61.intermedio - light and shade(14)
クリスティーの腕に自由がなくなってから、早くも一時間。
地下の部屋であるにも関わらず、蒸気の力で昼間とさほど変わらない明るさの室内で、彼は椅子に座ったままとなっていた。
狭さはあるも清潔感のある白い空間が心地よく、今は椅子だけに座らされているクリスティーだが、その椅子だって座り心地は悪くない。
縛られたのは手首だけ。それも痛むほどではなく、形ばかりのもの。
長時間、彼と話しをした相手だって、暴力に訴えることなく世間話染みた空気で言葉をつむいでいた。
「んで、いつまで俺をこうしてんだよ。こいつらが家に来てから、ここに来るまでのこと。全部話したぞ」
「そのようですが、ヴィクトリア様も同様の認識で?」
「……ええ、まあ。少し自分に有利な言い方をしていますが、大筋はクリスティーの言った通りです」
怪人の誘拐行為を容認し、二人の少女を軟禁していたのは事実。
そう考えると、現在のクリスティーの自由に歩き回れる状態は、かなり温情をかけられている。
だからこそ罪の意識が落ち着かず、いっそのこと手錠をかけてくれとすら思っているクリスティーだが、そんな雰囲気は欠片も浮上しない。
「なるほど。先程のあれが、噂になっていた魔笛の怪人。ヘブンスコール様に不都合が生じると、彼が盗難や誘拐をする。今回、たまたま対象となったのが、アンナとヴィクトリア様だったと」
「そうだ。全部あいつがやったっつっても、信じる奴なんていねえ。全部俺たち家族のせいになるんだから、二人に勝手されんのがまずいの、分かんだろ」
「理解はしますが、盗品を無断で寄付したことなどは擁護できませんね。まあ、後のことは司法にお譲りするとして──」
和気あいあいとはせず、険悪にもならず。
ただ言葉だけを抜き取られていく感覚に、クリスティーの心中は気まずさでできた鉛が埋め尽くしていた。
ヴィクトリアだって、それは変わらない。
ブリジットを除き部屋で待機している三名、その誰もが銃を持ち、クリスティーを囲んだ人物たちと同じ職に就いていることが分かる。
クリスティーの扱いは女性の意思一つ。素直に応じれば交わすのは言葉だけ、しかし歯向かえばまた銃口が彼の眉間を捉えるだろう。
「あの、カナルミアさん。クリスティーのことは一旦置いて、アイザック殿下はどうしているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか? それとアンナちゃんの容態も」
見知らぬ場所に連れ去られ、家の中だけという不自由も強いられた。
恨みは多くあるも、同じくらい知人として彼のことを見てきたヴィクトリアは、思いの天秤を揺らしながら言葉を発していく。
彼に望んだ裁かれ方は、こんな淡々としたものではない。
作業ではなく、もっと向き合って話すべきだと思ったからこそ、少女は別の話題にそらそうとした。
「アンナは平気よ。少し熱があるけど、このまま寝ていれば治るわ。殿下は……別の部屋よ。事情があって、今は私が代理として動いているの」
ブリジットの答えを受け、ヴィクトリアとクリスティーの視線が向けられるのは、床へ座っている彼女の膝元。
綺麗な黒髪から赤い線が消え、荒れていた息も整い、安心を表情に描いたアンナがそこにいた。
膝枕をしながらアンナの頭を撫でるブリジットは、そのままの状態でこの一時間を過ごしている。
「こうなっているかもしれないから、早く連れて来てと指示を出したのだけれど。まさか、いきなり暴力を振るうとは思わなかったわ。その点に関しては謝罪を」
「んなこと言われてもな。納得し切れねえっつうか」
「そこなのですが。どうしてヘブンスコール家に、アンナちゃんがいると分かったのですか?」
「アンナに非常用の電話番号を教えていまして。かけると、発信元の住所が国の方へ記録されるという仕組みなのです。それで所在は分かるので、後は準備ができ次第向かうという手はずです」
「……あの時か」
ブリジットを除く銃を携行した人々も、ヘブンスコール家に押し入ってきた人物たちも。
全員が国家所属の諜報員で、今回アイザックを護衛する面々でもあった。
国内に常日頃から点在し、王侯貴族の非常時に集って彼らからの命を全うする。
今いる地下施設もそのために作られた物であり、一週間前にアンナがかけた電話も、その枠組みの一つ。
それを説明されている内に、クリスティーの胸中は諦めの色が濃くなっていた。
「気に入らねえ。全部手の内って感じがな」
「そうでもないですよ。アンナのこと、そして魔笛の怪人のこと。この二つは完全に想定外です」
「まさか俺がこうしてられんの、あいつと繋がりがあるからか」
「ええ、そう受け取っていただいて結構です」
怪物と目される、魔笛の怪人の関係者。
だから国家が抱える秘密をさらしていても、強硬手段に中々移らない。
良好な関係を築き、怪人に近づくため。
そんな考えが頭の中を占めるヴィクトリアとクリスティーは、段々と視線をアンナから離せなくなっていく。
怪人と知り合い、アンナから生まれた黒い霧を見てなお、話し半分で聞いていたある噂話。
「じゃあ本当なのか。アイザック王子が怪物を探してるって噂は」
「実感、湧かないわね。それに事実ならなぜ、アンナちゃんのような人を探しているのかしら」
怪物を見つけた者には褒賞を。
そんな触れこみで風に流れている噂を、二人は喉元まで飲みこみかけていた。
怪物的な力を使えるアンナも、王子に仕えているブリジットも、口をそろえて肯定している。
しかし腹に落ちないのは現実味が薄く、補強する言葉が増えても重さが足りないから。
寝ているアンナから一度目を離し、お互いに目だけで会話をするヴィクトリアとクリスティー。
どの程度まで話を聞くのか、二人が無言で探り合っていると、これまで熟睡していたアンナのまぶたが、ゆっくりと開かれた。
「──その辺りは僕が話そうか」
横たわる黒い少女の瞳が捉えたのは、長い前髪を持つ灰が混ざった白髪。
ブリジットたちと同様の装いをしているも、目元を隠された姿は、ひときわ怪しさを放っている。
誰にも見えない彼の瞳。
その濃淡で分かれた二色の赤を、深い紫に重ねようとするアンナに、彼はいつも通りの作り物染みた笑顔を見せていく。




