32.The Altruism Lord(9)
迫る黒い怪物たちを阻み、アイザックはリアムの前へ。
わずかな怯みはあったものの、続けて剣を振るう彼らに、人格が入れ替わった青年もまた、容赦なく攻勢に出た。
しかし数を誇るだけの怪物たちは、アイザックの暴力に耐えられない。
自身の血がしたたる剣をもう一度振るも、強度が足りないのか砕け散り。
壊れた玩具は不要と折れた剣を捨てるアイザックは、いつかの日と同じように、徒手空拳による制圧に移る。
「お前は……本当に、あのアイザック王子なのか」
「滑稽な問いだな。私とあれが入れ替わるのを目にして、奇怪だと首を傾げるか、錬金術師。貴様やあの少女と同じ、私も怪物ということだ」
一切の加減はなかった。
首も手足も関係なく、怪物の体を触れたところから壊していく。
そうして積み上がっていくのは、生き物の成りをした煤の塊の山。
人の形を崩す方法を知らないがために、地べたを這いずらせることしかできず、アイザックが拳を振るえばその数は着実に増えていった。
「これでも信じられぬというならば、貴様への用は仕舞いだ。老いぼれた知恵者など、百害のみをもたらす」
黒い怪物の数は減っている。
だが、アイザックは迫るものを壊すのみで、積極的な攻めには出ていないため、新たに増えるのも許容していた。
ただただ喚きうごめく黒い物体を、足元に敷き詰めていく青年。
彼の余裕はリアムとの会話だけにとどまらず、向けられる疑念にすら応えられるほどだった。
大雑把に振るわれる黒い剣。
それを素の体で受け止め、事態が飲みこめない怪物たちを、一体ずつ丁寧に壊していく。
剛力をみせる腕どころか、首筋で受けた凶器すらもアイザックは物ともしない。
そんな彼の異常性は、身体の強度だけではなく、回復力にすら現れている。
ザックのときに受けた、肩から胸にかけての傷。
それを小さな切り傷とばかりに完治させている彼に、リアムは言葉を失っていた。
「……理解できないな。その体こそ不老不死だろう。なぜ俺のところへ来た」
「その件に関しては無駄足だったと認めよう。私が不老でないのと同じく、貴様は不死でないのだから。女王陛下への土産としては、些か不足が過ぎる」
貴様は老いを知らないだけ。
そう告げるアイザックに、リアムはピクリと眉をひそめた。
「その右目と左腕、常人と違わず戻らぬのだろう?」
言葉とともに、アイザックの赤い瞳がリアムを捉える。
その脇を怪物がすり抜けるも、青年は手を伸ばさずに、彼に凶器が迫るのをただ見届けていく。
これが証拠だ。
そう告げたのは、リアムに向けて刺突を放つ一体の怪物。
右肩を貫き、そのまま組み伏せ、両手で柄を握る剣を、怪物は地面へ深く突き刺した。
鋼のごとき体を持つアイザックでも、痛みは感じる。
しかしリアムは肩を貫かれたにも関わらず、苦痛を感じた表情を見せるどころか、体からは一滴も赤をこぼすことはなかった。
「やはりな。完全な力であれば、欠損などあり得ない。その様子からして、ただ動いているだけか。まるで人形だな」
「代わる前から気付いていたのか」
「あいつのことなど、私の預かる所ではない。──さて、男爵の名を口にする誰かよ。貴様は本物か、否か」
一体がリアムを押さえているところを、続いた他の怪物たちは、まとめて倒そうと一斉に切っ先を向けて突撃を始める。
しかしこちらの話が先だとばかりに、次の攻撃を阻止していくアイザックは、動けなくなったリアムへ問いかけていく。
アンナが生みだす黒の怪物は、過去の人物を基に作られていると推測される。
根拠となるのは、グリンラック子爵スタンリー・オルバン・マリンソンの存在。
十年前に亡くなった彼が、閉ざされた屋敷の書庫で現れたからこそ語れる理由だ。
物体か、生き物の記憶か。
何かしら由縁のあるものから情報を読み取り、再現されていると仮定した上で、青年の気がかりは一つ。
今もなおリアムに暴虐を尽くそうとする怪物たちは、どうして彼に虚言の申し子などの悪態をつくのか。
可能性としてアイザックが挙げるのは、町民以外は誰もがまず考える、ごく自然な疑問。
──本当に、この場にいるのはリアム・クライングスワロウ当人なのか。
