42.The Magic piper(7)
誰もいない談話室を飾るのは、暖色を集めた家具の数々。
足を踏みいれた人々を優しく迎え、沈みこむような作りの椅子が彼らの体を溶かしていく。
高い天井に、成人が通れそうな大きな窓は、穏やかな空間に幅を与え。
備えられた蒸気機械は室内の温度を快適なものにし、照明も橙色をふくんだ柔らかな光を放っている。
耳に触れるのは、古めかしい時計の振り子が奏でる音色だけ。
同じテーブルを囲む相手のみが、椅子に座る者たちの近くにいる。
そう感じさせる作りの部屋に、二輪の花々が舞いこんできた。
「従兄の人、あのままで良いんだ」
「ええ、構いません。王女殿下のお心を痛めたのですから、あれぐらいの罰はあってしかるべきです」
国の王女、レイラとの交際をアンナによって告白されたランストは、人混みの中へ消えていった。
それをはた目に、談話室までやってきたアンナとヴィクトリアだったが、彼女たちの瞳には他の誰も映らない。
パーティーの参加者は全員、大部屋に集まっているのか。
二人きりとなった少女たちは、談話室の方々へ気ままに足を運ぶ。
「レイラは慣れてるみたいだったけど」
「……先程から気になっていたのですが、両殿下のお名前を呼び捨てにするのは、いかがなものかと。いえ、個人的に親交のある方なら、お二人ともご了承するとは思いますが」
「みんなが言ってる殿下とか、様とか? つけると長くない?」
「言葉の長さで判断しないでください」
大部屋で受け取ったグラスは、抜けだす前にウェイターへ返している。
彼女たちのあるがままの手が調度品に向かうも、触れるものはそれぞれで違った。
アンナは部屋を一回りしただけで、早々にソファへ腰を落ちつけ。
ヴィクトリアは、壁や天井の造りに細々とした蒸気機械、果ては黙々と仕事をする時計にまで、その意匠へ目を向けている。
「不躾な態度、外見だけで何も知らない、振る舞いはまるで子猫。本当に不思議ね、アンナちゃんは」
アイザックの側にいる。
それ以外をすべて許されているかのようなアンナの行動に、ヴィクトリアの心はずっと掴まれたまま。
出自は分からないが、従兄のランストが仕えている王女、レイラと面識があり。
彼女の実弟であるアイザックからも、自由気ままさを認められている。
容姿は王侯貴族に負けず劣らずの高嶺の花にも関わらず、一端しか知らないヴィクトリアから見ても、その内面は幼さが際立つ。
まるで霧に隠されたハリボテの城。
「それで国家機密らしい貴女は、いったい何のかしら。まさか、あの傲慢な王子の許嫁とか?」
「レイラはそれも良いかもって、言ってたね」
「……冗談はよしてください」
不気味な噂ばかりのアイザックに、詳細を伏せられた美麗な少女。
恋物語の定番として、内々で決まった許嫁とヴィクトリアは口にしたが、本当にそんな話が上がっていたと聞いて、露骨に不満を示していく。
気にいらない相手と、気になる相手。
二人を意識すれば双方向へ引っ張られる心に、ヴィクトリアは落ち着きを持てず、アンナと同席ができないまま歩き回っていた。
そんな彼女を眺めるアンナは、頭に痛みを抱えていた。
「なんか、頭痛い。鉄を擦ってる音みたいなのが聞こえる」
「音? 私には特に聞こえませんが。こういった場所には不慣れそうですからね、貴女は。疲れから来るものでしょう」
「そうなのかな」
耳を打ちぬき、脳裏で金切り声を上げる不明の音。
そんなものが聞こえるとアンナは訴えるも、ヴィクトリアは不思議そうな顔をするばかり。
既に夜間へ差しかかり、仮に建物の工事が行われていたとしても、不評を避けるため仕事の手を止める時間だ。
談話室に響く音色も、いぜん時計の針だけが奏でるリズムだけ。
アンナにだけ聞こえる奇怪な金属音。
それに首を傾げながら、ヴィクトリアは照明を操作する機械に触れていく。
「幸い他に誰もいないことですし、暗くしますね。少し目を閉じてはいかが?」
抜けていく蒸気が歌うのは、昼から夜への移り変わり。
薄暗くなった談話室だが、歩くのには充分な明るさは確保されている。
体調が芳しくないのなら、休める環境を整える。
当然の配慮といえるヴィクトリアの行動だったが、アンナの身に起こる異変は、さらに数を増していく。
「ヴィクトリア、ダメ。部屋の明かり、戻して」
「貴女、髪が光って……。そう、そういうことね」
色味を減らした談話室の中、編みこみもふくめ、赤い光をまばらに灯すアンナの黒髪。
頭痛のためか体に力が入らず、ソファへ全身を預けたままのアンナには、口を動かす以外の術がない。
黒い少女にとって、何度目かの心理的苦痛。
自身でも分かるほど赤みを持った黒髪に、アンナは身を縮こまらせていく。
だからヴィクトリアにか細い声でお願いをするも、相手の少女もまた様子が変わっていた。
「国は何かを隠している。薄々とは思っていたけれど……」
アンナの頼みに耳を傾けず、照明機器から離れてヴィクトリアが向かうのは、外の景色をこれでもかと取りこめる大窓。
施錠を解き、ゆっくりと開かれた窓は、外界と談話室をへだてる境界の役割を失っていく。
吹きこむカーテンがなびかせるのは、繊細なカーテンだけではない。
解き放った少女の波打つ灰も、ほのかに宙を踊っている。
振り返り、かすかに笑い、明るさを失った深海の瞳が捉えるのは、赤い灯火を得た黒い少女。
「──見つけた」
しかしアンナの瞳と重なったのは、彼女よりも深い……空の果てにある虚空の黒。
ヴィクトリアが解いた窓から姿を現したのは、二メートルを超える人影。
言葉は灰の少女が、けれども意思を発するのは巨大な影。
軽い鉄の音を連れて窓辺を掴み、肌を見せない服装は、この世の全ての色を取りいれたまだら色。
不気味に哄笑する仮面、生き物的な挙動の見えない胴体と長い四肢。
アンナが生みだす黒い怪物たちとは真逆。
奇怪な七色でできたそれは、赤髪以外に確かなものがない。
そんな巨大な影を、瞳に収めたアンナが最後に聞いたのは、口笛にも似た軽快で心地いい音色だった。




