56.魔法使いの成り損ないの一日(前編)
ぺたぺた。
すりすり。
くんくん。
別にエリシィーに対して、エッチな悪戯をしている訳ではないので悪しからず。
音だけで変な想像は止めて欲しい。
いくら私の中身が男でも、まだ子供のエリシィーにそんな事をする悪癖は持っていないし、そう言う意味では彼女に興味はない。
求めているのは、親友としての関係と癒しです。
もっとも、ぺたぺた、すりすり、くんくん、と音だけ聞いたら、何処かの変態さんなら変な妄想を引き立てるかの様に聞こえるかもしれないけど、自分の肌に行っているだけですからね。
此処、数年でしっかりと身についたけど、朝晩のお手入れです。
最後のクンクンと香りを嗅ぐのは、化粧水などが痛んでいないかの確認のため。
魔導具の小瓶を作って以来は、特に念入りに嗅いではいる。
「今日も、腐敗している様子は少しもない」
まだ数日だから、本当の意味では何とも言えないし、もし商品にするなら数年レベルで繰り返し試さないといけない。
小瓶の中身の化粧水や、日焼け止めなどの基礎化粧品は、実は私の自作品。
もともとこの世界では、この手の商品が発達していないので、液体系の化粧品は自作するのが普通で、私が使っているのは前世の知識を生かしたもの。
ええ、だってこっちのレシピって、効果の怪しい物が多いもん。
もともと前世の妹が、人工の科学物質系の物が身体に合わなくて、化粧品どころか石鹸や普段の食事にすら気を付けなければいけなかった。
妹が大学に入る頃には、体質改善の成果もあるけど、その手の人間用の製品が充実してきたから、作る頻度は低くなったのは正直助かったと思ったもの。
それまでオーガニック製品は、自宅で自作せざるを得ない状況だったからね。
はっきり言って半分は母の趣味が発端。
ええ金の暴力を使わずに、オーガニック製品を使っていると言う事に満足している意識高系の趣味です。
子供心に可愛い妹のためにと俺が出来るようになると、作る事に飽きて面倒臭がってか、此方に丸投げでしたけどね。
あと仕事が忙しくなった、と言うのが本当の事だろう。
「欠点は、こうして手入れをしていても、あまり効果を自覚出来ない事かな」
女の子で、しかも子供の肌だから、基本的にモチモチ、すべすべ、サラサラ、しっとりですからね。
でも、やるのとやらないのとでは、違う事だけは分かる。
特に寝る前にやるのとやらないのとでは、朝、起きた時の肌の潤いと言うか透明度が気持ち違う。
子供の肌って凄いと思いつつ脳裏に浮かぶのは、前世の元カノや妹の後悔の言葉。
もう保水と日焼けだけは、怠るべきではなかったって言ってたし。
何がそこまで悔恨するのかは敢えて聞かなかったけど、あれだけ気にしていたのならば面倒臭くてもと思っている。
むろん本音は、面倒臭いと思ってはいるけど、今世の体質上は仕方ない。
魔法で楽が出来るから、朝の一連の作業に取り入れてしまえば、大した手間ではないからね。
ちなみにレシピの公開は考えていない。
まず第一に、私みたいな子供のレシピなど誰も信用しないだろうし、向こうも怖くて使わないだろうと言う事。
第二に、化粧関連とは言え、基本的に薬品であり、何かあっても子供の私では責任が持てない。
第三に、公開するならば、やはり儲けるべきで、今はその時期ではない。
第四に、オーガニック製品が当然のこの世界で、この程度のレシピを今更と言う思い。
「さて、お~わり♪」
ええ、お手入れと保水と日焼け止めで終わりです。
化粧? 十一歳でそんな物は必要ないです。
月に一度のミサにはしっかりと、教会での行儀見習いの時に簡単にするくらいです。
要は貴族としての立場を求められている時だけで十分です。
あとライラさんに会う時は一応はリップをしてます。
ええ、怒るんです。
していないともったいないって。
