64.Snow anthus(2)
ザックが語った異様なできごと。
当時はアイザックが主立って動いていたため、青年が並べた話にはあいまいな部分もふくまれていた。
しかし耳を傾ける男女は、おおよその流れはつかみ取り、それぞれが知りたかった部分を咀嚼していく。
「……なんつうか、言いたいことは色々あんだが。まず王子さまさ、お前本当に平気なのか? その……背中の傷」
「問題ないよ。そこは話した通りに受け取って欲しい」
「いやまあ、だからここで普通に話してんだろうけど。それと、その後。どうやってパーティー会場から逃げたんだよ。どう考えても追って来るだろ」
「特に何事もなく外へ出て、そのまま車にね。──だったかな、カナルミア」
二重人格とは告げたものの、怪物的な体質を知らされていないクリスティーは、はじめに目の前の青年の傷を確かめる。
懐いているアンナの手前。無理をして無事を演じていると心配するも、返されたのは調子の変わらぬ笑顔だけ。
間を置かず、一滴の冷や汗すらかかない青年に、クリスティーはひとまず事実だと飲みこんで次の疑問をぶつけていく。
しかしその答えはあいまいで、体調を崩して横になる少女を膝に置いたブリジットが、代わりに言葉を続けた。
「はい、殿下。アンナを連れていない以外は、別状なく会場の外へ。事情をお聞きしたのは車に搭乗した後。避難が最優先と命じられてしまい、やむを得ずこの地下に身を寄せた次第です」
「アンナを置いていったのは、あいつ──怪人が来てたの、気づいてたのか」
「それは……分かりかねます。とにかく最低限の指示だけを残して、今の殿下と代わってしまったので」
ヴィクトリアに連れられて、会場を離れていたアンナ。
そのとき彼女を気にせず、男爵から遠ざかる選択をしたのは、どうしてなのか。
答えはザックにすら分からず、アンナを置いてでも距離を取る必要があるとしたら、それは何なのかをクリスティーは考えていく。
ザックの語った内容として、男爵の用意したハンドベルが振るわれると、人間は彼の意のままになってしまう。
だとしたら、分かりやすいのは手放したくない人物を彼から遠ざけるため。
使用人として位の高さを感じさせるブリジットは、奪われたくない人に該当するだろう。
主であるアイザックの代行を務められ、秘蔵っ子のアンナの世話もできる。
手放すには惜しいとクリスティーですら思い、彼なりの推測が固まりつつあったそのとき、横にいるヴィクトリアから、意外な発言が飛びでてきた。
「むしろ自分に注意を引きつけて、アンナに意識がいかないようにした。というのは……いえ、忘れてください。今の殿下なら納得できますが、あの方には無さそうです」
「だとしたら僕も嬉しいけれど、確信は持てない考えだね。アンナはどうにかなったとしても、カナルミアは難しい。そういう考えかもしれない。──彼女は怖いからね」
「殿下。それはいったい、どういった意図をもっての発言でしょうか?」
ザックのぼかされた笑顔とは違う。
あからさまに重ね塗りがされた、ブリジットの満面の笑みに、青年は思わず彼女から顔をそらしてしまう。
「……こほん。殿下たちの今までの動向は分かりました。この地下に来たあと、アンナからの連絡が入り、そして今に至ると」
「ああ、その認識で合っている」
「父が人を操れる道具を使い、何かをしようとしている。そうなのですね」
「……ああ。その通りだ、ミス・ヴィクトリア」
認識のすり合わせが終わったのは、ザックたちの事情のみ。
次の話題となるのは、当然こんな事態となった元凶についてだ。
「父は、そんな人ではありません!」
「分かってる。僕だって彼の人柄を知らない訳じゃない。安直だけれど、どこからか購入した、あのハンドベルが原因だろうね」
「俺も同感だ。取引相手として会ったときと、今聞いた話の印象が違いすぎる。そのちっこい鐘を持ったら、人格代わるとかか?」
