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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
43/84

43.The Magic piper(8)

 なにも見えない霧の世界で、風を切る音が耳をかすめる。

 体は温もりに包まれていて、鼓動の代わりに聞こえるのは、嬉しそうにしている笛の歌声。


 奇天烈で、でも子どもが好む愉快さもあって。

 就寝間近の幼い子を、ゆりかごまで案内しているようにも思える。


 そんなおかしな笛の演奏が途絶えたところで、アンナはゆっくりとまぶたを開いた。


「ここ、どこ」


 しかし少女の瞳に映るのは、霧の世界を見ていたときと同じ、黒一色。

 意識はある。トクンと鳴る胸の内も、肌から伝わる感触も、アンナが目を覚ましていることを証明してくれる。


 だというのに、自分の手すら見えるか危うい暗さに、彼女は戸惑うばかり。


「想像はできていたけれど、そこにいるの、やっぱりアンナちゃんね」

「……レイラの恋人だった人の従妹」

「ヴィクトリア! もう、やっぱり覚えてなかったのね」


 そんな暗闇の中でアンナの耳に飛びこんできたのは、知ったばかりの少女の声。


 姿は分からないが、すぐそばにヴィクトリアがいるらしく。

 一面の黒を照らせそうな溌溂(はつらつ)とした空気が、アンナにぶつかる。


 それどころか、手探りながら少女の体に触れる動きがあり、ある程度の自由が許されていることを確認した。


「ねえ、アンナちゃん。ここ、どこか分かるかしら。貴女と談話室に向かっていたはずなのに、気がついたらコレよ」

「たぶん、あの大きい奴のせい。……覚えてない?」

「大きい? 何のことを言ってるの。あの会場に、そこまで長身な方はいなかったはずよ」


 二人の少女はお互いの認識のズレに、見えない顔を合わせていく。


 ヴィクトリアが覚えているのは、談話室に向かう道中まで。

 アンナが覚えているのが、談話室の中で長身の人間を見たところまで。


 灰の少女が実は途中から意識を失っていたのか、それとも黒の少女が夢を見ていたのか。

 すぐには出ない結論を前に、ヴィクトリアは話を中断した。


「よく分からないことが分かったわ。とにかく今は、ここがどこなのか。それを確かめるの!」

「確かめるって、どうやって……なに。なんで触ってくるの」

「貴女も、どこも縛られてないわね。怪我もなさそう」

「何もないよ。服もそのままみたいだし」

「みたいね。ここへ連れてきた連中、何がしたいのかしら」


 衣服は着ていたドレスのままで、談話室から直接連れて来られたことが分かる。

 目立った怪我はなく、痛む部位もなし。

 どこかへ閉じこめられたにしては、手足を縛って動きを制限する、布や縄もない。

 ただ二人の少女を、暗い部屋に閉じこめただけ。


 貴族の子息令嬢を狙い、身代金目的の拉致(らち)にしては杜撰(ずさん)すぎる。

 同じ上流階級の人間が行う、若い女性を自分の物にするためだとしても、やはり拘束されていないのが()に落ちない。


「盗品は別にあって、目撃されたと勘違いして思わず連れ去った。とかかしら」

「一人だったし、私たちを探してたみたいだけど」

「現実的じゃないわね。アンナちゃんが軽いとしても、女性二人を抱えて逃走? 力のある男性が、三人ほどいたに違いないわ」


 腕っぷしの強い男性二人が少女たちを抱え、残る一人が誘導役。

 そうして、外の見知らぬ場所に連れだすのが自然だと、両手で足元を探りながらヴィクトリアは思考を口にしていく。


 彼女の手に伝わるのは、冷たく硬い石の感触。

 よくある石造りの建造物。そう推測するヴィクトリアは、そのまま扉がないか動こうとしたところで、背中側へ振り返った。


「……もしかして貴女が目的じゃないかしら、アンナちゃん。謎多きアイザック殿下のお気に入り。狙う理由なんて、いくらでも──」

「わっぷ。ごめん、そこにいたんだ、ヴィクトリア」


 これなら辻褄(つじつま)が合うのでは。

 そう思いつきをアンナに伝えようとするも、ヴィクトリアと同じように動き回っていた当の本人が、無防備な脇腹に頭突きをいれる。


 ウっと声にならない声を漏らし、灰の少女は少しの間もだえていく。

 この状況なら仕方がない。そう痛みを飲みこむヴィクトリアは、一つの不満すらなく立ち直った。


「気をつけなさい。それとトリアでいいわ。私、気にいった相手には、そう呼ぶことを許可しているの」

「分かった、ヴィクトリア」

「私があの殿下を嫌ってるの、そんなに不満なの?」

「別に」


 愛称で呼ばないことに特別理由はない。

 アンナはそう告げるも、近くにいるヴィクトリアからは、納得のいかない青い空気が生まれていく。


 二人の少女の意思が、中々同じ方向へそろわない。

 そんなことに心で渦を描くヴィクトリアだったが、物音一つした途端に、目つきと同じく意識が線となる。


 床に何かがぶつかり、固定されるような音。

 続けて下から昇ってくる音を聞いた二人は、示し合わせた訳でもなく、自然と声を潜めた。


「──誰か、いるのか」


 床が開けられ、まぶしい光とともに入ってきたのは、若い男性の声。

 そのまま少女たちと同じ場所へ立ち、手に持っていたランプを床に置いた。


 心許ないが、ランプの明かりは暗闇を食べていく。


 足元は想像通りに石造り。高身長の人物だと、中腰にならざるおえない低い天井。

 ここは天井裏。そう確信した少女たちが次に見るのは、上がって来た男性だ。


 火の明かりを背にしているから、輪郭(りんかく)しか分からない。

 だが、天井に程近い背丈から少年とはいえず、声からすると若くて二十歳目前。


 そんな彼が照らし切れていない闇の中で、二人の少女を目にした瞬間、ヴィクトリアは弾かれるように動きだした。


「おい、お前。こんなところで何を……」

「くたばりなさい、誘拐犯(ゆうかいはん)!」


 駆けだした彼女のドレスのスカート部分は、足元を動かしやすい作り。

 それゆえにしゃがんだ状態から、大きな歩幅で男性に近づいていく。


 相手の声なんて聞きはしない。

 先手必勝とばかりに男性の(ふところ)にまで潜りこんだヴィクトリアは、令嬢としてははしたなく、彼の足元から上に向かって右足を大振りした。

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