70.私、お嫁になんていきません。
「明日、お帰りになられる予定です」
「わざわざお知らせくださり、ありがとうございます。
長旅のところお疲れでしょう。
早くご家族の方へ、元気なお顔を見せてあげてください」
お父様達と一緒に行かれていた商会のお偉いさんの一人、ドリノアさんがお父様達が予定日より一日遅れて帰られる事を知らせにきてくれた。
詳しい事は聞いていないけど、貴族同士の事情など、私が聞いても仕方ない事だろうから、話してくれていたとしても、たいしたリアクションは取れない。
ただ、そうですかとしか言えなかっただろうと思う。
「お休みだった淑女教育も明日で終わりかぁ。
今の内に自由を満喫しておこうかな」
そうは言ってみたけど、結局、やる事に大差はないかな。
いつも通りの日課をやって、魔法の研究か、実施練習を兼ねて狩りに行くくらい。
もう冬に入り始めているので、この辺りの山奥の野生動物達はすでに冬眠準備に入っているから、行くとしたら遥か南方にあるリズドの街の近くの山。
かと言って、この時期に山奥に行く振りして、其方に狩りに行くにしても、そろそろ怪しまれかねない季節。
先日の狩猟の大成果もあるから、自重をしておいた方が良いかと判断。
残念だけど先日の大成果をもって、春まではお預けかな。
「でも美味しかったなぁ」
先日の大成果の代表格。
幻のお肉と呼ばれる、ある魔獣のお肉。
魔獣:白角兎
冬にだけ地面の奥深くから姿を見せると言う魔獣で、これも数少ない私の歳でも買い取ってくれる魔獣。
来週には十二歳になるとは言え、十五になるまではまだ三年ある私にとって、こう言った買取してくれる魔獣は非常にありがたい金蔓、もとい収入源。
しかも、ペンペン鳥よりも高額買取品です。
理由はほっぺが落ちる以前に、口にした瞬間に意識が恍惚となるほどの旨味。
ええ、一人前をご厚意で食べさせていただきました。
お肉屋さんの店主が、獲物を持ってきた私に大興奮。
獲ってきた者の当然の権利だと言って、その場で一人前を焼いてくれました。
あまりの美味しさに、二口目、三口目と続き、気がついたら無くなってましたよ。
誰ですか私のお肉を食べたのは!
はい私です。
店長さんナイスツッコミです。
あっ、私の反応はよく分かると、このお肉を食べた者が辿る道なんですね。
ちなみにこの、白角兎。
兎と言っても可愛くないです。
ええ、牛並みの大きさの兎を可愛いとは思えません。
牙だってその大きさですから、凶悪なものです。
そのくせして地上にいる時は草食なので、比較的安全な魔獣という事になっていますが、噛まない訳ではないです。
襲ってきた相手を、その凶悪な牙で相手を噛みちぎったり、その体重と強靭な脚力で持って放つ突撃は、頭部の鋭い角で相手を簡単に貫きます。
たとえ角が無くても相手を圧死させる威力です。
しかも【土】属性魔法を使うので、周りの土を柔らかくして相手の動きを鈍らせたり、強大な図体のくせにあっと言う間に地中に逃げ込んだりと、狩るのが難しい魔物だと、いつか読んだ書物の中に書いてあったのを思い出す。
「狩るのは、意外に簡単だったけどね」
普段、地中に暮らしている彼等が、この時期にだけ地上に出てくる理由は簡単。
恋の季節だからだ。
素敵な出会いを求めて、己が遺伝子を相手に注ぐために地上に出てきている。
そして、自然界のこの手の掟の大半が女性優位。
つまり選ぶ権利はメス側にあり、男性、もといオスは必死にメスにアピールする訳だけど。
その求愛行動が、オスが互いに立ち上がっての押し退け合いによる力勝負。
メスはその周りで同じく立ち上がって見守っている。
なんと言うか、鳥獣戯画の相撲をみている感じだった。
メスは勝った方を選ぶか、両方とも選ばないかになるけど、後者の場合は何故か両オスともメスの後ろ足で蹴り飛ばされると言う哀れぶりらしいけど、その場面には出会わした事がないので真偽は不明。
何が言いたいかと言うと、そのアピールタイムは三匹とも目の前の事に意識が集中している真っ最中。
しかも全力の押し合いであまり動かないと言う、絶好の機会ぶり。
ぷす。
ぷす。
ぷす。
三匹とも魔法で強化され矢によって、額に穴を開けて一瞬でした。
ええ、空間レーダーでそれらしい反応が固まっていそうだったので、駆けつけたらあっと言う間です。
白角兎の狩り方のポイントとしては、結局はこのタイミングに出会うか、出会わないかなのだと思う。
いくら警戒が強く逃げ足が早くとも、目の前の人生を賭けた恋愛に夢中になっていれば、そりゃあ大きなスキも生まれると言うものです。
え? いつか馬に蹴られる?
