21.act-tune - The Queen's Homeland(2)
蒸気機関車が駅で足を止め、代わって足となったのは同じ動力を積んだ自動車。
アンナとアイザック、二人を乗せて蒸気自動車が走るのは、王国の中で最も栄えている都市。
首都ネブテッラ。霧が街を守り、蒸気を孕む白の地域。
その中でも栄華を誇る場所へ進んでいく蒸気自動車は、程なくして目的地の全貌を捉えた。
一見して白亜の城と堅実な印象を抱くも、細部を認めるとそれは改めざるを得ない。
空を突き刺す塔が立ち、至るところにあるのは剣のように構えられた尖塔群。
繊細な意匠は宝石を収める箱のように煌びやかで、しかし城としての役割からか装飾された鞘に収まる凶器にも思える。
この城は盾ではない。
権威を切れ味とする剣であり、歯向かえば斯様な刃で斬り捨てる。
そんな辺りに切っ先を向けているような城へ、蒸気自動車は身を収めていった。
「ここが二人の生まれた家」
「ただの生家だ。玉座に興味もなければ、居つく気もない」
アイザックたちの生まれ故郷。ただしく王城であり、前もっての通達によって二人を乗せた車は、すんなりと車輪を回していく。
旅行鞄を手にしたアイザックが、アンナを連れて城内へ足を進めると、待っていたのは規律を重んじる紳士淑女の面々。
しかしどうしたことか、格式高い場所どころか人気の多いところに不慣れなアンナを、通りがかった人々は視線一つ向けるだけ。
それはリードするように少女の前へ出た、アイザックに原因があった。
少ない報せで帰郷した、二重人格の王子。
それがザックならばいざ知らず、今は自他ともに怪物と認めるアイザックの方だ。
加えてそんな王子が連れているのは、正体不明の少女。
余程鈍い頭でなければ目に見えた厄災であり、うかつな真似をすれば不興を買うことは明白。
ならばここは、王族に対する最低限の礼儀を通して、余計な関心は内側へ。
そうすることで難を逃れようとする城内の住人たちは、二人に仮面の表情だけを見せていった。
「ましてやこんな身だ。生来の病が重い者に、継承権は与えんよ」
よそよそしい空気に紛れる人たちには目もくれず、アイザックの意識が捉えるのはアンナだけ。
歩幅は少女に合わせて間隔を狭め、保つのはつかず離れずの距離感。
しかし彼らの歩く様相は、淑女の手を取る紳士ではなく、対等な人間としてのあり方だった。
場を知る人間が先導する。そんな当たり前によって、どこかへ連れていかれているアンナだったが、彼女の視線は窓の外に向くばかり。
ガラスの先にあるのは、世界を染めるかすかな白。
その正体は、働きづめの蒸気機関から生まれた煙たち。
人が通らねば、そちらばかりを気にしていたアンナだったが、アイザックの声にはしっかりと反応を示していく。
「ザックが王さまは無理そうだけど、アイザックもなんだ」
「古くは悪魔憑きと呼ばれるものだ。誰が悪魔の王など良しとする」
「アイザックならいいと思うけど」
例え悪魔だったとしても、悪逆非道の限りは尽くさない。
そんな確信を胸にしたアンナは、初めて出会ったときのことを思い出しながら、前を歩く彼を肯定する。
暗い教会の中、怪物となった人々からわたしたちを守ってくれたのは、他でもない彼だ。
事情はどうであれ、その事実は変わらない。
冷酷に見えたとしても、アイザックは人を救ってくれる。
視線に乗せた少女の思い。それを背中に押し当てるも、続く言葉はすり抜けた証を示してきた。
「先も告げたろう。私は玉座に興味はない。その上、今を治める陛下に続き、次も女王と決まっている」
ゆえに私の出る幕はない。
少女の言をそう払い落としたアイザックは、振り返らずに前を向いたまま。
彼の視線の先は、とある一室。
その部屋は慌ただしく扉が開かれ、中からは整った風貌の男性が現れた。
