292.彼女に甘えるのは、私だけの特権です。
「う〜ん、……これも駄目か」
自室での研究中、芳しくない研究結果に、つい溜め息を吐きたくなる。
リズドの街の屋敷は、そこそこ広い敷地のある屋敷なので、屋敷内に充満しないように排気さえ気をつければ、多少の匂いが出ても問題ない辺りは、宿舎にいた頃と違って気が楽にはなったかな。
まぁ以前が気にしていたかと言うと、ジュリに指摘されて気にし始めただけでしかないんだけどね。
ほらっ、人間ずう〜〜っと同じ匂いを嗅いでいると、その匂いが気にならなくなりますからね。
「元々魔導具化をすると効果や威力が大きく下回るものだから、多少は仕方ないんだけど。
……三割ぐらいから上がらない」
魔法を魔導具化すると、だいたい六、七割にまで効果が下がる。
作る人によっては五割程とか聞くけど、私が今やっているのは三割にまで下がっているから、溜息を吐きたくなる気持ちも分かるでしょ。
これでも最初に比べたら、かなり上がったんだけどね。
そもそも効果を増すための補助具としての魔導具はあっても、効果その物を持たせた魔導具化は不可能と言われている類の魔法の魔導具化。
まぁ魔導具と言っても魔法石を使わないので、世間では魔導具もどきに分類する代物なので、それも理由の一つなのかもしれない。
かと言って私がよくやる魔法石化をしていると言う訳でも無い。
魔法石も魔法石化をした物も使わずに、不可能と言われたある魔法を封じた魔導具を作ろうと言うのだから、この世界の魔導具師達に喧嘩を売るような代物と言える。
でも、私は元々そう言った物を沢山作っている。
ただ、今作っている物が、それ等も含めても、掛け離れた物ではあるけどね。
「濃度は一定以上は関係なく、触媒や薬草の組み合わせ次第か。
鉱物系も試す価値あるけど、体内に入る事を考えると避けたいよね。
とりあえず、もう少し草木系から試してみるかな」
動植物関わらずに色々な組み合わせを試してはいるけど、効果自体は夏に陛下達に見せた時からそれ程は変わっていない。
系統別に試すだけでも何百何千とある訳だし、そこからもし効果のありそうな物を見つけたとしても、最適な分量を探り当てるために、更に何百何千の試行錯誤しないといけないので、下手すれば何十万通りにもなるかもしれない覚悟は最初からしている。
何方にしろ、地道に長い目でやっていくしかない事。
焦っても仕方ないけど、焦りたくなってしまう自分を鎮めるように、もう一度息を大きく深呼吸をする。
エリシィーが狙われた。
私の商会の本部の目の前で、建物から出てきた所を狙われたらしいんだけど、寸前のところでエリシィーが抵抗し、そこに商会の人間に駆けつけて取り押さえたので、良かったと言える。
うん、欠片も良く無いし、エリシィーの無茶も勘弁してほしい。
エリシィーは平気だと言うけど、私が平気じゃない。
暴漢は、まぁ、どこかの教会の狂信者で、目的は誘拐。
一時期より減ったとはいえ、散発的に偶に襲いかかってくる。
ただ、今までは私に対して直接だったけど、どうやら私の身内を餌に私を誘き寄せるつもりだったみたい。
でも、その内、私に対して揺さぶりを掛けるために、本当に狙われる事も十分にあり得る話。
アドル達に、エリシィーが外に出る時は、誰かが必ず護衛に付くようにお願いしたので、今後は大丈夫だとは思う。
所詮は素人の単独犯だからね。
そう、単独犯だと言うのが、一番性質が悪いところ。
そして自分のやっている事が正義で、神やこの世界のためになる事だと信じて疑っていない所が、非常〜〜に性質が悪い。
でも、実際は揺さぶりなんだろうけどね。
「あまり長い期間、力を与えておきたくはないんだけど、仕方ないか」
今、研究中の魔導具、そして安全性と経過の確認だけで、効果的には殆ど完成している二つの魔導具。
これ等は私が教会のために用意した魔導具だけど、正確に言うと本当に教会に協力してもらい、世に広げたいと思っている魔導具は、私が今研究している物だけ。
残りの二つの魔導具は、教会との取引に使えそうだから、教会用と言っているだけに過ぎない。
「あの天辺禿げの爺いに一人で会うのは、流石に憂鬱だなぁ」
コンコンコン。
「あれ、エリシィー、どうしたの?」
「うん…、その…、また何か無理してないかなって?」
「そう? 研究はいつも時間を決めてやっているし、いつも同じ研究ばかりしている訳でもないから」
「……本当に?」
本当ですよ……。
時間的には、変わってませんよ……。
うぅ、……真っ直ぐと綺麗な青い瞳で、じっと覗き込んでくる圧力に耐えきれず、つい目を逸らしてしまう。
エリシィーの目は好きだけど、なんと言うか、今のは辛い。
「ほら、やっぱり無理しているんでしょ」
何故か、確証しているように言うエリシィーだけど、先ほど研究中に苛ついていただけに強く言えなかったりする。
そんな私の手を強引に取って、スタスタと部屋の隅の寝台に連れてかれると。
ぽんぽんっ。
寝台の上で、エリシィーは何時もの様に自分の太腿の上を叩いて、来なさいと誘ってくる。
まぁ、そこまでされたのなら、お誘いは受けるもので、エリシィーの膝枕を堪能する。
エリシィーと関係を結ぶようになっても、それなりに甘やかせてはくれるけど、こう言う風に本当に甘やかせてくれるのは、再開の時以来なので、この機会を失ったら今度は何時になる事やら。
ええ、勿体ないです。
ん〜〜、やっぱりエリシィーの膝枕は心が落ち着くなぁ。
すぅ〜〜……、はぁ〜〜〜……。
「ねぇ、私そんな分かりやすかった?」
「別に、他の人達は気がついてないんじゃないかな?
