23.act-tune - The Queen's Homeland(4)
レイラの執務室に来た担当者によって、衣装室まで連れていかれるアンナ。
首根っこを掴まれ、脱力した全身で諦めを表す少女を、残る二人は静かに見送った。
二人きりとなったアイザックとレイラ。
つなぐ距離感の糸はたゆまず、訪れるのは静寂だけ。
そんな無音の空間にひずみを与えたのは、かしましい女性二人を前に、関心の薄さを貫いたアイザックだった。
「それで姉上。貴女はどこまで知っている」
「どこまでと言われると、困りますね」
「……この手記は、あの書庫にあった物だ。どちらの手元に置くかは、あいつと決めろ」
互いのティーセットだけを残したテーブルを挟み、先程までとは違う冷たい空気が場を満たしていく。
そこで持ちこんだ旅行鞄からアイザックが取り出したのは、一冊の使い込まれた本。
無造作に扱われた形跡のある無題のそれは、開かずの扉で封じられていた書庫から見つかった物。
屋敷の元の持ち主、グリンラック子爵スタンリーの私物であることは間違いなく。
だが傾倒していた魔術に関する書物、というには普遍的な外観。
そんな、どこにでもある個人の手記を差し出されたレイラは、感嘆の声をあげながら受け取った。
「グリンラック子爵の手記ですか。さぞ興味深い内容なのでしょうね」
「期待しても無駄だ。所詮、子爵も人。道から外れられぬと嘆く言しか書かれていない」
おそらく五年は死蔵されていた手記。
両手で丁重。胸の高鳴りを瞳に宿して、中身に目を通すレイラだったが、水を差すようにアイザックはため息をつく。
事実、速読するレイラに刻まれるのは、暗くつづられた想いだけ。
多くの時間と資産、自分を囲む人々の善意。それら全てを無下にしても、断片すら得られなかった悪魔の知恵。
後悔と憤りが煮詰められ、徒労に終わった人生は多色の絶望。
文字で描いた退廃的な絵画。そう言い表せる手記は、赤黒い色で締められていた。
だが──
「子爵様は亡くなった奥方に、もう一度逢いたかったのですね。わざわざ遠方から幸運の印である黒猫を連れてくるほど、愛している方と」
初めに書かれていたのは、雨天で求めたわずかな日差し。
天使の階段を探していたと読み取ったレイラは、嫌悪ではなく共感を手記に向ける。
絶望に首を落とされた最期を、無価値と断ずるアイザック。
今一度の再会をがむしゃらに求める始まりを、理解とともに抱きしめるレイラ。
意見が分かれるも諍いはなく、しかし譲歩もない二人は、空気を乱すことなく話を続けていく。
「しかしザックも無茶をしたものです。その場にブリジットさんが居たのでしょう? 多数の使用人が負傷した中で、唯一無傷だった彼女が」
「お陰でアンナへの過保護が強まった。事あるごとにあれの側に居ようとするなど、面倒この上ない」
書庫を守ろうとして、気に入らない人物を排していた黒猫プリムラ。
その実態はさておいて、血の惨状が繰り広げられる最中、自分だけが傷を負わないという経験は、正負を置いても心に変化を与える。
強運と捉えて自信を持つか、自分だけがと負い目を感じて萎縮するか。
使用人ブリジット・カナルミアが選んだのは後者。
それゆえの不安が露になっていると告げるアイザックは、同時にわずらわしさを言葉に乗せる。
「その上、この手記を書いた子爵様にお会いしたのでしょう? 驚く事ばかりです」
「やはり知っていたか」
「ええ。かい摘まんでですが、フィリップさんから。私からの命ですから、お叱りはなさらぬように」
「元よりする気はない。情報をより早く得る、姉上はそれを実行しているにすぎん」
「では、もう一つ。これは……アンナには聞かせられないことですが」
姉弟仲睦まじく、という雰囲気は蚊帳の外。
血筋の縁どころか近しい者ともいえない、上辺だけの対等な関係性。
そんな遠さを感じる二人は、テーブルを挟んで向かい合ったまま。
「彼女がいた町。確認できているだけでも、一万人は行方不明。町全体も一度に焼失しましたから、復興も見通しが立っていません」
