48.intermedio - light and shade
ヴィクトリアが怒りに身を任せ、玄関から飛び出してから一刻すぎ。
残されたアンナとクリスティーは、未だにテーブルを挟んで向かい合っていた。
朝食は片づけられ、卓上にあるのは冷めた紅茶だけ。
だが二人の口数も冷え切ったもので、特にクリスティーが納得のいかない表情を維持している。
去ったヴィクトリアの正体に不審はない。
しかし目の前にいるアンナは、いくら言葉を交わしても、真実を告げられている感覚を彼は得ることができなかった。
「噂の王子の知り合いで、怪物探しを手伝ってる。んで、お前も王子も同じ怪物と……」
アンナとヴィクトリア。二人の少女を攫った怪物と、クリスティーは関係がある。
そう見越した上でのアンナの告白。
黒い少女の告げたことが全て本当ならば、クリスティーにも思う部分は多くあった。
王侯貴族との直接のつながり、ある種の保護ともいえる王子の動向、場合によっては潤沢な援助もありえる。
アンナのような破格の待遇も考えられ、可能性だけ挙げていけば、王族の手元に置かれるのと等しい。
だがそれは、アンナの言うことが事実ならの話。
あまりにも非現実的な内容に、クリスティーは外の曇天を表情に描いていく。
「俺も滅茶苦茶なこと言ってるつもりだったんだが、そっちは規模がデカすぎんだろ」
「あの男爵の人が悪いことをした、だからわたしたちをここに連れてきた。そういう怪物なんでしょ?」
「あっさり納得すんな。ったく、なんで俺の方が混乱させられてんだ」
理屈を気にせず、説明された通りのあり方で納得する。
並大抵にできることではなく、こなせる人種はおよそ三通り。
まったく異なる経験を複数積んだ賢者か、広すぎる許容によって受けいれる生まれながらの聖人。
そして思考を失っている壊れた人物だ。
アンナにおいては三つの目の印象が強い。
男性の問いに、知っていることを当てはめて答えているだけ。
彼女自身の考えを経由していないため、書物の文字を追っているのと変わりがない。
だからこそ、クリスティーの胸の内は疑問で凍ったまま。
「なんつうか、そのアイザック王子に会った方が早そうだな。……まあ、警察送りだろうが」
アンナと話していても進みが悪い。
むしろヴィクトリアとの方が、変化があったと唸る彼は、ひとまず会話を断念する方向へ舵を切る。
少女もまた、言葉を紡ぐのに苦労していた。
友だちのミアが側にいたときも、ザックと行動を共にしているときも、アンナにあったのは質疑の返答だけ。
相手と一緒に手探りで会話を進める。そんな空気に慣れておらず、考えをどう形にすればいいのか分からずじまい。
だからクリスティーが口を閉じれば、アンナも静かに席へ座って相手を見るだけ。
目の前にいるのに声が聞こえない。
何かをしなければ、でもどう切りこめば道が開けるのか。
思いの足取りが遅くなり、二人がいない一軒家の生活音だけが鳴っていく。
「──何なのかしら、この空気は」
その静寂を破って再び二人を席に着かせたのは、勢いのない少女の声と開かれた扉の音。
出ていったはずのヴィクトリアが戻って来た。
ある意味で救いの手だと、アンナとクリスティーは顔を上げるも、彼女からは重い色合いだけがにじみ出ていた。
表情も足並み、髪や瞳の色すら黒が混ぜられ。
家を出るまではあった激しさも、消化された後の火事のよう。
「少し前までの態度の悪さ、朝食にしてしまったの?」
「そっちこそなんだ。随分としおらしくなったが、アイツにまた捕まったのか」
「この怪人のことなら、ええ、そうよ。腹立たしいことに見送り付きでね」
クリスティーの指摘に対し、そっとまぶたを閉じて同意するヴィクトリア。
彼女の背後から返事をするように軽快な笛の音を鳴らし、灰の少女に続いて玄関をくぐったのは、アンナも目にした奇怪な人物だった。
