209.こう見えても優秀なんですよ。此れからなだけで。
コンフォード侯爵家次期当主。
【ヨハネス・ウル・コンフォード】視点:
客人が母達と妻達に連れて行かれてから、すっかり冷め切った茶を一気に飲み干して乾いた喉を潤す。
なにか哀れみの目でもて、此方の様子を眺める親父の視線がムカつくが、無様を晒したのは俺自身なのだから文句は言えない。
言えないが……。
「当主当人なら、そのように説明して戴きたかったですね」
「最初から、シンフェリア子爵当人が来ると言ってあったはずだが」
ええ、聞いていましたよ。
ですが、あんな少女だなんて聞いていません。
思わず子爵が連れてきた娘か何かと思って、適当に扱ってしまったじゃないですか。
「女当主など、珍しくはあってもいない訳ではない」
ええ、そうですね。
「成人する前に当主となる事も無い訳ではない」
そんな事は知ってますよ。
大抵は他に妥当な血筋の人間がいなかったり、傀儡にするためにだったりしますが、確かにそう言う事もあります。
「その両方なんて、誰も思いませんよっ!」
「過去、その前例がない訳ではない。
勉強不足と固定概念に惑わされすぎだ。
もっと柔軟な思考を持たねば、喰われるだけだぞ」
ええ、身を持って知りましたよ。
そして黙っていた理由は、そんな事だと思いましたよ。
全くやられたと思うばかりだ。
だが思い起こせば、親父の言うとおり思い当たる節はあった。
親父との距離感や話し方以外にも、服装こそは平服だったが、後から従者だと紹介された娘の立ち位置や振る舞いは、確かに貴族の当主に対してのもの。
親父の言う通り、俺の油断や思い込みが招いた見誤りには違いない。
「心から反省しますよ。
まだまだ未熟だと実感させられましたからね」
「ならいい。
くれぐれも子爵の取り扱いは間違えるな。
余計な欲を掻けば、失うのは此方の方だぞ」
見た目はともかく、普通に考えれば、実力で一気に子爵にまでなる人間を相手に下手な事など出来る訳がない。
それは当人の実力と言うのもあるが、それだけ国があの少女に期待を掛けており、その価値があると認められている証とも言える。
蔑ろにすれば王家の不興を買うだけでなく、その事を材料に他の貴族からの攻撃の口実になりかねない。
聞けば、親父が最近力を入れている商会の商品の魔導具関連は、ほぼあの少女が関わっている物だし、敷地の離れで作っている糧食用の保存食の実験も、あの少女の発案を引き継いで行っている物だとか。
はっきり言って国防に関わるような物ばかりで、我が家の問題だけで済む話ではない。
無論、厄介な案件なだけに、我が家にもそれ相応以上の利益や多くの物をコンフォード家に齎らす事には違いないので、歓迎すべき事ではある。
あるが……。
「分かりましたが、父上も手伝って戴けるんでしょうね?」
「子爵に関しては、陛下からも良しなにと言われている」
それは助かる。
幾らなんでも、当主の引き継ぎと同時に行うには、荷が重すぎる。
どう考えても、国内の問題だけで終わるとは思えないからな。
どうりで親父が当主を退いたら商会に力を入れると言い出す訳だと、あの時の親父の真意をようやく理解する。
俺の未熟なところの粗探しをしている暇などない、甘えるなっ。
そう言う事だったとはな。
「以前にも言ったが、籍をどうこうとか余計な事を考えるな。
フェルにも悪手だと言われている」
「言い出しそうな連中を抑えておけと言う事は理解しましたが、何処までやりますか?」
「本人が望まぬ限りだ、強引な連中は実力でもって排除しろ。
子爵は一度それで家を出ている」
家を出るって……、貴族の娘としてはどうかと思うが、そう言う事ならしかたあるまい。
親父の言葉ではないが、そうなったら失うのは此方側だからな。
最優先にすべきは、コンフォード家のためではなく国のため、そう言う事か。
「厄介事も多いが、基本的には放っておけば良い。
子爵はそうするのが一番だし、フェルもそうだがヨハン達も同じ意見だ」
「それは助かりますが、正直に言わせてもらえるならば、関わりたくないと言うのが本音ですね」
誰が広間に飾った剣牙風虎の色なしの剥製を、単独で狩ってこれるような化物と好き好んで関わり合いたいと思うものか。
「気持ちは分からんでもないが、そう言う偏見は捨てておけ。
幾ら化物じみていようとも、中身は善良な人間故に、仲良くしておいて損はない」
「確かに、そう言うのを気にしなければ、一見して普通の少女に見えましたが」
「そう言う初見で感じたものは意外に大切だ。
相手の本質を捉えている事が多いからな。
ほれ、少し酒でも飲んで気を落ち付けろ」
いかん、どうやら自分が思っている以上に、心が乱されているようだ。
親父に言われるまでもなく、能力と人格が別物だと言う事など、分かりきっていた事なのにな。
んっ……、紅皇蜂の蜂蜜酒、…いや違うか、蜂蜜酒特有のトロミが少ない。
これは……?
