32.睡眠不足はお肌の最大の敵です!
「あぁぁ……」
またもや、魔法銀が飛び散る光景に、忸怩たる思いに声が漏れ出てしまう。
もう何度目になるだろうかの失敗。
既に飛び散った後の回収が面倒になって、木箱の中で繰り返しているところを見れば、どれだけ失敗を繰り返したのか安易に想像がつくと思う。
こうして触れてみて分かったのだけど、この魔法銀、色々不思議特性がある。
ただ単に、魔法を流しやすいと言う特性以外に、魔導具師の資質がある人間が念じながら魔力を流すと、熱もなく融解し始める。
此処までは前もって分かっていた事だけど。
魔導具師のための魔法は属性系統がないので【無】属性魔法なのだと思うけど、そんな属性名は無いけど【特質】系魔法とも思える形状変化の魔法で、魔力を強く流しすぎると、今みたいに四散するようだ。
形状変化が思うように行かず、何度やってもアメーバーのようにウネウネと変な風に動く。
一応は形状が思ったように、変化し始めはしてきてはいるのだけど、ついウネウネをなんとか抑制しようと力が入ってしまい、今のように四散を繰り返す羽目になってしまっている。
その癖して形状変化を意識しなければ、魔力を強く流してもなんら変化する事もない不思議特性。
「才能ではなく練習不足、うん練度の不足」
そう自分を言い聞かせるぐらいに、少し落ち込んでいたりする。
魔力操作がしやすい魔法銀での形状変化は、魔導具師としての技術の初歩であり基本。
アルベルトさんが書いた本には、そう記載されていた。
コツはこれくらいの事は自分で探し出せ無いと話にならない、と言う挑戦的な言葉とともに。
「……少し落ち着こう」
此処数日、夕食後の歓談を終えた後で自室で寝るまでの間、こうやって練習を続けている訳だけど、……少し焦りすぎたかもしれない。
まだ、十一歳と言う子供の身体の私にとって、睡眠時間を削っての練習は悪手以外の何物でもない気がする。
魔力の常態化訓練の時の影響だろう。少し睡眠を甘く見ていたかもしれない。
こうして、落ち着かずイライラするのは睡眠………、そう言えばそろそろだったか。
またもや少し鬱になる時期が来たと溜息が出る。
前世や今世の周りの女性を思えば、アレの症状は軽い方だと自覚しているし、実際に軽いので、そう悲観に暮れる事はないのだけど、平常時と比べるとどうしても気になってしまう。
それに睡眠不足も祟っていたのか、いつもより自覚症状が出てしまっていたのかも。
「よし、寝よう」
こう言う状態で繊細な作業を続けても、碌な事にならないと前世の経験から学んでいるからね。
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そんな訳で、たっぷりと睡眠をとってからの再挑戦。
時間は、お父様達が戻られてから夕食までの僅かな時間と決め、その分、集中してやる構えで挑む。
まずは深呼吸して、今までの失敗を思い起こす。
やっていた工程と試行中の状態と結果、そこに至った検証。
一つ一つ検証し、原因を考察する。
「……はぁ、焦りと睡眠不足は、こんな基本的な事も疎かにするだなんて。
私ってば、此処数日なにをやってたんだろう」
本当に溜息が出る。
失敗の理由は明らかだ。
魔力を流して半液状化した魔法銀の状態を見て、私は粘度を伸ばすようにして、魔法銀を伸ばしていた。
まずそこが間違いの原因。
金属は叩いて伸ばす。
そんな意識があったし、魔力で圧力を掛けて伸ばそうとしたり、引っ張ったりしたのも結局は同じ事。
でも、私にとって魔力操作の一番の基本は、体内巡回と紐、いえ魔力の糸だ。
ならそれと同じ事を、魔法銀に対してやれば良いだけ。
一番最初に私自身が魔法銀を見て感じたように、魔力回路の延長として。
「……ん」
魔法銀を魔力回路の一部のように、魔力の糸を通す。
その糸に絡まるように魔法銀は真っ直ぐと伸びてゆく。
そこに幻視した神経の糸があるように、魔法銀と言う名の神経で物質化する。
