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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
53/84

53.intermedio - light and shade(6)

 アンナとヴィクトリアが、怪人によって誘拐されて一週間。


 ガラス工房のある住宅。

 そんな馴染みのない環境に、身を置くこととなった二人。


 彼女たちは家を預かるクリスティーの指示によって、外へ出られない窮屈な生活を強いられる。

 そう思っていたのは、唯一の男性であるクリスティーだけだった。


「自由すぎんだろ、あいつら」


 換気のみが許された部屋。雄々しく燃え盛る炉に、火の色で自身を染めるガラス。

 加工する腕と指先、一筋のズレも見逃さない夕焼けの瞳。


 これら全てに、常人では耐えられない熱がこもっており、蒸気機械による冷房はうなるだけ。


 けれども無駄を削いだ動きの中で、口からこぼれた不純物だけは低い温度を保っている。


「他人の家を好きに弄り回しやがって。ったく、あいつも使用人気取りだし」


 クリスティーが思い浮かべるのは、調子に乗ると男勝りのような荒っぽさを見せる少女。

 そして彼でも考えが読めない神出鬼没の怪人。


 この一週間であった二人の自由さは、振り返るだけでクリスティーの胸に重しが落ちてくる。


「アンナはまあ……いや、あいつが一番へこむな」


 最後、頭に過ぎるのは無表情に見える黒い少女。

 外見通り大人しくしているように思えるが、クリスティーにとってのアイデンティティを、一つ奪われそうになっていた。


 それは──


「何、へこむって。アンナちゃんに怪人とられたのが、そんなに悔しいの?」

「……うっせえな。今まであいつと会話できたの俺だけなんだ。いいだろ、そのぐらい」


 クリスティーだけが怪人と意思疎通を図れる。

 そう思っていたのに、出会ったばかりのアンナは、日に日に怪人の意図を汲み取れるようになっていた。


 理由は想像できる。

 精神が不安定になったとき、彼女から引き起こした黒い霧。

 人間にはない力であり、怪人と通ずる部分がある。


 怪物的なところが重なり、二人の間にしか分からない何かがあると思えば、その理解度も納得はできた。

 だが心情としては別で、自分以上に怪人の意図を読めるようになったらと考えるだけで、嫉妬の気持ちは隠せない。


「あっそう、どうでもいいわ。それよりも食事よ、食事。昼食、早く作りなさい」

「お前も日に日に俺の扱い雑になってないか。頭叩くな、あぶねえだろ。というか、材料あんだから自分で作れ」

「当番決めたんだから、従いなさいな馬鹿」

「それ決めるとき俺いなかったんだけど。夜にお前たちだけで決めるとか、普通にずりぃぞ」

「代理で怪人はいたわ。いいから早く作りなさい、仕事馬鹿のクリスティー」


 熱を冷まし、目を皿にしてガラスの状態を確かめているからか、男性の頭を叩くヴィクトリアの手は控え目なもの。

 しかし急かすようにテンポは速く、再びの集中はできないと分かった彼は、製作途中のグラスを置いた。


 これでいいかとクリスティーが少女へ振り返ると、機嫌の良さをみせるヴィクトリアが瞳に収まる。


 そこにいたのは、連れ去られたときのドレス姿の少女ではない。

 丈を合わせたがまだ大きいと感じる男性もののトップスに、様になっている紺色のロングスカート。

 上下ともに素朴だが、色付きの糸を使った細かいアレンジで、品のある飾りが散りばめられている。


「髪型、変えたのか」

「十点。朝からこれよ。こっちの方が動きやすいの」

「……十点満点中?」

「百点満点に決まってるでしょう」


 さらに印象を変えていたのが、シニヨンという長髪を丸く収める髪型。

 内心では変化に驚きつつ、強気な態度にある種の安心感を覚えたクリスティーは、ヴィクトリアを話をしながらキッチンへ向かっていく。


 変わっているのはヴィクトリアの姿だけではない。

 彼女と怪人の手によって清掃がなされた家は、クリスティーにとって、見知らぬ小奇麗な家に生まれ変わっていた。


 衣食住がそろっていれば充分。

 そう考えていた場所が、機会を得たとばかりに輝きを見せるも、彼は思わず目をそらす。


「そういや、アンナとあいつはどこ行った」

「二人なら今……ほら、そこにいるわ」


