜びと困惑で何ともいえないものとなっている。


 見慣れた姿。心配をかけるといつもこうなる、普段のミッドデイボーン男爵。

 しかしそんな彼を前にして、ヴィクトリアは沈んだ表情のまま。


「……叱るのは後だ。痛いところはないか? 具合が悪そうだが、何があったんだ? いや、今は無理に答えなくていい。とにかくさあ、家に帰ろう。ヴィクトリア」

「残念ながら、そのつもりはありません、お父様。今この場で、お聞きしなければならないことがありますから」

「ヴィクトリア、何を怒っているんだ。もしかして、この一週間姿をくらませたのは、家出のつもりだったのかい? お父さん、何かしたかな。まさか最近、家に中々帰れていなかったからか。だが仕事だから仕方ないと、納得してくれていたじゃないか」


 一週間の間、行方が分からなくなっていたのは、ヴィクトリアが不満を抱えたまま家出をしたから。

 そんな結論を出した男爵の目に曇りはなく、しかし理由が分からないと灰色に染まったまま。


 いなくなってしまった愛娘を心配する父親。

 そうとしか見えない男爵は、少しずつヴィクトリアとの距離を詰めていた。


 本当は今すぐにでも抱きしめたい。しかし我慢して、娘の話を聞こうとする姿勢を見せる彼に、ヴィクトリアはため息一つで押し返す。


「まず、貴方は誰ですか? 上手く演じていると思っているようですが、こういったとき父ならまず、謝罪ばかりを繰り返すものです」


 ヴィクトリアを心配している今の男爵も、いい父親に見えるのも間違いではない。

 しかし彼女の知る男爵は、自身に不手際があったと感じると、頭を下げることを第一としていた。


 腰が低く、貴族らしい自信は後日の胃痛につながり、笑顔と愛想だけで場をしのぐ。

 それが少女の父親であり、家族にすら怒ることをためらうような人物で。


 機嫌の悪さを見せる少女を前に、堂々としている男爵とは印象が重ならない。


「それにお父様は、私のことをトリアと呼びます。まさかご自身の娘の愛称をお忘れとか、ございませんよね?」

「本当にどうしたんだ。お前はそんなことを言う子じゃ──」

「もう一つ。操った方々と、従兄殿はどこに行ったのですか?」


 ヴィクトリアの次の質問に、男爵の足は固まる。

 今まで奏でられていた音楽が、振るわれた指揮棒によって止められるように。


 口は結ばれ、豊かな色使いの表情は洗い落とされて、人間らしい動きはこつぜんと人形染みたものに変わる。


「ああ、あの王子の差し金ですか。なら、お遊びをする必要はありませんね」


 喋る声は無機質に。瞳が宿すのは新月の空の色。

 男爵の姿形をしながらも、人それぞれの音色を失った人のような何かは、ひどく冷たい声音を震わせる。


 暗い空の果てを思わせるその声を、ヴィクトリアは険しい表情で迎えるも。

 男爵の姿をした何かは、身構える少女に小さく首を傾げるだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