293.残った髪の毛を全部引き抜きたい、と思った事ってありませんか?
「これはこれはシンフェリア様、態々当家の方にまでお越し戴けるなど、光栄ですな」
「いえ、こちらこそ古き歴史があり、神心の体現たるオルミリアナ家に足を踏み入れさせて戴き、誠に光栄にございます」
シンフォニア王国建国当初からある、古き血筋の五公七侯爵の内に一つであるオルミリアナ侯爵家は、血筋だけで言うならば、建国より遥か前からこの地にある家と言われている最古の家。
王都にあるオルミリアナ侯爵家の屋敷に、私は従者であるジュリを引き連れて訪ねて来ている。
広大な屋敷の中に数ある応接間の一つに通されただけだけど、それだけでこの屋敷が何処もが荘厳に満ちている事が理解できる程。
王都にある他の古き血筋の五公爵七侯爵の屋敷も立派ではあるけど、此処まで立派な屋敷ではないし、敷地の大きさすらも、王城や教会を除けばこの街で最大を誇るオルミリアナ侯爵家の屋敷には遥かに及ばない。
それもそうだろう。
この街の古き血筋の五公爵七侯爵の屋敷は、基本的に街屋敷。
あくまで、王都に滞在する時のための仮の屋敷であり、各領地との遣り取りをするための領事館的な側面を持つ仮初の屋敷。
古き血筋の五公爵七侯爵の中で唯一領地を持たない、オルミリアナ侯爵家とは意味合いが違うし、逆に言うならばオルミリアナ侯爵家が公的に持つ領地と言える土地はこの屋敷だけしかない。
それだけ、オルミリアナ侯爵家は領地に代わる力を持っているとも言えるけどね。
「先日は、不勉強故に色々と不愉快な思いをさせてしまった事を、まずお詫び致します」
「なに、不愉快など何も思っておりませぬ。
私は忠実なる神の使徒として、また、古き血筋を持つ者の一人として、まだ若き家の者に教えを与えただけの事。
それを受け取るも受け取らぬもその方の判断ですし、こうしてそのような言葉を戴けたのならば、言葉を掛けた甲斐があったものと嬉しく思っておりまする」
この狸が、よくも言う。
そう言わせたのはお前だろうが、と心の中で悪態を吐きつつ、今は和かに話を進めるべき時。
ええ、ですから、如何にオルミリアナ侯爵家が神に愛され、神の忠実たる使徒としての歴史を歩んできたかなんて、一銅貨にもならないくだらない話も、和かに感心したように聞きますよ。
内心ではボロクソに言ってますけどね。
爺さんもう少し説法の勉強をしろっ!ってね。
神の教えが齎した歴史や建物の歴史はいいけど、テメエとテメエの家の自慢話なんぞどうでもいいわっ!
聴いている人間が興味を持ち、楽しく聴ける中に自慢話を置く程度にするなら分かるよ、でも逆なんぞ、聞いていて苦痛でしかないってのっ!
話が退屈すぎて、後ろで聞いているジュリなんて、魔力の循環鍛錬して暇を潰していますよ。
無論、私もしているけど、一応は相槌を打つために、ある程度は話を聞かないといけない分、鍛錬に集中できないから、あまり暇潰しにならない。
「うふふっ、それだけ神の御加護があったからこそなのですね」
「ええ、私めも、まだまだ未熟な事を実感する毎日ですが、神と歴代の当主達に恥じぬよう、今だ精進しております」
「まぁオルミリアナ卿のような歳になってもですか、ご立派な心がけです。
私もその歳になっても、自分を磨き続けられる人間でありたいと思います」
貴族令嬢面倒臭い……。
顔の筋肉が攣りそう……。
でも如何に自分が力を持つ人間であり、組織力がある立場にあるのかを、かな〜〜〜り長くて遠回しな説明がやっと終わったのか、部屋の隅にいる執事にお茶を入れ直させるのを見て、やっと本題に入れると心の中で安堵の息を吐く。
それにしてもこの男、最初に会った時の私と私の家に対する暴言の件には一切触れない辺り、あくまで自分は知らない事だとシラを切るつもりなのかな?
