215.主人に求められる覚悟と誇り。土埃なら幾らでも纏えるのにね。
「今日は此処までにしておこう」
「コンフォード様、本日もありがとうございます」
頭を下げる事なく、視線でもって謝意を表しながら笑みを浮かべて見せる、と言っても特に意識しなくても、笑みは浮かべられるので態々顔を作る必要はない。
そしてそのまま真っ直ぐ振り返ってドアまで進み。
「ふぁ……、疲れました」
「はははっ、あれだけ飄々とやっておいて疲れるか」
「飄々も何も、一生懸命なだけですよ。
まだ空気を吸うようにとはいきません」
「それが分かっている程に優秀な生徒で、儂としては教え甲斐がある」
振り返って再びドルク様のところに戻って、肩の力を半ば抜くけど、抜きすぎないように気をつける。
まだ公から私へと場所が移っただけにすぎないからね。
「マイヤー、茶を淹れ直してくれ」
「かしこまりました」
本日は昼から当主教育の日なので、こうしてドルク様のお屋敷にお邪魔して、貴族当主としての考え方や振る舞いを御教授して戴いているのだけど、なかなかに今までの癖が抜けない。
勧められるままに椅子に腰掛けながら、身体の中にある凝り固まった何かを吐き出すように静かに息を吐いていると……。
「基本的な考えた方はできているから、慣れるまで多少の事は年若い故と言い訳もたとう」
それが先程の当主教育を振り返って、反省点の多さについてだと見抜かれてしまう辺り、貴族としては未熟なのだろうけど、私としては其処まで隠す気はない。
「それに顔に感情を出さぬのが貴族としての美徳だと言われているが、まぁあれは方便で、ただの隙を突かれぬため鎧でしかない。
何方かと言うと男に求められるものだ」
「私は女、それ故に感情を隠し切る事は、必ずしも美徳にはなり得ない」
「それもあるが、お主の場合は感情豊かな表情の中で平気で作った顔を混ぜられるからな。
それが出来るのであれば、むしろ不要だ」
「あらっ、女だからこそ、それが普通に出来るのですよ」
実際、前世の複雑な社会の中では、当たり前に身につける事ではあるけど、今世程自然にできた記憶はない。
どうにもぎこちない笑顔を浮かべていた記憶があるけど、この辺りは狭いながらも、女社会で育った事によるものも大きいと思う。
だから今世ではそれがある程度出来るのであるなら、無理に表情を貼り付ける必要は無く、必要な時だけ必要な顔を作れば良いと決めた。
「かもしれんな。
だが、こう教えておいてなんだが、無理に他の当主の真似をする必要はない。
必要なのは当主として守らねばならぬ考え方と、それに伴う振る舞い方にすぎん。
あとは立場と家によって変わってくる」
「これまで教えて頂いた事を否定されておられますが、それで宜しいので?」
「普通の貴族であればそうもいかんが、お主の場合はそれでよかろう。
なにせお主の場合、碌に貴族付き合いなどする気などないだろうからな」
「バレてましたか」
「それだけ顔に書いてあればな」
貴族の当主なんて祭り上げられはしたけど、私自身、貴族様ですとやる気はない。
必要であれば、そうして見せるけど、基本的に今まで通り。
なにせ領地どころか屋敷も年金もなく、貴族とは名ばかりの立場ですからね。
貴族同士の付き合いなんて最低限で十分だし、そもそも社交界に出ても話が合わない。
そして何より、今の私にはその必要性が無い。
ただ、一般的な貴族の当主の考え方や作法は、知っておくに越した事はない。
相手に合わせる必要はあるし、今ドルク様が仰った様に、どうしても守らなければならない物ではないと、教えてくださった。
時と場合によっては、拘る必要はないとね。
トントン、トントン
ドアの鳴らした後入ってきたのは、ホプキンスとジュリの二人で、どうやらジュリも今日の従者教育を終えたようだ。
少しだけ疲れの色を見せてはいるけど、しっかりと従者としての顔を作っているジュリに違和感を感じていると。
「シンフェリア様、慣れぬのは分かりますが、そう言った場が必要な時があります。
そのような時に主である貴女様が、そのような顔をされては顔を必死に作っている者の苦労が台無しになります」
はい、怒られました。
確かに言われてみればその通り、時と場合によってはジュリは従者としての顔を前に出して主である私を守り、立てなければいけない。
その時に私がその苦労を台無しにしては元も子もない。
「それとジュリエッタ、疲労の色を隠しきれていない。
だからこそ、主人であるシンフェリア様の気が緩んだのだと自覚しろ。
あれくらいの戦闘訓練で、そこまで隠し切れないとは情けない」
どうやら今日は護衛術の訓練内容だったらしく、その直後の疲労を隠す練習も兼ねての挨拶だったみたい、それは中々に厳しい要求だと思う。
ジュリは体格も体力もあるので、それなりに近接戦闘は出来るらしいのだけど、やはり女の子なので、筋力は大人の男性のホプキンス達の足元にも及ばない。
……身体強化の魔法は有りだけど、同様に身体強化を使える五人を相手に、決められた対象を守りながらの訓練ですか。
それは男も女も関係なく厳しいのでは?
