58.魔法使いの成り損ないの一日(後編)
いつもなら街を散策したり、お店を回ったりするのだけど、この街には本の好きな彼女向けのお店があるので、そこに足を向けるとしよう。
でもその前に収納の鞄から、ある物を取り出す。
指くらいの大きさの物なら、鞄から出しても何らおかしくはないからね。
「……」
え〜と、エリシィー、なんでいきなり怪訝な目を?
リップを塗ってるだけなのに、せっかくの可愛い顔がもったいないですよ。
そう言う訳でエリシィーもしてみよう。
「ちょユゥーリィ」
「大丈夫すぐ終わるから♪」
うん、もともと薄い色だから、エリシィーにも合う色で良かった。
いつもより、瑞々しく映るエリシィーの唇が、少しだけ実年齢より上に見せる。
と言っても一つぐらいかな。 ……あれ?
「顔、赤いよ」
「分かんないなら、いいっ! ほっといてっ!」
ゔっ、何故か怒られてしまった。
そんなにリップって嫌だったかなぁ?
それとも嫌いな色だったとか?
「気にしなくていいから、早く行きましょう」
「う、うん、まあそれなら」
首を傾げる私の手を引っ張って、街中を駆け出す彼女だけど……。
「行く場所、分かっているの?」
「……いいから案内しなさいよ」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「いらっしゃい。あれ?」
「……(しぃ〜)」
お店に入って奥に行くと、挨拶してくるライラさんを前に、エリシィーには見えない様に、自分の唇の前に人差し指を立てる。
察しの良いライラさんなら、此れで分かってくれるはず。
「今日は、友達をこの店を見せてあげようと思って」
「あら、可愛い子ね。近所のお姉ちゃんかな?」
「……同い年です」
「……本当?」
「……ええ」
「……色々な意味で、なんとなく納得したわ」
その色々ってなんですかと問いたくなるけど、流石にエリシィーの前で本の事はバラされたくないので黙っておく。
ところでエリシィー、なんで人の腕を絡めてくるのかな?
流石にこんな所でエリシィーを置いて逃げるなんて真似は、冗談でもしないから大丈夫だから。
それに、なにかピリピリしている気がする。
ニコッと笑みを浮かべているのに、何故かそう感じる気が……。
「ふ〜〜ん、赤い髪の人なのね」
「そうだね、綺麗な赤だと思う。
濃過ぎない綺麗な赤で、それでいて艶ややかだから透明感があるよね。
ライラさんによく似合う色だと思う」
「……っ」
なんだろう、何か空気が重くなった様な気がする。
うん、何故か分からないけど。
「おそろいの口紅をつけて、仲が良いのね」
「もちろん」
ライラさんの言葉に、何故か初対面のはずのエリシィーが間髪入れず答える。
流石が教会で揉まれているだけあって、対人スキルが高いのか、物怖じしないなと感心していると。
「ふふ、可愛いわね。
ちなみに私も彼女に化粧を施された事もあるわよ。
と〜〜っても素敵な化粧をね」
彼女を可愛いと褒めてもらうのは嬉しい。
嬉しいんですけど、何故か気温が下がった様な気がするんですが……、よし、ここは会話を変えよう。
「化粧と言えば、お相手とは上手くいっているんですか?」
そもそもライラさんに化粧を施したり教えたのは、彼女が狙っている男性がいるらしいから、普段お世話になっているライラさんの力になれば、と言う事から始まった事なので、気になると言えば気になるんですよね。
「あっ、もうバラしちゃうんだ。
つまらないわね〜」
何がつまらないのか意味不明なんですが。
でもしっかりと、私の質問には答えてくれると言うか、ニンマリと笑った笑顔でもって、聞かなくても答えは十分、……ええ、もう十分ですから。
「─────と言う訳で、向こうの御両親まで顔見せは終わったわ」
「……そ、それは、良かったですね」
十分どころか二十分近く、甘っ甘の惚気話を聞かされた私としては、甘いので胸焼けしそうな気分です。。
でも、そのおかげかどうかは分からないけど、エリシィーも、すでに何時もの感じに戻ってくれている様なので、この際気にはしませんよ、気には……。
「なら、秒読みですか?」
「残念。此処からが実は長いのよ。
共に両親が知り合いと言うならともかくね」
結婚は家同士の繋がり。
少なくともこの世界の結婚は、前世と違ってその傾向が物凄く強い。
お互いを良く知っているとか、何らかの力関係が働いているのならともかくとして、ライラさんの家と御相手の家は、互いに全く違う職種どころか、この大きな街で住む地区も正反対側と違うため、家同士の交流が無いのだとか。
そう言いった事からお互いがお互いを調べ尽くし、更には互いの家との繋がりを深めてからと言う事になるらしい。
もっともこの段階になると、何か問題が発生しない限り話は進んで行く事になるらしいんだけどね。
「恋愛結婚、良いですね」
「一度は夢見るわよね。
そして私は夢を掴んだ勝者な訳だけど、まだまだ油断は禁物。
でも此処までくれば、もう約束された勝利も同然でも在るから、ユゥーリィさんには感謝、感謝よ」
何故かいつの間にか意気投合して話している二人の勢いに、私は少しだけ引いてしまう。
ええ、流石に此れに入り込む勇気は私にはないです。
前世でもそうだけど、今世も女性の会話にはこの手の話は盛り上がるみたいで、入り込む余地が少しもない。
ましてや、私の場合は結婚願望が全くないばかりか、女性として男性への夢すら持ってませんから、尚更話には入ってゆけない。
ちなみにライラさんの私の呼称は、いつものペンネームの方ではなく、今回だけは実名の方になっているあたり、ちゃんと私の意図が伝わっていたようで、心の奥底からホッとしている。
うん、あんな本を書いているだなんて知られたら、死ぬ。
恥辱の海に揉まれて、悶え死ねる自信があります。
そう言う訳で、引き続き内緒で頼みますからね。
「ユゥーリィさんには、引き続きお化粧の指導を頼みたいけど、
ねえ、貴女勿体ないと思わない?
