表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
29/84

29.The Altruism Lord(6)

 アンナより一回りは下。

 二桁に届くか分からない幼い少女が抱えていたのは、王国で昔から人気を博しているコーギーだった。


 胴長の体に、大幅に取られた黒と腹部の白。

 起きているときは活発に動き回る印象が強い犬だが、今は彼女の腕の中でぐっすりと眠っている。


 表情は穏やかそのものであり、幼い少女が焦るような顔には見えない。

 三人がそう思えたのは束の間だった。


「朝からね、ぜんぜん起きてくれないの。ゆすってもゆすっても、いつもみたいにワンって起きてくれなくて」


 眠るコーギーを抱きしめながら、幼い少女はリアムの下へと近づいていく。


 呼吸していればあるはずの体の上下、これでもかと脱力を感じる全身の様子、どれだけ揺れても開かないまぶた。

 たったこれだけでも、彼女が大切にしている飼い犬がどうなっているのか、想像に難くない。


 ──今朝方、コーギーは眠るように亡くなった。

 そんな結論を、幼い少女が目前にたどり着くまでに出したリアムは、そっと席を立って片膝をつく。


 残された青緑の左目を、幼い少女と同じ高さに合わせ。

 笑わず、泣かず。真実だけを告げると固く誓った声を、彼は解き放った。


「済まない。俺では、この子を助けられない。俺の手には、閉じた目を開ける術はないんだ」

「うそだ。パパもママも、リアムさまなら何でもできるって言ってた! れんきんじゅつで、何でもなおしてくれるって!」

「嘘じゃない、無理なんだ。俺なんかじゃ、死んだものを生き返らせることはできない」


 幼い少女にどれだけ泣かれようと、どれだけ叫ばれようと、どれだけ嘘つきと言われても。

 リアムはずっと、蘇らせることはできないと、言葉を尽くしていく。


 自分は無力な人間だ。皆が考えるほど全能じゃない。

 君の役に立つことができない、どこにでもいる無能なんだ。


 どれだけの言葉の刃が襲いかかろうと、目をそらさずに受け続ける。

 そんな姿勢のリアムに、理解と咀嚼(そしゃく)が追いつかない幼い少女は、嘘つきだって叫び続ける。


「うそだもん。リアムさま、あたしのびょうきも治してくれたし、パパがうで折っちゃったときも、助けてくれた。ぬいぐるみも、おようふくも。みんな、なおしてくれた。だからテディもなおしてよ!」

