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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
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41.The Magic piper(6)

 好奇に飲まれたランストが、人の輪から抜けだせたのは、二人の少女が姿をくらませてから十分後。

 もはや彼女たちの影も形も残っておらず、彼の耳を刺激するのは、未だ興奮覚めない人々の声。


 ランストは人の森に身を潜め、王侯貴族の色恋沙汰で湧く人々から遠ざかっていく。


「ここまで来れば平気だろうか。しかしトリアもだが、アンナ嬢もとんでもないな。あの二人がそろっていると、騒ぎしか起こらなそうだ」

「そのようだな。待てと命じた部下がいない。あれの所在を知るなら疾く答えよ、ランスト」


 人の波に揉まれ、動悸が収まるにはまだ時間がかかる。

 まだこのパーティーは始まったばかりだというのに、心身の疲労が限界に近いランストは、安らげる場所を探していた。


 しかしそんな彼を見つけたのは、休息とは真逆の存在。

 一声で誰なのかを認識したランストは、締めつけられて痛む胸をそのままに、姿勢を正して体ごと相手に視線を向ける。


「アイザック殿下! 申し訳ございません。私の従妹に連れて行かれました。アンナ嬢をお見かけした際、レイラ殿下の下につく者としてお守りをと考えたのですが。不意を突かれ、逃げられてしまいました」

「よい。猫は自由と心得ている。故に、貴様に責を問うつもりはない」

「ご寛大な処置、痛み入ります」


 ざわめく人の木々を割って現れたのは、ランストの伯父である男爵と話をしていたはずのアイザックだった。


 彼の立ち振る舞いは、ランストのよく知る無機質で何者にも影響されない、冷たい紳士。

 だが、その一端に珍しく別の色が混ざっているのを読み取った男性は、心に氷水を当てながら青年の問いに答えていく。


 表情に変わりはない。

 けれども苛立ちの気配が淡く見え、それを一度感じてしまうと、アイザックの目つきがより鋭く思えてしまう。


「しかし貴様の従妹か。行き先に覚えはあるか」

「はっ。少なくとも建物からは出ないかと。行動は目立ちますが、危険な場所は避ける奴です。くつろげる談話室辺りにいると推測します」

「……良いだろう。あれに害はない、時間まで遊ばせておくとしよう」

「よろしいのですか? 私なら、今すぐ探しに行くことができますが」


 ランストとやり取りをするにつれ、アイザックの舌に乗せられた刃物が鞘に納められていく。


 アンナの行方は見当がついた、同行者の正体も割れている。

 それならば大した影響はないと、独りでに青年は目を伏せるが、対する男性は不安を拭いきれない。


「あれは愚直だ。放っておけ」

「随分とヴィクトリアを買っているのですね」

「貴様と変わらんよ、ランスト。女王陛下の膝元で、粗相を為す輩ではあるまい」

「恐縮です、殿下」


 ランストもヴィクトリアも、心の内は善意の色に染まっている。

 それを知るからこそ、アイザックは意識を切り替えていく。


 この従兄妹たちならば、アンナを預けても支障はない。

 そう判断する彼が次に目を向けたのは、パーティーを開いた主催だった。


「それよりも男爵だ。貴様の伯父はこの催しに向けて、何やら大仰な物を用意しているらしい」

「先ほどお話していたのは、その件でしたか」

「ああ、だから前もって命ずる。ランスト、もしもの場合はアンナの下へ走れ」


 人々の森を越えてアイザックが捉えるのは、仰々しく自身を主張して注目を集める男爵の姿。

 彼のもとに一台のワゴンが寄せられるも、それに険しい視線を青年は向けていく。


 警戒、嫌悪、そして敵意。

 まるで男爵の用意したものが有害だと語るアイザックの瞳に、ランストは疑問をぶつける。


「まさか伯父の用意した物が、怪物にまつわる物だと言うのですか」

「恐らくな」

「ならアンナ嬢はそれを察して……? 彼女も殿下同様、他の怪物を察知できるのですね」


 少女の外見以外、何も知らないランストが感心をアンナへ向けていく。

 しかし隣でそれを聞くアイザックは、意図が読めない無言で受けていた。


 アンナが物体や事象を介して、怪物の有無を察することができるのか。

 肯定にも、否定にも思える青年の答え。


 その真意をランストが問う前に、二人の視線を周囲のざわめきが強引に集めていく。


「さあ、ご来場の皆さま。事業成功を祝して、心ばかりですが記念品をご用意させていただきました。どうぞ、ご注目を」


 運ばれてきたワゴンの前に立つ男爵の様子に、不審な点は一つもない。

 至ってよくいる中年男性。ランストに似ている穏やかな物腰に、ヴィクトリアと重なる灰色の髪。

 彼の前で静かに時を待っているワゴンも、多少飾りが豊かな程度。


 ならばアイザックの言うとおり、運ばれてきた物に異常があると踏んだランストは、視線をやや下に向けた。


 ワゴンに乗るのは、白い布がかぶせられた小さな何か。

 大きさは人が片手で持てるほどで、動きが見えないところから、生き物でないことは分かる。


 なら、あれは何なのか。

 その疑問は布が外されたと同時に解消された。


「ハンドベル……ですか。殿下、私には何も異常がないように思えます」

「見た目はな。だが、胸騒ぎが収まらん」


 飾られたワゴンに鎮座するのは、大部屋に集まる誰もが認める、美しいハンドベルだった。


 素材は分からないが、雪を思わせる白銀の色合い。

 鐘部分はスノードロップの花をかたどり、握りは暗く落ち着いた緑色。


 ──花咲いた金属のスノードロップを、そのままハンドベルにした。

 そう言われても、疑わずに納得できる美術品。


 どうして事業成功を記念して用意した物が、ハンドベルなのか。

 なんて疑問が遠ざかるほどの一品に、間近で見ようと人々はこぞって男爵の下へ集まっていく。


「まあ、まあ。皆さま落ち着いて下さい。観賞は後ほどごゆっくり。このハンドベルで一番お見せしたいのは、その音色です。心が静まるような雪の音を、どうかお聞き願いたい」


 どこも逃げ場がなく、圧倒的な関心の圧で押し潰される男爵。

 しかし物ともせずに応じていく彼は、右手でそっと白銀のハンドベルを手に取った。


 ハンドベルは、本来ならば手袋をつけてから扱う代物。

 しかし素手で握った男爵は、そのまま一振り。


 ──リンと静かに、微笑む音の花が咲いた。

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― 新着の感想 ―
ハンドベルの音色を聞いた者はどうなってしまうんでしょうね。ああ、なんだか次の話を読むのがとっても怖い。
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