197.ご主人様と呼んでもいいのよ。冗談ですから呼ばないでください。
「ベル、此方が前に話した私が魔法を学んでいる人で、私の主になった方よ」
「え? こんな小さな方が」
「ベル、驚く事よりやるべき事があるでしょ」
「し、しつれいしました。
ベルナルド・シャル・ペルシアと言いましゅ」
緊張して、舌を噛むあたり姉弟で可愛いなぁと思いつつも、私も名乗りを返す。
…うん、返すんだけど。自分で言っていて違和感が半端ない。
もう名乗る事が無いと思っていたシンフェリアの姓を、再びこうして名乗る事に色々と複雑な思いが浮かんでは沈んでゆく。
「ベル、ユゥーリィさんは私より背が低いですけど、私と半年しか歳は違わないわ。
そして肝心なのが、子爵家の当主御本人、つまりお父様と同じ立場に当たるから、失礼のないようにね」
なにより、友人であるジュリからのこうした扱いが、違和感以外の何物でもないし、落ち着かない。
そう言う訳で、私の方が早くも降参。
「ジュリ、もう臣下ごっこは終わり。
ベル君だったかな。お姉ちゃんは、君のお姉さんのお友達だから、堅苦しい事は気にしなくても良いわよ。
ねぇ、ベル君の知っているお姉さんのお話聞かせてくれる?
その代わりにお姉ちゃんは、ベル君のお姉さんの活躍ぶりを話してあげるから」
「ユゥーリィさんっ!?」
「いいじゃない。
ジュリはベル君に私の話をしたんでしょ。
なら私がベル君にジュリのお話をしたって」
七歳と言うジュリの弟君に、優しく笑みを浮かべながら、まずは私の方からジュリの話をする。
ええ、恥ずかしがっているジュリは無視の方向で。
「大きな猪の魔物をね、たった一人で倒した事もあるのよ。
どうやって倒したか聞いてみたくないかなぁ?」
変わってしまったジュリと私の関係。
お店のお勧めというお菓子の入った箱を手にドルク様のお屋敷で待っていたのは、ジュリによる申し出。
私の従者にして欲しいと。
そんな、突拍子もない話に、私は当然ながら拒否。
ジュリとは友達でいたい訳だし、今の私に従者なんてものは必要がない。
だけど、私が頷きさえすれば、ジュリの実家であるペルシア家を救う事ができると、ドルク様の言葉と共に渡されたのは、ペルシア家を調査したという報告書の束。
ジュリにはショックだから見せない方がいいと言う事と、書かれた事を信じるか信じないかは自由とまで言われたけど、現状でドルク様を疑う根拠はない訳で。
おまけにコッフェルさんからも、私とジュリが仲が良い友達だと知られるのは時間の問題で、私の作った魔導具や利用したい人間が、ペルシア家を巻き込む可能性は十分にあるとまで言われた時、……ああ、此れが貴族になると言う事かと改めて実感する。
私の肩と背中に、私と関わった人達の、命と生活が乗り掛かっているのだと。
「ええ? そんな事で倒せるんですか?」
「そう、必ずしも正面から力尽くで倒す必要はないの。
相手と状況を良く見て、工夫すれば魔物だって倒せるわ。
もっとも、そのためには、それが咄嗟に出来るだけの日々の努力が必要だけどね。
そういう意味では、ジュリは意欲的だったかな。
なにせ、私がジュリに本格的に魔法を教えるきっかけと言うのがね」
「待って待って待って、貴女、まさかそれを話す気?」
結局は、私が折れる事になるのだけど、その後押ししたのが、ジュリが従者になれば、最前線の魔物討伐騎士団や、魔物討伐専門の傭兵に入る必要がなくなり、彼女が死と隣り合わせの人生を歩まなくても良いと言う自分勝手な思いだったりする。
魔物と戦う最前線では、一人でも多く力の強い魔道士を欲していると知っていながら……。
もしこれが、一緒に魔法の講義を受けている顔見知りの学院生なら、私は『あっそ、他を当たって』と言って、甘えるなと心の中で乱暴な言葉を叩きつけながら、見捨てる確信があるのを自覚していながら……。
うん、やっぱり私は自分勝手だ。
自分のやりたい事しかやらないし、助けたい人しか助けない。
その事を、ああ、自分って最低だなと自覚しながらも、直す気がない事に、更に深い溜息を吐く事になったのだけどね。
現実には、そんな感傷に浸っている暇はなく、ドルク様は私とジュリが心変わりする前にと言わんばかりに、ペルシア家の当主、……つまりジュリのお父様を呼び出して、現貴族後見人であるバルタザール伯爵家から、コンフォード家の依子になる事を、ほぼ一方的に承諾させてしまった。
うん、ジュリのお父様、いかにも真面目なお役人さんと言う感じだった。
「えっ、お姉様がそんな事を」
「そう、方法はともかくとして、それだけ必死に自分を鍛えようとしている事は評価したかな。
そう言う訳で、決して真似をしちゃ駄目よ。
ベル君がそう言う事をしたら、警邏の衛兵さん達に捕まっちゃうからね」
「しないわよっ!