絵に描いた真面目さと気の良さをそろえ、飾った衣装にも負けない品格を一身に詰めた容姿。
歳はアイザックよりも上。だが三十には届かない若さがあり、ちょうど活力と落ち着きを双方得られるぐらいだ。
そんな彼は、有り体にいえば貴族の息子。
嫌味もなく真っ当に育ち、貴族の務めを立派に果たせる好印象の人物といえる。
だが印象とは違い、端から余裕のなさをこぼす彼は、多大な迷いを含みながら室内へ言葉を投げていく。
「すまない。今は上手く言葉が見つからないが、これだけは誤解しないでくれ。──君は悪くない。悪いのは、ついていけない私の方だ」
謝罪とともに深く頭を下げ、無念をにおわす暗い音。
彼の表情は両手いっぱいの苦虫をかみ潰したようで、肩は震え、足は弾かれるのをけんめいに我慢していた。
「別れよう。私では君とつり合わない」
関係性を断つ一言。それを告げるまでにいくばくかの時を要した男性は、溜めた思いを吐き出した途端、室内へ向けていた目を外してしまう。
待っていたとばかりに楔を解いた足は弾み、駆けはしないが一秒でも早くその場を去りたい気持ちを全面に出した彼は、アンナたちの方へ体を進める。
沈んだ視線。しかし育ちの良さのせいか、人がいると分かるや否や上を向き、アイザックと目が合ってしまった。
彼はアイザックに何かを言おうとするも言葉を詰まらせ、乱雑に舌へ乗せた思いの数々を、苦しそうに胃へと収める。
「申し訳ありません、アイザック殿下。私のような凡庸な男では、貴方様の姉君とは並び立てませんでした」
アイザックが返す間もなく言葉を置いていった彼は、重い足取りで二人の後方へ。
そんな男性を特に気にも留めず、アイザックは彼が開けたままにしてしまった扉へ近づいた。
「またも相手を潰したか。これで幾度目だったか、姉上」
「到着早々、心外な発言ですね、アイザック。破局した私に対して、慰めの一つもないのですか?」
「誰に言っている。頼む相手を間違えるな」
親身になって話を聞いて貰いたいのなら、ザックに頼め。
そう言外に告げるアイザックへ、室内の相手は落ち着き払った声で応対する。
先ほどの男性とのやり取りは、ようは恋人関係の破談だ。
去った男性の様子からすると本意ではなく、やむを得ない理由があったと察せられる。
本人たちにはどうしようもない、悲劇の末路。
そんな想像ができる瞬間だったものの、とうの相手の声には悲哀めいたものは感じられない。
慣れている。そう感じさせる冷静な声音は、アイザックを彷彿とさせる。
「勿論、弟とはお酒でも飲みながら聞いて貰います。ですが、たまには貴方の胸の中で泣いてみたいのですよ」
「戯言を。それをあの者に告げたらどうだ」
室内にいる人物がザックとアイザック、彼らの姉ということは分かった。
さらには似ている部分があると知ったアンナは、おそるおそると中へ顔を覗かせる。
そこは白を基調とした広い執務室。
暗色が目立つザックの部屋とは真逆の印象は、アンナに眩しさをもたらしさ。
そしてその中心。応接の場も兼ねているのか、お茶を広げた席に彼女は座っていた。
「あら、見ない顔。もしかしてザックの恋人ですか?」
冗談なのか、本気なのか。
表情どころか声色すらも霧のようにぼやけている彼女は、アンナの姿を認めると同時に、手にしていたティーカップをテーブルの上へ置く。
一つ一つの所作に音はなく、流れるような動きは美しさすらある。
精巧すぎる人形とも、神の遣いとも思える容姿の彼女は、柔らかな笑みをもってアンナを受けいれた。
「私はレイラ・ドナ・シャーロット。レイラで構いませんよ、可愛らしい怪物さん」
まだ名乗りもしていないのに、アンナの正体を告げる女性。
どこまで知っているのか、その一端すら掴めない彼女と出会ったアンナは、アイザックの陰に隠れたままだった。