「消えたことによる影響は。この案件を世間にはどう説明する」
「あの町は紡績工場が多かったですから。材料から製品まで、国内外問わずに無視できない被害が。一夜で消えた理由は……メディアや専門家に任せることとしました」
「聞こう」
小さな町とはいえ、工場も抱えていた土地。
突然の人口減少もあり、傷が浅いとは口が裂けてもいえない。
そう言葉を並べていくレイラに、アイザックは意識をそらすことなく続きを促していく。
「慌てて国が言い繕えば、それは数多の邪推を生んでしまう。なので今一番に調査する彼らを立て、それが合っているかもしれないと同意するのです」
「あくまで原因を不明とし、推測でできた道筋に従うと」
「であれば、誰も彼も分からないまま。──国の王子が関わっている、なんて噂は出るかもしれませんが」
「今さら何を言う。私が怪物を探し、見つけた者には褒賞を与える。そう噂を流したのは姉上だあろう」
「風に話しただけですよ。情報は早く、そして多い方が良い。アンナもそうして見つけたではありませんか」
ことさら不満を述べるつもりは無い。
そう口にはするも、無表情に不満の一筋を描いたアイザックは、誤魔化すようにティーカップを口元で傾けた。
「後二つほどありますが、片方はかん口令を敷いています。どうにも処理が難しいものでして」
わざとらしくレイラは困り顔を作る。
その実、苦労を重ねているのか、かみ締めるように間を置いて彼女は話し始めた。
「国中で生きた人間が炭化した。そんな報告がいくつか上がっています。しかも起こった時期は、町の焼失と同日の夜間帯。これはそういうことでしょう?」
「あの町の怪物が紛れていたか。気づく者はいなかったのか」
「一人として。違和感を覚えた時がある、という人もいましたが、大半は慣れてしまったそうです」
「精巧な擬態だな。私が見たものとは比較にならなん」
炭化した人間。
そう聞いてアイザックが思い浮かべたのは、アンナが住んでいた教会に押し寄せる、知性のない人型の黒。
もしそれと同一の存在だった場合、日中は人間に化け、夜は怪物として街を闊歩する。
まさしく怪物であると認める青年に、レイラは興味深げに頷いた。
「どうやらその様ですね。書庫に現れた子爵様も同じだったとか」
「私は炭の山しか見ていない。詳細はあいつに聞け」
「そうですか。では、このお話は後ほど」
これで一区切りとばかりに、ローズマリーのハーブティーをレイラは飲み干す。
しかし再びの沈黙は来ず、口をつぐもうとした彼女に、この最後こそが本題だとアイザックが続きを拾う。
「勿体ぶるのは性に合わん。あの机の中、次の噂とやらがあるのだろう」
「あら、ふふっ……。アイザックは本当に勘が良いわね。もう少し会話を楽しみたかったのだけれど、残念ね。これを渡したら、貴方はすぐにでも帰ってしまうのでしょう?」
「無論だ」
ここへ来たのは王族としての務めを果たすためでも、家族仲を深めるためでもない。
すべてはこの世にいるはずの異常を探すため。
ならば姉弟で見解が一致している、情報の早期入手。
これを達成することこそ、今のアイザックが求めているもの。
それを分かっていながらも、レイラは引き留めるような立ち回りをしていた。
しかし気づかれてしまったと肩をすくめ、静かに席を立つ彼女が向かうのは、青年が指した自身の執務机。
鍵をかけた備え付けの棚から彼女が取り出すのは、一枚の手紙。
ザックの手元に届いたレイラの物とは違い、市販の安物にもかかわらず、その扱いは厳重だった。
「──次の噂は世紀を跨ぐ錬金術師、だそうですよ」
すぐに手紙を渡せと目で訴えるアイザックに、それでもお待ちをと柔らかな笑みを浮かべるレイラ。
そんな二人は意見をぶつけ合うも、けっして争う意思は見せず、ただ停滞の間が生みだされるだけ。
詰まらぬ真似を。そう呟くアイザックだったが、肝心のレイラはこのやり取りこそが目的とばかりに、手紙をちらつかせるばかりだった。