ただ、それだけの事だった。
あと、注意すべき事は……。
「……繊細な魔力操作か」
魔法銀の四散は考えてみれば当たり前の事、行き場を失った私の魔力を帯びた魔法銀が破裂し四散しただけ。
魔法銀の形状変化に必要なのは、魔導具師としての資質と繊細な魔力操作であり、魔力そのものは要らないと言って良いくらい少ない。
一掴み程の大きめの光石を、白く光らせるか光らせられないか程度しかいらない。
それ以上多いと形状変化は乱れ始めるし、ある程度を超えるとウネウネ動き出す。
更にに多くを流せば、結果は今更言うまでもない事。
あとは流す魔力の均一化。
これが出来ないと形状変化にムラが出来てしまい、魔法銀で出来た糸も、太さにムラが出てしまう。
目の前にある物のように。
「魔力操作にはそれなりに自信はあったけど、まだまだ雑だと言う事ね」
繊細な魔力操作は出来ているつもりだった。
実際、やり方さえ分かれば、目の前の魔法銀を格子状の網戸くらいの網にする事だって出来る自信はある。
只……、中には網目が潰れる箇所が多々出てくる自信も。
一定時間、均一の魔力量を流し込む訓練はしてこなかったからなぁ。
魔力操作に慣れた頃から、数秒もしない内に出来る事ばかりだったし、此処まで均一性を求められるような事がなかったからと言うのもある。
これは練習メニューの考え直しが必要そうだ。
ちなみに、此処まで出来て初めて判った魔法銀の特性の一つとして、幾ら糸のように細くしても、魔力を流しただけでは切れないと言う事。
この魔法銀で出来た糸を切るには、物理的に切るか、形状変化の魔法で魔力飽和を起こして四散させてやるしかないと言う不思議特性ぶり。
魔力で半液状化したと言っても、本当に液状化している訳ではないと言う事なんだろうね。
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「そう言えばユゥーリィ」
「ん?」
「お前、コギットの奴に何を言ったんだ?」
「何かあったんですか?」
夕食後の家族の団欒。
ロッキングチェアに座りながら、アルティアを膝の上に乗せてあやしていたのだけど、お父様の言葉に………心当たりが在り過ぎて焦る。
思い起こせば、元とは言え工房長を相手に色々と無茶を言ったり、失礼な言動があったりと、まぁ色々やらかした覚えがあるからだ。
「いや、お前の事を頼んだ時はかなり渋っていたのに、何かえらいヤル気を出していてな。
この間、儂の所から予算と建物をふんだくっていっただけでなく、工房の若い奴等まで巻き込み出したから、息子の現工房長の奴が困っていたぞ」
「……えーと」
困った。
確か時間は掛かるとは聞いていたけど、そこまでして貰えるとは思ってもいなかったし、どうしてそんな事態へと発展したのかも不明だ。
「教会から紹介された職人も来始めたし、納期に大きく影響はさせないと言ってはいるが」
「私の方からも、時間を掛けてもらっても構わないとお願いしてみましょうか?」
「頼む、コギットの奴、技術も一番ある上に元工房長なだけあって、現工房長より発言力があるからな」
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そんな訳で翌日。
日課を終えた後、お父様に紹介された工房に足を運んでみたのですが……。
「確かにお嬢さんに頼まれた物をやってはいるが、俺は俺のためと工房の未来を見てやっているだけだ。
俺のやり方に、お嬢さんの意見や要望なんぞ、クソほども関係はない」
そんな頑固一徹親父のような返事が返ってきました。
出来るまでは邪魔だから、とっとと帰れと言わんばかりに。
確かに職人には職人のやり方があるでしょうし、子供の私がその作業に口を出すのも変だと言うのは分かっています。
でも……。
「本業が疎かになっては」
「ふん、そんな物はいくらでも間に合わせてみせる。
こちとら職人の意地があるからな、徹夜なんぞ慣れてるってものさ」
ぷちっ!
