表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
48/84

48.intermedio - light and shade

 ヴィクトリアが怒りに身を任せ、玄関から飛び出してから一刻すぎ。

 残されたアンナとクリスティーは、未だにテーブルを挟んで向かい合っていた。


 朝食は片づけられ、卓上にあるのは冷めた紅茶だけ。

 だが二人の口数も冷え切ったもので、特にクリスティーが納得のいかない表情を維持している。


 去ったヴィクトリアの正体に不審はない。

 しかし目の前にいるアンナは、いくら言葉を交わしても、真実を告げられている感覚を彼は得ることができなかった。


「噂の王子の知り合いで、怪物探しを手伝ってる。んで、お前も王子も同じ怪物と……」


 アンナとヴィクトリア。二人の少女を攫った怪物と、クリスティーは関係がある。

 そう見越した上でのアンナの告白。


 黒い少女の告げたことが全て本当ならば、クリスティーにも思う部分は多くあった。


 王侯貴族との直接のつながり、ある種の保護ともいえる王子の動向、場合によっては潤沢な援助もありえる。

 アンナのような破格の待遇も考えられ、可能性だけ挙げていけば、王族の手元に置かれるのと等しい。


 だがそれは、アンナの言うことが事実ならの話。

 あまりにも非現実的な内容に、クリスティーは外の曇天を表情に描いていく。


「俺も滅茶苦茶なこと言ってるつもりだったんだが、そっちは規模がデカすぎんだろ」

「あの男爵の人が悪いことをした、だからわたしたちをここに連れてきた。そういう怪物なんでしょ?」

「あっさり納得すんな。ったく、なんで俺の方が混乱させられてんだ」


 理屈を気にせず、説明された通りのあり方で納得する。

 並大抵にできることではなく、こなせる人種はおよそ三通り。


 まったく異なる経験を複数積んだ賢者か、広すぎる許容によって受けいれる生まれながらの聖人。

 そして思考を失っている壊れた人物だ。


 アンナにおいては三つの目の印象が強い。

 男性の問いに、知っていることを当てはめて答えているだけ。

 彼女自身の考えを経由していないため、書物の文字を追っているのと変わりがない。


 だからこそ、クリスティーの胸の内は疑問で凍ったまま。


「なんつうか、そのアイザック王子に会った方が早そうだな。……まあ、警察送りだろうが」


 アンナと話していても進みが悪い。

 むしろヴィクトリアとの方が、変化があったと唸る彼は、ひとまず会話を断念する方向へ舵を切る。


 少女もまた、言葉を紡ぐのに苦労していた。

 友だちのミアが側にいたときも、ザックと行動を共にしているときも、アンナにあったのは質疑の返答だけ。


 相手と一緒に手探りで会話を進める。そんな空気に慣れておらず、考えをどう形にすればいいのか分からずじまい。

 だからクリスティーが口を閉じれば、アンナも静かに席へ座って相手を見るだけ。


 目の前にいるのに声が聞こえない。


 何かをしなければ、でもどう切りこめば道が開けるのか。

 思いの足取りが遅くなり、二人がいない一軒家の生活音だけが鳴っていく。


「──何なのかしら、この空気は」


 その静寂を破って再び二人を席に着かせたのは、勢いのない少女の声と開かれた扉の音。


 出ていったはずのヴィクトリアが戻って来た。

 ある意味で救いの手だと、アンナとクリスティーは顔を上げるも、彼女からは重い色合いだけがにじみ出ていた。


 表情も足並み、髪や瞳の色すら黒が混ぜられ。

 家を出るまではあった激しさも、消化された後の火事のよう。


「少し前までの態度の悪さ、朝食にしてしまったの?」

「そっちこそなんだ。随分としおらしくなったが、アイツにまた捕まったのか」

「この怪人のことなら、ええ、そうよ。腹立たしいことに見送り付きでね」


 クリスティーの指摘に対し、そっとまぶたを閉じて同意するヴィクトリア。

 彼女の背後から返事をするように軽快な笛の音を鳴らし、灰の少女に続いて玄関をくぐったのは、アンナも目にした奇怪な人物だった。