はっきり言って意味不明で理不尽なのですが、色々お世話になっているし、面倒も見てもらっているので、自作の色付きのリップクリームだけしている。
私ぐらいの年頃ならば、それで十分なはずと言う事で折れてもらった、
口紅やグロスは移ったりとか面倒だから、それで勘弁してほしい。
あとは髪形を……。
ごそごそ。
箱から取り出した木札には、後ろで髪を縛ってリボンで飾るだけの簡単ヘア。
今日は楽なのを選べた。ラッキー。
一応は使うリボンだけは選ぶけど、数はそんな多くないので、その日の気分。
と言う訳で、去年にエリシィーから誕生日に貰ったリボンにしよう。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
朝食後の淑女教育の教師役は、私が次期当主が狙っていると言うトンでも疑惑が出て以来、お母様のみだけど、それでお母様が甘やかしてくれる訳もなく、今日もしっかりと反復練習プラスα程度。
以前にいつまでやるのかと聞いたら、意識してではなく動作が自然と出るようになるまでやるそうです。
でもお母様、時折、注意と称してレベルを上げられている気がするのは、私の気のせいでしょうか?
長いようで短かった淑女教育から解放されて、やっと自分の時間。
アルベルトさん所有の難解な暗号で書かれた技術書を解析しようと、本日も法則性を探していると。
「そう言う優雅な時間を過ごしている姿を見ると、ユゥーリィって、本当に貴族のお嬢様って思えるわ」
「エリシィー、どうしたの?」
突っ込みどころ満載の挨拶を余所に、彼女のいきなりの訪問に少し驚く。
「今日は教会の方のお仕事はお休みだから、ユゥーリィの顔が見たくなって遊びに来たんだけど、迷惑だった?」
「ううん、全然。
私はエリシィーの顔を朝から見れて嬉しいから、幾らでも歓迎よ」
笑顔で彼女を迎えるも、少し意外に思う。
私も彼女も休日なんてあってないような状態。
約束していない時以外は、なんやかんやとやっている事が多いし、こうして朝からくる事なんて今までになかったから、ちょっと驚いただけ。
そもそも彼女から訪ねてくる事が少ないもの。
「と言うのは半分冗談で、麻袋と鞣した革を持ってきたついで。
セイジさんに渡しておいたわ」
「……私の感激を返して」
うん、おかしいとは思いながらも喜んだ私が馬鹿でした。
だってね、今世では基本ボッチの私の所に、朝から遊びに来たと言われたら喜びますよ。
またあの腹黒神父に、何か言われて来たのかと疑いながらも、喜んじゃって何が悪い。
えーい、そのうち本気で泣くぞ。
「でも半分は本当に遊びに来たんだから、そんな拗ねた顔しないの」
「……してた?」
「うん、してた」
「驚きの餓鬼くささ」
ええ、自分の事ながらショックです。
まさか顔に出ていたとはっ。
でも、いいや、せっかくエリシィーが遊びに来てくれたんだし。
「ああ、でもお構いなく」
「ううっ、エリシィーに弄ばれた」
あっさりと前言を翻す様な言葉に、今度はいつもノリでヨヨヨっと悲しんで見せる。
「いや、今度は本気だから」
「がーんっ! 本気っ?」
「本気も本気っ」
「ううっ、エリシィーに弄ばれた」
「それさっきやったから」
やり直しを要求する私に、彼女はあっさり駄目だし。
冷たい冷たいぞ~、エリシィー。
「せっかくだから、普段ユゥーリィがどんな一日を過ごしているのかなって。
そう言う意味だからもう拗ねないの、この子は」
そう言って、よしよしとハグしながら頭を撫でてくるエリシィーに合わせる様に、ふぇーんと甘える真似をする。
うん、今度こそいつもの調子とノリだ。
「でもどんな一日って、前に言わなかったっけ?」
「うん、聞いたけど実際に見た事ないし」
「見てても、つまらないと思うけど」
「ユゥーリィがそう言う事を言う?
