74.書籍ギルトと交戦、じゃなく交渉です。
「これが件の魔導具ですか。素晴らしい」
ライラさんのお店に身を寄せて三日目。
事前に聞いていた話ですと、どうやら書籍ギルドの方らしいんだけど。
「……えーと」
「失礼しました。
書籍ギルド、コンフォード領支部の支部長を務めさせてもらっています、ラフェル・マイヤーソンと言います」
「ごめんね。紹介する前にいきなりこんな事で。
普通は私が紹介するものなのに、貴族を相手に自分で名乗るのはありえないから。
そう言う訳で、今、言った通りの人なのは私が保証するから」
「いえ、私はもう貴族ではないので構いません。
ユゥーリィと言います。家名は御容赦の程を」
挨拶をする暇もなく、試作品のトレース台を見つけたラフェルさんは、興奮するようにトレース台を弄っていたのだけど。
ようやく思い出したようで挨拶をしてくださったのを、ライラさんが叱責した。
貴族社会では、親交を深めようとする相手と初対面の時は、基本的に当人同士の名乗り上げはしない。
必ず両者の知人を介して紹介してもらうのが暗黙の了解。
両者に共通する知人がいない場合は、それを知る知人を紹介して貰い、目的の相手に巡り合えるまで、それを只管に繰り返す。
無論、いくつかの例外はあるけど、基本的にはそう言う流れになっている。
もっとも、家を出た今の私には関係のない話には違いない訳で。
「そんなこと言われなくても分かっています。
これでも、子爵家に嫁いだ身ですからね、つい興奮して我を忘れてしまっただけよ」
浅い緑の髪の成熟した女性の方なのだけど、言葉遣いからしてライラさんとは随分と親しい間柄のようだ。
「それと、仮にも伯母に向かって、そう言う言い方はないでしょ。
此方のお嬢さんが驚いてらっしゃるじゃない」
「たとえ伯母でも間違った事をしたなら、怒られて当然じゃない。
だいたい嫁入りとは言え、伯母さんも貴族の端くれなら、ちゃんと守りなさいっての」
「相変わらずね」
なんと言うか互いに信頼しあっているジャレ合いみたいで、つい目元が緩んでしまう。
こう言う信頼関係を築けている事が羨ましいと。
そして大切な物だで、……私が捨ててしまった物だと。
「あらためて落ち着いて話しましょうか、ライラお茶ぐらいは出してくれるんでしょうね?」
「人をなんだと思っているのよ。
当然、出すに決まっているじゃない、安物だけど」
ライラさんがお茶を煎れている間に、ラフェルさんは再び試作品を弄りだし、実際に使用してみたりしている。
試し書きにしているのは、何故かお姉様の本だったりするけど。
意外と早い手つきで一枚を描き切る頃に、ライラさんがお茶を持って戻られる。
「もう始めているの?」
「まさか、試用してみただけよ。
貴女抜きで話を始めていたら、また怒鳴られかねないもの」
「常識のある伯母でよかったわ」
「言ってなさい」
互いに笑みを交わしながら、お茶を吸う口飲んで落ち着いたところに。
「ユゥーリィさんでしたわね。
先程も述べましたけど、素晴らしいわね、これ。
下からハッキリと書くべき線が出るし主線以外にもちゃんと映し出されている。
紙の下が硬いから描きやすいし、その下の紙にインクが滲み移る事もないわ。
魔導具と聞いていたから、疲れやすいかと思ったけど、全然そんな事はないし」
「ありがとうございます。
ただライラさんにも説明したのですが、魔導具としての寿命がどれだけ保つかは、まだ不明です。
これを作ってからそう経っていませんが、安定度からして二、三年は持つと思うのですが、寿命が五年なのか、それとも十年なのかはちょっと。
流石に無いとは思うのですが、最悪、半年後に寿命を迎えるという可能性も無きにしも非あらずです」
陶器の小瓶と違って、硝子と銅板を魔法石化した物は、刻んだ魔法陣はしっかりと安定している。
この辺りは材質の差なのだと思うけど、如何せん私にはそこ迄の知識と経験がない。
「他にも材料の入手に少し問題がありまして」
「ええ、それ等の事は一応はライラから聞いています。
詳しい事情までは知りませんし、関与する気もありませんが、ユゥーリィさんに御迷惑をおかけしないように材料を入手してみせます。
それと魔導具の寿命に関しては、今のところは考えていません。
新しい物には、そう言った不安は付き纏う物ですし、それを待っていては期を失ってしまいます。
あくまで当ギルドへの将来の投資的な意味も含めていますので、それ等全てを了承した上での依頼とお考えください」
流暢でゆっくりと言葉を紡ぐのは、きっと私を安心させるためなのだと思う。
思うんだけど。
「失礼ながら、投資的な意味合いを含めても、随分と条件が良いと思うのですが?」
「そうですね、そう思われても仕方ありませんが、正直なところ、まともな絵や図のある写本と、筆舌に尽くしがたい写本との差に昔から悩まされていまして」
「まさか、上手い絵も下手な絵も同じ値段とか?」
「……ええ、その通りで」
「苦情が多そうですね」
「……そのため、いっその事、絵や図を無しでの写本が出回っているのですが、そう言う事が出来ない本もあります。
かと言って、絵を専門にする方に依頼すると、時間もお金も掛かる一方でして。
何よりもこの様な魔導具を制作してくださる方はまず無いので、この機会を逃すと次に何時機会が訪れる事か」
いろいろな意味で、絵や図のある本の写本は利益が出辛い訳か。
なるほど、要は買い続けるから、問題が出たらどんどん改善していってくれと言う事か。
私からしたら、商品の改善はある意味当然の事なんだけど、この世界だとその辺りはまだまだなのだろうし、特に魔導具はその辺りの傾向が強そうにも思える。
だからこその投資的な意味合いの依頼か。
「ライラさん、確か以前に百は覚悟してほしいと言ってましたね」
「ええ、今はもう少し増えているかな」
そう言って、部屋の隅に積み上げられている手紙の束の山に視線を送る。
あれが全部嘆願書だったら少し程度で済むのだろうか?