……私相手には必要なくても、私に誰かを守れと言われた時に、必要になる技術だから、ある程度までは必須の技能と。
私には不要って……、いえ、自信は有りませんが、魔法が使えるのなら、ある程度は自分の身は自分で守れますけど。
……だから必要となる不意打ちや待ち伏せ対策を教えていると。
なにか納得できないような、できるような。
まぁ良いです、信用した以上その辺りは、此れからもお任せいたします。
「御信頼に応えれるよう、我々従者一同、努めさせて戴きます。
それと話は変わりますが、先日の学院での騒動の起きた件ですが、貴女様が関わっているとお聞きしたのですが、詳しいお話をお聞きしても?」
ん~……、まぁ関わっていると言えば、関わっているかな。
その……、なんと言うか、騒動の中心地と言うレベルで。
このリズドの街で起きた事なのだから、ドルク様の所に話が上がってきてもおかしくはない。
ただ、現在の領主としてのお仕事の大半は、既に次期当主のヨハネス様が行っているため、ドルク様やその周辺まで話が来るのが遅れているのだろう。
取り敢えず感情的にならないように、客観的な言葉で事情と顛末を説明に、まずドルク様が……。
「やはりそんな所だったか、学院は学院内の事であり、今回の件は問題ないと頑なに言い張っていたが、介入を恐れての事だろう。
だが、よもやそこまで魔導士不足が放置されていようとはな」
問題そのものより、問題の原因となった魔導士の講師の不足を問題にしてくださったので、とてもありがたい。
そしてホプキンスは、ドルク様とは違う視点でもって……。
「学院側の問題は、おいおい外堀を埋めて解決してゆくにして。
問題は従者でありながら主人の意向に逆らっただけでなく、無理やり我を通し、己が主人の安息を奪った何処かの駄犬ですな」
「ひぃっ」
駄犬って……。
いえ、言いたい事は分かりますけど。
「ジュリエッタよ、お前の事情を考慮して、此処最近は同姓であるキャロリーヌになるべく教育を任せたが、それは私の甘い判断だったようだな」
「ち、ちが、いえ違わないですけど、それは……」
よほどホプキンスが怖いのか、必死に弁明しようとするのだけど、理由はどうあれ事実は事実なので、現時点では庇いようがない。
何とかジュリなりの弁明をし終える頃には涙目なのは、弁明が進むにつれて、彼の表情が無表情になって行くからだと思う。
うん、なんと言うか、静かな怒りが滲み出ている感じが怖い。
離れている私でさえそうなのだから、目の前にいるジュリは尚更だろう。
やがて、ジュリの弁明を熟考するかのように間を空けた後。
「なるほど、主であるシンフェリア様に悪いとは思いつつも、仕方ない事だと。
反省する気はないと言う事だな」
「あっ、いえ、その…」
身下げ果てるかのような、冷たい眼光でジュリを見下ろした後、再び此方に姿勢を正したため、あまりジュリを責めない様に言おうと思ったのだけど。
「シンフェリア様、お聞きしたい事があるのですが、今回の一件につき、このめすい、いえ、従者であるジュリエッタにきちんと処罰を与えておいででしょうか?」
いま、凄い事を口走りそうになりませんでした?
前世なら、女性人権擁護団体が押しかけてきそうな言葉を?