人の弟をなんだと思っているんですのっ!」
「う〜ん、姉弟だから、一応は」
ただ、ジュリを従者にする当たり、幾つかの条件は付けさせてもらった。
一つは、公式の場でもない限りは、今まで通りである事。
主人と従者の関係かも知れないけど、友人の関係でいたいし、仲間でもありたい。
一つは、私が間違っている時は、きちんと止めたり、叱ったり出来る従者になって欲しい。
言う事を聞くだけのイエスマンの部下など要らないし、そんな私を甘やかすだけの人間など、私に取っては害悪でしかない。
無論、そんな一方的な人間関係など、友人とは言わない。
ただ、この条件にはジュリから物言いがついた。
『私、今までも何度も貴女に注意したり止めたりしたのに、ほとんど聞かなかったじゃない』
『そんな事ないよ。ちゃんと聞いて考えた上で止めなかっただけだし、考えを改めた事だってあったわよ。……十回に一回くらいは』
『そんな状態だから、よく貴女を止めろだなんて言えますわね。と言っているんですけど』
『じゃあ頑張ってそうなってね。手段は選ばなくて良いから』
『早速の横暴命令っ!?』
と言う酷い言い掛かりだったけど。
従者になりたいと言うからには、それくらいは出来るようになって欲しい。
なんのための従者だと思っているのか。
付き従うだけの者が従者なのではなく。
主人を支えながら、共(友)にいる者、それが本当の従者だと思う。
「ジュリはね、そりゃあもう頑張っているわよ、魔力の持久力も出会った頃に比べたら倍以上になっているし」
「ば、倍ですか」
「そう、凄いでしょう」
他にも条件の一つとして、ペルシア家の借金を私が肩代わりしようとしたのだけど、此れにはドルク様から物言いがついてしまった。
ペルシア家の貴族後見人になるための口実の一つだし、そう言う借しをペルシア家に作る事によって周りの貴族を黙らせたり、ペルシア家に後見人であるコンフォード家に、より尽くせと言える事によって、他の寄子の家にも言い訳が立つらしい。
でも、それは私にも言える事。
私が甘く利用できる人間だと思われないためにも、借金のカタにジュリをいいように使っていると見てもらわないと、鬱陶しい事になりかねない。
そう言う訳で、ペルシア家の借金は私とドルク様で半々で肩代わり。
コンフォード侯爵家が肩代わりした分は、ペルシア家は何代もかけても借金を返済し、利子の分は働きでもって返せと言う事になった。
私が肩代わりした分は、私がジュリに……。
『別に返さなくてもいいわよ。
肩代わりした価値があったと思える、頼りになる従者になってくれれば』
と言ったら、何故か苦悩の表情でもって、天を仰ぎ見られてしまった。
ジュリが何を思って天を仰いだかは知らないけど、私は本気です。
確かにジュリを従者にしたのは同情も含まれていますけど、そこまで私も甘くありません。
前世で『同情するなら金をくれ』と言う言葉があるように、同情で借金を肩代わりするような金額ではない。
そう言う訳で、ジュリは頑張って頼り甲斐ある従者になってくださいね、と心からお願いした。
「ああ、でもジュリにも苦手な事があってね。
それを頑張ろうとしない事が目下の悩みかな」
「お姉様が苦手な事ですか? 思いつきません」
「ちょっと、ユゥーリィさんっ!」
「文句があるなら、少しは料理の勉強をしようね。
調理済みの料理を買って来て温め直す事を、料理とは言わないから」
ジュリのお父様は、時期を見てコンフォード公爵家の派閥の息が掛かった所で、今までの経験を活かせる部署へと配置換え予定しており、数字や手続きに詳しいため、コンフォード家や寄子が抱えている商会の支店や関連店舗の帳簿の監査や、国への手続き書類の確認やアドバイスなどをしていくらしい。
まぁ、丁寧で真面目な一本気の方らしいので、こう言った事の方が肌に合うらしいし、無理して仕事をさせても碌な事にならない。
とにかくベル君やまだ見ぬ孫に借金を残す事は確定しているので、元気で地道に頑張って欲しい。
ちなみにベル君にはドルク様が責任もって、良い家庭教師の先生を付けてくれるらしい。
無論、これも投資の一つで、ベル君には借金と借しを返済しながら、コンフォード家に利益をもたらせる大人になって欲しいためだとか。
こんな小さい子に何を言っているかと思うけど、頑張れベル君。
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「ああ、ベル君可愛かったなぁ。
もう抱きしめた時にプニプニ感と御日様の匂いが」
「人の可愛い弟に何をしているんですか、もうっ!」
ドルク様の屋敷に戻ってから、お借りしているお部屋でのんびりと一休み。
ジュリは言葉でこそプリプリしてはいるけど、可愛い弟を褒められて満更ではないらしい。
だってね、ジュリの目元が笑っているし、お姉さん氣を出しているもん。
「ジュリに頭を撫でられて、恥ずかしがってはいても、滅多に会えない姉に褒めてもらって嬉しさを隠せない表情がね、もう尊い」
「いつかの船の上でもそうでしたけど、貴女って子供が本当に好きですわね」
「小さい子は好きと言えば好きだけど、多分ジュリが思っているのとは違うかな」
小さな子供を見ると、それだけで保護欲が沸くのは本当の事。
…でも、小さな子供を可愛がるのは、私に取って代償行為でしかない。
アルフィーお兄様の息子のアルティアや、ダルタックお兄様の娘のダリア、二人にあれだけ懐かれていたのに、家を出てしまったため可愛がれなかったから、その代わりに可愛がっている自覚がいつも心の隅にある。
シンフェリアの家を出た事は今も後悔していないけど、多くの想いを残してきたのは確かだし、その想いが今も色褪せずに私の奥底で渦巻いていて、時折どうしようもなく噴き上がってくるのも確かだから。
ズギッ!
……そして、ジュリの事も多分その内の一つ。
この胸の奥が重く蠢くのは、たぶん罪悪感だろうから……。




