213.呼ばれたい名前、……そして呼びたかった名前。
「ふーん、騒動の責任は学院側にあると認めたのは良いけど、これは?」
「その、……依頼だそうですわ」
「却下、ジュリもこんな依頼なんてその場で突き返してきてよ」
夕食時にジュリの報告を聞きながら、学院から渡された書類に目を通したのだけど、熟考するまでもない内容なので、その場で灰も残らずに燃やし尽くす。
内容は二つで、その内一つは講師の依頼。
学院側が教えるべき学院生に講師の依頼って、巫山戯ているとしか思えない内容。
そもそも、私がヨハンさん達から『そんな無駄な講義を受ける時間があるなら、開発や他の勉強に回してほしい』と良い顔をされない魔法の講義を受けているのは、私自身が独学でやってきたため、当たり前とも言える事が、スポーンと抜けている事がある事を自覚しているからだ。
形状変化の魔法の件にしろ、魔力感知を知らなかった件にしろ、私が魔導士や魔導具師としての常識を知らないのが原因のたし、一般的な考えを知る必要もある。
実際、ここ半年で他にも小さい事は幾つかあったし、実技講座にしたって、自分なりに色々試す時間にしていたので、けっして無駄な時間にはしていない。
それが教わる機会が無くなる上に、講義準備などに余計に時間が取られるなどと、間違いなく上から圧力が掛かる事に違いないし、私もそんな事に掛ける時間は無い。
「講師の件は問題外にしても、演習場の復旧なんて、それこそ魔法の練習でやらせれば良いじゃない。
【土】属性なり【無】属性なり、やり方なんて幾らでもあるんだし、【水】や【風】でだって使い方次第で土を耕す事は出来るんだから」
溶けて冷え固まった土と言うか、溶岩石。
あのままでは標的の的を固定する杭も打てないから、なんとかして欲しいという依頼内容で、少ないながらも報酬付き。
報酬額は世間一般からしたら安くは無いけど、魔導士を雇うには馬鹿にした金額。
実際、金額の事はどうでも良いけど、せっかくの機会をなんで【火】属性魔法以外の鍛錬で使おうとしないのかの方が腹が立つ。
【火】属性が派手で見栄えがあるし、制御の鍛錬にしても分かりやすいと言うのは分かるけれど、【火】の応用範囲は他の魔法に比べて狭いし、安易に練習で使うのは危険な属性でもある。
逆に魔法の危険さを身をもって知るには良いと言う考えは判るけれど、考え方が安直すぎる。
そうで無くとも【火】属性を持っていない学院生の魔導士の扱いが、お座なり過ぎているのに、それを直そうとする気もない様子。
「ジュリも【土】属性を持っていたわね。
良い機会だから、一緒になって実技演習すると良いわ。
力加減をするのにも良い練習にもなるし」
「私は良いんですけど。
その……多分、皆さんはやりたがらないかと」
「なんで?」
「土いじりや穴掘りなんて、と農家の仕事だとか考えている人達が多くて」
本気で呆れる。
美味しい作物を作る作業と、壊す事とを一緒にしてもらいたくない。
そもそも何のための魔法だと思っているのか?
そして何のための実技演習だと思っているのか?
はぁ~……恐らく選民思想的なアレだろうなと、深い溜息が漏れる。
「学院側に伝えておいて。
講師の件はお断り、演習場の件は次の実技演習の時間にやっておくと、こんな依頼を持ってくるようなら、どうせ休講だろうからね。
ついでに魔法の練習だから報酬は不要ともね。
あと、一応、やる気のありそうな子には声は掛けておいて。
以上よ」
私は自分勝手だから、やりたく無い事はやらない主義。
なにより人様に教えられるほど、私の魔法は体系付けが出来ていないし、そもそもコッフェルさん達曰く、特殊な育ち方をした魔導士。
ジュリみたいに、ある程度分かっていて受けているならともかく、万人向けでは無い。
実技演習場の件にしたってそうだ、やる気のない人間に無理にやらせても仕方ないし、やる気のある人間だけが経験を積めば良いだけの話。
「さぁ、冷め切っちゃう前に食べちゃいましょう。
久しぶりに作った物もあるから、食べるのが楽しみだし」
宣言通り、ジュリの嫌いな野菜を使った料理のフルコース。
ピーマンと苦瓜とチコリの炒め物。
ジュリ苦い物系が苦手なんだよね。
苦味も料理の良いアクセントになるし、苦味と一緒にある旨味が美味しいのに。
そんなわけでクリーム炒め煮にしたり、サラダはヨーグルトソースで程良く酸味のある甘みが決め手。
ピーマンも苦瓜も完熟品を使用、チコリもアンディーブを使っていたりと、ジュリセレクトです。
ふふふっ、これで苦手なんて言わせませんからね。
「あの、これ辛いんですけど」
「そういう料理ですから、うん、酸味も程よく効いて良い感じにできたかな」
ついでに辛いのも苦手。
と言っても、スープのトムヤムクンもどきも激辛という訳ではなく、辛味が良い感じにスープに絡みついていると言った程度。
お子様舌のジュリにはこれでも辛いみたい。
以前に作ったカレーも、ジュリに合わせて果物と蜂蜜を多めに使った甘口カレーだったとはいえ、それなりに香辛料は使っていたから、少しずつ耐性はついてきているはずだけど、まだジュリには早かったようだ。
「ミルクを口に含むと辛味は治まるから、辛味と一緒にある味を感じてみて。
トロミの中に、そこに色々な味が含まれているの。
辛味は、そのアクセントでしか無いから」
やや不安になりながらも、今度は、口の中にゆっくりと味わって含んでみるジュリ。
