126.儂、決めたんだ。王都から戻ってきたら楽隠居をするって。
コンフォード侯爵家、現当主。
【ドゥドルク・ウル・コンフォード】視点:
白い光が照らす書類に目を僅かに細めながら、その内容を確認しては署名をしてゆくが、時折署名をせずに、幾つかの指示と確認を書いて差し戻しの箱に入れる。
既に領主としての仕事の大半は息子へと引き継いではいるが、引き継いだ仕事がきちんと行われているかを確認するのも、大切な仕事だ。
息子からしたら、何時迄もと思うだろうが、年寄りと言うものは口煩いもの。
最低でも二、三年は我慢して貰いたいものだし、その後は流石に儂も楽隠居させてもうつもりだ。
まぁ、儂がいない半年で、どれだけ出来るようになるか次第だがな。
カタッ。
書類や書物を照らす魔導具が生み出す光は、強い日の光ほど眩しすぎる事はなく、曇りや雨などに左右される事なく安定した灯を生み出す。
例え魔導具もどきと言われようとも、もはや手放す事のできない道具と思っているのは、おそらく儂だけでは無いだろう。
ランプより明るく、匂いを放つ事も手入れをする必要なく、何より例え倒したり落としたりしても火事などの心配がない。せいぜいが壊れるぐらいで、金で済む話。
あと数日すれば儂は半年ほど行く王都の中央では、既に当たり前になっている魔導具だろう。
「欠点は、仕事に没頭しすぎる事か」
ランプとはいえ、室内で火を焚くのと焚かないのとでは、こうも目への負担が違うとは当初は思わなかった。
それ故、仕事に集中できるのだが、昼夜に関係なく仕事が出来るのも、ある意味問題だな。
それ故に、昨日見せて貰った、時が過ぎたのを知らせる魔導具が羨ましくなる。
数日後に共に王都に行くが、一年程、家の力の及ばない場所での勉強と言う事で、身分を隠して預かっていたヴォルフィード公爵家の次男。
軍閥系の貴族の中で最大勢力を誇るヴォルフィード公爵家の生まれで、現王の妹君との間に生まれた子供。
文武共に優れてはいるが、所詮は箱庭で育った坊ちゃん貴族の域を出ていなかったのだが、この半月で目付きも顔付きも一皮向けて、男の顔になった事に驚きを隠せなかった。
少し前に、王都へ戻るのを少しばかり延ばして欲しい、そう言われた時には困ったが、その価値はあったようだな。
こんこん、こんこん。
小さいが歯切れの良いノックのあと、客が来た旨を知らせる聞き慣れた老執事の声に、そのまま通すように告げる。
机の上のやり掛けの書類は……、まぁ、彼奴なら見られても困られるような書類でもないし、彼奴も興味はないだろう。
書類の片付けより、親友と飲む酒の準備の方がよほど大切と言えるため、部屋の外にいる女中に、ツマミや器の用意を頼む。
酒は貴族用の上等の酒ではなく、自分用の秘蔵の酒を使う。
誰もが知っているような貴族向けの銘柄の酒ではなく、無名で癖はあるが、それが堪らなく美味しく感じる類の酒。
儂も彼奴も、実はこいう酒の方が好きだからな。
もっとも、そういう類の酒の味を儂に覚えさせたのはその親友だから、ある意味感謝をしている。
こういう酒に出会ったおかげで、確実に儂の人生は一段と深くなったと言える。
欠点は、御用商人経由では買えないような、下々の酒だという事だが。
「おう、入るぞ」
「ああ、フェルよ、よくぞ来た。
まずは一杯飲んで再会を祝おうと言いたいが、次にその顔を見るのは、王都から戻って来てからだとばかり思っていたがな」
「ちげえねぇ、俺もおめえさんが王都に出立したとは聞いていねえから、まだいるかもと思って使いを出したが、こうして会って貰えるとは思わなかったがな」
その辺りはお互い様だと言わんばかりに、用意した酒で喉を潤す。
その後は挨拶がわりの近況報告とばかりに、儂は数日後に出立する事を、フェルは此方が用意した魔導具師に、例の魔導具の核の製法を教え始めた事を。
設立したばかりの商会の件は、以前に使いの者を出して報告してあるので、今更言うべき事ではない。
権利の買取なども含めて、すべて順調なのだからな。
「よし返盃だ。此奴は凄えぞ」
「ほう、それは楽しみだな」
フェルが出したのは、何の貼り紙も無い素の瓶。
其処から注がれた酒は、やや白味を帯びた酒で、何と言うか独特の香りを放ち、その香りだけでそれなりにキツ目の酒だと分かるが。
「ぐぅっ」
「凄えだろ」