大丈夫です。その前にその馬も狩ってあげますから。
馬肉って意外に美味しいんですよ、皮や毛も使い道が多いですし。
「しかも、懐にも美味しかった」
角を除いたお肉と皮だけで、オスが二匹で金貨二枚と銀板貨五枚なのに対して、メスが一匹で金貨二枚。
しかも、角と肝は魔導具の材料にも薬の材料にもなるらしいので、競りにかけられるとか。
そちらは今度行った時に貰う事になっているけど、三体分で金貨一枚は硬いらしい。
肝心の魔石は、今回は一つだけ戴いた。
さすがに軍事転用できる大きさの魔石を、私が趣味で使い潰して許されるほど、この世界は平和ではない。
店長さんに、なるべくならキチンとした魔導具師に回して欲しいと言われたら、私としては断れない。
私が一つ確保した物も、同重量分くらいの小さな魔石となら交換する旨は伝えてあるので、そちらもなるべく早い内に、上質の魔石を欲する魔導具師が用意してくれるみたい。
なんでも、白角兎の魔石は土属性の魔導具にするのに凄く相性が良いらしく、同重量分とは言え、ただの小さな魔石とでは比較にならないらしく、たぶんかなり割増してくれるとの事。
ええ、兵器転用を考えていない私としては、その方が大変助かります。
「しょうがない、今日は本の続きを書きあげるかな」
何をとは聞かないでくださいね。
ええ、心の奥底の誰かさんが喜んでいるアレの続きです。
もうすぐ一冊分が書き上がるので、この冬中にもう二冊書き上げるのを目標にするのも良いかもしれません。
伝達経緯はどうあれ、エリシィーも続きが気になっているようですから。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「おかえりなさいませお父様、お母様。
それとアルフィーお兄様にマリヤお義姉様。
アルティアは、良い子にできていたかな?」
玄関で父様達を、満面の笑顔でもってお迎えいたします。
ええ、無論、心からの笑顔ですよ。
いくら一人を満喫していたと言っても、寂しくない訳ではないですから。
家族であるお父様達がこうして無事に帰ってきたのなら、自然と笑みも出ると言うものです。
「ただいま。儂の為にわざわざお粧しして出迎えてくれたのかい」
「もちろんです」
「そう言う心遣いができるようになって、母は嬉しいです」
「はい、明日から、またご指導の程よろしくお願いします」
無論、心の中ではお手柔らかにと、願っていますけど、それは流石に顔に出しません。
ええ、それくらいの事は身につけさせられました。
「こうして抱きついてきて、ユゥーリィは甘えん坊だな」
「いえいえ、親愛の情を示しているだけですよ。
それよりもお兄様、ちゃんと次期当主として振る舞えれたか、私は心配でしたが」
「手厳しいな。
だが大きな失敗をした記憶はないから大丈夫だ」
「ええ、あれくらいの小さな失敗は、話の華になる程度です」
「バラすな」
