236.お姉様との再会に、胃を悩ます日々を送りました。
ミレニアお姉様の嘗てない程に重たく冷たい視線に、私は俯くしかないわけで。
罪を侵した私は、これくらいの事は最初から覚悟をしていたとは言え、やはりお姉様にそのような視線を向けられる事が辛くて悲しい事には違いないし、そうさせてしまった事に申し訳ないとも思っている。
ええ、一方的に私が悪いですから、こればかりは仕方がない。
一応、所在を隠して何度か手紙を送ったり、爵位を戴いた際には、家に迷惑を掛けるかもしれないので、送り返し先も含めて手紙を送った後、返って来たのは春にでも一度会いたいと言う短くて簡素な内容の言葉。
それだけで、お姉様がお怒りなのは十分過ぎる程分かっていたけど、辛いものは辛いわけで、かと言って今更起こしてしまった事はどうしようもないし、後悔はしていない。
だから私としては、謝罪の言葉と姿勢をお姉様に送るしかない……。
「ユゥーリィ、分かってはいると思いますが、貴女が爵位を戴いたのは、唯の結果論です。
貴族の令嬢として生まれた義務を放棄し、実家であるシンフェリアの家に恥を掻かせた事には違いありません。
そもそも貴女は、私からの差し伸べた手も払っていますよね?」
「……はい、申し訳ないとは思っています」
ミレニアお姉様の言っている差し伸べた手というのは、私が婚姻に夢を見ていると思っているミレニアお姉様が、グットウィル子爵家の長子、つまりお姉様の旦那様の第二夫人にならないかという打診の件。
これが、当時、田舎の貧乏男爵家で、色なしで、病気持ちのため、碌な結婚先が無いと思われていた私に対する名前だけの結婚で、救済措置だと言うのは分かってはいたけれど、私はその話を蹴った。
お姉様の結婚生活に水を差す訳にはいかないと言うのもあるけど、逆に言うとそれは何時かは誰かと結婚するか、本当の意味で第二夫人にならないといけないと言う事に他ならないから。
はい、いくら敬愛すべきミレニアお姉様の言葉でも、それは無理です。
いくら今世が女として生まれていようとも、中身が男である以上、男とだなんて結婚できませんし、したくありませんから、影口を叩かれようとも喪女を目指します。
だから、その件に関して責められても、私はお姉様に何一つ言えない。
「貴女は、色々お父様の商会に利益を齎した事で恩義を返したと思っているのかもしれませんが……、家によっては後継ではない子供など、死ぬまで道具として扱う家も少なくは無い事を知らない訳では無いでしょう。
貴女が家を出た後に築いた功績全て、シンフェリアの家に返してもおかしくは無い事だとも」
ミレニアお姉様の言っておられる事は何一つ間違ってはいない。
例え、嫁に行った先で子供が生まれない内に旦那が早世した場合、元の家に返され、また政略結婚の道具になる事は、貴族の世界では珍しい事ではない。
実際に何処かに士官し、何処かの家に入る事なく功を得たとしても、その功績は本人ではなく、実家に帰属する事が多いとも聞いている。
だけど、このお姉様の言葉にはだけは頷けない。
ただ、黙って頭を俯けるだけしか。
まず前提条件として、私が本家であるシンフェリアに居たままだったり、無理やり何処かの家に嫁に出されていたりしたら、まず間違いなく魔導具による功績はなかった。
シンフェリアにいる内は魔法使いの成り損ないでいる事を通していただろうし、何処かの伯爵家の次男のところの嫁にされていたら、私は精神的に壊れていただろう。
そして前提条件以前の問題として、私がシンフェリアの家を出る事で関わった人達の優しさと想いを裏切る事になるから。
もし、お姉様のその言葉に頷いてしまえば、皆の想いを裏切るだけでなく、利権も動いてしまい混乱が生じてしまう。
それは、私に力を貸してくれた人達だけでなく、シンフェリアの家にも、……そしてお姉様のいるグットウィル家にも大きな波となって襲い掛かる事は目に見えている。
だから、これだけは譲れない。
「はぁ……、本当に貴族の当主になられたのですね。
ユゥーリィ子爵、先程までの御無礼の程、どうかお許しください」
そんな私の態度に、ミレニアお姉様はそう言葉を返す。
でも、それはどう言う意味なのだろうか?
家を出た私が言うのも変だとは分かってはいるけど、家族として見限ったと言う事なのだろうか?
