170.ただいま、王都より戻りました。
「ただいま戻りました〜」
ふにふにと、ライラさんのお腹に頭と顔を擦り付けて甘えて見せる。
彼女の暖かくて柔らかい感触と、甘い香りに心がジンワリと染み込むように、身体の中が休まってゆくのを感じる。
「おかえり、でも今日は随分と甘えっ子さんね。
別に良いけど、そんなに大変だったんだ?」
ええ、本当に大変でしたよぉ。
もうね、高位貴族様の相手は嫌です。
精神的に凄く疲れるんですよぉ〜。
ああ、ライラさんも分かりますか。
高位貴族の家族と言うだけでも、いい加減どうかと思うのに、侯爵様ですよ侯爵様。
しかもダブルです。二倍です。精神的疲労は二乗です。
戦災級を相手にしていた方が、きっと何倍も楽ですよ。
「それはないからっ」
ぶ〜っ、そこは同意してくれる所だと思うんですけど。
魔物の前に立つぐらいなら、国王陛下に謁見する方が生き残れる可能性が高いって、……あの、国王陛下って魔物の一種か何かなんですか?
不敬な事を言うなって、言い出しっぺはライラさんですけど。
……ああ、緊張のあまり心臓発作を起こす可能性ですか。
そうですよね、それは確かにあるかも。
でも貴族の当主って、後を継ぐ時に必ず陛下に謁見すると言う話ですから、アルフィーお兄様には、それまでに心臓に毛が生えていて欲しいですね。
アルフィーお兄様、胸毛は生えてるのに、心臓はヘタレなところがあるから。
まぁ、陛下に謁見なんて、庶人である私には関係ないですけどね。
「それは私も一緒だけど、いい加減に後ろの子を紹介して頂戴。
なにか固まっているわよ」
ああ、そうだライラさんの抱き心地の良さに忘れてました。
……そういえばライラさん、春頃より痩せました?
どうにも抱き心地が変わったような。
あっ、冬の間に増えた分が戻っただけっと。冬眠の熊と逆ですね。
美味しい物ばかり作る私のせいって、美味しいなら良いじゃないですか。
それにガリガリより多少ぽっちゃり……いえ、なんでもないです。ないので、その高く掲げた分厚い本を、ゆっくりと降ろしてください。
それはそうとして……。
「彼女は学友のジュリで、此処の本屋を紹介するために連れてきました」
「ジュリエッタ・シャル・ペルシアです。
それにしても、貴女があんなにも甘える姿を初めて見ましたわ」
置いてある本の種類と量では無く、其処に驚くの?
ジュリにだって結構甘えて……、むしろ甘やかしている方かな?
でも抱きついたりしているのは一緒だとは思うけど。
あ〜、拗ねてるのね。はいはい、ジュリも大好きですよぉ〜。
ほらぎゅ〜〜としてあげますから、拗ねないでくださいね。
「ち、ちがいますっ!」
うん、顔を真っ赤にして怒らなくても。
「ふふっ、仲の良い友達ができたようね」
「まぁそれなりに、仲は良い方なのかな。
昨日も、一緒に狩りに行ってきたし」
「……死ぬかと思いましたわ」
ちゃんと、それなりに安全は確保しての狩りなのに、大袈裟な。
王都から帰ってきた翌日、少しばかりジュリの成長を自覚させるために、軽く行っただけなのに。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「説明をお願いしますわ!」
「説明も何も、実地練習? とにかく頑張ってね」
街から歩いて一時間以内の所で、魔法の練習と言ってジュリを連れ出してきたのだけど、なにやら大変御不満の様子。
有害級の魔物である大牙猪を目の前に余裕だなぁと思いつつも、熱い声援を送る。
あっ、そうそう、大牙猪が直ぐには逃げ出せないように周りは結界を張ったから、安心して狩ってくださいね。
「ひぃーーっ、いーーっやーーーっ!」
必死に盾の魔法で、大牙猪の突進攻撃を防ぎながら、必死に逃げているけど、防ぐと同時にちゃんと攻撃しようね。
相手の攻撃が終わった瞬間が一番隙が大きいんですから。
あと嘘つき呼ばわりは止めて欲しい。
街から歩いて一時間以内の場所には違いないですよ。
途中で空間移動の魔法を使っただけで。
あっ、空間移動の魔法の事は、他言無用でお願いしますね。
ぼしゅぼしゅぼしゅ!
