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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
27/84

27.The Altruism Lord(4)

 この町の象徴とは?

 そう聞かれた町民たちが、口をそろえて答えるのは、いつの日も同じ人物だった。


「それは勿論、リアム様でしょう。ブロンズロック男爵であらせられるあの方以外に、この地に相応しい人物はいません」


 胸を張り、正された姿勢のまま通路を歩く男性は、自身の言葉に酔いながら語っていく。


 ──そこは町内に存在する、とある記念館。

 当時の面影を残しつつ改装された古い邸宅は、不思議と背中を正す空気の中に、居心地の良さをふくんでいた。


 静謐に包まれた館内で並ぶのは、一世紀以上前の品々。

 貴重な絵画と文献がつづられた羊皮紙をはじめ、当時の流行りであった衣装や小物、厳重に保管された宝石。


 これらの魅力をかみ砕いてまでも、誰かに伝えようとする男性の心意気は、確かな誇りを感じさせる。

 それゆえに、彼の後について説明に耳を傾けていたザックは、興味を隠さず聞き返す。


「なるほど。入り口前に建てられた銅像からして、もしやと思っていましたが、想像以上です。当然、この場にあるものは全て、関わりある物なのでしょう?」

「お目が高い方だ、お客様は。仰る通りです。……どことなく気品を感じさせる、その佇まい。深くは聞きませんが、さぞ良いお家で生まれたのでしょう」

「貴方も仕事に実直な方ですね。そのまま妹の振る舞いにも、多少は目をつぶっていただけると助かる」


 ザックも、記念館を案内する男性も。

 にこやかに、そして互いの距離は均等に。


 一人の客と職員としての立場を明確にしている彼らは、そっと片手同士を重ね合う。


 ザックの手から彼の手へ移るのは、王国発行の紙幣(しへい)

 渡すチップとしては額が多く、青年のいう妹の無礼に対する謝罪も混ぜられていた。


「ははっ、とんでもない。当館のルールを守られている上、ああも興味を持たれているのです。お礼こそすれど、罰するなんてありえません」


 紙幣(しへい)(ふところ)へしまう男性は、ひかえ目な笑い声を上げていく。

 彼が目を向けるのは、二人と足並みをそろえず、気ままに展示物を観賞する黒い少女。


 ザックの妹として紹介されたアンナは、壁に飾られた絵画を複雑な色味で見つめていた。


 やや褪せた部分がある、油絵の具の人物画。

 背景となった室内は、まさに記念館内に存在する一室で、おそらくはラウンジ。

 中心に大きく描かれている人物は、椅子へゆったりと腰かける男性だった。


 描かれるために用意したであろう、洒落(しゃれ)た衣装。

 派手さをもつのはそれぐらいで、背景をふくめ、質素で庶民的な雰囲気が全体を占めている。


 ブロンズロック男爵、リアム・クライングスワロウ。

 そう額縁へ名前を飾られた彼に、どうしてもアンナは目を奪われ続ける。


「知ってる」


 誰にも届けることのない独り言。

 その意味をアンナ自身すら理解できず、しかし絵画の男性を見て思い浮かんだのは、会えなくなってしまった友人、ミアの笑顔だった。


 出ることが怖かった教会の外。

 ミアに手を引かれ、いざ飛び出していった刹那に捉えた、彼女の微笑み。


 悲哀と諦観、そして歓喜を抱きしめた表情は、涙にも濡れていて。

 少女が今目にしている男性もまた、それに近いものを顔に描かれていた。


「お気に召したようですね、お嬢さん。何を隠そう、私もこの絵が大のお気に入りでして。リアム様の偉大さが、これでもかと詰まっている。そう解釈しています」

「偉大さ?」

「ええ。質素倹約(しっそけんやく)、しかし高貴なる義務は身の内に。絢爛は外へ見せるのではなく、内に秘めるもの。そんな領主様だからこそ、今の我々がいる。──と、勝手な想像が過ぎますかね」