お姉様の何処までも他人行儀で硬い言葉が……。
それ以降、もう話す事はないとばかりの長い沈黙が……。
お姉様の足元しか見えない視界を、曇りガラスのように歪ませる。
ポタポタと何かが地面を濡らす音を聞きながら、私はグッと目を閉じて、それを止めようと努力する。
それでも従者として、そして友人として、じっと耐えてくれているジュリに感謝する事は忘れない。
きっと、今、ジュリに入って来られたら、私は今みたいに耐えられない自信があるもの。
お姉様を庇って……、ジュリを庇って……、きっと無茶苦茶な事を言い出していたかもしれないと。
「もう、この子はっ!」
ふわっ
だけど、そんな私の想いなど関係なく、懐かしい温もりが私を包み込む。
ぎゅっと力強く、それでいて優しい抱擁と感触と匂いに、私の思考が真っ白になってしまう。
もう、二度と味わう事は出来ないと思っていた感触に……。
「まったく、大胆な事をやるくせに、何処か臆病な所は変わってないんだからっ。
ユゥーリィ、私の顔を見るのが怖いからって、下を俯いているから私の気持ちが通じていないの。
貴女は貴族の当主になったのだから、覚悟だけでなく、そう言うところも当主らしくしないと駄目よ。
けっして話している相手の目を視界から外さない事なんて、そんなのは基本でしょうが。
だいたい、ユゥーリィもユゥーリィよ。
他家はともかく、あのお父様がそんな子供を使い潰すような真似をする訳がないし、お父様から大凡の事情は聞いているわ。
色々と誤解は生じていたようだけど、起きてしまった事は仕方がないし、貴女は貴女で家に恩義を返したと私も思っている。
まったく、そんなに姉である私が信じられなかったのかと、本気で怒っていたのは本当だけどね。
貴女の情けない泣き顔を見たら、怒る気も伏せたわ」
うん、やっぱり、お姉様はお姉様だった。
厳しい事を言いはしても、優しいお姉様だった。
でも、言い訳させてもらうならば、お姉様が怖かったと言うのは本当なので仕方がない。
これはある意味弟や妹の宿命みたいなものだし、私がやった事は、貴族の家に生まれた娘としてはありえない事。
子供が多すぎて、嫁ぎ先もなく自立を促されている貴族子女からしたら、男爵家の次女が伯爵家の次男の下に嫁ぐ話しを蹴って、家を出るだなんて普通は有り得ない話。
ましてや相手は、色なしで病気持ちでも構わないと言ってくれたにも関わらずだ。
だからこそ、お姉様の温もりと、優しい言葉が信じられなかった。
「ぉ、お姉様?」
「ええ、まだそう呼んでくれて、私は嬉しいわ。
そして、よくは知らないけど、色々と頑張ったわね。
こうして貴女の元気な姿を見れて、私だって耐えるのが大変だったのよ」
そうして、お姉さまの綺麗な瞳から、溢れ落ちる滴と想いに応えるかのように、私の方もついに決壊してしまう。
うん、すでに瞳の方は決壊していたけど、心の方が決壊しました。
だから思いっきり私もお姉様に抱きつく。
ごめんなさいと謝りながら……。
期待に応えられなくて申し訳ないと言いながら……。
お姉様だけでなく、お父様やお母様達に謝りたい思いと言葉と共に……。
甘えだと分かってはいても、お姉様に想いをぶつけてしまう。
止める事など、とても出来ずに、感情の赴くままに……。
心の奥深くから溢れる想いのままに……。
そんな私を、ギュッと抱きしめてくれるお姉様が嬉しくて……。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「おねえちゃ、しろい」
「そうだねぇ。白いの嫌い?」
「ん~ん、すき〜~」
「お姉ちゃんも、ユゥラード君の事が好きだよぉ。一緒だねぇ」
「いっしょぉ~~」
初めて会う甥っ子のユゥラード君の言葉に、頬がだらしなくニヤけてしまう。
「ユウさん、顔が崩壊していますわよ」
ジュリ、五月蝿い。
可愛い甥っ子に好きと言わせて、何が悪い。
ジュリだって、ベル君が幼い時に言わせていたりしたでしょ?
「それにしても、貴女ちっとも成長してないわね、会った時に別の意味で驚いたわよ」
「す、少しは成長しています」
お姉様に最後に会ったのは二年半前なので、成長していない訳がないので反論はする。
「でも、とても十三には見えないわね。
特にそちらのジュリエッタさんと並ぶと余計に」
「ジュリがデカイだけです」
「ユウさんが小さいだけですわ」
「……両極端なのは確かよね」
反論はするけど、年相応には見えないのは私もジュリも自覚してはいるので、それ以上はお互いに突っ込まない。
虚しくなるだけですからね。
「でも、顔色は以前より良くなったのかな?
あれから熱を出して寝込んでいない?」
無理をして寝込んだばかりなので、否定はしにくいけど、そこは貴族なので黙って否定しておく。
「しているのね」
何故か速攻で嘘がバレてしまった!
