9.家族で楽しい葡萄狩りと生活魔法。
「う゛っ……! ぅぇっ、 ……ゲホッ、…けほっ!」
月日が経ち、じーとしていても汗ばむ季節を迎える頃。
不意に込み上がった吐き気に、涙目になって咽せる。
【ユゥーリィ】の身体の不調は改善の兆しを見せてはいるものの、この手の症状は相変わらず私を時折苦しめる。
だけど寝込む事は月に数度とだいぶ減ったと思うし、その数度も身に覚えがある事が多いので、病気が改善してきていると言うには微妙ではあるけどね。
「ユゥーリィ、大丈夫か?」
「ええ、一時的な事ですから、すぐに落ち着きます」
お父様に掛けられた心配の声を、私はいつも通り問題ないと返す。
せっかくの家族でのお出かけを、こんな程度の事で中止にしたくないと言うのもあるけど、本当にたいした事はないと言うのも本当の事。
私の言葉通り、二分も経たない内に気分は落ち着いて足を進める。
今日は家族でピクニックと言う名の葡萄狩りと桃狩り。
向かう先は、隣村にあるシンフェリア家が所有する果樹園の一つ。
一番高く売れる収穫の初生りの収穫を終えて、第二陣の収穫を前に、恒例の食い倒れ旅行と言うと語弊があるけど、運営に関与していないのに子供の私にとっては似たようなもの。
なにより家族全員揃って楽しみにしている、と言う事が一番大事な事。
【相沢ゆう】にとって偽りの家族であっても、【ユゥーリィ】にとっては掛けがいのない大切で愛おしい家族。
少なくともこの身体が【相沢ゆう】の心に伝えてくれる。
五年間、家族が【ユゥーリィ】に与え伝えた愛情を確かに憶えていると。
まるで【相沢ゆう】に溶け込むかのように。
「今年も楽しみにしていましたから、今でも待ち遠しいです」
「ああ。俺もだ」
大切な家族の時間に、お父様は答えてくれる。
でも……。
「あら、お父様が楽しみにしているのは、去年に仕込んだ葡萄酒では?」
「おいおい、ミレニア勘弁してくれ。
確かにそれも楽しみの一つではあるが、今日は採れたての葡萄の方を楽しみにしているつもりだぞ」
「では、一瓶だけで構いませんね?」
「お前まで、勘弁してくれ」
お父様のお酒の飲み過ぎにお姉様だけではなくお母様からも釘を刺されて、苦笑を浮かべる姿は、少しだけ格好悪いと思う。
でも、そんなお父様も好きだけど。
ちなみにアルフィーお兄様は我関せずと明後日の方向を見ているし、マリアお姉様も明後日の方向を向いている。
どうやら夫婦二人して、お父様側らしい。
「私は、どちらかと言うと桃かな」
「そうね私もそっちの方が楽しみかな。
あっ、忘れていたわ。
ユゥーリィ、去年みたいに桃に頬ずりしちゃ駄目よ。
後で痒い痒いになるんだから」
いまいち憶えていないけど、どうやらユゥーリィは柔らかそうな桃に頬ずりをしたらしい。
でも、その気持ちは分かる。
あのふわふわした感じの見た目の桃色の物体に、漂ってくる優しい甘い香り。
ええ、かぶれさえしなければ、今でもスリスリしたいと思う。
「シンフェリア様、ようこそいらっしゃられました」
「ああ、今年も家族総出で押し掛けさせてもらった」
屋敷から二時間ほどの距離にあるレイモンド村。
何代か前のシンフェリア家が、領内で重要な役割を担わせるために、新たに開拓した村。
それは、この村に来る途中にも話が上がったけど、領内に供給されるお酒の一大産地として。
葡萄酒をメインに、麦酒、芋酒、林檎酒、蜂蜜酒、と種類は豊富と言える。
最近は領外への輸出も始めたらしいけど、その量は他領に比べて多くはないらしい。
豊富とは言えない領内の食料事情の中、大切な穀物を酒に変え。
更には、ただでさえ少ない使える土地を削ってまで酒のために果樹園を広げるのは、一見して愚かな行為に思われるかも知れない。
だけど、人はパンのみで生きる訳ではない。
当然、娯楽としてのお酒が必要とされる事もあるので、領民の不満を解消するために酒の供給を確立しておくのも、領主の大切な役目の一つと言える。
シンフェリア領は山奥のにあるため、比較的水に困る訳でもないので、腐りにくい水であるお酒に拘る風土では無かったらしいのだけど、水晶鉱が見つかってからは、荒くれが多い鉱山夫が集まり、消費が供給に追いつかなくなり、それらの不満を解消するために、お酒の製造を担わせるために、この村が出来上がったと言う歴史を持つらしい。
ただ水が豊富な分、作られるお酒は水代わりの量を求める物ではなく、品質に拘ったお酒を作るため、他領で貴族向けの高価なお酒として売れ始めているとか。
食後に許される限り家族との時間を大切にしているおかげか、最近お母様やお姉様はこう言った事を教えてくれるようになったのは、もの凄く嬉しい。
書物では学べない身近な歴史と社会であり、集団の中で生きてゆく上でこう言った知識は大切だからね。
「うわぁぁ、みずみずしくて美味しそう」
理由はなんであれ、そのお溢れにありつけるのだから、御先祖様にも感謝しなければならない。
