52.お化粧しましょう。クマ退治しましょう。
「丁寧にしようとゆっくりやれば、逆に手が震えてしまいますし、ラインが安定しません。
そこで普通の速度で自然な感じで筆を離してゆけば、…ええそうです」
私の指導の声に何とか手本通りの形にしたライラさんに、称賛の声を上げる。
男装がバレた日の後日、改めて訪れた彼女のお店の奥で、再びお化粧のお勉強。
ええ、もちろん私の意思など、ほぼ無視で強制的にです。
ちなみに、今日のお題は『雑把な貴女でもできる、簡単化粧シリーズ』と言う項目に書かれた物を実践。
口紅だけでは流石に先方には失礼だから、口紅以外に眉とアイラインとチークの四点で貴女を魅せます、と言う謳い文句を書いてはあるけど、普段はこの程度で問題ないでしょうと言った内容のもの。
謳い文句はお姉様に少しでもやる気を出させるためだったのだけど、そのまま記載されているのを見て、思わず苦笑してしまった。
何でもライラさん曰く、この『雑把シリーズ』が一番人気なのだとか。
つまり普段は面倒臭いから楽に済ませたい、と言う事なのだけど。
なら、私に……。
『化粧が面倒だから、しないなんて許されない』
なんて事は言わないでほしい。
それが今日、顔を見せて数言目で言い放たれた言葉ですよ、実に理不尽である。
ちなみに、今日はもう男装ではなく普段の姿。
もうバレているのなら意味が無いし、分かる人間には直ぐにバレてしまうとまで言われて、無理して男装する必要性を感じなくなってしまったためだけど。
『変装したいと言う気持ちも分からなくないわね』
と言うのが口頭一発目の言葉です。
どうやったって、私の白い髪は目立ってしまうから仕方ないんだけど、もう開き直った方が良いかもと思い始めた。
情報社会である前世と違って、この世界は情報の伝達手段が限られているし交通網も未発達だから、シンフェリア領から五百キロ以上も離れたこの街で気にするだけ無駄なのかもしれない。
ちなみに、今日は店内に珍しくお客さんがいます。
それなのに店主であるライラさんは、お客さんを放置ですよ。
お客さんに対応してはと言おうとする私に、何故かお客さんの方から、見ているだけだから気にせずに続けて構わないと言われる始末。
ええ、ならば此方も気にせずに、どうか本を見ていてくださればと思うのですが。
……今は此方の方が気になると。いいから此方を気にせずにと言われても、此方が凄く気になるのですが。
なのに、私のそう言った思いとは裏腹に、そんなお客さんが既に片手では数え切れなくなりそうな程にまで増えている。
狭い通路にですよ。
と言うか、この店に此れだけのお客さんが来るなんて、と失礼な事で驚いてしまったのは秘密です。
「チークの濃さはその日の気分で良いですが、やりすぎないのと段差にならないようにだけ気を付けて」
見本を見ながら、丁寧に手を動かしてゆくライラさんの努力の成果に取り敢えず合格を出す。
後は慣れるまで練習すれば、数分で出来るようになります。
ちなみに、見本とは私の事。
ええ、させられました。
面倒だから嫌だと言ったのに、見本があった方がやりやすいと言う正論の前に、私が折れてしまいました。
私用の化粧箱など用意してきていないので、『雑把シリーズ』になったのだけど、終わってみれば、いつの間にか臨時の化粧教室になっている。
そんなつもりなど欠片もないのに、なぜ此処まで注目を浴びるような事に?
「先生、どうか我が家でも御手解きをお願いできるでしょうか」
先生と違います。
それと私みたいな子供相手に先生は止めてください。
あと、やりませんからね。
ライラさんも言ってください、今回は知り合いのお願いだからやっていただけだと。
あっ、ライラさんお姉様の書いた本を売り込んでいる。
流石は商売人、って銀板貨二枚って高過ぎませんか?
……絵が多いからこれくらいの価格は当然で、化粧であっても技術書には違いないから、これでも格安だと。
そっかー、この世界では化粧って技術に分類されちゃうんだ、知らなかった。
あと、何故に私の本まで?
それは押し付ける類の本ではないと思うのですが。
なるほど、今までのも購入していて、新作が入っていると連絡したから取りに来たのを渡しているだけど。
流石に著者とはバレたくないので言葉にはできないけど、心の中で毎度ありと感謝の気持ちを述べておく。
とりあえず、今日だけで五冊も売れた計算になりますね。
なんと今のが最後で、後は写本待ちらしい。
幾らなんでも早すぎませんか?