だいたい一方的に見られてるのも、なんか面白くないし」
彼女の言葉に、振り返ってみれば、彼女は私の一日の様子を知らないけど、私は彼女の一日の様子を何回か見ている。
無論、一度ではなく、少しづつ知っているだけだけど。
「もしかして暇なの?」
「その言葉、私が何回同じ言葉をユゥーリィに言ったと思うの?」
そう言えばそうだったかも、仕事や作業していた彼女の邪魔をするのが悪いと思いつつも、作業をず〜っと見ていた事が何度かあったような記憶が……。
「……過ぎた事は忘れたわ」
「言ってなさい。
そう言う訳で、こっちは気にしないで、いつも通りをどうぞ」
そう言って自分の鞄から本を取り出し手にして、暇つぶしの道具はあるから気にしないでねのポーズ。
きっとアレを読み終わったら、我が家の書庫から別の本を借りて行く気なのだと思う。
なんにしろ、それで彼女の気が済むならと、私も読書に戻る。
途中、お手伝いのセイジさんが、私とエリシィーにお茶を持って来てくれたけど、小さく紙が擦れる音が辺りに響くだけの、静かな時間が過ぎ去ってゆく。
やがて、法則性を探る作業に頭が痛くなって来たところで本を閉じる。
本の解読方法は少しずつ見えて来たけど、これが明日になったら、実は違ったと言う事も十分あり得るので、一晩考えを寝かして再検証。
「貴族は優雅に読書とか聞くけど、…何か面白くなさそうね」
「ん〜、面白くなくはないけど、見てみる?」
少なくとも優雅な読書という内容には、ほぼ遠いと思う内容の本に、エリシィーは思いっきり額にシワを寄せて、あっさりと本を閉じて返してくる。
「私には、少しも理解できない内容だわ」
「でしょうね、私も理解できないもの」
「……それでも面白くなくはないの?」
「まあね、やっと法則性が見えて来たから。
実はこれ、学術書に見せかけた暗号で書かれた学術書なんだって。
魔法のね」
「……本気で意味が分からないわ」
「私だって意味が分からないわよ」
本当に何でこんなややこしい事をするのだろうか。
物によっては危険な内容だと言うのは分かるけど、それでも学術書に見せかける意味が分からない。
「……あのエリシィー、何でそんな変人を見る様な目で」
「ん、ユゥーリィもその本を書いた人と同類なんだろうなと思って」
「酷っ! こんな変人じゃない!」
「変わり者という意味では変人だと思うけど」
「……」
それはそれで別の意味で酷いと思うのだけど、世間一般の生活から懸け離れ生活をしていると言う意味では否定できないので、これ以上は黙っておく事にする。
「でも、優雅な読書と言うより、勉強していると思えば全然変でもないのかな」
「うーん、でも普通はそうなんじゃないの?」
「他の貴族の事なんて知らないわよ」
うん、私も知らない。
貴族同士の付き合いなんて、ミレニアお姉様の結婚式の時ぐらいでした事ないし、辺境にある我が家の領内には他の貴族はいないしね。
「さてと、いつもならこの後に軽い運動をするんだけど」
「どうぞ、私が付き合うとか言うと、ユゥーリィ絶対に私に合わせようとするから」
休みを潰してまで来た意味がないと言われても、それはそれでやりにくい気がするけど、自分の行いを振り返ってみれば、私もエリシィーに同じ事をしている訳だし、もしかして今日はその意趣返しと言うか、遠回しに苦情を言いに来たとか?