 いつの間にかアンナの隣にまで来ていた案内人は、ザックと話すよりも明るい喜色を示しながら、自身の思い描く絵画の読み解きを披露していく。


 絵画の男性──リアムが、庶民に寄り添っていたからこそ、今も町民からの人気を保っている領主足りえた。

 そんな分析を男性がツラツラと語る隣で、少女は無言のまま。


 お邪魔のようですな。

 そう反省する男性は肩をすくめ、代わりに別の展示物を見ていたザックへ問いを投げかけた。


「妹さんはあちらの絵を気に入られたようですが、お客様はどうでしょう。何か、お感じになられるものは?」

「あの絵ですか。感想というには変ですが、元となった背景をじっくりと見てみたいですね」

「これはまた、味のある楽しみ方をご存じで。でしたら、一通り館内を見終わりましたら、ご案内いたします」


 リアムの絵画を見てザックがまず思いついたのは、実物との照らし合わせ。


 当時の様子は絵に収められているも、年月と改装を重ねた現在は、別の背景になっている。

 その二つを比較したいというザックの思いに、案内人の男性はこくりと頷く。


「アンナ、そろそろ次へ行こう。気に入ったのなら、複製画でも買おうか?」

「……別に、いらない」


 ザックの声がけで、アンナはようやく意識をよそへ向ける。

 よほど気に入ったのだと踏んで、売店での複製画の購入を青年が視野に入れるも、少女の首は横に振られていた。


 しかしその前には一拍の間があり、これは買うことになりそうだなと、アンナには見せないようにザックは苦笑をこぼしていく。


「あれがサディアスの言っていた男爵か。当人が存命というのは、まだ信じられないな」

「わたしも。よく似てる人とかだと思う」

「偽名は濃い線だけれど、襲名もありえるね。後は直系の子孫に被り物、整形もかな」


 二人で案内人の誘導に従う中、ひそりと交わされる本来の目的。


 アンナとアイザックのような超常的な存在を調査するため、二年前から町に潜入していたサディアス・テイラーからの、有力な情報。

 それはこの記念館に、例の錬金術師が住んでいるというものだった。


 今は大人しく観光客のフリをしているも、ザックの頭の中は噂の男爵で埋まっている。


 百を超える(よわい)の錬金術師。どんな人物で、いかな異常を身に宿しているのか。

 そして何よりも気になるのが、目に見える異物を、当然として受け入れている町民たちの様子。


 神話から昨今の読み物まで。

 異質な存在は排除の対象であり、アンナとアイザックですらその例に漏れていない。


「僕もキミも、この町みたいな場所で生まれていれば、悩みの種は少なかったのかな」


 ザックがつぶやくもしもの話に、アンナは言葉を返さず前を見たまま。


 その後は少女が捕まるような物も、ザックがうなるような物もなく。

 相槌と談笑の繰り返しで、記念館の通路は彩られていった。


 館内を回り切り、さて次はどうしようかと思案を始めたところで、案内人の言葉が彼らの手を引いていく。


 たどり着いたのは、途中でザックが興味を示していた、絵画で描かれていたラウンジ。

 しかしその場所には、たった一人だけ先客がいた。


 元となった場所を、まるで絵画を描いた人の視点で見るように。

 椅子に座る彼がそこにいる、そう語る背中に、二人は言いようのない違和感を抱く。


「どうも。館内は楽しんで貰えたかな?」


 身を隠すかのような灰色のマントを着る、若い男性。

 彼の黄銅色の髪には覚えがあり、ザックに近い背格好にも引っかかりがある。


 さすがに声は新鮮味を感じるも、男性が振り返った途端、ザックとアンナも目を見張った。


「こんにちは、男爵様。今日はこちらにお出ででしたか」

「ああ。久々にここへ来たくなってね。邪魔している」


 衝撃のあまり、うまく口が利けない二人を置いて、男爵と呼ばれた男性と案内人は会話を続けていく。


 彼はブロンズロック男爵、その人だ。

 そう確信する二人を見るのは、絵画の彼とそっくりな、錆びつき枯れた青銅色の左目だった。

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