陛下やジル様から、オルミリアナ卿に釘を刺した経緯は聞いているから、知っていない訳ないのにね。
もっとも、知っているからこそ、あの嫌がらせが発生している訳だけど。
「さて、本日来られたのは、当家に良いお話があってとの事だと考えておりますが」
「ええ、聖オルミリアナ教会にとって良き話になるかと思い、聖オルミリアナ教の代表とも言えるオルミリアナ卿にお手紙を送らせて戴きましたが、御迷惑でしたでしょうか?」
「いやいや、シンフェリア様は、お若いのによくお分かりになられている。
教会にとって良き話になるのであれば、当家で何ら間違いありません」
オルミリアナ卿は枢機卿の一人ですから、一応は代表者なんですよね。
数いる代表者の一人でしかないんですけどね。
本当の意味での教会の代表者は、大司教ただ一人。
でもこの方は、もう御高齢で月の内の半分以上をベッドの上で過ごされているとか。
働けなくなったのなら、とっとと引退しろやと言いたいけど、貴族の当主と違って、教会はあくまで信仰。
生きている限り信じ続けるのが真の信仰であり、生きて信仰している限り現役と言う考え方が教会にある。
まぁ熱心である信者ほど、最後は神の下に導かれる時は、その信仰の証と言える立場にいたいと言う考えも分からない話ではない。
でもそう言うのって、名誉職じゃ駄目なんですか?
実権持った人間が動けないと下が困るんですけど、と言いたいけど、まぁそこはそこ、なんとなかなるように組織の体制が出来ているんでしょうね。
大司教は本人が辞める意思を示すか、枢機卿達の会議で半数以上の採決でもって辞めさせるかしない限り、寿命以外に大司教が変わる事はない。
そして、その会議にしたって、大司教を辞めさせる事に賛同した人間は大司祭に成れないと言う決まり事があるので、会議自体行われた事はここ数百年ないらしい。
そんな訳で、現在、命の残りが少ない大司教の後釜を巡って、水面下では一大攻防戦が広げらしいけど……。
だけどそんな攻防戦も側から見たら、十数から二十年毎にやっているイベントでしかないんだよね。
皆さんの年齢が年齢だから、下手をすれば数年毎だよ。
そして、そんな頻繁にやっているイベントに、人を巻き込むなと言いたい。
「まずは此方の書類に目をお通しください」
オルミリアナ卿に渡した書類は、一種の契約書。
永久脱毛と頭髪再生、この二つの魔導具を使った商売と言うかサービスの概要。
簡単に言うと、教会で行う理容サービス。
この二つの魔導具を使うには共に【聖】属性をもっている事、または治癒魔法を使える事が必須条件となっている。
そして【聖】属性や、治癒魔法と言えば教会と言うほど、教会にはこの手の人材が豊富にいる。
それに、かなり地味な使い方なので、根気のいる方でないといけない。
細かなサービス内容はともかくとして、教会はこのサービスを行う代わりにお布施を戴く仕組みで、教会はサービスに必要な魔導具を私から購入し、更には二パーセントの利益を、このサービスを続ける限り支払い続けると言う内容の契約書。
「なるほど、悩み多き方々を救える素晴らしいお話ですな。
……しかしこの書類、陛下の署名がされているようですが、これはどのような事で?」
「おそらくは御存じておられると思いますが、私の魔導具の利権を巡って争う方々がおりまして」
「ええ、そのような噂は聞いておりますが、それがなにか?」
「ですが、この魔導具はその書類を見ても分かりますように、教会が一番適しているように思えますし、多くの人の悩みを救うと言う観点から見ても、教会がもっとも相応しと考えておりますが……。
その……、力を持つ貴族の方々の中には、教会が必要以上の力を持つ事を避けたいと考えられている方々がおりまして、そこで陛下に御相談をして陛下の許可の下での話と言う事にして戴きました。
本当に陛下にこのような事をお頼みするのは心苦しかったのですが、陛下はあのようのお優しい方ですので、私のこのような我が儘を聞いてくださいまして、本当に感謝の言葉しかありません」
言葉の装飾はともかくとして、陛下に相談した結果と言う事に何ら嘘はない。
最初は三つ目の魔導具と、その後の展開の話をするまで、大分渋ったけどね。
「陛下は私にこの話をもって行く事を知っていると?」