ジュリさんは何となくだろうけど、ユゥーリィ、あの人には甘えないでしょ」
一応は隠せてはいたみたい。
エリシィーは、何となくと言う訳の分からない答えだったけど、エリシィーのジュリには甘えないと言う言葉は半分当たっているかな。
ジュリには、頼りになるお姉さんでいたいからね……正確にはお兄さんどころかオジサンだけど。
「エリシィーにしかバレてないのか」
「私はその方が良いかな。
ユゥーリィを甘やかせるのも、甘えてもらえるのも私の特権」
別に特権という訳ではないと思うけど。
ミレニアお姉様にも、それなりに甘えていたし。
まぁ、……それなりなんだけどね。
「でも、エリシィーには分かってもらえると考えれば、物凄く嬉しいかな」
「自分に都合のいいように考えないの。
私、結構、ユゥーリィの引いている部分、多いからね」
「ぐぅわぁ〜〜んっ」
「そういうノリのところとか」
「……酷い、心の安定剤なのに」
つい小さく笑ってしまう。
その事が私の中の淀みを浮かせてくれる。
だからかな、素直にエリシィーに甘えられた。
私の中を澱んでいる事の原因の一つがエリシィーだと言うのに。
彼女なら受け止めてくれると、勝手に信じて甘えてしまう。
はぁ……、本当、私は自分勝手の酷い人間だ。
「……んっ、ありがとう」
「……どうしてエリシィーが礼を言う必要があるの?」
「だって、ユゥーリィがそう溜め込んでいるのは、私を心配してでしょう。
それが嬉しいかったから、じゃあ、だめ?」
「……エリシィー、私の方こそ、ありがとう」
本当、今世でこの子に会えて良かった。
無論、ジュリも物凄く大切な子。
あの子がいたから、私も頑張って来れたと言う自覚があるからね。
「ふぅ、もう大丈夫そうね」
「ん。もう少し」
「だめ」
「いじわる」
子供の頃から何度も繰り返した問答。
それが、今でもこうして続けられているのが嬉しい。
「そう言えば、私が素直に甘えなかったら、どうするつもりだったの?」
「ん〜、別に、まだそれ程じゃなかったのかな?と思うだけだし、ユゥーリィは甘えると思っていたから」
まぁ正論か。
私だって、一応は前世がオジサンのプライドがある。
何でもないのに、ああ言う風に甘えるのは流石に気恥ずかしい。
本音はしたいし、嬉しけど、それは流石にね。
もう少し開き直れる歳になったらで……。
「ああ、でもこの間みたいに、放って置いたら駄目って感じたら、無理やり甘やかさせたかな」
多分、エリシィーと再開した時の事なんだけど、あの時は自覚していなかっただけで、相当溜め込んでいたみたい。
エリシィーに甘えて、その辺りを物凄く実感したので、そこは誤魔化す気はない。
でも、無理やりって、どうするつもりだったんだろ?
「もちろん、この間の夜のようにね。
ただし、あんなに甘くじゃないけどね」
ぼっ……。
彼女の言葉に、顔が熱くなる。
うぅ、あれは止めてほしい。
あんな恥ずかしい事を言わせるエリシィーは酷いと思う。
だいたい甘えるの意味が違うから。
私は心が休まる甘えが欲しいのであって、頭の中が暴走するような甘えは…その…本気で自分の言葉と……その…行動が恥ずかしくなるので。
「じゃあ、試してみようかなぁ?」
「えっ、いいっ、いらない」
「そう? じゃあしょうがないか」
おそらく最初から冗談だったんだろう、あっさり引いてくれるエリシィーの言葉に安堵の息を吐くのだけど、……エリシィー、まだ何か?
何か変なこと考えていない?
「じゃあ、今度は私がユゥーリィに甘える番」
「ぇっ?」
「焦らし過ぎるの禁止」
「そのような命令には従えません」
「が〜〜んっ! 逆らわれたっ!」




