36.The Magic piper
木漏れ日に満ちた森の中、雲海でぼやけた月明かり、先の見えない霧の朝。
影が差し、不透明で、足元すらおぼつかない。
そんな、かすかな希望だけが与えられている薄暗い世界が、アンナは苦手だった。
暗い教会に閉じこめられていたときから、それは変わらない。
だから少女にとって、カーテンによって抑えられた朝日は、苦みすら感じる毒の白。
「毎日、曇ってればいいのに」
窓には背を向けて、かけ布団を頭までかぶったアンナは、ベッドの中で思いをこもらせていく。
意識はあるけれど、目を開けられるほど覚めていない。
ポツリと心中に言葉を落としても、起きる波紋は小石を湖に落としたとき同じ。
頭は現実に浮き上がってはいるも、心はいまだ夢の底。
つなぐ精神を霧に隠されているアンナは、非常にぼんやりとしてた。
「ミアは、こんな朝でも楽しそうだったな」
アンナにとっては憂鬱な始まり。
しかし友だちの少女にとっては、向日葵が咲き始める空模様だった。
青空と太陽を思わせる明るい少女、ミア・ダヴフライ。
彼女が晴れの日に教会へ来たときは、いつも外の明るさを持ちこまれる。
起きたら寝癖で髪が爆発していたとか。
窓を開けたら早朝の散歩をしている犬を見かけて、いっぱいお喋りしたとか。
本を読んでいたはずなのに、気がついたら朝だったとか。
そんな思い出が鮮明な色合いで流れていくも、アンナはあまりのまぶしさに、目元へ影を作る。
「……うっとうしい」
気分が高揚しているミアに対して、何度か口にしてきた茨の言葉。
思い返すだけで同じ気持ちが湧きあがり、懐かしさでくすりと笑い。
そしてもう、そんな日々は無いのだと朝の静けさが語りかけてきて、アンナは猫のように身を丸くした。
「また逢いたいよ、ミア」
夢にまで見る想いを、全身で包みこむ。
彼女がいなくなって一ヶ月以上も経ったけれど、隣で手をつないでいた少女の光は、ずっと目に焼きついたまま。
離せないし、離さない。
今でも残る握っていた手の感覚を、両手でギュッと胸元で抱きながら、黒の少女は夢の続きが見れるのを願っていく。
「──本当、アンナは朝に弱いわね。ほら、起きなさい」
夢が広がる心の底。
再び潜りかけていたアンナの意識を釣り上げたのは、カーテンが開かれる音と、凛とした女性の声。
薄まっていた光は本領を取り戻し、部屋にこもっていた暗さと入れ替わっていく。
開けられた窓からは、秋を感じさせる肌寒い風が、光に続いて部屋に新たな空気を入れていった。
「おはよう、アンナ。もう朝よ?」
「うん……知ってる。でも、あと五時間」
「またそんなこと言って。居候にそれは許されません」
朝を拒絶していたアンナの私室。
それをよどみなく払い除けた張本人は、間髪入れずに起床の意図をもって、少女の体を揺すっていく。
抵抗の意志はあるも、仕方がなく顔だけを出したアンナは、寝ぼけまなこに恨めしさを加えて、上から降ってくる女性の声に応えていった。
「でも、ねむい。……プリムラも、まだ寝てる」
「残念ね、アンナ。人と猫は違うの。その子は寝てても許されるのよ。それとも、レイラ殿下からいただいた衣装たち、試して欲しいのかしら」
「……ブリジットのいじわる」
ベッドの中に居座ろうとしていたアンナ。
だが、暗に着せ替え人形にするという脅しめいた発言を聞き、少女はかけ布団から苦い顔をのぞかせた。
目が冴えてきた少女の、深い紫の瞳の先にいるのは、髪色がローズタンドルの年上の女性。
ブリジット・カナルミア。
ザックを家主とした屋敷に仕える使用人で、今はアンナの世話役を任命されている。
そんな彼女の緑色をした視線は、強気な外見からは遠い、柔らかな笑みを浮かべていた。
「そんなに嫌なのね。どれも素敵なのに」
「楽しいのは、ブリジットたちだけでしょ」
ここまで来ては仕方がないと、アンナは渋々ベッドから体を起こしていく。
それに反応するのは、枕元で球体となっている黒いなにか。
ピコンと耳を立て、少女が動き出すのを認めたそれは、人のいなくなったベッドへと全身を伸ばしていく。
アンナ以外には見ることのできない、屋敷の幽霊。
黒猫プリムラ。
意思一つで超常現象を起こせるが、基本的には自由に活動する猫そのもの。
少女が去り、ベッドを全て使う権利を得たと思ったのか、プリムラは液体となっていく。
「いいなあ」
「いる、のよね。そこに。今までのは書庫を守っていたから、というのは分かっているけど。全然慣れる気がしないわ」
「プリムラはブリジットのこと、気にいってるみたいだけど」
「何もしていないのに、どうしてかしら」
髪色に合わせた黒いワンピースのルームウェア。
時期を考え、袖とスカート丈が長く、ゆったりとしたものを着るアンナは、未練をもって黒猫が溶けたベッドを眺める。
その横でブリジットは、少女の朝の仕度をテキパキと進めていく。
まずは着替えと、クローゼットから衣装を見繕うも、黒猫を意識するたびに、神経を痛めたような表情をチラつかせていた。
「……怖いからじゃない?」
「あら、失礼ね。もしかしてアンナも、そう思ってるのかしら」
「別に。ザックは思ってそうだけど」
野性が人に懐くとしたら、恩を感じているか、利があるからか。
もしくは相手の立場が上と認識し、従っているか。
この三つが多い。
その内、ブリジットに当てはまるものをとアンナは考えると、理由は一つに絞られた。
怒らせてはいけない。
屋敷に来てから一ヶ月で、充分にそれを知った少女にとって、すんなりと受けいれられる理由。
だからこそ、ブリジットからにこやかな笑みを向けられると、少女はそっぽを向いて言い逃れようとする。
「ミアの言ってたママみたいとは、思ってるよ」
友だち以外の記憶が曖昧なアンナにとって、両親は他人と変わらない。
だからこそ、実感としてではなく、ミアの口から聞いた印象に近いと告げる。
ときに優しく、ときに怖く。
預けた心を包みこんで、道を違えないように見守ってくれる。
ずっと近くにいて欲しい人。
ブリジットのことをそう思ってると、素直な気持ちをアンナは伝えたはずが、ふと彼女の方へ視線を戻すと──
「私、貴女みたいな大きい子どもを持つほどの、年増に見えるのかしら」
音もなく少女に迫り、腕に沢山の衣装を抱え。
描く表情は、喜色の塗りを失敗した赤紫のシャクヤク。
少女を逃がすまいとする、そんなブリジットの圧を前に、アンナは少しだけ口を開けたまま呆然としていた。