「アイザック・マーティン・エリク・レイモンドが命ずる。答えろ、ブロンズロック男爵」
王家の名において、偽称の許容はない。
そんな言葉を拳にこめ、リアムを剣で固定する怪物の頭部を、アイザックは刹那に砕いた。
依然、刀身は彼の肩と地面を貫いたまま。
だがリアムに抵抗する余地はない。
守りながらも追い詰めるという、矛盾のような行動をしている青年に見下ろされる彼は、絵画に描かれた人物とは違う、無機質な青銅色の瞳で空を見上げた。
「そうだ、俺はリアムじゃない。だが、皆にとっては俺がリアムだ」
偽名を肯定し、しかし自分以外にはそうではないと首を振る彼は、落とした視線を怪物たちに向けていく。
これまであった目の光は揺らぎ、錆びつきくすんだ瞳は虚ろそのもの。
恨まれて当然。ゆえに彼らの暴力には正当性しかなく、ただ受け入れるのみ。
「俺が誰かなんてどうでもいい。必要なのはリアムがいること。民に恩恵をもたらす領主リアム、それがこの町にはいるんだ」
「そんなものを町民が望んでいるというのか」
「俺たちに限った話じゃないだろ。率先して身を削り、全ての責任を引き受け、下々に与えるのは代償のない利益だけ。これが理想の領主と語る奴は、いくらでもいる」
「貴様がそれだと。ならば、この獣は何とする」
市井に恩恵のみを与え、代償は自身だけが負う。
これが理想の領主とリアムが言うも、それでは死者と推測される怪物たちの説明がつかない。
彼らはみな、リアムを騙る彼を恨んでいる。
理想的であったならば、凶器を手にするはずがない。
「俺が不甲斐ないばかりに、幸せにしてやれなかった人たちだ。このコーギーと同じように、何もしてやれなかった。救えなかったんだよ」
大病を患った家族を、救って欲しい人がいた。
薬学の発達が未熟だったがゆえに、看取るまで寄り添うことしかできなかった。
多額の借金を抱えた人がいた。
異常な体を研究用として裏の社会に流し、それで賄おうとしても足りなかった。
復讐を手伝ってくれと、裂ける胸の痛みを叫ぶ人がいた。
止めろと願う本心を隠し、謀略の一端を担うも、最後は闇に消える背中を見ているしかできなかった。
──全て、リアムを名乗る彼に不足があったばかりに、成し得なかった領民への恩恵。
手伝おう、やってみよう。
そんな毒にしかならなかった甘言を吐いたばかりに、犠牲となってしまった人たち。
それが今、この場に集う怪物たちなのだと、リアムは割れた瓶から水が流れるように心の内を吐露していく。
「全員、俺は覚えている。忘れない、忘れられる訳がない。だからもう良いだろう……。王子、俺を助けるのを止めろ」
「自ら首を括るか」
「騙りは罪だ。彼らが俺を壊すことで贖罪となるのなら、受け入れるさ」
そうすることが、怪物となった者たちの幸福につながるのなら、喜んで。
諦念に染まった笑いは、やはり絵画の人物とは違う色。
領民がしたいことにただ頷くだけの姿は、生きた人間の姿からは程遠い。
人の都合のみで扱われる、象徴と讃えられるだけのがらんどうな銅像。
見ているだけでも虚しくなる彼の印象は、機械や人形と変わらない。
「抵抗の意志が弱いと見ていれば、それが貴様の矜持か。どう感じる、アンナ。生を拒む者の姿は」
いつ首に剣が振り下ろされるか。
群がる怪物たちに、それだけを考えるリアムだったが、アイザックはこれを許さないままだった。
百五十年は生きられる長寿。しかし獲得する手段は不明。
アイザックたちが探す、人格を分離し、それぞれの肉体を形成する力ではない。
だがアンナと並んで、意思疎通が取れる同類を手元における、またとない機会。
これを逃すまいと打算で動くアイザックは、そのもう一人へと声をかける。
「いつぞやの貴様自身を思い出すか?」
リアムを名乗る誰かへ向けられていた、冷たい言葉の刃は、離れた場所で呆然としたままの少女へ向けられた。
アイザックの低い声を当たられ、我に返ったアンナは、怯えと戸惑いを胸に抱えこむ。
自分を素通りしていく、かつていた町の人たちとは違う怪物たち。
そんな彼らの背中を捉えた深い紫の瞳は、ギュッと強く閉じられた。