ああ、なるほど半分以上は王都をはじめ他の街に、販売用と写本用に回してあると、それなら数が少ないのも……、でも、逆に言うと半分近くは売れたと言う事ですよね。
……少年・青年の友情愛シリーズは、ごく一部の客層の中で既に人気作品として王都でも写本待ち状態だとか。
腐ってやがる。
ええ、私が言うのも変だという事は、分かっているんですけどね。中身が男の私としては、そう言わざる得ないんです。
そうして、やっといつも通りの静けさを取り戻した店内では。
「なにか聞いたところよるとね、原本は闇価格が付いているらしいわね」
「……もの好きな」
「でも狙ってたでしょ? 番号振ってあるし」
いえいえ、そんな事はないですよ。
ライラさんが言っているのは、挿絵に振ってある番号の事で、挿絵は全て印刷した後に、一応は軽く筆を入れてあるため、単純に自己管理用です。
無駄に書きたくないですし、道具を片付け終わってから数が足りない、なんて事になりたくないだけです。
むろん女性受けする挿絵です。
場面を妄想…もとい、作品の中の世界を想像をしやすいように、と言うごく当たり前の挿絵です。
この世界の、この手の娯楽書籍には挿絵をする習慣が無い。
あるのは絵本とかの子供向けの物。
理由としては文字を書くより、絵を書く方が面倒だと言う理由から。
私は、そんな事など関係なく、毎回、挿絵を何枚か入れている。
「原本は絵入りだけど、写本には絵がないから差が付くのも当然の事ね。
一応は別売りで挿絵を写した物もあるけど、差はさして埋まってないわね」
「あんな程度の物より、絵が上手い人なんて幾らでもいるでしょうに」
「使われている技法が、今までの物と全然違うと言うのもあるけど、やはり原本至上主義が働いているから」
なるほど、納得。
幾らオリジナルより良い物と分かってはいても、あくまでそれは偽物でしかないという凝り固まった考え方。
前世でも賛否両論あるけど、結論の出ない答えでもある。
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なんて事をライラさんのお店で過ごした後、シンフェリア領近くの山で散策。
むろん狩猟ですよ、秋口とは言え、冬が早い此処の山は今が旬、実りがいっぱいです。
リンゴ、柿、蜜柑、胡桃、山葡萄などの果実だけでなく、山芋やキノコも豊富。なんと松茸もあるんです。
しかもこの世界では人気のないキノコらしいので、取りたい放題です。
もっとも、こんな人里遠く離れた山には誰も取りに来ないんですけどね。
ええ、アルベルトさんが眠っている山です。
あと、やはりそれだけ秋の恵みが多いと、冬籠り前に栄養を蓄えようとする生き物もその身に多くの栄養を蓄えている。
ええ、凄く美味しいですよ。
脂たっぷりの上、ドングリや木の実をたくさん食べているので香りもよく、旨味も増しているんです。
はい、そんなわけで三頭目の猪をゲット。
大鼠も既に五頭と鹿も数頭捕獲済みですので、もう十分ですね。
教会と屋敷へのお土産には多過ぎますが、残りはリズドの街で売れば良いだけですから。
「グガォーーーッ!」
森のクマさんですか。
あまり美味しくないから、いりません。
逃げるなら見逃すつもりだったのに、なんで向かってくるんですか?
え? 私が美味しそうに見えるからですかね。
私、中身が男ですから男の人にモテたくないありません。
しかも野獣さんなら、もっとモテたくないです。
そんな冗談はさておいて、もう突進で駆けてくる熊の足元へ、ブロック魔法で作ったブロックを放り投げてあげる。
案の定、ブロックに足を引っ掛け、盛大に転倒して木々に激突。
もっとも、それくらいで怯むのなら、森のクマさん、もとい王者を名乗れないので、直ぐに体勢を立て直そうとするのですが。
じゅっ
聞こえるか聞こえないかの小さな音と共に、その場で熊は身体を震わしたと思ったら、その場で脱力したように地面に倒れ伏してしまいます。
小型のボウガンを用意する間も無く、此方に突っ込んで来たので、風情はないですが、魔法で片をつけさせてもらいました。
使ったのはパチンコサイズに圧縮した火球魔法。
それを最後まで炸裂させずに、額へと投げつけてあげただけです。
圧縮した事で、表面温度が軽く千度を超すであろう火球魔法に触れれば、熊の表皮や骨など一瞬で灰すら残らずに貫通してしまう。
ええ、魔力の固有波長の違いによる魔力干渉など、関係ない程の短時間であればご覧の通り。
そして脳をやられて生きていられる生き物は、おそらく単細胞生物ぐらいなもの。
哀れな熊は、きっと自分が死んだ事すら気がつかなかったと思う。
「ふぅ、吃驚した。
思ったより凄い速度で駆けてくるから、おもわず狩っちゃった」
前世の記憶だけど、熊の全速力は六十キロ超えるとか、しかも荒地を。
しかもこの巨体で突進してくるから、物凄く迫力があるんですよね。
私、基本的にビビりですから、
「毛皮はともかく、肉はあまり高く売れないからどうしようかな」