あれだけ技術を持っていて使わない。
しかも素材がアレでしょ」
「勿論、思うわ。
でもそこはユゥーリィらしいとも言えるし。
あと色々と面倒臭い事になるから」
「ああ、なるほどね。
貴女が窓口になっているのね」
ライラさん人の顔を指差して、アレ呼ばわりは流石に止めてください。
それとエリシィー、私らしいと言うのは褒め言葉なのでしょうか?
もしくは呆れられているんでしょうか?
あと窓口っで何のですか?
しかも、せっかく会話に加わろうとしたのに答えてくれない。
スルーは流石に傷つくんですが。
……え? スルーじゃなくて呆れて物が言えないだけと。
それはそれで傷つくんですけど。
そもそも本人を前に、私をネタにした話ばかりと言うのも、凄く居心地が悪いんですが。
ええ、二人の共通の話題と言うと、自然と私の話になるとは思ういますよ。
でも、せっかく此処は本屋さんなんですから……うん、書籍関係は自爆しそうなので止めておこう。
「それでこの子、最初の頃は男装してきたのよ。
確かにこれだけ見た目が派手な子だから、それはそれで正解なんだろうけど」
「たしかにそうなんだけど、でもあまり意味ない気が……、って言うか男装して此の店って!?」
そう言って周りの本棚を改めて見回すエリシィー。
ええ女性もの向け専用の本屋ですよ。
良いんです、私の姉の弟と言う設定で来ていたんですから。
あと、ライラさん、バラさないでください。
ええ確かに、私がお願いしている方は黙ってくださっていますけど、そっちをバラして良いなんて言ってませんよ。
そうですね、バラしていけないとは言ってませんけど、そこはそこ察してください。
……察したけど面白そうだからバラしたと。
酷いっ!
「でもその反応だと言う事は、男装の件は知らなかったんだ」
「見た事ないですね。
と言うか私に知られるようなら、きっとユゥーリィの家では大騒ぎになってると面いますよ」
「それもそうね。
良いところのお嬢さんみたいだし、となると家から男装してきた訳ではなさそうね。
かと言って、今の反応を見る限りは貴女の所でもなさそうだし」
「「……」」
「……」
ふいに集まる二人の視線というか、ほぼ脅迫じみた眦に耐えきれず視線を逸らします。
いえ、何となくで意味はないです。
別に何処だろうと良いじゃないですか。
……良くないって?
いえ、そこは良いと頷いてくだされば、話は丸く収まる訳ですから頷きましょう。
……話を逸らすなと。
怒りません?
怒らないと約束してくださるなら。
……ええ約束すると。
「途中の森の中で着替えてました。てへっ♪」
「ユゥーリィさん、少し真面目な話をしましょうか」
「私も貴女の親友として真面目な話が出来たのだけど」
「……怒らないと約束しましたよ…ね?」
ええ、怒られました。
はしたない上に危険だと。
自分が女の子だと自覚すべきだと。
ええ〜、怒らないっと言ったじゃないですか。
……怒っていない。叱っているのだけって、それって何が違うんですか?
……今はそんな事はどうでも良いから、話を聞けと。
エリシィー、本気で怖いんですけど。
……怖いのは私のせいって、……いえ、……はい、分かっています。
分かっていますから、そんな怒らなくても。
大丈夫です。
もし変な奴が来ていても魔法で。
……そう言う問題じゃないと。
……見られたら最低でも目をくりぬけって。
何処の猟奇殺人ですか!