「手元にある情報だと、それぐらいかな。だとしても違和感があるんだよね。物語とかを参考にするのは、いささか問題を感じるけれど。この手の人が変わる話は、暴力的になることが多いと思うんだ」
僕みたいにね、とザックは付け足すも、いくつもの冷たい視線にさらされる。
しかし青年のいうことにも一理あるのか、反論自体は出てこなかった。
何かを自在に操れる超常的な力。
それは原始的な欲求につながりやすく、暴力はその最たるもの。
鐘の音を聞かせれば、大抵の人間は人形となってしまう。
自分の行動に抗わず、意のままに動き、何をしても許される。
一度体験してしまえば逃れられない、魔性の毒。
権威によって現実的に再現できる欲求は、理性が残る者に底知れない不快感を与えていく。
この場にいる全員幅は違えど、そんな超常的な力を持ったらどうなるのか、想像はできる。
だが現実は異なり、男爵は交渉を図れるほど冷静な印象があった。
暴力を用いたのはたった一回、アイザックを排除を試みたときだけ。
「なら彼は、何をしようとしているのか。この一週間、考えても答えは出ないままさ」
「殿下。私が暗殺未遂の噂を耳にしたとき、従兄殿を捜している様子でしたが、彼も操られていたはずです。まさか意識を取り戻したとか、ありえるのでしょうか」
「それも分からない。ただ僕がいなくなったことを世間には公表せず、男爵独自に動いているから、僕は釣り得だと思っている。部下が一人逃げ出したぞ、表に出てこいってね」
「こんな話になっているだけでも、私の知っている父ではないです」
「そうだね。あのお人好しの男爵と、こんな情報戦をやるだなんて、僕も思ってもみなかった」
アイザック王子が暗殺されかけた。
この噂の中心となる青年自身の考えにより、ヴィクトリアの中にあった事件への思いが、一本の線から雁字搦めの糸に変化していく。
人が変わった父、操られるも所在不明の従兄、無事だった王子。
少女の感情の置き所は霧に隠され、悲哀の青色よりも、何故という鈍色が胸にじんわりと広がっていた。
「さて、ここからがキミにとっての本題だ、ヘブンスコール」
「何言われても、俺には協力する以外の選択肢ねえぞ」
「司法への口添えを期待してかい? 僕としては構わないよ。なにせ、探していたものがそちらから来てくれたからね」
「……あの噂。マジで信じていいのか」
怪物を見つけたら、アイザック王子から褒賞が出る。
そんな噂は真実なのか、クリスティーが真剣に問いかけるも、答える本人は未だに口元へ感情の色を見せないまま。
どう受け取ってもいい。
そう言わんばかりに、声音すらも変わらない。
「勿論。僕は怪物を探している、そこは本当だよ。──じゃあ、キミが協力してくれるのなら、今後の方針を変更しないとね」
「ん? 今後の方針? 何か、するつもりだったのか」
今、この場で話し合えることは出し終えた。
そう打ち切るように立ち上がるザックへ、クリスティーは首を傾げていく。
「僕は仮にも王子だよ? 当然、国を脅かす脅威には向き合って対処しないと」
「つっても、俺が加わったところで──」
「聞いたよ。キミは例の怪人と意思疎通が取れるって」
怪物を探している。その噂が本当だと理解したクリスティーは、青年と交える言葉に段々と色を見るようになっていた。
怪物の存在を認め、理解を深め、平然と思案の中に混ぜていく。
そんなザックの口元を改めて見て、彼が感じとったのは日常からは離れた夜の色。
「ヘブンスコール、彼に伝えてくれるかな。あのハンドベルを盗ってこいと」
アンナとヴィクトリアの誘拐、ブリジットへの背後からの奇襲。
まさに怪物的な神出鬼没で、文字通り、どこからともなく現れる。
その性質を使おうとするザックは、名案だとばかりに笑みを作っていた。




