63.私、襲われちゃいました。ええ、いっぱい触られたんです。
表面的には終息したお兄様との確執。
不名誉な嫌疑をかけられ、冷静に怒れるお兄様を、苦笑しながらも謝罪するお母様。
でもお母様、お兄様をあしらいながら此方を睨まれても困ります。
ええ、私がバラしちゃいましたから、こんな事態になってはいると理解してますよ。
でもバレたからには、こうなっても仕方ないとお母様も思っているからこそ、黙ってお兄様からの言葉を受け止めている訳でしょう。
お母様の言葉が、お兄様や私を傷つけないための事と言うのは、私も十分に理解しています。
ええ、ですから、これは八つ当たりです。逆ギレです。
前世で男の記憶をハッキリ持つ私が、男に、しかも実の兄に犯されるかもしれない、そんな在りもしない恐怖に怯えたのはお母様のせいですから。
むろん、お兄様と和解した事は喜んでくださいましたから、私もお兄様もこれっきりの話にするつもりですけど。
あっ、お兄様、和解した事を示すためにハグするのは良いですけど、頬ずりは止めてください。お髭が痛いから嫌です。
って、わざわざ剃りに行かなくても良いですから。
そこまでして妹に頬ずりしたいんですか?
別の意味で新たに疑惑が持ち上がりますよ。
ほら、お母様の視線も痛いですから。
それと、いい加減に私も年頃ですから頬ずりは止めましょう。
ええ、身体は小さくても、実年齢を考えましょうね。
普通のハグなら幾らでもしてあげますから。
ほら、スリスリと。
ん? ……お兄様、最近お腹がだいぶ固くなったような。
え? お父様との早朝鍛錬、まだ続いていたんですか。
なるほど、見事な腹筋も納得です。
でも、硬すぎて抱き心地が悪いから、やっぱりこのくらいにしましょう。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「そう言う訳でお兄様とは和解したけど、何故か落ち込んでしまって、立ち直らせるのに困ったわ」
我が家の騒動の事で一番迷惑を掛けたであろうエリシィーに、真っ先に報告しに来た訳だけど……。
彼女は仕事の手を止める事なく、祭具を磨きながら良かったわね、と喜んではくれるのだけ。
「えーと、何か怒ってない?」
「別に、ただ、ユゥーリィの無防備ぶりに少し呆れてただけ」
ん~、そうだろうか?
別に仲の良い家族なら、そう無防備とは思えないけど。
「仲が良いのは何よりだけど、最低限の自衛はするべきよ。
ユゥーリィのお母様が心配した事も当然の事だし」
「それは分かってはいるけど」
「ちっとも分かってない。
いい、ユゥーリィ、男はみんな獣。
それを大前提にしておくべきよ」
まさか、そんな言葉を彼女から聞くとは思わなかった。
無論、その言葉には抵抗はあるものの、分からない訳ではない。
ええ、前世が男だけあって、その辺りの男性の心理は良く分かっているつもりですからね。
でも逆に言うと、視線はついつい追ってしまっても、そこまで止まりが殆どだという事も理解している。
女性を追う視線の殆どが、いわば本能と観賞用だと言う事に。
まぁ、脳裏の中であらぬ想像をした事が、まったく無いと言えば嘘になるけどね。
「でも言われてみれば、エリシィーはそろそろ気を付けるべきなのかも」
日本人と違って西洋に近い人種なので、身体の発育はそれなりに良い。
エリシィーも、年相応に発達した胸部装甲が目に付くようになってきた。
私もまったくない訳ではないけど、前世と今世込みで底辺に近い発育でしかない。
彼女の場合、それに加えて手足も伸びて来たし、首筋のラインも、何より全体の雰囲気が、……止めてこう、これ以上変な事を考えるのは。
「そう言う変な視線は結構前からって、違うっ!
私の事じゃなくて、貴女の事っ!
言っとくけど、今、ユゥーリィが視線をやったところ全部、貴女にも言える事だからね」
バレてたっ!
こっそり視線をやったつもりだったのに。
ショックです、と言うか落ち込みそうです。
「ユゥーリィは確かに背は低いけど、手足とかはちゃんと年齢相応になってきてるわよ。
腰もちゃんとクビレてきているし、……顔と胸は相変わらずだけど」
最後に落とさないでっ、気にしているんだからっ。
大体そんな事言われても実感ないし、それって、逆に言うと背が伸びる可能性が減ってきていると言う事でしょ。
確かに子供の頃と違って、イカ腹とかではなくなったけど、でもそれは大きくなって腹筋がついてくれば自然とそうなるものだし。
「何時までも子供ではいられないって事よ。
身体だけではなく心もね。
特にユゥーリィは、そうでなければいけないんでしょう?」
「……そうだね」
彼女にだけは、私がいつかシンフェリア領から出て行く事は話してある。
どこかに嫁入りする訳でも、高位の貴族の家に行儀見習いと称して、女中や付人として入る訳でもなく、自分の意識と事情で出ていくのだと。
そう言う意味では、私は何時までも甘えていられないのは確かなのだろうけど、そのために、やるべき事はやっているつもり。
ただ、その反動で少しばかり癒しが欲しいな、と思う事があるだけでね。
「実感、湧かないな。
今回だって結局は私の勘違いだったえ訳だしね」
「何時までも、勘違いで済む訳じゃないわよ。
ユゥーリィって、前に、結婚はあり得ないって言ってたけど、別に男が嫌いって訳じゃないわよね?