はい、キレました。
工房に入って直ぐに気がついてはいた事だけど、コギットさんも周りの職人さんも、顔の血色が良くないし目も窪んで見える。
それなりの疲労が溜まっている証拠だ。
なのに、まだ無理をすると言い切ったコギットさんに私はブチキレます。
そりゃあ睡眠不足に関しては、私もついこの間やったばかりだから、人の事は言えないですよ。
でもだからこそ、睡眠が必要な事を実感しているんです。
それに私の前世の最期は確かに交通事故だけど、その原因は溜め込んだ疲労と睡眠不足が原因なんです。
だいたい職人が睡眠不足って何ですか。
それで繊細な仕事ができるとでも言うつもりですか。
気合と根性? そんなもの一瞬だけです。
継続して品質を安定するには、一定以上の睡眠時間と休息が必要なんです。
疲労と睡眠不足による集中力の低下は、気合とか根性なんてものでは補い切れないものなんです。
もし補えたとしてもそれは、体力や健康の前借りに過ぎないんです。
健康を崩せば家族に心配を掛ける事になるでしょうし、満足いくお仕事なんて出来る訳がないんです。
ええ、分かってます、時には無茶も必要な時もあるって事は。
でもそれは今なのですか?
時間を掛けて構わないと言っているのに、しなければならない事ですか?
鉄は熱い内に打つもの? くだらないっ!
人は鉄ではないんです。
そんな程度で冷めきってしまう熱なら、最初から人を巻き込まないでください。
人を巻き込み、身体を壊し、家族に心配を掛ける。
これが貴方の言う職人の意地なんですか?
もしそうなら、そんな意地なんて、そこらの犬にでも食わせてあげなさい。
職人の意地っていうのは、人や家族の周りの人を幸せにするための意地なんです。
優れた技術と言うのは、自分を含めた周りの人を幸せにして、初めて技術と言うんです。
職人はその技術を使いこなす凄い人なんです。
そんな凄い職人である貴方が、そんな考えでどうするんですかっ。
「ふーっ、ふーっ」
なにか言うコギットさんを無視して、一気に捲し立てたおかげで息が乱れるも、私は一切目を逸らす事なく、コギットさんを睨みつける。
喧嘩も相手を説得させるのも基本は一緒。
相手から決して目を逸らさない事。
それが物理的か精神的かの違いはあれど、自分は譲らないと言う意思を見せる事にもなる。
ええ、睨んだって無駄です。
これで怯むぐらいなら、最初からキレたりなんかしませんし、捲し立てたりしません。
何か周りから視線を浴びている気がするけど、今はそんな事を気にしている場合ではないので、全部後回しっ!
「私は譲る気はないです。
必要なら力尽くででも説得するつもりです」
職人の中には喧嘩っ早い人達だっている。
世の中には力尽くでないと分かってくれない人もいる。
ずーと只管に隠してきたけど、人の命を賭けてまでする物じゃない。
知れ渡ってしまうなら、その時はその時、予定を早めるだけの事。
「………ああーーっ!
分かった分かった、俺の負けだ。
ったく、お嬢さんのような子に力尽くとまで言われて、引き下がらなきゃ男が廃るってものだ」
「ありがとうございます。
あと、すみません、色々と生意気な事を言ってしまって」
「謝るなっ。
これで謝られたら、それこそ男の面子ってものがない。
後腐れはなしだ」
「は、はい。す…」
ガシガシと困ったように頭を掻き毟りながら言うコギットさんに、思わずまた謝りそうになって、慌てて口を噤む。
きっと私を気遣って、そう言ってくれたのだと思う。
やはりその辺りは年の功だと感じいる。
前世を含めても私なんかより、かなり年上なだけはあると。
だから……。
「だが、工房の未来のためと言うのは変わらねえし、変える気もねえ。
掛ける時間と人は減らすが、俺が譲れるのはそこまでだ。
安心しろ、酒を飲む時間の分だけ作業に回す程度で、寝る時間までは減らさねえ、それでいいな」
それで話は終わりだと言わんばかりに、私に背中を向けて職人に新たに指示を出し始める。
その背中は、しっかりと譲れないところは譲らないと言っている。
結局、コギットさんは私の我が儘を聞いてくれただけ。
本当、敵わないな。




