8.これって、正しい光石の使い方?
当初の予想以上の数を得る事ができた光石は、とりあえず同じくらいの大きさの物が八個あり、これはお姉様に頂いた加工済みの光石と同程度のもので碁石より大きい程度のもの。
他にもお姉様が拾ってくれた、お姉様の掌サイズの光石が一個。
とりあえず今はこれだけ揃えれば十分だし、庭に幾らでも転がっていると分かれば、そう慌てて数を集める必要はない。
欲しい時にまた探せば済む話だからだ。
何にせよ、最初は軽い気持ちで光石のお代わりを要求しただけだったのに、予想以上に大きな収穫だった。
それは数だけの事ではない。
まず一つが、手の平サイズの光石。
お姉様はこれだけ大きいと光らせられないと言っていたけど、試してみたらアッサリと光った。
これはお姉様と私の魔力の大きさの差を示す、明確な証拠の一つと考えられる。
他にも光石のお話からその事は間違いないと思うし、念のためもっと大きい光石でも試したが、そちらもなんなく光らせる事を確認。
じゃあどれくらいの大きさまで光らせられるのか?
そう考え、自分の上半身くらいの庭石に挑戦して所で、石の光り方が違う事に気がつく。
なにが違うかと言うと、光る色が違った。
もしかしてと思って、更に違うサイズの光石に挑戦すると、そちらもまた先程とは違う色で光る。
光る明るさが違い、光石が大きければその光量が減って暗くなると言うのなら分かるけど、色が違う場合に考えられるのは、光石の中に含まれる成分の差。
でも、それは前世での知識での考え方であり法則。
この世界も基本的にはそう変わらないだろう。
だけど前世の世界ではなかった魔法的な要素を考えれば、別の考え方も有り得れるはず。
そしてその場合はと真っ先に浮かんだ事は、もの凄く試す価値のある事だ。
「まずはこれで」
いつものラウンジではなく自室。
空気の入れ替えのため木の板でできた窓を開け放てば、それなりに光が入ってきてはいるものの、水晶のガラスを壁一面に嵌め込まれたラウンジに比べたら薄暗い部屋。
風が入ってきて少し寒いけど、思いついた事を試すには此方の部屋の方が確認しやすい。
念のためにもう一枚上着を重ね着してから、ベッドの上でを壁を背に正座して瞑想の準備をする。
自室だから座禅で良い気もするけど、油断はできない。
私がラウンジにいない事で、体調を崩して寝込んだと心配をして自室を覗かれた日には、きっと心配した分だけ、しっかりとお話し合いが行われるに決まっている。
ケイケンソク、デハナイデスヨ、ホントウデスヨ。
それはともかくとして、まずは手の平サイズの石。
六歳児の私にも十分持てる程度ではあるけど、手の平にずっと乗せたままで持つには少し重いため、膝の上に乗せてからその上に右手をかざす様にして乗せる。
少なくともこの方が集中できそうだ。
数ヶ月の練習のおかげで、一息で出来る様になった魔力制御。
でもそれは魔法を扱う上で、まだまだ階段の入口に立ったに過ぎない事だと私は思っている。
この手の平サイズの光石が私の思うような物ならば、階段の数は益々増える事になると思う。
でも、同時にとても大切な事だと。
「うん、白い」
ある程度整った魔力の流れを受けて光を灯す光石。
お姉様には光らせたれなかったこの大きさの石は確かに白く光っている。
でも、確かめたかったのは光る事では無いため、続けて魔力制御に集中する。
その手に大きく集めていた魔力を、今までとは逆に減らしてゆく。
力を抜くのではなく力を抑えるように、魔力を抜くのではなく抑える。
それは同じようで全く別の事。
同じ太さでも、糸と針金が違うように、力の芯を残したままに魔力を制御する。
魔力の流れを想像し魔力を制御する。
魔力を制御して魔力の流れる糸を、想像で持って創造する。
「ふぅ…、ふぅ……っ…」
やっぱりと言うか予想以上と言うか、初めて試みる魔力の制御方法に身体が悲鳴を上げ、少し肌寒いはずの自室の気温にも関わらず額には汗が浮かび、既に背中は汗で服が張り付いている程。
でも、その甲斐はあった。
白く光っていた光石は、次第にその色を変化させてゆく。
黄、緑、燈、赤、そして次が何故か青、藍、紫と変化してゆき、今の私が想像できる魔力の糸が、ある細さの所まで小さくなると、光石はその灯火は完全に消えて、ただの石へと戻る。
光石は魔力の力の大きさによって、その光り方が変わる石。
そして、その光方も徐々にではなく突如として変わる。
まるで断層があるかのように。
今、分かっただけでも九段階。
