38.The Magic piper(3)
奏でられる、鈴の音のような女性の声。
それが響くのは彼女の手の届く場所だけで、先へ飛ぼうとしても人だかりに阻まれる。
周りを見渡し、集う男女が着こなすのは、黒の燕尾服と虹さながらの多彩なカクテルドレスたち。
そして彼らを悠然と見守るのは、最新の蒸気技術で明るく照らされた大部屋。
旧時代の煌めきを残しつつ、鉄と蒸気を内包した一室で、多くの男女が立ちながら談笑する。
貴族と著名人がそろう、立食パーティー。
その一端で和気あいあいと話している女性が語るのは、昨今、王国で挙がる噂話。
「ブラックマン。そんな未確認動物がいたというお話は、皆さまご存じでしょうか」
「黒い人、ですか。申し訳ない、ミセス。僕にはなんのことやら」
「いつものオカルトだよ。あれですよね、人前に現れては何もせず消える、黒い人影。その手の界隈では今一番の話題だとか」
「ええ、ご存じの方がいらっしゃって嬉しいわ。なんでもそのブラックマン、見た人の大切な人とそっくりらしいのよ」
嬉々として女性は語るも、囲む男女の反応は三者三様。
しかし握るグラスの中身と同じく、酒精の苦みがみんな混ざっていた。
そんなことを気にせず、鮮やかなオレンジのカクテルに口をつける女性は、酔いも口も回っていく。
「もし想い人だったら、その恋は叶う。なんて噂で持ちきりなのよ」
「本当ならロマンチックですけれど。ブラックマンというほどだから、真っ黒なんでしょう? 怖いわ、私」
「同感だな。もし付き合っている女性と違う女性だったら、これほど怖いものはない。なあ?」
「止めてくださいよ、フィアンセがいる僕に振る話じゃないですって。しかも本人の前で」
曲の代わりに流れていく男女の会話。
話題で踊る彼らの姿は、輪舞のごとく。
未確認動物からロマンチックな恋の占いへ移り、次に流れる命題は、真実の誓いに迫る不穏な影。
「……いませんよね」
「勿論、神と女王陛下に誓って、愛しているのは君だけさ」
「冗談だよ、真に受けるな。でも、貴女の心を捉えた影が、私を写したとしたら。喜んでその手を取らせていただきますよ、レディ」
「他人のフィアンセを口説くとは、相当酔ってるみたいですね。貴方のブラックマンなら、化粧室にいけば会えますよ」
刺激的なのは、よりどちらか。
いうまでもなく目の前の色恋が勝り、オカルトはその飾りつけ。
スパイス程度に過ぎないオカルト好きの女性の話題だが、彼女はそれでも笑みの明るさが増していった。
「まるで怪盗ね。貴方みたいなのが、例の盗人をやっていたりして」
「あっ、それなら私も知っています。魔笛の怪盗、ですね」
フィアンセの女性の声音が、一段上がる。
知っている噂話だからか、それとも別の意味もふくまれているのか。
オカルト好きの女性とともに、明るい花を咲かせていく。
「笛の音とともに現れる義賊。お金や宝石を盗む困った方らしいですが、どうしてか魅力を感じてしまって」
「前に君が言っていたやつか。庶民の間では人気らしいな。しかし、結局はただの盗人だろう? まあ、殺人鬼よりは理解できるが」
「甘いわね。女性にも人気なの。正体は中々の色男らしいわよー」
ブラックマンから、ちまたで噂の怪盗へ。
話題が変わると同時に、輪を作る男女の反応は二分される。
女性たちは反応の強弱こそあれど、行為そのものよりも、噂を下地に描かれた人物像へ頷きをみせた。
しかし男性たちは、盗みという行為のみに焦点を当て、口々に語るのは不評ばかり。
そんな中でオカルト好きの女性に、まず関心を示した男性は、好悪の渦の中心で愛の踊りをこなしていく。
「ふっ、残念だ。私が本当にその怪盗なら、今すぐにでも、貴女の心を盗めるのに」
「だそうですよ、ミセス」
「あらあら、まあまあ。彼女ではなく、私に仰っていたのね。気づかなくてごめんなさい」
「……ウェイター! チップをはずもう。もっと強い酒が欲しいな」
口説きに熱を上げる男性だったが、もう一人の男性によって間髪入れずの仕返しが行われる。
耐えられないものがあったのか、彼は一度口を閉ざすと、新しいカクテルを頼みにいく。
もっと酔いを回すためか、それとも沈黙を与えた男性に飲ませるためか。
そんな様子を見せる口の回る男性に、オカルト好きの女性はクスクスと笑みをもらしていた。
「でも、そうね。怪盗も魅力的だけれども、私はやっぱり。ブラックマンに会ってみたいわ」
蒸気を使った技術が発達して、とうに一世紀は過ぎた。
後ろ暗い魔術の類は廃れ、信じる人は愛好者か狂人の二つに一つ。
そんな世の中だというのに、たびたび挙がる超常現象は、愛好者の心を掴んで離さない。
だからこそ、アルコールという油が指された口は、滑らかに思いをつづっていく。
まるで音を奏でれば、それを呼べると信じるように。
「──参列者が多い。醜態を晒してくれるなよ」
「アイザックの言うとおり、大人しくしてればいいんでしょう?」
「口も慎め。貴様は言葉の重さを知らなすぎる」
歓談の楽譜に休符が打たれ、全員の視線がある二人の声に集中する。
誰もがまず目を向けるのは、タキシードを着た白髪の青年。
髪はオールバックに。外界へさらされた苛烈な瞳は、統一された階調めいた宝石の赤。