狩った以上はきちんと活用させて戴く。
ちなみに火球魔法を炸裂させなかった理由は簡単。
焦げてしまったら、毛皮に価値がなくなるため。
そうなると野生動物を狩ってもあまり旨味がなく、かなり安く買い叩かれるらしいからね。
言われてみれば当然の事だろう。
傷が多ければ、そこから傷むし雑菌が入り込むので、嫌な話ウジが沸きかねない。
当然、皮も同様で、革製品は見た目が重視なだけに、傷がつけば一気に商品価値が下がってしまうのは、最早しょうがない事。
「さあ、バラすかな」
最近は、少しずつ解体する事に慣れてきた。
もっとも手ではなく、力場魔法でナイフを使ってだけどね。
嫌な事でも少しづつ覚えなければいけない。
最近は、ますますそう思うようになってきた。
その理由として。
正直、家に居辛いです。
お父様もお母様も、表面的には普通に接してくれている。
ただマリヤお義姉様との間が、ギクシャクしてしまった。
別に嫌われている訳ではない。
ただマリヤお義姉様も、どう接して良いのか分からないのだろう。
それはそうだろう。
男爵家とは言え、次期当主であるアルフィーお兄様の所に嫁いで来たつもりなのに、その次期当主の座そのものが怪しくなってしまっており、その元凶である私と、今まで通り接しろと言っても無理と言うものだろう。
世間、と言うか貴族の世界では、当主の妻と、それ以外の妻とでは、雲泥の差があると言われているからね。
おそらくお義姉様の実家からも、手紙で何か言われていると思う。
私としては、そんな気は更々ないとは言ってあるのだけど、頭では分かっていてもなかなか感情までは上手く処理出来ないのだと思う。
最悪、私が油断をさせるために、そう言っていると思われているかもしれない。
そして肝心のお兄様は、………あの根性なしめ、未だに敵前逃亡を続けています。
ええ、ほぼ会話なし。
私を無視するでも、非難するでもなく。
のらりくらりと、無理やり理由を作っては逃げ続けています。
いっそのこと部屋に追い詰めて、二人っきりで、トコトン話し会ってみようとも考えたのですが。
ええ、お母様に強く止められています。
お兄様と二人っきりになるなと。
今のお兄様は、色々余裕がなくなっている状態だから、今の状態のお兄様を、そこまで追い詰めてはいけないと。
冷静な話し合いになどには、決してなれないと。
確かにそう言われればそうだろうと思う。
でも、たとえ殴られようが、それでお兄様の気が済むならばと言う私に、お母様は……。
『では、追い詰められたアルフィーが、もしヤケになって貴女を無茶苦茶にしようとしたらどうするのです』
『骨の一つや二つは覚悟しています』
『……そう、勇気があるのね。
では実の兄に犯される覚悟もあると?』
『……え?』
『ユゥーリィ、貴女も十一、もう少しで十二になります。
意味が分からないとは言わせませんよ。
それで貴女は、そこまでの覚悟をしているのかと、私は聞いているのですよ』
想像だにしなかったお母様の言葉そんな言葉。
だけどその言葉の意味が硬直した脳裏に浸透してゆくと共に、身体中に怖気が駆け巡り、血の気が音を立てて引いてゆく。
その言葉の意味が一瞬脳裏の浮かび、心と魂が悲鳴を上げる。
『む、無理ですっ。
そんな事は考えられませんっ!』
そう大きな声で叫んでしまう程に。
あの優しいアルフィーお兄様がそんな真似をと思いはする。
でも、追い詰められたお兄様が、そんな事を絶対にする訳がないと信じはしても、その確証は何処にもない。
そしてそう言う事件が多々ある事を、私は前世のニュースの知識として知っている。
『でしょうね。
私もそうだと信じたいです。
ですが、常に最悪の事態は予想しておくべきです。
ユゥーリィ、そこまで追い詰められたアルフィーに対して、貴女は抵抗できますか?
どこかの硝子細工師の時のように、魔法を使って殴り飛ばせますか?』
『……』
『無理でしょうね。
貴女は家族に対して甘いですから、きっとそんな事は出来ないでしょう。
そして家族だからと魔法を使う事を躊躇ってしまう貴女では、いいようにされるだけです。
ユゥーリィ、貴女は自分の兄をそこまで追い詰めさせ、その事で更に兄を傷付けたいのですか?』
そんな事になれば、アルフィーお兄様は深く深く傷ついてしまう。
いろいろな意味で、この家の家族全体の関係が終わってしまう。
そんな事、欠片も望んでなどいない。
『あの子は今、戦っているんです。
貴女の事を大切な家族だと言い聞かせている自分と。
自分の足元が崩れてしまう感覚に恐怖し、何もかも殴り捨ててしまいたいと思う自分と』
不安に向かって戦っているのは私だけではないのだと。
だから、辛くても今は見守るしかないのだと。
お兄様を信じてあげないといけないと。
『貴女が本当に、当主を目指していないのであれば、分かりますよね』
ええ、そんな事は欠片も望んでいません。
私は、家族の皆んなが幸せになってくれれば、それで満足ですから。