まだまだ時間の掛かる火球魔法は諦めて、ジュリの放った水の槍の何本が、大牙猪に命中するのだけど。
うん、あまり効いていない。
もっと落ち着いて、圧縮と回転を加えないと大牙猪の厚い毛皮は貫けない。
せめて、落ち着いて目や口の中を狙えば効くと思うけど、ジュリの魔力制御では、まだ動いている魔物を相手に其処までの命中精度はない。
「ジュリ~、相手は生き物ですから、呼吸が出来ないと死んじゃいますよ」
私の言葉に、ジュリは大きな水球を作り出し、大牙猪の頭を包み込む。
大牙猪は突進力だけはあるけど、それ以外は大して素早くないからね。
突進後に振り向き様を狙えば、ジュリの命中率でも十分に狙える。
もっとも、そのままでは直ぐに魔力の固有波長の影響を受けて崩壊してしまうけど、絶えず結界を張り続けるか、崩壊する前に新たな水球で包み込んでやれば良いだけの事。
今はまだ命中精度は無くても、魔力があるなら其れで力押ししてしまえばいい。
創意工夫さえすれば、今のジュリなら有害級の魔物の大半は対応できるはず。
あとは慣れと自信さえ付けば……。
どすんっ……。
見ての通り、暴れながらも十分程もがき苦しんだ大牙猪は、酸欠になって倒れてしまう。
結局は魔物であろうとも生物の枠に入っているのなら、その弱点を突いてやれば良いだけの事。
「油断しない。
別の魔法で息の根を止めるか、息が止まったのを確認する前に手を緩めると、手痛いしっぺ返しを食らうからね」
魔物の肺活量と体力と回復力を舐めてはいけない。
気絶しかけているだけでまだ息が止まっていないのに、攻撃の手を緩めようとするジュリに、注意を放つ。
その声に反応してか、ジュリは再度水球で大牙猪の呼吸を止めながら、新鮮な空気を求めて大口を開けている口内から水の槍を突き入れ、今度こそ魔物の息の根を止める。
「はぁはぁ…はぁはぁ…」
「お疲れ様、初の狩猟の成果の感想は?」
「死ぬかと思いましたわよっ!」
うん、何故か怒られてしまいました。
まぁ興奮しているから仕方ないと思うけど、ジュリはちゃんと動けていたよ。
緑角熊の時は気絶していたし、剣牙風虎の時は着替えを必要としたし、一角王猪の時だって悲鳴を上げていただけだったのに、今はこうして、ちゃんと仕留められたじゃないですか。
ええ、ジュリが一人で仕留めた魔物ですよ。
助言や、魔物が逃げられないようにはしましたけど、間違いなくジュリが一人で倒しました。
ほらほら、ちゃんと自分で仕留めた獲物を見てくださいね。
小さめの個体ではありますけど、間違いなく有害級の魔物です。
「……此れを私が?」
「ええ、よ~く思い出してください」
私の言葉と、目の前にある魔物の亡骸にようやく実感してきた様で、笑みを浮かべだすジュリの姿に、さっきまであれだけ半泣きだったのに可愛いなぁと思ってしまう。
いえ、半泣きさせたのは、私だって分かっているんですけどね。
「さぁ、感動しているところ申し訳ないけど、次の試練です」
「ま、まだ狩るんですの!?」
いえいえ狩っても良いですけど、ジュリの精神的に、今日はこれ以上は嫌でしょ?
安心するのは良いですけど、狩猟の本番はある意味此れからですよ。
はいナイフ。
穴はサービスで掘ってあげますね。
なにって、決まっているじゃないですか、解体ですよ。
か・い・た・い・っ!
さぁ、まずは血抜きと、毒のある内臓を掻きだしましょう。
「いーーーっやぁーーーーーっ!!」
嫌だと言っても駄目です。
狩った以上はキチンと美味しく食べてあげるのが、礼儀です。
ほらほら、さっさとやっちゃいましょう。
ああ、抵抗すると?