「アンナちゃん、ごめんなさい。貴女が見たと言っていたのは、これのことね」

「うん。そんなに驚いてないね」

「……こんなのよりも、確かめないといけないことができただけよ」


 道化師めいた怪人。

 彼はヴィクトリアが大人しく家に収まることを認めると、実家のようにクリスティーの家をかっ歩していく。


 足運びは猫そのもの。調度品へ伸ばされた長い手は、鍵盤楽器の奏者のように滑らかに。

 機嫌がいいのか、鼻歌らしき怪人の音色は、聞いているだけでも三人の心にわずかな浮力を与える。


 その様子は仕える主人が友人を連れて来たときの、上機嫌な使用人そのもの。

 客人を迎え入れるための身のこなしは、クリスティーの比ではなかった。


「ん、これ羽織っていいの?」

「あら、ありがとう。気が利くわね。誰かとは違って」

「一言余計だ。つーか、そこまでしなくていい。お前が無理やり連れてきたんだから、客じゃねえだろ」


 家の奥から持ってきたブランケットを、未だドレス姿の少女たちの肩に。

 冷めた紅茶は淹れなおし、用意するのは三人分。

 洗わず水につけただけの汚れた食器たちは、瞬く間に作られたばかりの姿へ戻っていく。


 人外の怪物。

 その一言で片づけるには無理があるほど、人間の生活に馴染んでおり。

 一通りの家事を終えた怪人は、三人がいる部屋の隅まで行き、息を潜めて待機の姿勢に移っていった。


「それ、飲むのか」

「貴方が淹れたのよりはマシと思っただけよ」


 怪人のエスコートの下、二人が座るテーブルに着いたヴィクトリアは、出されたティーカップを苦言もなしに握っていく。


 俺のときとは態度が違うな。

 そう付け加えるクリスティーに対し、ヴィクトリアもまた不味いのは要らないわと跳ね返した。


 どれだけ温度が低くなっても、二人は水と油。

 けれど、それでも構わないと前を見る少女は、秋空で冷えた体へ湯気立つ紅茶を迎えた後、茶化しを拒否する声で質問を投げつける。


「それよりも答えなさい。クリスティー、貴方はあれに言うことを聞かせられる?」

 ここまで連れ去られた詳しい理由も、クリスティーと怪人の正体も。

 何もかもを置いて出された、ヴィクトリアの問い。


 それに答えるクリスティーもまた、真剣な眼差しに自身の瞳を重ねていく。


「頼みなら聞いてくれる。命令は無理だ、あいつは自由だからな。なんだ、家に帰して欲しいのか」

「──……なさい」


 ヴィクトリアが路地裏で耳にした、信じ難い話。

 それを口にするには覚悟が入り、一度は深く伏せられたまま発せられる。


 しかし心の底に沈んでいたものは拾い上げた。

 青い感情の海から解き放つため、自身の腹へさらなる発破をかけていく。


「私に協力しなさい。暗殺されかけたアイザック王子を捜すのよ。できるでしょう」


 願望でも、信頼でもない。

 怪物だというのならできると、一方的な押しつけの要求。


 できなければ、それこそ誘拐犯として世間へさらす。

 そう告げるヴィクトリアに、クリスティーは気圧されてしまう。


「クソが。いれば面倒なことしか言わねえ女だな。ゴチャゴチャ言って出ていったかと思えば、今度は暗殺か。どうなってんだお前の頭」


 ヴィクトリアが冗談を言っていないのは分かっている。

 しかしアンナとの怪物の話も、クリスティー自身が抱える怪人の話も、何一つ区切りがついていない。


 そこへ国を揺るがす話を持ってこられたら、考えを整理できる訳もなく。

 悪態とともにクリスティーが制止を促そうとしたところで、少女と男性、二人が聞き慣れない音を耳にした。


「アイザックが、暗殺……」


 ティーカップが床へ落ち、紅茶を連れて辺りに弾ける。

 それを皮切りにリズムを取るのは、パチンと火花が爆ぜる音たち。


 今まで口を挟むことがないと、大人しく紅茶を嗜んでいたアンナの髪が、赤い光を灯していく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