相変わらずお義兄様とお義姉様は仲が良いようで、なにより。
もしかすると来年には、第二子が誕生しているかもと思うほど。
「おねえさま、アルはいいこにできました」
「アルティアは良い子ね。お姉ちゃんはできると信じてたわ。
うん、なに一つ心配してなかったわよ。ん〜〜〜、すべすべのほっぺが可愛い♪」
「……俺の時とは随分と待遇に差が」
お兄様、実の子供を相手に妬かないでください。
だいたい、ほっぺにぷにぷにと頬ずりするぐらい良いじゃないですか。
あと十年もすれば、このすべすべの可愛いほっぺは見る影も無くなってしまうんでしょうから、今だけの特権です。
あっ、お兄様はいいですから、お髭が痛いし、もうそう言う歳じゃないですから。
マリヤお義姉様、アルフィーお兄様をお願いします、最近はすぐに拗ねるんですから。
戻ってきた日常に、私は少なからず心を躍らせる。
でも残念。今日は皆んな長旅でお疲れでしょうから、早々に解散です。
一日、馬車に揺らされているでしょうから夕食も軽くです。
ええ、雪が降る前に、と言う事で馬車を急がせたみたいですから。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
コンコンコン。
ノックを三回は親密な者の証であり合図。
お父様の書斎兼執務室ですから、場所的には本当は四回なのでしょうけど、夜なので此れで正解。
「ああ、入れ」
「失礼いたします」
夕食後、お父様から暫くしたら来るように呼ばれていた。
もしかすると留守中に、私が何かやらかしていないかの確認なのかもしれない。
お疲れでしょうから、そんな事は明日にでもと思うのですが、夏の一件があるので、全面的に信頼しろと言う方が無理かもしれない。
ならばとっとと用件を済ませて、お父様を休ませてあげねば。
「少し話があってな。
お前は、幾つになったかな」
「もう、娘の歳ぐらい覚えていてください。
十一歳で、来週には十二歳になります」
少しだけ、怒ってま〜すと言う声音を含ませて言って見せる私に、お父様は『そうか』とだけ言って、息をゆっくり吐きながら深く椅子に座られる。
やはりだいぶお疲れのようだ。
「お前の輿入れが決まった」
「………ぇ?」
一体、何を言っているのか分からなかった。
輿入れ? こしいれ?
つまり結婚?
誰の?
「相手は、フェルガルド伯爵家の次男、ギルバード殿だ。
お前もミレニアの結婚式の時に、一度会っているはずだ」
「ちょ、ちょとま・」
「男爵家の次女を相手に、まずないほどの良縁だ。
しかも先方から望まれての事。
式は春に行う予定だが、お前さえ良ければ、冬を前に先方で行儀見習をしてもらっても良いとの事だ」
わ、訳が分からない。
伯爵家とか次男とか、そんなのはどうでもいい話で。
「ま、待ってください!
私まだ十一ですよっ!」
「だがもう十二だ」
「早すぎます!
