45.The Magic piper(10)
屋根裏部屋では薄暗くて判別できなかったが、目の前に立つ若い男性の姿に、アンナは既視感を覚えた。
ぼんやりとだが記憶に残る、窓から侵入してきた奇怪な人影。
虹の欠片を散らした奇天烈な格好だったが、背丈と赤髪は眼前の彼と印象が重なり、仮面をかぶれば似ているのではと逡巡する。
だが長い手足は説明がつかず、いくら鍛えているといっても、若い男性からは女性二人を抱えて移動するような圧はない。
──探せばどこにでもいる。
そんな印象にアンナは落ち着くも、隣のヴィクトリアは、もう一度攻勢に出ようと警戒を研ぎ澄ませていた。
「ったく、なんか俺が悪者みたいになってんな。分かった、落ち着け。朝から女と殴り合いとかやってられるか。とりあえず、メシでも食いながら話そう」
「いらないわ。どうせ眠る薬とか入れるのでしょう? それよりも家から出して欲しいのだけれど」
「そして俺を誘拐犯だって言いふらすってか。ふざけんなよ、不法侵入者が。俺は言い分を聞いてやるって言ってんだ。それとも椅子に座るより、縛られて床を舐める方が好きなのか、お前」
「既に舐めた方が面白いことおっしゃるのね」
売り言葉に買い言葉。
ヴィクトリアと若い男性は、言葉を交わすたびに舌の刃が研がれていく。
手は出していないが、声はとうの昔に殴り合いの最中。
身を引けば負けとお互いに思い、それを察しているからこそ、二人は前に進み続ける。
致命の一撃を与えられる隙を探し、言葉での切り合いでその時を待つ彼ら。
そんな目に見えない攻防の熱を、アンナはなんの情動もなく見届ける。
「……お腹すいてきた」
「ああ。だからメシ食いながら話そうっつってんだ。そっちの小さい方のが話し分かんな」
二人の言い争いになってから、緊張感が薄れてしまった。
そのせいかアンナは空腹を覚えるもと同時に、ヴィクトリアについていくことばかり向けられていた意識を、周囲に散らしていく。
壁際にある窓から差しこむのは、夜の黒さとは逆の朝の白。
工房らしき場所も、アンナにとって見慣れない物があるだけで、特別怪しさを感じる道具はない。
若い男性も同様で。
好戦的なヴィクトリアにつられて、赤い色をにじませているけれど、全体的には白黒はっきりしない物腰だ。
「食いたくなきゃ、食わなきゃいい。まあ、お前らみたいな身なりの奴が、満足できる物もないけどな」
「別に気にしない」
「ちょっと、アンナちゃん。その人のこと信用するつもり?」
アンナが席に着くことを同意したからか、若い男性はヴィクトリアから目をそらし、ダイニングルームはこっちだと背中を向ける。
その後をついて行こうとしたアンナだったが、未だに妥協点を見出せないヴィクトリアに呼び止められた。
目が覚めたら知らない場所、そこにいた見知らぬ男性。
何一つ信じられることがないと訴えるも、アンナが出した答えはひどくシンプルなものだった。
「してないよ。ただ、アイザックならこうするかなって」
ザックならきっと、ヴィクトリアに近い反応をしていただろう。
様子を見て、けっして相手にリードを取らせない。
けれどもアイザックなら。
限られた選択肢しかない状況で、下手な迷いは嫌うはず。
何よりにただ言い争うより、同じ席で向かい合った方が手早く済む。
そう判断したアンナは、振り返りながらヴィクトリアに言い放つ。
「あの殿下なら……。そうね、そういう考え方なら乗ってあげる」
「ご飯、いらないんじゃないの?」
「勿論、それはいらないわ。でも交渉の席にもつかないのは、レイラ殿下なら絶対にありえない」
貴女があの王子に従うように、私にも敬愛する王女殿下がいる。
そう告げるヴィクトリアと関心の薄いアンナは、そのまま若い男性の後を追っていく。
案内されたのは宣言通りのダイニングルーム。
二人の少女は先に席へ着くよう促され、若い男性が一人奥へ進むと、程なくして香ばしい匂いが彼女たちの部屋へ流れつく。
香りからでも分かる、パンを焼く匂い。
後に続く何かを焼く音に、皿に盛りつけられる軽快な音。
話を聞くことを優先したのか、それとも待たせている女性への気遣いか。
手早く朝食を準備をしてきた彼は、二人の少女が待つテーブルへ並べていく。
「なぜ私の分もあるの」
「一人だけ無いのは、俺が落ち着かねえんだよ。後で俺が食う分だから、ほっとけ」
各自に一杯の紅茶。トーストにベーコンエッグとベイクドビーンズ。
これらを一皿をまとめた物が出されるも、ヴィクトリアは頑なにいらないと主張し続ける。
対してアンナは食事の挨拶を早々に済ませ、黙々と手をつけていく。
一緒にいたわりには噛み合わない連中だ。
そう思いながら自分も朝食を摂り始める若い男性は、口を動かす合間に言葉を挟んでいく。
「とりあえず名前聞こうか。俺はクリスティーだ。長いからクリスでいい」
「アンナ」
「私は答えませんわよ。名乗るに値しません」
「あっそう。まあ、お前には何も期待しねえよ、暴力女」
進展があることを望むアンナのお陰で、同席しての話し合いまでは足を運べた。
しかし険悪な結びつきはそのままであり、簡単にはほどけない。
だが若い男性──クリスティーの言動に、障りを覚えるヴィクトリアは、ついつい腹で煮えた言葉を蒸気で浮かべてしまう。
「訂正しなさい、クリスティー。私はヴィクトリア・ヒース。ミッドデイボーン男爵の娘です。そのような暴言は見過ごせません」
「そうかよ、やっぱり貴族の令嬢様か。ったく、そんな奴がなにやって……」
全体的に茶色くなったトーストを食べるアンナの横で、ヴィクトリアとクリスティーは言葉をつづった後にそろって黙ってしまう。
ヴィクトリアは男性の口車に乗せられて、うっかり名乗ってしまったことを恥じて。
そしてクリスティーは、彼女の名前に思い当たるものがあるのか、食事の手すら止まってしまう。
ベイクドビーンズをトーストに乗せ、頬張るアンナ。
そんな彼女が見たのは、これまでにない真剣さでヴィクトリアを捉える、赤みの強いオレンジ色の彼の瞳だった。
「待て、ヒース家? 小麦生産の事業で、王国の土壌改良と肥料の輸出入に、メスをいれたってところのか」
「そ、そうだけれど。詳しいわね。確かに父は先日、貴方の言う事業を成功させたばかりよ」
「──最悪だ。お前らが屋根裏にいたの、そういうことかよ」
ヴィクトリアの家名を聞いた途端、落ちこむ様子に一変したクリスティーへ、彼女は戸惑いを隠せなかった。
工房からして、クリスティーは細工師かなにかの職人業。
ヴィクトリアの父が営んでいる農業関連の事業とは、そこまでのつながりは見つけられない。
しかも前夜にパーティーを開いていたのだから、一般人の彼がすぐに知れるような失敗が報じられたとも思えない。
なら、どうしてクリスティーは頭を抱えているのか。
その答えは静かに、そして呆気なく告げられた。
「いいか、よく聞け。お前の父親、男爵は罪を犯した。だから連れて来られたんだよ、ここまでな」
一方的で、根拠がない。
けれども覆す余地がないとクリスティーは断言する。
そんな彼を収めたヴィクトリアの深い青の瞳は、黒を混ぜて無機質さを強調していった。