はい気をつけますから、そう言う怖い話は……。
……もう二度とやるなって。
まあ今は必要していないし。
……必要としてもやるなって。
あっ、泣くの卑怯です。
そんなもの見せられたら頷くしかない訳で。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「流石に急がないと不味いから、走るよ」
「誰のせいよ誰のっ!」
「お説教を止めない二人が」
「誰のせいよっ!」
「よし、彼処なら」
「誤魔化さないのっ!」
少し陽が傾き出した時間帯。
リズドから続く街道を離れるように駆ける私達は、先程の会話の余韻を楽しむように、話しに花を咲かせる。
ええ、例え私の態度に彼女がムクれたとしても、私にとって楽しい一時には違いない。
空間移動の魔法を使うためには、人目のつかない場所かつ、視界が遮る場所まで行く必要がある。
使い手がいない訳ではないけど、その数の希少性からして、私が使い手の一人だと知られるのは避けた方が良いだろうと考えている。
国が囲っているような事をアルベルトさんの日誌に書いてあったから、知られたら余計な問題を引き寄せかねないからね。
転移先としては、流石にシンフェリアの町近くの山の中では、日暮れまでに間に合わないだろうから、屋敷の裏手にある廃坑跡を使った保管庫の一つ。
普段は一応は用心して転移先には使用していないけど、彼処ならば見られる心配はまずないし、外から帰ってきたと思わせられる。
行きは驚かすために目を瞑ってもらったけど、初めて空間移動魔法の展開に、目を丸ませて驚く彼女の手を引っ張る。
大丈夫、怖くないからと。
「ただいまシンフェリア」
「ふふっ、変なユゥーリィ」
「気分、気分♪」
「確かにね。
……ねえユゥーリィ、お願いがあるんだけど」
暗い坑道の跡地の中、魔法の光が照らされる彼女の表情は真剣そのもの。
「ユゥーリィが此処を出て行く時、私も連れて行って欲しいの」
「……え? でもそれは、小母様が……」
そして小さな唇から紡がれた言葉は、意外そのものの内容。
だって知っているから。
彼女がどれだけ自分の母親を大切にしているかを。
だけど、口にした内容は……。
「大丈夫よ。
ユゥーリィが出て行く時って成人してからでしょ。
なら私だって成人しているから、私も親離れする時だもの。
それにその頃には、……たぶんお父さんも」
今は遠く離れた所にいるらしい彼女の父親。
失礼な推測かもしれないけど、おそらくは受刑中の身。
彼女の言う【その頃には】と言うのは、再び一緒に暮らせるようになると言う事何だと思う。
この町と言うかシンフェリア領を出て行く可能性が、彼女の家族自身もあるのだと。
でも、それは……。
「あと、正直な事を言うと、私、教会が嫌いなの。
でも、これだけお世話になっているから、その事は多分一生付き纏うし、子供の私ではその柵から抜け出せないと分かってはいる。
でも、ユゥーリィとなら抜け出せる気がするから、貴女を利用するような言い方だけど」
利用するか……、別にそれは構わない。
私だってエリシィーを利用している側の人間だもの。
教会のエリシィーの存在そのものを利用している事もあるし、彼女自身の優しさを利用している。
何より、自分の不甲斐なさを彼女の存在で誤魔化している。
だからもしエリシィーが私を利用して、彼女の言う柵と言う名の何かから抜け出せるのなら、幾らでも利用してくれても構わない。
ただ見た事もない彼女の暗い瞳に……。
教会が嫌いと言った時の彼女の瞳の奥に映った何かが、私には物凄く気になった。
静かな湖面を想像するほど、静かな怒りを秘めた瞳に。
それが何なのか聞きたかった。
力になりたかった。
なのに……。
「うん、そうだね、そう出来たら良いよね。
成人したら、親に縛られる必要もないからね。
でもその代わり、全部自己責任だよ。
何かあっても泣きつく事も、帰る事も出来ない。
エリシィーが本気なら、その事だけは覚悟を決めておいて」
でも聞けなかった。
聞いたら何かが壊れてしまう様な気がしたから。
私ではなく、彼女の何かを……。
そんな確信じみた何かが、私の中を確かに通り過ぎたような気がしたから。
「そうね、いっぱい勉強して沢山色々な事を身につけないとね。
このままだと私、絶対にユゥーリィの足手まといだもの。
そんなの私のプライドが許さないわ。
ユゥーリィは私が守るんだもの。
今までも、そしてこれからも」
一見すれば、たわいのない約束。
でも確かに将来を夢見た想い。
本当にそれが出来たらと………。
彼女を巻き込む事になろうとも………。
そんな日が来れば良いと、心の奥底から願ってしまう。
只この時の私は、この日の約束が、まさかあんな形で叶わない事になるとは夢にも思わなかった。
そして、それはまた、彼女も同じだと言う事も。