じゃあ仕方ありませんね。
「えっ、手が勝手に!?」
「操作型の身体強化の魔法の応用です
相手と接触しながら、魔力の波長を合わせてあげれば、可能だと思ってやってみましたけど、出来ちゃうものですね。
でも体外操作とはいえ、結構、私への負担が結構大きいので、さっさとやっちゃいましょう。
大丈夫、一度やっちゃえば、大分慣れますから」
「はぐはぐはぐっ」
「ジュリ~、そんな急いで掻き込んだら消化に悪いですよ」
「はぐはぐはぐっ」
私、怒ってますと言わんばかりの勢いだけど、その表情は美味しそうに大牙猪の生姜焼きの香草盛りを食べているので、其処まで怒ってないと思う。
あっ、パンに葉物と一緒に挟んで、マヨネーズを掛けても美味しいですから、今、作りますね。
凄い、たった五口でいっちゃいますか。量を食べれない私からすると、ジュリの食べっぷりは羨ましい限りです。
結局、デザートの山葡萄のヨーグルトスムージまで食べて、人の寝台の上で寝っ転がっている所を見ると、きっと言葉を待っているんだろうなぁ。
うん、こういう所は少し面倒だと思う反面、可愛いとも思ってしまう。
……うん、しかたない。
「ジュリー、無理させてごめんね~」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
てな事がありまして、一応は機嫌は直してはくれたのだけど、念のための御機嫌取りと、以前に約束してあったのもあって、ライラさんに旅行から戻ってきた挨拶がてらに連れてきました。
なんでも、例の作家の本を予約しておきたいとか。
そうライラさんに伝えつつ、彼女からは見えないようにカウンターの内側に収納の魔法の中から、新刊の束を取り出す。
前回の続きで、魔物討伐隊の友情愛シリーズの第三巻です。
くれぐれも作者に関しては内密でお願いしますね。
「そう、あの作者の愛読者ね。
本当は駄目だけど、ゆうちゃんの紹介なら、原本が手に入るように優先順位を高く登録させてもらうわ」
「ありがとうございましゅ」
感激のあまりに、語尾を噛んでたけど気がついていないあたり、可愛いでしょ、彼女。
こう見た目と普段の完璧さの割りに、所々でこう言うところがあるから。
……似たもの同士って、私、ジュリほど美人じゃないですし、そもそも完璧を装うなんて事しませんよ。面倒くさいですから。
まぁ学院では一応は猫は被ってますけど、そのうち猫が居心地の悪さに逃げ出してゆくと思いますよ。
「そこは被り続けなさいよ」
「ライラさん、人間には向き不向きがあるんです」
「見た目は深窓の令嬢なのに、中身がコレって相変わらずね」
見た目の令嬢で言えば、ジュリの方が余程令嬢っぽい見た目だと思うけど。
後、中身がコレなのは仕様なので諦めてください。
「ペルシア様、件の作者の新刊なのですが、幸運な事に先ほど入荷したばかりですので、是非お手にどうぞ」
「うわぁ〜♪」
うん、凄く眩しい笑顔をするジュリ。
その笑顔だけでも連れてきた甲斐はあると思うのですが、今まで見た中で一番の笑顔な気がするんですが。
美味しい物を食べた時や、火球魔法を成功させた時や、魔物を初めて倒した時のどれよりも良い笑顔ですよ。
ジュリの好きな甘い物を食べた時ですら、そこまでの笑顔を見せないのに、少しだけ面白くありません。
「夢にまで見た原本をこの手に、……ユゥーリィさん、ありがとうございます」
そして滅多に呼ばない名前呼びを、こう言う時にされても、私としては複雑なのですが……。
「最近は、写本も購入制限かけられているから、大切にしないと」
……購入制限?
そう言えば、原本は闇値が付いているとか聞いた事あるけど、とうとう写本にまで付き出したのかな?
違うと、…普段用、保管用、布教用って、……いつから本は宗教になったのかと聞きたい。
大体、この世界には印刷技術がないから、娯楽書と言っても高価で写本と言えども、決して安い物ではないはずなのにね。