でも此処は男尊女卑の残る世界なので、言いたい事は分かる。
「もちろん」
「どのようなものかお聞かせ願いますか?」
なにか食い下がるなと思いつつ、別に隠さなければならないような疾しい事ではないので、呼び名を変えさせた事を説明。
ジュリの尊敬する著者と呼び名が同じになるので、拒絶していたところを、今回の件で呼ばせるようにしたと。
本当は呼び捨てが良かったのだけど、そこは譲れないと言うので、私としては取り敢えず現状で満足したので、それ以上は求めなかった事を。
なのだけど……、物凄く深い溜息を吐かれました。
しかもドルク様や執事のマイヤーまでもですよ。
「シンフェリア様、失礼を承知で申し上げさせていただくなら、それは何ら処罰ではございません」
「…ぇ、えーと」
「そもそも、主と従者はただの主と家臣ではありません。
公の場ならともかく、私の場では愛称を呼び合うなど当然であり、逆にそれをできない関係どころか拒絶していたなど、従者としては失格。
主の盾であり、剣であり、片腕となり、足となり、そして友になる覚悟がなくて従者になろうと思うなど、覚悟も想いも足りぬ証」
なんと言うか、熱い。
静かに淡々と話しているのに、その言葉一つ一つにホプキンスの従者への想いと言うか、もはや【従者魂】と言うべき想いが熱いです。
火傷しそうです、想いが重いです。
でも、その最後の一つが素直に嬉しく感じ得てしまう。
『友になる』
それで良いんだって許されたようで、胸の奥が温かくなる。
「ですが、それは後日、ジュリエッタによ~~っく学んで戴くとして、今、話すべきはシンフェリア様、貴女様の主としての御覚悟です」
私ですか?
そりゃあ確かに、新米当主ですから、色々と主として、ジュリに迷惑をかけているとは思いますけど。
「多少の失敗などを許すのは主の度量と言えるでしょう。
ですが、反抗や明らかに逆らった場合は処罰を与えるのは当然です。
言っておきますが、これは当人が分かっているからなどと言う、話ではありません」
ゔっ、先に言われてしまった。
「他の者に示しがつかない、例えジュリ以外にいないとしても、それは変わらないし、甘えとして増長させかねない。
何より貴族として示しが付かない事を許せば、……ですか?」
「その通りです。
畏れながら、それが分かっていてなさらないのは、貴女様に主たる覚悟が無いと思われてもおかしく無き事。
そしてそれは同時に、ジュリエッタを従者として認めていない事でもあります」
それは言い過ぎではないだろうか?
私はジュリを従者として雇ったその日から、彼女に、……雇ったか。
そこに思い至り、私は彼が言いたい事を理解する。
此処は前世ではない。
この世界の人達は、この世界の常識の中で生きている。
そして、前世の常識を持ってきて当て嵌めてはいけないんだ。
分かってはいたつもりだけど……。
覚悟は無かったのかもしれない……。
誰かを傷つけると言う覚悟が……。
その事で自分が傷つく事の覚悟が……。
「従者を慈しむだけではなく、厳しく育てるのも主たる者の務め」
「その通りでございます。
中にはその意味を穿き違える者も多くいますが、シンフェリア様ならば、そのような愚行は無い事と信じております」
うん、それはない。
痛いのは嫌だし、痛そうな顔を見るのも嫌だもの。
中には、そう言うのをするのも、されるのも好きな人達はいるけど、幸いな事に私にそう言う特殊な性癖は無い。
やるならば効果を考えた上で最低限だし、別に体罰に拘る必要もない。
ただ、この世界の価値観が其方よりだと言うだけの事。
「分かりました。よく考えた上でジュリには相応しい罰を与える事にします。
それで、よろしいかしら?」
「宜しいかと。
それともう一つ」
まだ、あるの?