私が見ている限りはだけど」
「うん、別に嫌いではないよ。
そう言う対象としては見られないってだけで」
家族はもちろん、コギットさんやダントンさんを嫌っている訳でもないし、ガイルさんはそう言う意味では前科があってまだ怖いけど、嫌いな訳ではない。
むしろ職人としては尊敬している。
そもそもその怖いって言うのも、自分がそう言う意味で男を受け入れられない事から来る本能的な物。
私は男だから、そう言う意味で男を受け入れられないだけ。
ましてや受け側だなんて冗談じゃないし、怖気が走る。
でもそれはあくまで私側の事情であって、相手が悪い訳ではない。
「エリシィーだって・」
「私は嫌いよ」
私の何気ない言葉は、最後まで言う事も出来ず彼女の言葉に遮られてしまう。
ただその事よりも、その内容とハッキリとした拒絶の声色に驚く。
普段の彼女からは、そんな事は感じ取れなかったから。
ごく普通に、男の人にだって話しているし、笑顔だって見せていたから。
「別にお仕事に支障が出るし、ご近所付き合いもあるから普通には接するけど、それだけの事よ。
基本的にはユゥーリィと同じ、そう言う対象には見られないわ。
あと嫌いってだけでね」
何気なく何時もの明るい声で、おどけながら言って見せる彼女だけど、その目は何時か見た廃坑跡で見た目に酷似している気がする。
何が彼女にそう言わせるのか気にはなるけど、それは私も人から見たら同じ事。
とても他人には言えないし、言ったとしても理解してもらえない。
「それよりも私は心配よ。
ユゥーリィが油断して変な奴に手籠めにされないか」
「ないない。
そこまで油断する気もないし、そんな事をしてきたら魔法で撃退するから。
この間だって、熊に強襲を受けたけど、冷静に撃退してみせたから。
それにまだ子供だし、まだその心配はないかな」
「……またそういう事をサラって言う。
私、その話、初めて聞くんだけど」
そう口を尖らせられても、態々言う事ではないし、狩りをしていれば多少危険な事だって遭遇する。
魔物に遭遇した事も一度や二度ではない。
ごく一部を除き、私の年齢ではまだ買い取ってくれないから、ひたすら逃げるんだけど、なかなか諦めてくれないから困った相手なんですよね。
狩った方が早いと思う事もあるけど、自然資源は大切にすべきだから、人里に降りる危険性がない限りは無駄な殺生はしたくない。
かと言って魔石や素材のためだけに狩るのも気が引ける。
前世で、自分達は必要な部位だけ取って後は海に捨てるくせに、ほぼ全部を利用する民族に、非道で可哀想な行いだからお前等は獲るなと、保護団体を作って嗾ける人達を連想してしまい、そう言う人達と同列な行いに思えてヤル気が起きない。
そう言う訳で、私が成人した暁には、ありがたく狩り捕らせて戴きます。
「じゃあ、ユゥーリィは大丈夫だと思うんだ?」
「遠慮なく魔法でぶっ飛ばします」
「そう、じゃあ練習」
「え?」
こちょこちょこちょっ!
こちょこちょこちょっ!
言葉の意味を理解するよりも早く、彼女の手が私の敏感な部分。
腋とか横腹とか、とにかく、その手の事に弱い部分を徹底的に擽ってくる。
「ちょ、まって、くぅ」
「ほらほらっ」
その、そう言う場所は弱いと言うか、力が入らなくなると言うか。
とにかくその手の攻撃には昔から弱い私は、ひたすら身を捩って逃げるしかないのだけど。
その捩りも身体に力が入らないと言う、勝手に体が変な風に反応するから、思い通り逃げられないし、そもそも単純な力では彼女に敵わない。
かと言って、エリシィーを魔法で吹き飛ばすなんて無理。
結界魔法を張ろうにも、アレは対生物に対する防御力が弱いため、彼女に怪我をさせずになど、今の状態の私には不可能。
と言うか本当に、駄目。
だんだん酷くなってるから、敏感になって余計に擽ったくなるから駄目。
駄目だから、涙が自然と出てきちゃうし、こらっ、変なところ擽らないっ。
だめっ、むりっ!
うまく息がっ!
もう止めっ……。
「ほら、全然、駄目じゃない」
「……ぅぅっ、エリシィーに弄ばれた」
酷い……、駄目だって、降参だって言ったのに、三十分近くも擽り続けるだなんて。
おかげで、刺激に晒されて肌が敏感になりすぎたせいか、どこ触られても擽ったくなるわ、涙で滲む視界の中で、変な声が出まくるわと散々すぎる。
いまだピクピクと勝手に痙攣しながら震えている身体を、なんとか起こすのだけど、うん、擽られ過ぎて上手く力が入らない。
おまけに頬が涎でびっしょりだし。
「ユゥーリィなんて簡単に手籠めにできるんだから」
「いや、相手がエリシィーだから油断しただけで」
「その油断が問題なのっ!
どうやらユゥーリィには、もう少し大人な教訓が必要ようね」
「え、えーと、その……」
「コホンッ」
何やらまた続きが始まりそうな雰囲気に戦慄したところに、聞き覚えのある咳声に、私とエリシィーは硬直してしまう。
えーと今の咳の声は……。
「仲が良い事は素晴らしき事ですが、少しばかり神の前で行うには御巫山戯が過ぎているとは思いませぬかな?」
「そのー、神父様」
「えーと、ごめんなさい」
「エリシィー、貴女がお友達を心配する気持ちも分かりますが、少々行き過ぎではないかと。
それとユゥーリィ様、貴女様も、彼女の心配する気持ちを、もう少し真剣に受け止めてあげるべきではないでしょうか」
「「は、はぁ」」
「まぁ、それはそれとしておいておきまして。
二人とも、堂内の床掃除をよろしくお願いいたします。
もちろん、床が光るほどしっかりと丁寧にお願いいたしますね。
ああ、それと、少しばかり乱れた服を早く直す様に」
神父様、それってお願いではなく絶対に命令ですよね?
……いえ、やりますけど。