しかも、何故かジュリに気をつけるようにお願いされてしまっている。
なんと言うか、友達に身内がこう言うお願いしてをしてるのを見て、もの凄く恥ずかしいと思えるのは、異世界でも共通なのだと思いつつも、お姉様に手加減するように懇願する。
自分で無理をした時に、その反動でなっただけで、それ以外では此処二年程は寝込んでいないと。
その寝込んだのだって、二回だけ。
相手の攻撃魔法の魔力に、直接干渉すると言う荒技を試みた時。
そして、最近ではジュリの魔力回路を疑似的に増やすために、ジュリの体内循環の魔力に完全同期をさせて操作した時。
「何を無理したのかは聞かないけど、本当に無茶をしていないか心配だわ。
貴女、時折後先考えずに無茶をする事があるから」
「やっぱりそうだったんですか?」
「ええ、小さい頃から病弱なくせに、人の目を盗んで無茶をして寝込んでいたわ。
時折、妹ではなく弟だったかしらと思うくらいにね。
だからお母様が、このままではいけないと思って、令嬢としての教育を必要以上にされて。
でも、この子ったら物覚えも要領も良いから、すぐ覚えて出来るようになるのに、敢えてそれを無視すると言うか、目が離れた場所では雑になると言うか、それでお母様、余計に意地になってしまって」
お姉様、頼みますから、あまり人の従者に変な事を吹き込まないでください。
それとお母様の淑女教育が、あれほど厳しかったのはそう言う理由だったんですか?
だったら教えてくだされば、お母様の目の届く所だけは、もう少し気をつけたと言うのに。
……変な事ではなく、私に対する注意事項の伝達と。それと私がそう言う態度だから余計にお母様が意地になるだけだったと。
それっ、同じ事ですよねっ!?
もうっ、と口を尖らす私に、お姉様は笑みを浮かべながら。
「そう言えば、一応は伝えておくけど。
貴女が家を出る原因になったフェルガルド伯爵家からの婚姻話なんだけど、どうやら誤解があったみたいだから話しておくわ。
すぐに子供を作るって話は、実は伯爵当人の希望であって、当人であられるギルバード様は最初から、貴女が成人するまで待つつもりだったみたいよ。
行儀見習いは、少しでも早く側に置いておきたくてと言うか、誰かに取られてしまわない様にとの申し出だったみたいだけど、伯爵様はそれを曲解してしまって、もともと御長男夫妻にも嫡男がまだと言う事もあって、早く男孫の顔見たさと、貴女の病気の件を知っているので元気な内にと言う考えで、ああ言う形でシンフェリアの家に話がいったみたい。
夫がギルバード様の職場での後輩で、貴女が家を出た原因が曲解された事が原因だと、伯爵様と大喧嘩になったのを、夫を相手に長々と愚痴ったみたいだから。
それで一応は聞くけど、ギルバード様はまだ独身だけど、どうする?」
いえ、どうするも何も最初から問題外です。
例えお姉様の言う事が事実だとしても、男を相手になんて結婚など無理だし、私の中身が女だとしても私が成人する頃には、相手は三十前後でしょ。
普通にありえない話しだと思う。
おまけにお姉様の結婚式の時に、幼い外見の私を前に膨らませていた事に違いないし、もしアレが臨戦体制では無い沈静状態だったとしても、それなら尚更物理的に不可能に近いと思う。
それに今のお姉様の話だと、私の魔導具の腕を見込んでの政略結婚というよりも、馬熊男ことギルバード様から出た話みたいだから、そんな男盛りの人間が、手を付けても良い好みの相手が目の前にずっといて、私が成人するまで耐えられるとはとても思えない。
とりあえず相手は伯爵家の次男なので、直接批判はせずに……。
「せっかくの話なのですが、私にとっては、結婚そのものが考えられないので」
当たり障りのない本心をブチ撒けます。
何時かの第二夫人の話のように、勘違いで話を用意されても堪らないですからね。
……家の後継者?
養子でもなんでもありですし、そもそも一代限りで潰しても良いと陛下からのお墨付きですので、御心配無用です。
「はぁ……、なんで、こう変な子に育っちゃったのかしら。
男の人は、貴女が思うほど怖くないわよ。
ウチの人だって、ギルバード様ほど身体が大きくはないけど、見た目の割に優しいわよ。
中身に関しては、寧ろ可愛いかしらね」
男が厳つい身体ほど怖くないのも知ってはいるし、可愛い面があるのも知っていますよ。
でも、中身がその男の私としては、結婚相手として見るのは生理的にも魂的にも不可能なんです。
親不孝な私をお許しくださいと思う反面、【相沢ゆう】が目覚めなければ、そう言う未来もあったかもしれないけど、多分、その頃には【ユゥーリィ】は病気で亡くなっていただろうと言う事も分かる。
もし奇跡が起きて、【ユゥーリィ】が健康を取り戻していたとして、【相沢ゆう】が目覚めたのが、結婚式直前とか初夜直前でだったら、おそらくその場で心臓発作で亡くなっていたと思う。
ええ、受け入れなんて無理っ!
絶対にありえないからっ!