「ええ、やはり教会と言えばオルミリアナ卿かと思い、私の方からそのように話を持って行きました」
「……なるほど、代わりと言う訳ですな」
「代わり、ですか?」
「いえ、此方の事です」
ええ勝手に考えてください。
私はあくまで教会に提供するだけですし、陛下も教会に許可をしただけですから。
それに教会にとって、これほど美味しい話もないのは本当ですしね。
このサービスは、時間を開けて最低四、五回の施術が必要で、その度にお布施を受け取れる事ができる。
おまけに、あくまで教会のサービスなので、例え効果が無くても文句は言えない。
貴方様の神信が足りないのでしょうで終わる。
ごく一部で、試させて貰った限り、全部成功しているので、効果がないと信者が暴動を引き起こすような事はないだろうし、そんな詐欺紛いの魔導具を売りつける訳にはいかない。
「それでは、今回のお話は」
「ええ、迷える神の子等のために、お受け致しましょう」
「ありがとうございます。
では此方と此方に、教会の代表者として署名を」
署名は同じ物が二つ、私と教会側の物として。
署名もする場所が分かりやすいように、署名する場所に教会代表者署名欄と小さめに記載して標をつけてある。
私の分は既に署名済みだし、見届け人として陛下の分の署名も、既に両方にしてあるので、これで契約の締結完了。
「余談ですが、他の家の方々には利益供与は十分の一の半分ですが、私は教会に感謝しておりますので、書類にある様に他の家の方々より低い設定をさせて戴きました」
「シンフェリア様の神信は、おそらく神の下に届き、貴方様を悩ます闇を払ってくださると思います」
ぎりっ。
掌に爪が食い込むけど、今は我慢。
ここでコイツを殴っても、なにも良い事はない。
笑顔で和かに。
もう悩ます事がないと言うのなら、それで良い。
時間差はあるだろうけど、収まるのであれば、これ位の事はなんでもない。
自分の事なら何一つ気にしないのに……。
家族を人質に取られただけで、この始末。
お父様は、きっと毎日こう言う事と闘っていたのだと思う。
そう思うと本当に感謝の言葉しかないし、尊敬する。
たとえ、親不孝の我が儘御転婆娘であろうともね。
「では、書類にある通り、まず見本として二本ずつお渡しいたします」
書類に引き続き、ジュリが二種類の魔導具が入った箱をオルミリアナ卿の前に置く。
その魔導具を前に顔が、ニヤけているけど、それは教会に利益を齎すからなのか、それとも自分に使ってみたいと思っているかは別に知りたくはないので考えない。
ただ、もう少しだけ我慢して……。
「作業の見本として、どなたかに施術をしてみましょうか?」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
【リズドの街】
「ふぇ〜ん、エリシィ〜」
「ふぅ、どうしたの? でも今日は甘やかさないわよ」
嫌な思いをしてきたと言うの冷たい。
蒸し布巾で温めた後に更に拭いたとは言え、あの脂ぎった嫌な奴の頭皮や髪を半刻も触り続けていたと思うと、もう気持ち悪くて。
別に同じ禿げ親父のグラードさんとかは、全然そんな事はなかったけど、あれは駄目。
もうネチョつく感覚が、背筋が寒くなりっぱなしで。
ガシッ。
え?
じゃぶじゃぶじゃぶっ。
あのエリシィー?
……徹底洗浄って。
いや、もう今更だし。
それに、あいつの屋敷を出た後、ジュリにも同じ事されたから。
「ジュリさん、流石です」
「当たり前の事をしただけですわ」
「今後もその調子でお願いいたします」
じゃあ、先程の続きを。
どうにもあいつの頭皮の匂いが鼻についているようで、エリシィーの匂いで上書きをしたい訳で。
「ふひゃふやっ」
「我慢してくださいね」
「水よりも温かいお湯の方が」
いきなり人の鼻の中に、布を突っ込むのは止めて欲しい。
本気で痛いし、鼻の穴が広がったらどうするんですか。
「いっその事、全身洗浄ですね」
「お風呂で隅から隅まで」
「今、お湯を入れてきます」
「私は着替えの準備を」
え〜と…、何でこんな事に?
セレナ、ラキア、そんな笑ってないで、あの二人に何か言ってくれません?
このままでは、私、お風呂場で全身擽り刑の目に遭いそうなんですけど。
……怖いから無理って、薄情な。