浅黒い肌は、まとう空気の冷たさをより一層強め、うかつには近づけない。
王子、アイザック・マーティン・エリク・レイモンド。
この場に集まる誰よりも、高い地位に立つ青年。
へたに話しかけて不興を買えば、国内での立場が危うくなる。
そんな存在に最初は戸惑い、しかし覚えよろしければあるいはと、静寂は歓迎に移りかけるも。
彼の手によってエスコートされるもう一人の存在に、浮き足立った体は重さを増した。
「……誰が口を噤めと言った。挨拶だけしていればいい」
「そっか。ザックたちと一緒の屋敷にいるとか、言わなければいいのか」
「貴様を連れてきたのは早計だったか」
王族。しかも国内に根づく噂を持った人物であれば、その容姿は貴族であれば、お付きもふくめて認知している。
だが、なにやら談笑めいた雰囲気で王子と話す黒い少女のことを、この場にいる全員が知らなかった。
渦巻くのは、見知らぬ少女の正体に対する疑問。
「──アイザック殿下。ようこそ、おいで下さいました。無事のご到着、何よりです。心より歓迎いたします」
明るい雰囲気は、探りをいれる暗く重い色へ。
そんな空気に染まりきらぬよう、部屋全体に響かせて声を張り上げたのは、一人の中年男性だった。
アッシュブロンドの髪に、黒みのある青い瞳。
恰幅の良さがややあるものの、品位を損なっていない体型の彼に、アイザックは淡々と応えていく。
「男爵か。此度の事業成功、国を代表して祝わせていただく。もちろん、私個人としてもだが」
「勿体なきお言葉です。それもこれも、殿下のお陰でございます。殿下のお言葉一つで、みるみるスポンサーが増えまして……」
「世辞はいい。国に利があると判断しただけだ。後に続いた者も同様だろう」
「はっ! これは失礼いたしました、殿下。そうですね。殿下だけではなく、協力いただいた皆さまのお陰でございます」
アイザックに男爵と呼ばれた中年男性は、この立食パーティーの主催だった。
新規事業の立ち上げと成功。
これをもって行われているパーティーである以上、賓客の対応は主催者に委ねられる。
まずは相手の歓迎をと、偽りはない笑みでアイザックの前に男爵は立つも。
その腹に抱えた本音は、背後で控える人々の視線で語られていた。
「それでですね、殿下。こちらのお嬢様とは……どういったご関係で?」
礼に反するがために出自は問えず、かといって勝手な憶測も口にするのははばかられる。
なので心境とは近すぎず遠すぎず、しかし気になるのは当然だろうという疑問を、男爵は絞りだした。
だが、どうにか言葉を紡いだ男爵に対して、アイザックの返事は想像超えていた。
「卿らの好きにせよ。祝いの席だ。一つ、話題の種を送ろう」
自身と少女の関係を、想像するだけなら認めよう。
そう告げたアイザックを中心に、咲き誇る花が広がっていく。
二人の見えない糸が何色なのか。
妄想と邪推が混ざり合い、緊張感のあった会場は明るさを取り戻していった。
よろしいのですかと、冷や汗をかきながら問いかける男爵に、青年の視線は変わらず冷めたまま。
「所詮、戯れだ。──アンナ。私は男爵と話がある。貴様をここへ置くが、先の話を忘れるな」
「一緒じゃなくていいんだ」
「貴様といると、男爵の目が煩わしい」
アイザックの言葉に連れられて、エスコートをされていた黒の少女、アンナは男爵へ目を向ける。
彼と視線が重なると、笑顔を作っていた表情に戸惑いが混じり、複雑な絵を描き始めた。
王子の前だからこそ、必死に本心を隠そうとしている。
そんな思いを感じだアンナは、素直に青年の言葉を受けいれ、掴まっていた彼の腕から離れていく。
「じゃあ、ここで待ってるね」
青年の了承は、一つの小さな頷きのみ。
そのまま男爵とともに、アイザックは人混みの中へ消えていき、アンナはポツリとその場に取り残された。
慣れない人だかり。
しかも自身を囲むのは、今まで感じたことのない、数多くの好奇の視線。
「……どうしよう」
関心は大いにある、しかし接触を図ろうとはしない。
一人となった少女との距離感すら楽しみにいれる男女は、意識だけを彼女に向けて、口は別の誰かに。
そんな奇妙な空気で満ちた場所にいるアンナは、去ったアイザックと同じく、変わらぬ調子で周囲を見渡していく。
屋敷にいる使用人たちとも、書庫に現れたスタンリーとも、リアムを名乗っていた誰かとも違う。
周りにいるのは、記憶にない人種の集まり。
しかしどこか落ち着かず、嫌な感じすら彼らに覚えるアンナは、次第にいなくなったばかりのアイザックの背中を探し始める。
「なんか嫌だ、ここ」
「あら、落ち着きのない。意外と躾ができないのね、あの王子」
けれど、いくら青年を探しても、見えるのは他人の姿ばかり。
いっそのこと待つのを止めて、歩き回る考えに移ったところで、棘をふくんだ言葉を放つ女性の声が聞こえた。
「こんばんは、冷酷な王子に首輪をはめられた子猫さん」
黒の少女には誰も話しかけない。
そんな当然を打ち破る堂々とした声に、アンナは思わず顔と体を向けてしまう。
アンナを囲む輪を抜け出して、現れたのは一人の少女。
臆することなく、アンナの目の前まで歩みを進めた彼女は、不敵な笑みを浮かべていた。




