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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
36/84

36.The Magic piper

 木漏れ日に満ちた森の中、雲海でぼやけた月明かり、先の見えない霧の朝。

 影が差し、不透明で、足元すらおぼつかない。


 そんな、かすかな希望だけが与えられている薄暗い世界が、アンナは苦手だった。


 暗い教会に閉じこめられていたときから、それは変わらない。

 だから少女にとって、カーテンによって抑えられた朝日は、苦みすら感じる毒の白。


「毎日、(くも)ってればいいのに」


 窓には背を向けて、かけ布団を頭までかぶったアンナは、ベッドの中で思いをこもらせていく。


 意識はあるけれど、目を開けられるほど覚めていない。

 ポツリと心中に言葉を落としても、起きる波紋は小石を湖に落としたとき同じ。


 頭は現実に浮き上がってはいるも、心はいまだ夢の底。

 つなぐ精神を霧に隠されているアンナは、非常にぼんやりとしてた。


「ミアは、こんな朝でも楽しそうだったな」


 アンナにとっては憂鬱(ゆううつ)な始まり。

 しかし友だちの少女にとっては、向日葵(ヒマワリ)が咲き始める空模様だった。


 青空と太陽を思わせる明るい少女、ミア・ダヴフライ。

 彼女が晴れの日に教会へ来たときは、いつも外の明るさを持ちこまれる。


 起きたら寝癖で髪が爆発していたとか。

 窓を開けたら早朝の散歩をしている犬を見かけて、いっぱいお喋りしたとか。

 本を読んでいたはずなのに、気がついたら朝だったとか。


 そんな思い出が鮮明な色合いで流れていくも、アンナはあまりのまぶしさに、目元へ影を作る。


「……うっとうしい」


 気分が高揚(こうよう)しているミアに対して、何度か口にしてきた茨の言葉。


 思い返すだけで同じ気持ちが湧きあがり、懐かしさでくすりと笑い。

 そしてもう、そんな日々は無いのだと朝の静けさが語りかけてきて、アンナは猫のように身を丸くした。


「また()いたいよ、ミア」


 夢にまで見る想いを、全身で包みこむ。

 彼女がいなくなって一ヶ月以上も経ったけれど、隣で手をつないでいた少女の光は、ずっと目に焼きついたまま。


 離せないし、離さない。

 今でも残る握っていた手の感覚を、両手でギュッと胸元で抱きながら、黒の少女は夢の続きが見れるのを願っていく。


「──本当、アンナは朝に弱いわね。ほら、起きなさい」


 夢が広がる心の底。

 再び潜りかけていたアンナの意識を釣り上げたのは、カーテンが開かれる音と、凛とした女性の声。


 薄まっていた光は本領を取り戻し、部屋にこもっていた暗さと入れ替わっていく。

 開けられた窓からは、秋を感じさせる肌寒い風が、光に続いて部屋に新たな空気を入れていった。


「おはよう、アンナ。もう朝よ?」

「うん……知ってる。でも、あと五時間」

「またそんなこと言って。居候(いそうろう)にそれは許されません」


 朝を拒絶していたアンナの私室。

 それをよどみなく払い除けた張本人は、間髪入れずに起床の意図をもって、少女の体を揺すっていく。


 抵抗の意志はあるも、仕方がなく顔だけを出したアンナは、寝ぼけまなこに恨めしさを加えて、上から降ってくる女性の声に応えていった。


「でも、ねむい。……プリムラも、まだ寝てる」

「残念ね、アンナ。人と猫は違うの。その子は寝てても許されるのよ。それとも、レイラ殿下からいただいた衣装たち、試して欲しいのかしら」

「……ブリジットのいじわる」


 ベッドの中に居座ろうとしていたアンナ。

 だが、暗に着せ替え人形にするという(おど)しめいた発言を聞き、少女はかけ布団から苦い顔をのぞかせた。


 目が冴えてきた少女の、深い紫の瞳の先にいるのは、髪色がローズタンドルの年上の女性。


 ブリジット・カナルミア。

 ザックを家主とした屋敷に仕える使用人で、今はアンナの世話役を任命されている。


 そんな彼女の緑色をした視線は、強気な外見からは遠い、柔らかな笑みを浮かべていた。


「そんなに嫌なのね。どれも素敵なのに」

「楽しいのは、ブリジットたちだけでしょ」


 ここまで来ては仕方がないと、アンナは渋々ベッドから体を起こしていく。


 それに反応するのは、枕元で球体となっている黒いなにか。

 ピコンと耳を立て、少女が動き出すのを認めたそれは、人のいなくなったベッドへと全身を伸ばしていく。


 アンナ以外には見ることのできない、屋敷の幽霊。

 黒猫プリムラ。


 意思一つで超常現象を起こせるが、基本的には自由に活動する猫そのもの。

 少女が去り、ベッドを全て使う権利を得たと思ったのか、プリムラは液体となっていく。


「いいなあ」

「いる、のよね。そこに。今までのは書庫を守っていたから、というのは分かっているけど。全然慣れる気がしないわ」

「プリムラはブリジットのこと、気にいってるみたいだけど」

「何もしていないのに、どうしてかしら」


 髪色に合わせた黒いワンピースのルームウェア。

 時期を考え、袖とスカート丈が長く、ゆったりとしたものを着るアンナは、未練をもって黒猫が溶けたベッドを(なが)める。


 その横でブリジットは、少女の朝の仕度をテキパキと進めていく。

 まずは着替えと、クローゼットから衣装を見繕うも、黒猫を意識するたびに、神経を痛めたような表情をチラつかせていた。


「……怖いからじゃない?」

「あら、失礼ね。もしかしてアンナも、そう思ってるのかしら」

「別に。ザックは思ってそうだけど」


 野性が人に懐くとしたら、恩を感じているか、利があるからか。

 もしくは相手の立場が上と認識し、従っているか。

 この三つが多い。


 その内、ブリジットに当てはまるものをとアンナは考えると、理由は一つに絞られた。


 怒らせてはいけない。

 屋敷に来てから一ヶ月で、充分にそれを知った少女にとって、すんなりと受けいれられる理由。


 だからこそ、ブリジットからにこやかな笑みを向けられると、少女はそっぽを向いて言い逃れようとする。


「ミアの言ってたママみたいとは、思ってるよ」


 友だち以外の記憶が曖昧(あいまい)なアンナにとって、両親は他人と変わらない。

 だからこそ、実感としてではなく、ミアの口から聞いた印象に近いと告げる。


 ときに優しく、ときに怖く。

 預けた心を包みこんで、道を違えないように見守ってくれる。

 ずっと近くにいて欲しい人。


 ブリジットのことをそう思ってると、素直な気持ちをアンナは伝えたはずが、ふと彼女の方へ視線を戻すと──


「私、貴女みたいな大きい子どもを持つほどの、年増に見えるのかしら」


 音もなく少女に迫り、腕に沢山の衣装を抱え。

 描く表情は、喜色の塗りを失敗した赤紫のシャクヤク。


 少女を逃がすまいとする、そんなブリジットの圧を前に、アンナは少しだけ口を開けたまま呆然としていた。

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