そんな幾つも話があるほど、何かをやらかした覚えは無いのだけど、……気が付いていない所で、やらかしていると言う可能性は十分にある訳で、私がどの件なのかと脳裏に考えている所へ……。
「此度のジュリエッタの件は、確かに其の侭許されるべき事ではありません。
ですが従者として、仕える者としては間違ってはおりませぬ」
まっすぐと、先程以上に真摯で熱い眼差しでもって、私に訴えてくる。
言っている事の意味を理解されていますよねと。
感情に流されたのではなく、理解され汲み取っての事なのかと。
はぁ……、心の中で深い溜息を吐いてしまう。
そっちもバレていたかとね。
「仕える者が、仕えている事に誇りが持てる主人である事こそ、主人たる者の務めですか。
確かに爵位を戴いた以上は、私が力を隠す意味合いは以前より薄まったのは事実ですが、かと言って態々喧伝する様な物でもないのですよ」
結局、私が力を隠していた一番の理由は、力を目的に利用される事。
もともとシンフェリアでの生活もあって、力が無いフリをする事になんの躊躇いもないし、陰口にも慣れていた事もあって、面倒な事になり得るなら、無いフリをしているのが一番面倒が無いと言う判断。
だけど、それは平民や貴族の家族であった場合であって、爵位を戴いている今の身分では、その心配の半分は無くなった。
貴族の身分を盾にした命令は、貴族後見人であるコンフォード家以外は、当主である事を理由に要請を断れるからだ。
とにかく、いくら格上の貴族が相手でも、【要請】ではなく【お願い】レベルの話になるからね。
後は擦り寄ってくる連中だけど、基本は無視の方向で済む。
それでも敢えて今まで通りにしていたのは、静かに暮らしていたいと言う私の願望と、今更生き方を変えるのは面倒だったからと言う理由に他ならない。
どうせ国にバレた以上は何処かでバレてしまい、今まで通りの平穏な生活ができなくなるのは目に見えていたからね。
要は私に覚悟と根性がないだけの話。
「心中お察しはいたしますが、主人になった時より避けられぬ運命なのだと、お思いください」
まったく、何奴も此奴も十二歳の私にどれだけ重圧を掛ければ気が済むのかと思う。
ホプキンスが言っているのは理想だ。
仕事に誇りを持てる職場、確かに人が育つ上では理想だろう。
だけど理想と覚悟が無くとも、成り立ってしまうのも職場でもある。
当然だろう、結局は人が働く上で大切なのは意思だと言う事。
その意思を支える物が誇りだったり、手段だったりと、個々によって違うだけ。
前世の私が職場に誇りを持っていたかと言えば、……正直、持ってはいなかった。
ブラックで、人使いの荒い会社に誇りを持てるかと言えば持ちようがない訳で、その代わりと言うか、仕事そのものには誇りと自信は持ってはいた。
だからこそ、ブラックな環境に馴染んでしまった挙句に、あんな最期を送ったんだろうけどね。
でも、ホプキンスやジュリの考えも分からないでもない。
「私がお父様やお兄様を貴族の理想としている様に、私も理想とされる側に立っただけに過ぎないと言う訳ですね。
随分と身勝手な話だと思います。私も含めてですけど」
名前だけの貴族だとしても、そこにある本質は変わらない。
結局はそう言う事。
「シンフェリア様は良き主人になられると思います。
そして、だからこそ、ジュリエッタは身命を賭して仕える事ができましょう」
ああ、そう言う事だったんだ。
ホプキンスのその言葉で、私が本当に覚悟が出来ていなかった事と、その理由に思い至る。
私は結局、臆病だったに過ぎない。
でもそれは、生涯、変えられなさそうだと言うのも自分で理解してしまっている。
かと言って、何時までも逃げ続けられる問題ではないし、ある意味、今こそその場面に直面しているとも言えるのだから。
ならば、今此処で覚悟を決めるしかない。
変えられないのであれば、変える事なく済むやり方を貫き通す覚悟を。
だから私は目の前のホプキンスから視線を外し、ジュリをまっすぐと見つめる。
ジュリもそんな私に何かを察してくれたのか、まっすぐと視線を返してくれる事に少しだけ嬉しくなり目元が緩くなる。
うん、でも今は駄目。
今は今決めた覚悟を口にすべき時。
「ジュリエッタ・シャル・ペルシア。
貴女の主人として、一番最初に命じなければならない事を忘れていたわ」
口にする事で、己が心と魂に刻むために。
自分の退路を自ら潰すために。
「今後、如何なる命令があろうと、どのような事態が起ころうとも、命を賭ける事は許しません。
手を、足を、身体の何処かを失おうとも、必ず生きて私の下に帰り、そして私の隣に立ち続けなさい」
そうでもしなければ、臆病な私は、前に進めないから。
自ら枷を課さねば、逃げてしまいそうになるから。
「そのために私や他の者の力が必要なら、遠慮なく述べるように。
例え、友や家族を人質に取られようとも自分だけで解決しようとせず、迷わず助けを乞いなさい。
そのための貴女の主人です」
この世界は【相沢ゆう】が生きていた世界と違って、貴族の力が絶対と言える社会。
今、言ったような甘い事が許されるような安穏とした世界ではない。
それでも、せめて身内だけにはそうでありたい、その理想は持ち続けたい。
少なくとも、仕方ないからと身内を簡単に切り捨てるような人間にはなりたくない。
例え、それが高貴なる者の宿命だとしても。
「それを生涯第一の命として受け取りなさい」
ジュリ、貴女が私に主人としての誇りと言う名の理想を求めるのであるなら、私もこれくらいの理想は持たせてもらう。
貴女の誇りある主人として、命を賭すなどと、自分で頑張ればなどと、そんな甘えは許さないから。
その上で、貴女が従者として誇りが持てる従者になりなさい。