果樹園の中にある四阿に案内された場所には、つい先程摘んできたばかりと言う葡萄と桃が、幾つもの籠に山となって積まれ準備をされており、ついでにテーブルの横には陶器の瓶もたくさん用意されている。
中身に関して興味はあるけど、六歳児の私には当分は縁が無い代物なので見なかった事にする。
あの~、お父様、気持ちは分かりますから、早速、瓶の封を開けようとしないでください。
まずは葡萄と桃の乱れ食いが最初です。
「はい、お父様、まずは一番乗りを」
そう言う訳で、早速、美味しそうな葡萄を一房お父様の前に突き出す。
「ぃゃ、あの、ずっと歩いてきたから、この最初の一杯が」
「とても美味しそうですよ」
ええ、分かっていますよ。
分かっていて、敢えて葡萄酒ではなく葡萄を差し出しているんですから。
その一杯の美味しさを知っているからこそ、目の前でそれをやられたくは無いんです。
「さぁ、お兄様もどうぞ」
「……あ、あぁ」
無論、お兄様も例外ではない。
お兄様も巻き込んでおけば、マリアお義姉様も必然と巻き込まれます。
やがてお母様の言葉に促されたお父様が……。
「我が家の可愛い天使も、今日だけは小悪魔に見える」
「そうだな」
葡萄を皮ごと頬張りながらボソッと呟き、お兄様がそれに同意しながら、同じく葡萄を頬張ってくれる姿を横目に見ながら、お姉様と一緒に葡萄を一粒口に入れる。
「「あっま〜〜いっ♪」」
口の中に広がる果汁と甘みに意識が持ってかれた後、同時に同じ感想が飛び出る。
酒造用の品種のため粒は小粒で皮も厚いけど、その分、味が濃くて糖度も高い。
少しだけ酸味と渋みが後に残るものの、甘くて美味しい事には違いないので、お父様じゃないけど、此処まで歩いて来て乾いた喉を潤してくれる分、いっそう美味しく感じる
お姉様と二人で一房食べた後、今度は別の籠の山にある果物用の品種に手を付ける。
こちらの方が糖度は少ない分、香りも良く後味が良いし、さっぱりしている。
量を食べるなら私的にはこっちかな。
お姉様と二人で雑談しながら食べている間に、大人組は去年つけたと言う葡萄酒に舌鼓を打っているのを見て、一房を食べ終えたので桃に行く前に、そんな大人組に近づき葡萄酒の瓶を持つ。
「おお、我が家の天使が酌をしてくれるのかな」
「ええ、お父様にぜひ」
とくとくとく。
お父様とお母様に、そしてお兄様夫妻と順番に葡萄酒を注ぐ。
そんな私をお父様達は愛おしそうに眺めながら、本日二回目らしい乾杯の後。
「おっ!」
「えっ?」
「んっ!」
「なっ?」
それぞれ驚きの声を上げる。
ええ、私がやりました。
瓶を落とさないように、ゆっくりと歩むふりをしての魔力制御。
春先から数ヶ月ので、魔力制御練習の甲斐があって、まだ目標のレベルには到達していないものの、ある程度まで細やかな制御が出来るようになってきており、お父様達が驚かれているのは、その成果の一つ。
今、私が行ったのは、つい最近新たに憶えた魔法の一つで、その名は冷却魔法。
瓶を持った手から魔力を瓶の中にある葡萄酒に放ちながら、活発に動く電子の動きが鈍ってゆくイメージをし続ける。
温度調整には手加減とコツがいるため、それなりに難しいけど、これだけで何故か飲み物が冷えてしまう便利な魔法。
「すごいなユゥーリィは、こんな事もできるようになったのか」
「まだ小さいのに、たいしたものだ」
「でも、これは驚きよね」
「ええ、まったくだわ」
「「「「冷えた葡萄酒が、こんなにも美味しいとは」」」」
お父様達の揃った言葉に、私は嬉しい笑みを浮かべる。
この汗ばむ初夏の季節に、常温で置かれている葡萄酒を十六度くらいにまで冷やせば、それは美味しく感じるはず。
ちなみに、家族には私の魔法の事を少しだけ教えている。
光球魔法はもちろん、種火魔法より少しだけ大きい蝋燭魔法。
髪を乾かすのに便利なドライヤー魔法。
コップ一杯の水を出現させるコップ魔法。
園芸用の小さなシャベルで掘り起こせる程度の耕起魔法。
どれも魔法としては威力の乏しい、細やかな生活魔法。
そしてたった今披露した、冷却魔法を逆にやれば紅茶を温め直す事の出来る保温魔法も、近い内に家族に打ち明けようと思っている。
これから先、ずっと隠して隠し切れるものではないし、こうしておけば私が魔法の練習をしてても不審に思われない。
なにかあったの時には誤魔化しやすいと言う目論見だ。
それと言うのも、シンフェリア家の後継者問題は、ほぼアルフィーお兄様に決まっているものの、その決定を乱すような真似はしたくないため、領地運営にはとても使えない程度の威力しかない魔法としておきたい。
生活にあったら便利、家族の前ではその程度に魔法に抑えておくつもり。
「ついでに私達の分も」
今度は子供用の葡萄の果実水の入った瓶を冷やす。
目標は十度くらいかな、あまり冷やしすぎると香りも抑えられてしまうし、病弱な私の身体にも悪い。
そうして姉妹二人で冷たい果実水に初夏の日差しの火照りを冷ましながら、楽しい家族のひと時を噛み締める。
本当に楽しい一日だった。
2020/03/01 誤字脱字修正