よし、今はその事は深く考えないでおこう。
「では、まず二十作って、三ヶ月程様子を見て、改善すべき所を洗い出し、そこからまた改善した物を三十作って、半年ほど待ってから、更に改善した物を残りの数というのは如何でしょうか?
時間は掛かりますが、当初は三年待って戴く予定でしたので、問題はないかと思いますが。
無論、試用期間をもう少し長く取ってもらっても構いません」
碌に試用もしていない商品を、いきなり大量に納めるのは抵抗があるし、もし何か致命的な不具合があればお互いに損失を与えてしまう。
相手には金銭的な意味で、私的には信頼という意味で。
かと言って、ライラさんやラフェルさんの様子だと、一刻でも早く要しているようだし。
なら、せめて小出しにして、少しでも良い製品に仕上げて行くべきだと思う。
「ユゥーリィさんが、それで構わないというのであれば、此方としてはありがたい話なのですが。
本当にそれでよろしいので?」
「未完成の物を世に多く出しても仕方ありませんので。
その代わり、改善点や問題点の纏めは、そちらでお願いする事になります。
私事で申し訳ありませんが、今現在、あまり私の名前が外に出るのは避けたい事ですので」
それは当然の事だと、快く受けてくださったのでありがたい。
集計が面倒だと言う思いもあっただけに、もっともらしい理由付けが通って良かった。
あと問題なのは……。
「それから金額に関しては、伺っている話ですと原材料費が一つにつき銀貨四枚程と聞いておりますので、銀板貨五枚では如何でしょうか?」
「コッフェル爺の所だと大体二十倍が相場だけどね」
「ライラ、口を出さないで欲しいんだけど」
「この子を保護している身としては、あまり安く見積もってもらっては、私の立場がないわ」
「それは分かるけど、本当に相変わらず変なところで頑固よね」
何かまた言い合いが始まったけど、当人を置いて勝手に話を進めないで欲しい。
「失礼ですが、原材料費に関しては、私がまだ実家との関係が良好だった頃の値段です。
今となってはその価格で取引出来るかも怪しいですし、元々の価格も身内価格であった可能性もありますので、価格に関しては材料の仕入れが出来てからと言う事で如何でしょうか?」
「なるほど、道理ですね。
では今日は此処までと言う事で」
「はい、よろしくお願いいたします」
とりあえず今日の打ち合わせはこんな所だろう。
お互いの緊張が取れ、部屋の空気が一気に変わる。
変わるんだけど……。
「ふぅぅ……、ライラ、本当に大丈夫なのね?
何か困った事があったら迷わず相談に来なさいよ」
「大丈夫よ、少し変わってはいるけど、良い子だもの」
何やら人の事で、意味不明の会話をするのは止めて欲しいです。
たぶん私が此処に身を寄せている事で、私が思っている以上に、ライラさんに何らかの負担が掛かっている事を言っているのだと思う。
思うんだけど……。
「あのう、もしかして私が此処にいる事で、縁談のお話に影響が出そうとかですか?」
「ないない。そっちは今のところ順調だし、ゆうちゃんは気にしなくても良いわよ。
伯母さんが心配症なだけだから」
どうやら私の見当違いだったようだ。
私の言葉に、いきなり何を言い出すのかと言う表情に、安堵の息を吐く。
もしそんな事になっていたら、本当に申し訳なさすぎて、顔を見る事もできなくなってしまう。
「……なるほどね」
「ん?」
「いえ、取りごし苦労かなと思って。
そうそう、良い商談になりそうだから、前祝いを兼ねて食べに行かない?
実はもう予約してあるの、なかなか手に入らない良いお肉が手に入ったって言ってたから、運が良かったわ」
「伯母さん持ちなら喜んで」
「当然、経費で落とすわよ。
いい商談をするための基本よ」
確かにそうなんだけど、それって相手次第の話だと思うんだけど。
私みたいな駆け出しの魔導具師、しかも子供相手に、そう言うのって必要なのかと思ってしまう。
「それに私もかなり楽しみなのよ。
なんとペンペン鳥のお肉が手に入ったんですって。
最近、偶に手に入るらしいんだけど、滅多に手に入らない事には違いないから」
「……」
「……」
「ん? どうしたの、二人ともえらく反応が薄いけど?」
うん、言えない。
とても朝食にクラブサンドにして食べましただなんて。
いえ、楽しみですよ、此方の世界の高級料理。
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三人前で、ペンペン鳥一匹分のお値段とは恐るべし。
鳥と言っても豚より小さいくらいの大きさなので、可食部位が四割チョイだとしても、何十人分もの肉が取れるはず。
いえ、こう言うお高いお店だと良い部位の所だけ使っているんでしょうし、コース料理だったから一概には言えない。
それでも時価って、怖すぎます。