普通は成人してからでは無いですかっ」
あまりと言えば急な話に、自然と声が高くなる。
こんな言い方は、お父様に失礼だと分かってはいても、とても抑えれそうもない。
「十二ならば、ない話では無い。
それにな、先方はお前の病気の事を知った上での話だ。
最悪の事を考えれば、そう言う事態になる前に血を残したいと」
血の気が音を立てて引いていくのを感じる。
お父様の言っている事の意味が、頭の中に浸透してゆく度に、鳥肌が立ってゆく。
お父様に対してでは無い。
十二にもならない子供を、孕ませるために寄越せと言う、貴族の感覚に。
自分で言うのもなんだけど、私は病気の影響のせいか身体が小さい。
それこそ見た目は十歳なみか、それ以下と言われている。
だと言うのに、それを知っていて、そう言う事を平気で言ってくる相手に、本気で反吐が出そうになるし、怒り心頭で怒鳴り散らかしたくなる。
「相手は次男とは言え伯爵家。
こちらは男爵家の次女、…しかも病気持ちのな。
年齢差の事はともかくとして、普通に考えればこんな良縁はまずない話だろう。
お前も貴族の娘として、義務を果たす覚悟はできているはずだ」
それなのに平気でそんな事を言ってくるお父様に、その怒りをぶつけ、……ぶつけそうになって思い止まる。
怒りをぶつけそうになったお父様を見て、ぶつける相手が違うのだと。
そう感じた切っ掛けは、お父様の震えている肩と腕。
机の上に視線を落としたまま、私と視線を合わせまいとする瞳は充血している。
なにより、こんな事を言うお父様自身が、一番苦しんでいるのだと。
そう考えると、お父様の言葉が変だったのにも気がつく、何度も同じ事を言ったりしているのは、自分を少しでも納得させるため。
なによりお父様は、ずっと私の事を『ユゥーリィ』ではなく『お前』と呼んでいた。
名前で呼んでしまえば、耐えていたものが崩れてしまいそうになるかのように。
お父様は戦ってらっしゃるのだ。
貴族としての自分と……。
領主としての自分と……。
そして、親としての自分と……。
「お父様、その話は断れませんか?」
だから私も戦わなければいけない。
もう決めてきた事だから……。
お父様より、ずっと長い時間を戴いて。
「無理だな、断る理由がない。
なにより、私はシンフェリア家の当主として、フェルガルド伯爵家当主の要請に応えるべき義務がある」
そうでしょうね。
よほどの理由がない限り、寄子は寄親の要請を断れない。
理由なくして要請を断るという事は、貴族社会の秩序を壊す事になるからだ。
そんな事をすれば、シンフェリア家は突き上げを喰らい、貴族ではいられなくなる。
そして、そのよほどの理由には、娘の意思などは入らない。
それが貴族社会であり、貴族社会にとってそれだけの話だからだ。
分かってはいた事だけど、どうしても確認したかった。
「お父様・」
「頭を冷やせ。
もしお前がその先を言うのであれば、儂はお前に出て行けと言うしかなくなる。
この屋敷はもちろん、領内にいる事すら許す訳にはいかん」
私の言葉を遮ってのお父様の言葉に心が締め付けられそうになる。
冷たく硬い言葉に、身体が冷たくなってゆくのが分かる。
でもだからこそ分かってしまう。
お父様はそれを言いたくないからこそ、私の言葉を遮ったのだと。
苦悩の果ての決断だと言う事が痛いほど分かる。
そしてその言葉の裏にあるものも。
「私はいつも感謝してきました。
病気がちの私を此処まで育て、愛してくださった家族を。
見守り、時には力を貸してくださった、シンフェリアの人達を。
本当に私は色々な物を貰ってばかりで、いつかこの恩のお返しはしなければならないと言い聞かせてもきました」
脳裏に浮かぶのは、お父様、お母様、アルフィーお兄様にダルダックお兄様、ミレニアお姉様はもちろんの事、マリヤお義姉様やアルティアの事。
そして、エリシィーの事。
皆んなが居なかったら、私の事を愛してくれなかったら、私はこうして生きていなかったと言える。
無論、コギットさんやダントンさん等の皆んなも。
皆んなの力と想いがあったからこそ、私は今こうして立っていられる。
ああ、今、こうしていても、いっぱい思い出せる。
その事を分かった上で、私は選ぼうとしている。
自然と目が熱くなり、何かが流れ出てゆく。
それは涙なんかではなく、想いが流れてゆくからだ。
とても痛くて、……悲しい想いが。
でも足を進めなければいけない。
どんなに歯を食いしばっても、進むと決めたのだから。
どこまでも自分勝手な選択を。
「お父様。私は、お嫁になんていきません」
---------- 第一章 〜幼少期編〜 完 ----------