 色味の増えた家は直視せず、代わりにアンナと怪人の姿を探すクリスティーだったが、ヴィクトリアの指差した方へ目を向けると、不思議な空間が広がっていた。


 ヴィクトリアの手が入っているせいか、白を基調とした清潔感のある小物が増えたダイニングルーム。

 食事はまだ並べられてはいないが、一人先に席へ座っていたアンナと、その背後で彼女に付き合う怪人の姿。


 何をしているのかとクリスティーが考えると、答えは少女の手元を見て判明する。


 指で糸を操る、いわゆるあやとり。

 手先の器用な子どもが気にいりやすい遊びで、一つの糸から作りだされるのは様々な形状。


「しばらくやっているのだけれど。あの子、結構不器用よ」


 しかしアンナの手で操られている赤い糸は、パニックとなった羊の群れのように混迷を極めていた。

 それを後ろから手を伸ばし、懸命に直そうと怪人はしているが、お互いに首を傾げながらさらに複雑な線を描いている。


「知ってる。この一週間で何枚皿とか割れたか」

「体を動かすこと全般が苦手みたいなのよね。それですっかり、あの人付きっ切りになっちゃって。ねえ?」

「こっち見んな、羨ましいとかねえよ」


 アンナのことをよっぽど気に入っているのか。怪人の距離はクリスティーと接しているときと比べても、格段に近い。

 だが珍しいとは思っても、あんな関係になりたいかと言われると首を振る彼は、にやにやしているヴィクトリアに冷ややかな視線で対抗した。


 ヘブンスコール宅にいる間、何もしないことを嫌ったヴィクトリアによって決められた家事当番。

 アンナは体を動かせばハプニングが起こり、怪人は神出鬼没。

 よって労働が自然と二分割されるも、残された黒い少女はただ遊んでいるだけとはならなかった。


「あそこまで言うこと聞いてるあいつ、初めて見る」


 それは怪人との交流と要望。

 本来であれば、彼自身の用が終われば霧のごとく姿を消していたが、アンナを前にすると様子が変わる。


 積極的に生活の面倒をみて、遊びにも付き合い、外出以外のお願いならば二つ返事で頷く。

 夜になれば、ヴィクトリアの告げたアイザック捜索をしているのか、朝方には下手な字でつづられた書き置きすらあった。


 どれもこれもアンナのため。

 そう取れる怪人の行動は、同じ不可思議な力を持っている人間が相手だからだろうか。


 なんて考えつつも、クリスティーは昼食の用意を始めた。


「……こう見ると、どっちか分かんねえときあんだよな。いや、女の子なのは知ってるけどさ」

「中性的ってことね。アンナちゃん、顔立ちが良いのよ。背が高かったら凄い美人よ、あれ」


 ヴィクトリアの手伝いが入りつつ、着々とキッチンで手を動かしていくクリスティーは、横目で捉えたアンナを見て言葉をこぼしていく。

 それを拾い、ヴィクトリアも同意の意思を見せると、怪人を背にする少女を二人の瞳が捉える。


 衣装の雰囲気はヴィクトリアと同様、無地のトップスと長ズボンという素朴の塊。

 瞳に宿る色合いは変わらないが、綺麗に()かれた黒の長髪は、一つ結びで尻尾のように下げられている。


 顔だけならば、飾り気が少ないも整った容姿の少女。

 だが平坦さが目立つ全体を視界に入れると、髪を伸ばした少年然とした空気をただよわせる。


 ──聖歌隊に属する少年合唱団。

 そう言われれば納得できてしまう外見を目にした後、クリスティーは傍に立つヴィクトリアにも視線を移す。


「お前は服変わってもそのままだな」

「フライパンで殴って欲しいのなら、そう言いなさい。回りくどい」

「褒めてんだよ。服に左右されてねえっつうか」


 装い変われば印象も変わる。

 そんなアンナに対して、上品なドレスだろうと使いこまれた古着だろうと、ヴィクトリアの強気な女性という個性は覆らない。


 芯のある女性だとクリスティーは本心を告げるも、返される笑みは黄色に赤が練りこまれていた。


「それでもっと大人しいなら──」


 料理に集中しているからか、心に浮かんだ言葉を、そのまま口から奏でていくクリスティー。

 視線の先、手元の食材たちにかけられる本心は、けっして不快な色ではない。


 そのまま意識せずに続きを口にしようとしたとき、聞き慣れない音が家の中へ入りこんできた。


 蒸気が吹かれる音に、回る車輪が止まる音。

 蒸気自動車が屋外で停まったかと思うと、程なくして家の玄関が開かれた。

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