魔力不足で光っていない時と白く光る時の二つ、その二つの僅かな境目の中に更に七段階の階層がある。
多分、この差は石の大きさに比例する。
だから指先ほどのサイズの石では、光るか光らないかになるのだと思う。
そして、それが示す事の一つに。
「光よっ」
久しぶりに声に出して魔法を発動させる。
でも、いつもとは違う魔法の光球。
輝く光強さも多少の差があるものの、一番の違いはその大きさ。
いつもならばバスケットボールぐらいの大きさなのに対して、今はピンポン球くらいの大きさ。
でもそれは外見的な差でしか無い。
今の発動した光球魔法は魔力を集めていない。
瞑想で魔力の流れを整えただけの状態のまま、手の平に魔力の糸の芯を通して発動させただけ。
その事に自分の固定概念が、魔力制御の邪魔をしていたのだと気がつく。
最初はそれが魔力と言うものだと気がつかずに、病気による症状の一つだと思い込んでいた。
そして今回は、魔力を集中して掻き集める物だと誤解していた。
魔力制御と言う言葉の本質からすれば、今放った魔法の制御の方が正解なのだろう。
極端な例え話で言えば、今までは魔法を零か百。
つまり魔法を発動させるか、させないかの制御でしかなかった。
そして今放ったのは五十の力の魔法。
漫画やゲームでは、魔法の威力は魔法の種類で変えていたから、その考えの癖が染みついていたんだと思う。
ギラ、ベギラマ、ベギラゴンとかね。
でも、今回気が付いた事で、魔法を使うための練習から、魔法の威力を制御する練習になる。
そう抑えるではなく制御。
今までの魔法を一から百にした場合、その範囲の魔力の大きさ自在な制御だけでなく、今までとおり魔力を一点に集める訓練も同時に行えば、一から二百でも三百でも、汎用性の高い魔力制御を身に付ける事が出来るはず。
そしてもう一つ大事な事を発見した事がある。
こっちは、もともと考えていた事でもある訳なんだけど。
光石を複数個欲しかった理由は、単純に両手で魔法を発動できたら格好良くない? と言う厨二的発想が発端。
今後どれだけの魔法を身につけられるかは分からない。
同時に魔法を幾つも発動できたら、その汎用性が広がると思ったし、その一つに魔法の結界とか盾を身につけられたら、魔法の失敗による被害を抑えれるのではないかと考えたから。
自分の放った魔法に巻き込まれて自爆しましたなんて事は、笑い話にもならないからね。
その要となる技術として、魔力の糸の発想。
魔力の強弱だけでなく、糸ならば、本数を増やしやすい上に制御もしやすいのではないか?
そう思い付いた時、某聖杯戦争のゲームに使われていた【魔力回路】と言う言葉を思い出す。
神経や筋肉繊維の裏に、魔力回路があるものとして幻視する。
前世の義務教育のおかげで、人に流れる血管や神経、そして筋肉など人体構造の知識がある私にとって、その方がイメージしやすい。
「まずは両手に持った光石を、順番に光らせられる様になる所からかな」
右手左手と交互に光らせたり同時に光らせたりできるようにする。
これが出来るようになれば、魔力回路が二つになった事になるはず。
そのために、最初は今までのように魔力を集中させる必要はなく、ただ魔力回路をオンオフを繰り返す。
これが出来たら、今度は指の間に挟み持った石を順番に光らせる。
ただ気を付けないといけなのは、両手と違って隣の石を誤って光らせたりしないように気をつける事。
これは魔法を複数使った場合でも、魔力を分散させる事なく一点に集中させる事を目的としているけど、今の私からしたらとても細かい制御だと思う。
でも本番はその後で、それが出来る様になったら、魔力の強弱の制御。
最終的には両手指に挟んだ八つの石を別々の色に光らせ巡らせる。
それができたら石の大きさを変えて、それを繰り返す。
贅沢を言うなら足でも出来るようになりたい。
「うわぁ…、我ながらやる事がいっぱいだ」
思い付いた困難な練習計画に悲鳴を上げる。
でもきっと笑みを浮かべているとも思う。
だって、ワクワクするから。
前世ではなかった魔法を使う。
これだけでもワクワクするのに、その魔法を本当の意味で使いこなせたら、どれだけ楽しい事になるか、そう思わないと言ったら嘘になる。
でも私を一番ワクワクさせているのが、未知への探究心。
これが出来る様になったら、次は何をやろうか。
これが出来る様になったら、何が出来る様になるのか。
それが物凄く心を躍らせる。
まるで冒険を前にした、子供のように。
2020/03/01 誤字脱字修正