「蒸留酒だ」
「……まさか紅皇蜂の蜂蜜酒でですか?」
だとしたら、なんて勿体ないと言うか、贅沢な事を。
だがまぁ、そんな聞いた事もないような酒を飲む機会など、今、逃したら今後お目に掛かれる事ないかもしれないと思い、口にするが……。
「……はぁ、…なんと言うか、凄いとしか言いようがないですね」
「儂もそう思うが、樽で貰うと流石にありがたみが薄れるな」
「ぶほっ!」
これを小瓶ではなく、樽で等と考えられない。
いったい、市場価格にしたら幾らになるんだ。
いや、多すぎて逆に価値が下がるか? いやいや紅皇蜂の蜂蜜の蒸留酒だぞ、しかもこの味だ、下りようがない。
ん……まて、こんな凄い物を親父はどうやって?
まさか……。
「気にするだけ無駄だ。
生きた紅皇蜂の巣から、花を摘むように採ってくる相手に、警戒などしても意味はない。
敵に回すな、それだけだ」
親父は俺の心を乱したいのか、それとも一層の事壊したいのか、どっちだと文句を言いたくはなるが、確かに父上の言う通りだ。
もし、親父の言う事が本当ならば、警戒してどうこうなるような相手ではない。
魔導士は唯でさえ取り扱いに気を付けないといけない相手だが、あの少女はどうやらそう言う次元ではない事は間違い無いだろう。
性格が温厚な少女なら、むしろそれを使うべきではあるか。
ああ、そうだな、親父は終始一貫して、あの少女をそう扱っていた。
恐れるべきモノではなく、守るべき者として。
コトッ。
お湯割を作る気にでもなったのか、携帯竃の魔導具を取り出した親父に、流石に昼間から本格的過ぎなのではと眉を顰めたが、どうやら違ったようだ。
今や、討伐遠征には無くてはならない物になっている魔導具であり、老師が十年の年月をかけて開発したと言う物。
親父はそれを引っくり返し。
「……なるほど、これがあの少女の本質という訳ですね」
「そうだ。決して見誤るな。
そして、くだらぬ者達に歪めさせるな」
目立たぬように刻まれた言葉。
されど、確かに刻まれた想いの言葉。
親父が言うには、あの少女が老師の下に現れてから開発が一気に進み、より多くの人間に行き渡るような物に仕上がったと。
そして、その開発の途中で発した少女の言葉を老師が拾い上げ、親父に頼んで全ての品に刻ませたものらしい。
この魔導具を使う騎士や兵士達が、民の想いを背負っている事を思い起こさせるために。
「今日一日で、如何に自分が未熟なのかと実感させられましたよ」
「ふん、当主になれば、そんな事は日常茶飯事になると覚悟をしておけ」
「はっはっはっ、流石にそれは大袈裟かと。
ですが、そのつもりで精進いたします」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
【深夜】
「おまえは大丈夫だったのか?」
「なにがです?」
「なにって、おまえが相手をした少女は幼く見えても、戦災級の魔物を最も簡単に倒すような相手だぞ。
いや、幾ら本人が温厚で大丈夫だからって、おまえやお袋が大丈夫かと思ってな」
「ふふっ、大丈夫ですよ。
素直な良い子でしたから。
あんな外見の割に捻たところもないですし、肝心の作法の方も基本はできていましたしね。
気になると言えば、どこで身につけた作法なのかと言う事ですね。
古き血筋の家の関係者ぐらいにしか伝わっていない古式の作法が、チラホラと見られましたから、お義母様方も驚かれていましたわ」
「それはそれで気になるが、そうでは無くて」
「怒らすと危険な相手、それぐらいの事は、私達には日常茶飯事ですのよ。
あなたにしろ、お義父様にしろ、息子にしろ、本気で怒らせたら危険なのは同じなんです。
あなたのこの大きな手で思いっきり殴られたら、私など一溜りもありません」
「い、いや、そんな事は」
「ええ、あなたはそんな事はしない。そう信じています。
この手は誰かを殴るためでは無く、多くの人達を守り、導き、そして、私を抱きしめてくる優しい手。
そうでしょう?」
「ああ、そうだな。
怖さなどより、信じられるものがたくさんある。
……それと同じか、はぁ…、女は強いな。
俺は、逆に心の何処かで怯えてばかりだ」
「それだけ慎重になれるのが。あなたの良いところよ」




