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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
42/84

42.The Magic piper(7)

 誰もいない談話室を飾るのは、暖色を集めた家具の数々。

 足を踏みいれた人々を優しく迎え、沈みこむような作りの椅子が彼らの体を溶かしていく。


 高い天井に、成人が通れそうな大きな窓は、穏やかな空間に幅を与え。

 備えられた蒸気機械は室内の温度を快適なものにし、照明も橙色をふくんだ柔らかな光を放っている。

 耳に触れるのは、古めかしい時計の振り子が奏でる音色だけ。


 同じテーブルを囲む相手のみが、椅子に座る者たちの近くにいる。

 そう感じさせる作りの部屋に、二輪の花々が舞いこんできた。


「従兄の人、あのままで良いんだ」

「ええ、構いません。王女殿下のお心を痛めたのですから、あれぐらいの罰はあってしかるべきです」


 国の王女、レイラとの交際をアンナによって告白されたランストは、人混みの中へ消えていった。

 それをはた目に、談話室までやってきたアンナとヴィクトリアだったが、彼女たちの瞳には他の誰も映らない。


 パーティーの参加者は全員、大部屋に集まっているのか。

 二人きりとなった少女たちは、談話室の方々へ気ままに足を運ぶ。


「レイラは慣れてるみたいだったけど」

「……先程から気になっていたのですが、両殿下のお名前を呼び捨てにするのは、いかがなものかと。いえ、個人的に親交のある方なら、お二人ともご了承するとは思いますが」

「みんなが言ってる殿下とか、様とか? つけると長くない?」

「言葉の長さで判断しないでください」


 大部屋で受け取ったグラスは、抜けだす前にウェイターへ返している。

 彼女たちのあるがままの手が調度品に向かうも、触れるものはそれぞれで違った。


 アンナは部屋を一回りしただけで、早々にソファへ腰を落ちつけ。

 ヴィクトリアは、壁や天井の造りに細々とした蒸気機械、果ては黙々と仕事をする時計にまで、その意匠へ目を向けている。


「不躾な態度、外見だけで何も知らない、振る舞いはまるで子猫。本当に不思議ね、アンナちゃんは」


 アイザックの側にいる。

 それ以外をすべて許されているかのようなアンナの行動に、ヴィクトリアの心はずっと掴まれたまま。


 出自は分からないが、従兄のランストが仕えている王女、レイラと面識があり。

 彼女の実弟であるアイザックからも、自由気ままさを認められている。

 容姿は王侯貴族に負けず劣らずの高嶺(たかね)の花にも関わらず、一端しか知らないヴィクトリアから見ても、その内面は幼さが際立つ。


 まるで霧に隠されたハリボテの城。


「それで国家機密らしい貴女は、いったい何のかしら。まさか、あの傲慢な王子の許嫁とか?」

「レイラはそれも良いかもって、言ってたね」

「……冗談はよしてください」


 不気味な噂ばかりのアイザックに、詳細を伏せられた美麗な少女。

 恋物語の定番として、内々で決まった許嫁とヴィクトリアは口にしたが、本当にそんな話が上がっていたと聞いて、露骨に不満を示していく。


 気にいらない相手と、気になる相手。

 二人を意識すれば双方向へ引っ張られる心に、ヴィクトリアは落ち着きを持てず、アンナと同席ができないまま歩き回っていた。


 そんな彼女を眺めるアンナは、頭に痛みを抱えていた。


「なんか、頭痛い。鉄を擦ってる音みたいなのが聞こえる」

「音? 私には特に聞こえませんが。こういった場所には不慣れそうですからね、貴女は。疲れから来るものでしょう」

「そうなのかな」


 耳を打ちぬき、脳裏で金切り声を上げる不明の音。

 そんなものが聞こえるとアンナは訴えるも、ヴィクトリアは不思議そうな顔をするばかり。


 既に夜間へ差しかかり、仮に建物の工事が行われていたとしても、不評を避けるため仕事の手を止める時間だ。

 談話室に響く音色も、いぜん時計の針だけが奏でるリズムだけ。


 アンナにだけ聞こえる奇怪な金属音。

 それに首を傾げながら、ヴィクトリアは照明を操作する機械に触れていく。


「幸い他に誰もいないことですし、暗くしますね。少し目を閉じてはいかが?」


 抜けていく蒸気が歌うのは、昼から夜への移り変わり。

 薄暗くなった談話室だが、歩くのには充分な明るさは確保されている。


 体調が芳しくないのなら、休める環境を整える。

 当然の配慮といえるヴィクトリアの行動だったが、アンナの身に起こる異変は、さらに数を増していく。


「ヴィクトリア、ダメ。部屋の明かり、戻して」

「貴女、髪が光って……。そう、そういうことね」


 色味を減らした談話室の中、編みこみもふくめ、赤い光をまばらに灯すアンナの黒髪。

 頭痛のためか体に力が入らず、ソファへ全身を預けたままのアンナには、口を動かす以外の術がない。


 黒い少女にとって、何度目かの心理的苦痛。

 自身でも分かるほど赤みを持った黒髪に、アンナは身を縮こまらせていく。


 だからヴィクトリアにか細い声でお願いをするも、相手の少女もまた様子が変わっていた。


「国は何かを隠している。薄々とは思っていたけれど……」


 アンナの頼みに耳を傾けず、照明機器から離れてヴィクトリアが向かうのは、外の景色をこれでもかと取りこめる大窓。

 施錠を解き、ゆっくりと開かれた窓は、外界と談話室をへだてる境界の役割を失っていく。


 吹きこむカーテンがなびかせるのは、繊細なカーテンだけではない。

 解き放った少女の波打つ灰も、ほのかに宙を踊っている。


 振り返り、かすかに笑い、明るさを失った深海の瞳が捉えるのは、赤い灯火を得た黒い少女。


「──見つけた」


 しかしアンナの瞳と重なったのは、彼女よりも深い……空の果てにある虚空の黒。


 ヴィクトリアが解いた窓から姿を現したのは、二メートルを超える人影。

 言葉は灰の少女が、けれども意思を発するのは巨大な影。


 軽い鉄の音を連れて窓辺を掴み、肌を見せない服装は、この世の全ての色を取りいれたまだら色。

 不気味に哄笑(こうしょう)する仮面、生き物的な挙動の見えない胴体と長い四肢。


 アンナが生みだす黒い怪物たちとは真逆。

 奇怪な七色でできたそれは、赤髪以外に確かなものがない。


 そんな巨大な影を、瞳に収めたアンナが最後に聞いたのは、口笛にも似た軽快で心地いい音色だった。

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