51.intermedio - light and shade(4)
何度繰り返しても、教えられた番号で電話はつながらず。
三度目の時点で無駄と理解したアンナは、諦めとともに受話器を置いた。
用が終わったので、抱き上げていた少女を下ろす怪人。
下ろされたのはいいものの、他にできることがないと、手持ち無沙汰となってしまうアンナ。
人間にはない力を持った二人。
彼らだけとなったリビングルームは、時計の針と動き始めた町の声しか聞こえない。
「……また一人」
いつも隣に来ては、おしゃべりをする友だち。
それぞれの態度で少女を気にしてくれる青年たちに、彼らの客人としてもてなす使用人たち。
全員がこの場にいない。
かつていた教会とは雰囲気が違うというのに、知る人がいないと内心につづると、紫の瞳の色が深みを増していく。
周りにある調度品たちが壊れた物と同じに見え、時計の針が動く音は、一つ刻まれるのすら遅く感じる。
「どうしてだろ、前はいつもそうだったのに」
いつの間にか、一人でいないことが当たり前になってしまった。
その感覚が記憶の中にいるミアの影を長く思わせて、キュッと心が締めつけられていく。
目を閉じると、思い浮かぶのはいくつかの影。
彼らが友だちを隠してしまいそうな気がして、止めるためにアンナは両手を胸に当てる。
「一人なのは、慣れてるのに」
心に住みついた、ミア以外の彼らは誰?
そう問いかけても、答えられるのは自分だけ。
他の誰にも彼らに名前はつけられない。
分かっている。けれども、なんと呼べばいいのかは、今のアンナに当てはめられる言葉はない。
だからこそ不気味な感覚すら覚える彼女は、頭を振ってでもミア以外の影を払おうとする。
「こわい」
実感は体感へ。
鼓動が跳ね、しかし頭と胸中は地面を目指し、あべこべな体の感覚は心理の鏡写し。
活発なヴィクトリアに、任せきりにしていたアンナだったが、ここへ来て言葉だけに留めていた事実が冷気を放っていく。
足はすでに凍てつき、体温は暑いと寒いを反復横跳びしている。
音も遠のき、進んでいるはずの時間は、足を無風の雲に乗せていた。
「──……えっと、なに」
誰も自分のところへは来てくれない。
乱れた筆でそんな思いを心に描こうとしたとき、伏せられていたアンナの視界に、不気味な仮面が収まって来た。
柔軟性が高いのか。
立ったまま背を折り曲げて、怪人は少女の顔を覗きこむ。
衝撃のあまり、渦巻いていた青と黒を真っ白に塗り替えたアンナは、ただただ疑問だけを彼にぶつけた。
それを認めた怪人だったが、何をするでもなくスッと体勢を元に戻すと、今度は少女の両脇に手を通して持ち上げる。
高く天井に届くくらい、全身を使って床からアンナを引き離す怪人は、そのまま見つめて反応を待っていた。
「これで喜ぶような子どもじゃない」
さながら幼い子どもをあやすように。
怪人と対面する形で持ち上げられたアンナだが、その心境は残念さが幅を利かせていた。
ここに私がいる。そう告げたいがための行動なのだろう。
しかし、アンナに対する怪人の動きは、幼い年齢を想定したものが多かった。
事実、背丈でいえば低い方であり、体格も恵まれていない。
けれども必要以上に幼く扱われることへ、アンナは不服を述べていく。
「別に、そこまで本気で悩まなくても」
これではない。
そのことを重々承知した怪人は、すぐにアンナを床へ下ろし、次を考え始めた。
わざとらしく手を口元にあて、首に捻りを加えていく怪人。
しかし、時計の針が彼の頭も回していく。
黒い少女の機嫌を取るには、どうすればいいのか。
六時半に近づくほど悩みをみせる彼に、アンナもまた困ってしまう。
「ごめん。もう平気。一人になるの、久しぶりだっただけだから」
謝罪を口から、けれど表情に晴れ間は見えない。
そんな少女を前にした怪人は、ゆっくり直立へ戻ると、今度は最敬礼のように上半身を倒し、アンナの眼前へ仮面を近づけた。
間近で目にしても人間味のない笑う仮面。
呼吸すらも聞こえない顔からは、代わりに笛の音が奏でられていく。
「あなたのせいなのに、心配するんだ」
高すぎず、低すぎず。
伸び伸びとした旋律が築くのは、気楽さを求める優しい曲。
真昼のティータイムを思わせる笛に、アンナはかすかに口元を緩ませた。
「名前は……ないよね。それとも知らないだけなのかな」
──わたしみたいに。
付け足した言葉に乗せるのは、夏ごろまでの膝を抱えた自分自身。
独り言にも捉えられるアンナの言葉を受けた怪人だが、間近に迫った顔を引き戻すと、仮面に描いた口と立てた人差し指で十字を作る。
秘密の沈黙。
それとも人には聞こえない音で、こっそりと囁いているのか。
どちらとも取れる笑みに、アンナは知っている人物の影を重ねていた。
「ザックみたいなことするね。ん、でもなんか違う。なんだろう」
優しくしてくれる青年とも、一人の人間として淡々と扱う彼とも違う。
どちらにも似ていて、でも確かなズレはあって。
実感の湧かない知識の中から言葉を探すアンナは、不思議と思い浮かんだそれを怪人へ渡していく。
「……兄?」
自分で困らせておいて、泣かれたりすると戸惑い機嫌を取ろうとし。
とっさに出る扱い方が小さな子へのそれ。
弟妹のいる兄と考えると、アンナに対する怪人の動きは頷ける。
しかしそんな例えを、一瞬でも飲みこんでしまったアンナは、やはり怪人の中での自分の扱いに瞳で不満を示していくのだった。