やっぱり辛いのか、飲み込んだ後に直ぐにミルクを飲むけど、次の一口も、その次の一口もゆっくり味わって飲んでくれる事から、多少は無理はしてはいても、それだけでない事は伝わってくる。
「おかわりいる?」
「いえ流石に」
「半端に残っちゃうから、飲んでくれたら、デザートも出すけど」
「いただきますわ」
飲んでも飲まなくても、出す予定だったデザートだけどね。
今日のジュリは、色々と大変だったろうと思うから。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
無論、私が怒っているのは別の話だけど。
「さてと、お風呂にも入った事だし、ジュリ待望のお仕置きタイム」
「少しも待ってませんわっ!」
とりあえず、この場に及んで言い訳しないのは、褒めておこう。
ジュリの想いはどうあれ、仮にも主人である私の意向に敢えて逆らったのは、ジュリの意思だからね。
こう、少し怯えるジュリを眺めているのも楽しいけど、そこまでSっ気はないので、さっさと本題に移る。
こう言う時定番なのが、徹底的な擽り攻撃だったりするけど、身体中の肌をこしょこしょするのは、ジュリの過去的にNG。
気にし過ぎかもしれないけど、そう言う事を思い出させるような真似は、極力控えたいし、逆に何かあったら、今回の件を持ち出してヤラレた日には、私が悶え死ぬ。
こしょこしょ、弱いですから。
「一応は、二つの内のどちらかを考えてるんだけど」
「な、何をですの?」
「一つは悪い子へのお仕置きの定番、お尻ペンペン」
「ちょっ、この年でそれは無いですわっ!」
「だからお仕置きになるんじゃないの、恥辱に悶えながら耐えてね♪」
「い、嫌ですわよ。
もう一つはなんですの?」
「嫌って言っても、どちらか一つにはなるわよ。
私、決めた事はやる主義だって知っているでしょ」
「し、知ってますわよ。
ですからもう一つを聞いているのです」
「そう、もう一つは簡単かな。
私の事は『ユウ』と呼ぶ事」
ジュリとそれなりに仲が良くなってから、何度か私の呼称について、ジュリに提案していた。
そもそも主従の関係になる前は、名前そのものをあまり呼んでくれなかったし、呼んでも、『ユゥーリィさん』と、何処か距離感を感じる呼び方、しかも何処かぎこちない言い方で。
何度も、呼び捨てにして良いと言ったし、夏の旅行から戻ってきてからも『ユウ』でもライラさんみたいに『ゆうちゃん』でも良いと言ったのだけど。
ジュリ曰く『ゆうちゃん』は、ライラさんのものらしいと言う少し不思議な理由で、呼ばないではなく呼べないらしい。
なんとなくその時のジュリの温かな目が印象的で『ゆうちゃん』呼びは諦めたのだけど。
『ユウ』に関しては、例の作者と同じ名前だからと言う、まったく意味不明な理由で拒絶。
ええ、この理由には、少しムカついてはいます。
言わないけど、同一人物だけど別人だろうがと言いたい。
そんな訳で、主従の関係になった以上、ジュリとの関係をもう少し縮めたくての提案というか強制。
「わ、分かりましたわ。
私もそれくらいの覚悟は最初からしてましたもの」
……、あのジュリ、なぜお尻を剥き出しに?
いえ、綺麗なお尻ですよ。
私と違って、お肉のついたお尻ですよね。
と言うかそこまで下着を下げない。
叩きませんから。
「えっ?」
「ジュリが選ばない方にしようと思って」
「き、汚いですわっ」
「別に選ばせてあげるなんて言ってませんから、ジュリが勝手に勘違いしただけです」
「あんな事を言われれば、誰だって」
最初から選択肢なんてない事に気がついたジュリは、慌ててお尻をしまい、ただでさえ羞恥心で赤くなっていた顔を、更に赤くして抗議する彼女に、私は平然と言い放つ。
「ジュリエッタ・シャル・ペルシア。
貴女の想いはどうあれ、私は貴女の我が儘を聞いたのよ。
私が止めたにも関わらず、それでも譲れないとね。
どう言った理由があって、私が実力を隠していたかを知っていた上でよ。
なら、自分が贔屓している作者と同じ名前だから、呼びたく無い、そんな我が儘がまだ通用すると思って?」
はっきり言って、こう言うやり方は嫌いだ。
命令で呼ばせる物では無いとは分かってはいる。
それでも、あんな他人行儀な呼び方でいつまでも呼ばれたくは無い。
今日は、私がずっと守ってきたものの一つを、ジュリの我が儘で捨てた。
なら、今度はジュリが私の我が儘くらい聞いてほしい。
「べ、別にそれだけと言う訳では」
それでも抵抗を見せるジュリの言葉に、悲しくなるけど仕方がない。
本当に嫌な事を、私は友達に押し付けたくはない。
たとえジュリとは主従の関係であっても、友達だと私は思っているのだから。
「……分かったわ、そこまで言うなら今のは取り下げるわ。
無理を言ってごめんなさい」
此処まではしたけど、其処までして呼ばれたくはない。
キッカケにしたかっただけ。
だから私はそう口にして俯く、今は少しジュリの顔を見るのが辛いから。
……今の顔を見られたくないから。
「もう、そんな泣きそうな顔をしなくても呼びますわよ。
どうなっても、責任持ちませんわよ」
……え?
どこか自棄気味のジュリの声色と言葉に、顔を思わずあげる。
其処には、困ったような呆れたような、其れでいて何処か覚悟を決めたような彼女の顔が……。
あれ? でも、どうなってもとか、責任とか、どういう意味だろう?
そう頭の片隅に疑問が浮かぶも、ジュリの口から紡がれた次の言葉に、どうでも良くなってしまう。
「ユウさん。
これで良いかしら」




