57.intermedio - light and shade(10)
ヘブンスコール家を飛び出してなお、二人の男女の足は止まらない。
至るところで空を目指す、白みがかった灰の煙。
それを取りこんだ曇り空の下、当てがなくとも走り続ける。
「それでどうするんですか、クリスティー。この町を知ってるのは貴方だけなんです。さっさと行き先を決めなさい」
「分かってる。分かってるけどよ、秘密の抜け道とか隠れ家とか、都合良いもんある訳じゃねえぞ」
「何でないのよ」
「貴族でもねえのに、そんな遊びみてえなもん作れるか」
荒れる息は言葉にも乗り、並んで歩く二人をつないだ糸は乱れたまま。
下手に大通りへは出ず、複雑な小道を行き当たりばったりの曲がりと直進を繰り返す彼らは、多少速度を緩めながらも考えを結んでいく。
ヴィクトリアは余計な注文をせず、候補は挙げれど返って来た言葉には素直に従い。
対してクリスティーは、地元の町並みに目を向けながらも、茹るくらいに頭を動かしていた。
「手っ取り早いのは知り合いんところ行って、匿ってもらうか」
「悪くないわね。あの人たちが来たら、追っ払ってくれそうな方かしら」
「……奴らの手口的にキツそうだな。お前らがいること分かってて来ただろ、あいつら」
腕の立つガラス屋が、正体不明の輩に追われている。
巻きこむなと文句は言えど、門前払いをする知人をクリスティーは知らない。
だがそんな彼らだからこそ、痛む心が生まれてしまう。
クリスティー家に乗りこんできた人物たちは、ヴァレンタインにしたように、庇う者にも容赦はしないだろう。
武器を出して脅しはせず、素手で捕えようとしたところから、血生臭いことは避けたいようだが。
それでも善良な町民に手をあげることを、彼らがためらうとは思えない。
「匿って貰っても、また強引に来られそうというのなら、同感だわ。その上で頼れる方は?」
「いねえ。つうか、それできる奴らに借りを作りたくねえ」
「どういう意味よ。出し惜しみとかしてる場合じゃないわよ」
「ったく、分かれよ暴力女。貴族だよ、貴族。客の中にいんの知ってんだろ。追われてますっつって、家に上がりこみてえのか、お前」
暴力に屈さず、かつ争いごとに発展させない。
それができる人物たちをクリスティーは脳裏に並べるも、苦みを感じた表情だけが顔に出る。
彼の不満顔にヴィクトリアは疑問を感じるが、貴族と聞いた途端に少女も顔色を真似ていく。
相手が誰であれ、貴族に手を出すのはためらうだろう。
彼らを動かしている人物が、仮に高い位にいるとしても、余計な面倒ごとは避けたいはずだ。
しかし、それは二人も同じ。
匿う代償は当然あるとして、人によってはその代償の方が命取りになる。
「てか、アンナ。お前走ってねえんだから、案の一つくらい出してくれ」
ヴィクトリアとクリスティー。
二人で考えても良案が出ず、最後の望みとばかりに注目が集まったのは、クリスティーの背中いるアンナだった。
道中で腕の中から背中へ移動した彼女は、揺れに負けないため、しっかりと掴まりながら、男性の耳もとへささやいていく。
「あの怪人、やっぱりいない」
「だろうなって、そっちは今はいい! なんか追っ手を撒けそうな──」
「そんなのアンナちゃんが知る訳ないでしょう」
「……分かってるよ! ちくしょう、この箱入り娘。見た目だけだな、ホント」
今朝から姿を見せない怪人。
その不在は改めて確認する必要もなく、他にはと聞こうとしても、背中からにじむのは静かな黒だけ。
この一週間で、アンナの無知さを充分に理解していた二人は、期待した方が馬鹿だったと自分自身に悪態をついていく。
「それよりもあの追っ手たち。数を増やして迫って来てるわ」
「くそっ。大通りに出るタイミング逃した。さっさと人混みん中、突っこめばよかった」
「今さらね。──前からも来た」
「クリスティー。そこ、右。入れそう」
人を増やして前後左右、道を一つずつ潰していく追っ手たち。
走り続けるも、ついには前方からも仲間とみられる人物が現れたことで、二人の足は止まってしまう。
体を動かすことに集中していた二人とは違い、周囲を見ていたアンナは、鍵が壊れて半開きとなった扉を持つ建物を見つけた。
人の手入れが行き届いていない捨てられた廃墟。
それを指差し伝えるアンナに、ヴィクトリアとクリスティーは、互いに顔を見合わせたあと頷く。
「行くしかないわね」
「珍しく気が合うな。最悪、この中で殴り合いか?」
「頑張りなさい、クリスティー」
「俺一人かよ。いや、まあ。……チッ、しゃあねえな」
道沿いでは逃げられない。
迷いは追っ手に時間を与え、三人の首を絞めるだけ。
考える暇もないと地面を蹴る二人は、アンナの指し示した廃墟へ弾かれたように身を投じていく。




