表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
52/84

52.intermedio - light and shade(5)

 怪人の案内によってアンナが姿を消したあと、クリスティーは壁に背をつけ、床へ座りこんだまま。

 閉ざされた扉は動く気配がなく、室内から感じる気配も、水底の重い流れが壁越しに伝わるのみ。


 ぶつかってばかりだった少女が、完全にふさぎこんでしまった。

 それを充分に理解した彼は、ぼんやりと天井を眺めながら、あふれてくる言葉を丁寧に選んでいく。


「おい。お前まさか、聞いただけの噂を信じるのか」


 ヴィクトリアが耳にしたという、アイザック暗殺未遂。

 クリスティーにとって彼は遠い存在であり、姿どころか名前以外はなにも知らない人物。


 だが国の王子という重鎮に凶刃が向けられた。

 その意味するところは理解でき、次第によっては国民にも関わる案件だろう。


「俺とお前、見たのはあいつとアンナの黒いやつだけだろ。国の王子のなんて、又聞きしか知らねえ」


 王子と面識がある少女の気持ちも、クリスティーは重さの一端を感じとれていた。


 三人の中で一番近しいアンナに起こった異変で、ヴィクトリアの本心はうまく隠されていたが。

 知り合いが傷つけられたと聞いて、平然としていられるほど、灰の少女に流れる血は青くない。


 ましてや犯人は従兄。アイザックについても、嫌う傾向はあっても王族に対する敬意はある。

 どちらも性格の一面を思い描ける相手であり、例え事実でなくとも根深い痛みが少女の中を駆けている。


「あいつがお前たちを連れて来て、アンナは奇妙な力を持ってる。俺が知ってるのはそれだけだ」

「……だから、何よ」


 今までは気丈に振る舞っていただけで、いくえもの(ころも)がはがれれば、さらされるのはどこにでもいる女の子。


 姿が見えずともそれが分かったクリスティーは、あくまでも噂だと訴えかけると、小さく低い声が壁越しに背中を叩いた。


 一枚の壁を挟んで重なる、少女と若い男性の背中。

 どちらも下を向き、反対側へ声を投げているのに、床と壁に天井とぶつかっては、言葉が相手の頭に刺さっていく。


「本当かどうか確かめる」

「どうやって」

「あいつがいる。お前たち二人を(さら)ったぐらいだ。王子とその犯人を捜すぐらい、簡単だろ」


 確証はない。

 しかしあの怪人なら、謎の多い事件でも糸口を見つけられるはず。


 そんな信頼を強く乗せ、クリスティーは後ろの少女に言葉を放るも、丸まった切っ先だけだった。


「それをするくらいなら、私たちを家に帰しなさいよ。父に会えば、全て分かる」

「そうしたらお前、俺を牢屋にぶちこむだろ」

「当然でしょ。怪人が盗んだ物を、返さず別のことに使ったのだから」

「あいつが取ってきたやつを寄付した話か。……それもあっさり信じてる辺り、見た目より純粋だな、お前」


 ヴィクトリアを褒めているつもりで、クリスティーはフッと笑う。

 けれど少女の耳には馬鹿にしている調子で届き、ヴィクトリアは思わず壁に肘を打ちつける。


 だが衝撃は彼に伝わらず、残ったのは加減のない力で生まれた痛みだけ。

 それでも思いが乗せられた音だけは背中を打ち、クリスティーは笑みをため息で消していく。


「第一、あいつを使って王子を捜すつったの、お前からだろ。ほら、どうした。もう一回言えよ。協力しろって」


 前しか見ていなくて、強引で、ためらいもなく立ち向かう。

 背中を合わせている少女はそんな奴だと、第一印象を心でつづるクリスティーは、わざとらしく(あざ)る音色を奏でる。


 出会って間もないのに、ふさぎこんだ姿は似合わない。

 そう告げる彼に向け、再び壁が叩かれた。


「うるさいわね、さっきから。犯罪者の口車に乗る訳ないでしょう」


 一度目よりも強く。

 燃える苛立ちだけで叩かれる壁は、それでも硬くそびえたつ。


「クリスティー、貴方なにを勘違いしているの。協力させてくださいでしょう? 私が外に向かって叫べは、それで一巻の終わり。そのことを理解できていて」

「なんだ、まだ元気じゃねえか。怪人に(さら)われたなんて世迷言、世間に知られれば、頭がおかしくなったと思われるだけだぞ」

「あら、いつ誰があの怪人の名前を出すと言いました? 貴方の名前だけで充分事足ります」


 壁に打ちつけるのは、肘や手に言葉まで。

 強さが増していくヴィクトリアの思いは、ほつれ傷ついた(ころも)を段々と直していった。


「言ってみろ。容赦しねえ」

「怖いわね、殿方というのは。組み伏せる程度なら、また蹴り上げて差し上げます」

「そんな余裕があると思ってんのか」


 天井裏で初めて出会ったときと同じで隙がある。

 そう踏んで、もしもの話に対して自信満々にヴィクトリアは対応を語っていく。


 しかし(さえぎ)る形で告げられた低い男性の声に、彼女は無意識に体を縮めてしまう。


 こぼれる小さなか弱い悲鳴。

 かすかにだがそれを聞き取ったクリスティーは、ハッと我に返りながら、声の調子を戻していく。


「──やんねえよ。ったく、調子狂うな。おい、一度しか言わねえぞ」


 普段のヴィクトリアと話していると、言葉の加減が効きにくい。

 それを実感したクリスティーは、深めに息を吸いながら、熱量に引っ張られないように思いを形にしていく。


 協力しろ、協力してください。

 どちらを選んでも結果は同じで、噂の事件の真相を知りたいという思いも重なっている。


 違うのは男性が手を取るか、少女が手を取るかだけ。


「王子を捜すのを手伝ってやる。俺だって、そいつには聞きたいことがあるんだ」

「良いでしょう。後で言い方を学ばせる必要はありそうですが」

「ビンタの次は勉強かよ、クソが。それと条件だ。拉致とか余計なこと、その王子に言うなよ」

「交渉のつもり? 貴方の態度次第ね」


 なんで連れ去れた側が偉そうにしてんだ。

 そうぼやくクリスティーだったが、背中から伝わる重さがなくなったのを感じると、自分の中にもあった重い空気を吐きだした。


 けっして、出会ったときのような明るさに戻りきった訳ではない。

 それでも顔を上げたことが分かる様子に、不思議と体が軽くなっていく。


「ああ、そういえばクリスティー。貴方に言いたいことがあるの」

「うおっ! だからお前ら、急に扉開けんな。恥じらいとかねえのか」

「失礼な人ね、引っぱたくわよ。それよりもほら、出しなさい」


 音もなく現れたアンナとは違い、控え目だが気配のある扉の開け方をするヴィクトリアに、クリスティーは慌てて目をそらした。


 うかつに見てしまえば、何をされるか分からない。

 そんな警戒をよそに近づいてきた少女は、未だにドレス姿のまま。


 趣味じゃないと言ったとはいえ、貴族らしく飾られた容姿は惹かれるものがあり。

 目の前に手を差しだされるまで、彼は少女の全身を瞳に収めたまま。


 クリスティーが急かすように主張する手の平を見たのは、続く言葉を聞いてからだった。


「この家にある服、全部。部屋にあるだけじゃ納得いかないの」

「……お前なあ」


 海のような碧眼と、夕暮れ空を思わせる赤みの強いオレンジの瞳。

 その二つが重なるとき、お互いに描かれた笑みの形は違う心をふくんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