かと言って、そうではなく私みたいに何となく眺めていて飽きないだけと言うなら、そんな事を言ってもエリシィーを傷つけるだけだし。
うん、判らないので後回し。
部屋に一度着替えに行ってから、まずはいつも通り籠を持って庭を一周。
軽く庭の手入れをしながら一周を終えてから、ペースを上げてもう二周。
身体が温まったところで念入りに柔軟運動をして。
「ユゥーリィー柔らかいわね」
「エリシィーだって、これくらい出来るでしょう?」
「そこ迄はできないわよ。と言うかやらないわよ。
絶対にユゥーリィに、無理やりやられそうだし」
「……ヤリマセンヨ」
チッ、読まれたかと思いつつ断念。
痛い痛いと悲鳴を上げる彼女を、本当の限界の少し手前まで攻めて見たかったのに……。
エリシィーの可愛い悲鳴が聞けなくて残念と思いつつ、壁まで全力走を二往復。
最初の頃だと、この程度で既に全身汗だくで、膝がガクガクと笑っていたのだから、進歩したと思う。
ええ、相変わらず足は遅いし、膝も多少ガクガクしてるけど、まだまだいける。
深呼吸しながら屈伸を何度かした後、横飛びなど反復運動等の基礎運動の後、全身を使った運動を激しく、……三分も保たないけどね。
それを呼吸が整うまで程度に休憩を挟んでから、もう一セット。
うん限界です。
汗だくです。
膝も腕もプルプルと笑ってます。
ああ、秋風が気持ちいい〜♪
呼吸をもう一度整えてから、軽く柔軟運動でおわり。
水魔法の冷たい水で水分補給をしていると。
エリシィーが乾いた布を手渡してくれる。
うん、たったそれだけの事だけど嬉しく感じる。
我ながら単純だと思うけど、別に嬉しいものは嬉しいので、そんな考えは放置。
「こうあらためてみると、ユゥーリィって本気で力も体力もないわね」
「………」
うん、ショックです。
しみじみいうエリシィーの言葉に、本気で落ち込みそうになる。
これでも、ここ数年でだいぶマシになって来たと思うんだけど、やはり一番身体を作る六歳半近くまで、病気で家に閉じ籠もってばかりいたから、そうそう簡単には年相応の体力と筋力にはならないって事か。
と言うか、基本的に私って箱入り娘状態だもんね。
小さな頃から外で運動どころか、既に働いている子達と比べ物にならないのは当然かもしれない。
「……魔法を使わないと、こんな程度だから」
自分で言っておいて何だけど、魔法に頼りっぱなしになっているのも原因の一つかもしれない。
だけど魔法を使わなければ、山歩きすら碌にできない自信がある。
逆に言えば、魔法で足元を確保したり筋力を補助してやれば、人並み以上に動けるだけの体力はついている自信はあったりする。
運動をして汗まみれなので、一度部屋に戻って再度着替えてくる。
無論、汗はしっかりと拭いてだけどね。
この後は魔力制御の基礎練習だけど。
「見てても、つまらないと思うけど」
「えー、でも魔法の練習なんて、ある意味一番興味を唆る内容じゃないの?」
「魔法じゃなくて魔力を制御する練習よ。
地味だけど、これが一番大切なの」
魔力過多症候群である私にとっては、まさに生きるのと同義だとは、流石に口にしないけどね。
既に魔力制御の常態化を習得しているとは言え、油断はできないし磨くべき事や課題はあるので、まだまだ続けてゆくつもりである。
だから丁寧に一つ一つ繰り返す練習。
幾つかのメニューを考えてあるので、同じ事を繰り返す苦痛には今のところなっていないので、やはり飽きたり慣れ過ぎたりしないメニューと言うのは大切だと思う。
もっともメニューを箇条書きに書いた紙を何パターンも用意して、ランダムで選ぶと言う手抜きぶりではあるけど。
ただ、様々な大きさの光石を使った制御訓練だけは、エリシィーを喜ばせられたみたいなので、少しだけ安堵の息を吐く。
次々と光石が光ったり、色が変わったり、流れるように光が乱舞する光景は幻想的だったようで、その光景に目を煌めかせ、笑みを浮かべていたから。