「アンナちゃん、ごめんなさい。貴女が見たと言っていたのは、これのことね」
「うん。そんなに驚いてないね」
「……こんなのよりも、確かめないといけないことができただけよ」
道化師めいた怪人。
彼はヴィクトリアが大人しく家に収まることを認めると、実家のようにクリスティーの家をかっ歩していく。
足運びは猫そのもの。調度品へ伸ばされた長い手は、鍵盤楽器の奏者のように滑らかに。
機嫌がいいのか、鼻歌らしき怪人の音色は、聞いているだけでも三人の心にわずかな浮力を与える。
その様子は仕える主人が友人を連れて来たときの、上機嫌な使用人そのもの。
客人を迎え入れるための身のこなしは、クリスティーの比ではなかった。
「ん、これ羽織っていいの?」
「あら、ありがとう。気が利くわね。誰かとは違って」
「一言余計だ。つーか、そこまでしなくていい。お前が無理やり連れてきたんだから、客じゃねえだろ」
家の奥から持ってきたブランケットを、未だドレス姿の少女たちの肩に。
冷めた紅茶は淹れなおし、用意するのは三人分。
洗わず水につけただけの汚れた食器たちは、瞬く間に作られたばかりの姿へ戻っていく。
人外の怪物。
その一言で片づけるには無理があるほど、人間の生活に馴染んでおり。
一通りの家事を終えた怪人は、三人がいる部屋の隅まで行き、息を潜めて待機の姿勢に移っていった。
「それ、飲むのか」
「貴方が淹れたのよりはマシと思っただけよ」
怪人のエスコートの下、二人が座るテーブルに着いたヴィクトリアは、出されたティーカップを苦言もなしに握っていく。
俺のときとは態度が違うな。
そう付け加えるクリスティーに対し、ヴィクトリアもまた不味いのは要らないわと跳ね返した。
どれだけ温度が低くなっても、二人は水と油。
けれど、それでも構わないと前を見る少女は、秋空で冷えた体へ湯気立つ紅茶を迎えた後、茶化しを拒否する声で質問を投げつける。
「それよりも答えなさい。クリスティー、貴方はあれに言うことを聞かせられる?」
ここまで連れ去られた詳しい理由も、クリスティーと怪人の正体も。
何もかもを置いて出された、ヴィクトリアの問い。
それに答えるクリスティーもまた、真剣な眼差しに自身の瞳を重ねていく。
「頼みなら聞いてくれる。命令は無理だ、あいつは自由だからな。なんだ、家に帰して欲しいのか」
「──……なさい」
ヴィクトリアが路地裏で耳にした、信じ難い話。
それを口にするには覚悟が入り、一度は深く伏せられたまま発せられる。
しかし心の底に沈んでいたものは拾い上げた。
青い感情の海から解き放つため、自身の腹へさらなる発破をかけていく。
「私に協力しなさい。暗殺されかけたアイザック王子を捜すのよ。できるでしょう」
願望でも、信頼でもない。
怪物だというのならできると、一方的な押しつけの要求。
できなければ、それこそ誘拐犯として世間へさらす。
そう告げるヴィクトリアに、クリスティーは気圧されてしまう。
「クソが。いれば面倒なことしか言わねえ女だな。ゴチャゴチャ言って出ていったかと思えば、今度は暗殺か。どうなってんだお前の頭」
ヴィクトリアが冗談を言っていないのは分かっている。
しかしアンナとの怪物の話も、クリスティー自身が抱える怪人の話も、何一つ区切りがついていない。
そこへ国を揺るがす話を持ってこられたら、考えを整理できる訳もなく。
悪態とともにクリスティーが制止を促そうとしたところで、少女と男性、二人が聞き慣れない音を耳にした。
「アイザックが、暗殺……」
ティーカップが床へ落ち、紅茶を連れて辺りに弾ける。
それを皮切りにリズムを取るのは、パチンと火花が爆ぜる音たち。
今まで口を挟むことがないと、大人しく紅茶を嗜んでいたアンナの髪が、赤い光を灯していく。