「それでも──」


 微動だにしないコーギーを抱きしめて、テディと名前を叫ぶ少女の想いは、その締めつけに比例する。

 絶対に離さない。

 天国だろうと地獄だろうと、自分自身の下からは一歩も、どこかには行かせない。


 だからこうしている間に、リアムに魂を戻してもらおう。

 そう高々に告げているのに、肝心の男性は冷たさすらある不変の言葉で、眠る飼い犬を涙で濡らす幼い少女の頭を撫でていく。


「それでも俺にはできないんだ。君と同じ、抱き締めることしか。なくなったものは、もう戻せない」


 金に変えられた鉄も、鋼鉄の腕になる前の生きた腕も、昨日まで生きていた飼い犬も。

 未来へ進んでしまったからこそ、戻らない。


「だからさ、本当の別れのときまでずっと一緒にいよう。土に還るその時まで、彼をそのまま抱いているんだ」


 その上で過去にすがるのなら、(むくろ)を抱いているしかない。

 何をしても目が覚めることはないのだから。


 せめてお墓を作るまで、そのままで。

 俺が出せる妥協点はこれだけだと、まだ生きている右手で幼い少女の飼い犬の頭を撫でるリアムに、彼女は段々と言葉を失っていく。


 幼い少女にとっては、最後の砦だった。

 大好きなパパとママに首を振られ、周りの知り合いも沈痛な面持ちで視線をそらし、抱えたテディは笑ったまま。


 だから何でもできるはずのリアムへ頼みに来たのに、行きついたのは最後まで一緒にいること。


 心のどこかで分かっていた。

 お墓が必要だって、もう元気にワンと鳴いてくれるテディには()えないんだって。


「おわかれ……なのぉ……?」

「ああ。一緒にいられて良かったと、笑うんだ。君が泣いていて、この子は喜ぶかな」

「……うぅん」


 突然の離別ではなく、安らかな旅立ちなのだから。

 空を昇っていくテディを、笑顔で見送ろう。


 そう言い聞かせるリアムに、幼い少女が返すのは短い言葉と頷きだけ。

 残る力は、飼い犬を抱きしめるだけに使われていく。


 そんな様子を黙って見届けていたザックは、そろそろかなと席を立ち、幼い少女を驚かせないようにリアムへ声をかけた。


「リアムさん、何か手伝えることはありますか」

「客人にそんな……。本当に良いのか?」

「泣いてる少女を眺めながらお茶ができるほど、心は腐っていませんから。それに何かしないと、落ち着かないので」

「なら、そこにある小さい冷蔵庫からミルクを。それから戸棚に、ハチミツと砂糖がある。それでホットミルクでも作ってくれ」


 すすり泣いてはいるも、別館へ飛び込んできたときと比べれば、かなり落ち着いてきた幼い少女。

 一段落がついた。そう確信して笑みを取り戻すリアムは、願ってもないとばかりに、ザックの提案を受けいれた。


 物を探すのには苦労するも、その後は可も不可もない動きで甘いホットミルクを作るザックに、後悔を残した表情でリアムは問いかけていく。


「なあ、ザックさん。こういう時って、どうするのが一番なんだろうな」

「僕も分からないな。何があっても平然としていろとは、よく言われたけれど」

「俺もだ。ただそれは違うんだろうなって、今は思ってる。……でも、涙を受け続けるしかないのが、正解とも思ってない」


 飼い犬を離さないと誓った幼い少女を、用意した小さな椅子で休ませて、リアム自身はザックの隣へ。


 泣いている彼女への接し方は、これで良かったのか。

 そう心中をもらすリアムに、ザックもまた同意していく。


 ──置いていかれた者は、どうすればいいのか。

 その答えはないし、胸に渦巻く行き場のない感情も、名前はない。

 ただ欠落だけが残されて、見えなくなった背中を追う。


 だからこそ黒の少女は、いつのまにか幼い少女の隣へ移動していた。


「その子、友だち?」

「うん……」


 今でも記憶に刻まれている、友だちのミアのように。

 幼い少女の隣で膝を抱え、視線はわずかに下へ。


 あの日と同じ、うつむいたアンナは言葉を床へと落としていく。


 けれど今は、そのまま転がらない。ポンと跳ねて、幼い少女の胸の中へ。


「いなくなるの、やだね」

「やだ」

「なんで、いなくなるんだろうね」


 生きているからこそ、終わりがある。

 それが分かっていても、どうしてと嘆く気持ちが、アンナの中に居続けている。


 どうしていなくなったの、どうして置いていったの、どうして約束を守ってくれなかったの。

 どうして、握っていた手を離したの。


 最後まで笑おうとしてくれた友だちに、抱きしめてでも言いたい心の叫び。

 けれど、もうその相手はこの世にいない。


「おねえちゃんも、おともだち、いなくなっちゃったの?」

「うん、ちょっと前に」


 そっかぁ、と相槌を打つ幼い少女。そしてコクリと頷くアンナ。

 どちらも抱えているものに目を落とし、手を繋いでいないのに、相手の体温を感じていく。


「いっしょだね」


 そう言いながら無理をして作った幼い少女の笑い顔に、アンナも真似をして、口元に弧を描いた。

 アンナの深い紫色の瞳が彼女を捉えると、(はかな)さを演出する黒い長髪に、キラリと赤い一筋の流星が差しこまれる。


 誰よりも寄り添ってくれる、知らない年上の少女。

 そんな彼女の赤い光が刻まれた黒い髪に、幼い少女は目を奪われ続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