思わず呻く程に喉を焼くような熱さの後、何とも複雑で厚みのある酒の味と、香りが強烈に口の中に残る。
上品か下品かでいえば、間違い無く下品な味で、普通の貴族なら間違いなく二口目は遠慮する酒だろうが、……悪く無い。
この下品とさえ称せる深い味わいと香りの中に、何とも人間味のある何かを感じる。
まるで泥水を啜って何とか生き延び、その後に飲む酒のような、何とも懐かしい味わい。
「これを何処で?」
「ん、気に入ったか?」
「ああ、ウチの者に買いに行かせる」
「そりゃあ残念だな」
「なに? それは金で手に入らないと言う事か?」
「まぁ、そう言う意味で違えねえな。
なにせ此奴を作った当人も、二度と同じ酒は作れねえ、そう言う類の酒だ」
フェル曰く、スラムに近い下町の店の酒で、客が飲み残していった瓶の酒を、適当に混ぜ合わせて作った混合酒に、度数の強い酒を混ぜ込んだ物。
大半は酔うためだけのハズレ酒だが、ごく偶にこういった大当たりの酒が出来る事があるらしい。
それを偶々飲みに行ったフェルが当たりを引き、残った瓶ごと買い取ってきたらしいが、……なるほど、色々な意味で深みのある酒になる訳だと納得する。
此奴は昔から、酒と生き残る事にかけては運が良いからな。
「王都へ行く前に、良い土産をもらった」
「もう貰った気でいやがる」
「この味を教えておいて、今更、渡さんとは言わせん」
「へーへー、元団長様には逆らえねえな」
「散々逆らっておいて、よくもまぁ、その口が言うわっ」
「そんな昔の事なんぞ、全部忘れちまったさ」
まったくこの男はと思いつつも、受け取った酒の瓶ごと、老執事に言って脇に下げさせる。
今のままでもイケるが、少し寝かせたら、もっと旨くなるはず。
儂の勘がそう告げているので、そう指示をしておく。
「帰ってきたら、息子に飲まれていたりしてな」
「その時は例え息子であろうとも、決闘を申し込むまでだ」
「酷でえ親もいたもんだな」
「酒はもう一つの人生だと、そう儂に教えたお前が言えた義理か」
「その酒の味と人生観を自分の息子に教えたのは、テメエだがな」
まったく酷い親がいたものだと、我ながら思ってしまうが、自分の息子と遠慮なしに酒を酌み交わす旨さを思うと、教えた事に後悔は微塵もない。
秘蔵の酒を飲まれたらキレはするがな。
「さて、そろそろ本題に入るか。
儂に聞きたい事があるとの事だが」
「ああ、緑髪の少年の事についてな」
やはりかと思いつつ。
「儂もちょうどその件で確認したかったのもあってな、無理やりにでも時間をとった。
魔導具師で白髪の少女と言うと、儂も思い当たる人物がいたからな」
「やっぱ当たりか」
「言っておくが、他言無用だぞ」
緑の髪の人間。
その髪の色を持つ者は珍しいが、いない訳では無い。
だが高位貴族の中でもあまり知られてはいないが、深緑の髪を持つ人間と言うと王家に連なる者しかいない。
例え王家の血筋でも数代離れると、自然とその髪の色は薄い色合いとなる。
おそらく、彼に子供が生まれて同じ髪の色を引き継いだとしても、もはやそれは同じ緑では無い。
「それで、儂を通して何を求む?」
「相手が相手だ、望むもクソもねえが、できれば嬢ちゃんの事は内緒にして貰いてえ」
「……どう言う事だ?」
フェルの言葉に、儂は眉を潜める。
どうやら儂の知っている事と、フェルの知っている事に違いがあるようだ。
儂が知っているのは、あの時が過ぎたのを知らせる魔導具が、白い髪の少女が作った魔導具だと言う事。
そして、その少女が彼を、将来の魔物討伐騎士団長の道を歩むに、最低限ではあるが相応しいまでに成長させた切っ掛けであろうと言う事。
あの娘の事を内緒にして欲しい、では話が合わない。
つまり儂の知らない何かがあると言う事だ。
儂の言葉に、フェルは自分の想定していた事態と違った事を察すると共に、儂を一層の事巻き込もうとする覚悟を決めた意思を、その瞳から感じる。
現役を十年以上前に退いたと言うのにも拘わらず、相変わらず切り替えが早く、覚悟を決めるのも早いと感心する。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「……と言うわけだ」
「……、はぁ……」
フェルの口から告げられた話に、深い息を吐き出すと共に、正直、信じられない突拍子もない話だと否定したい気持ちを、無理やりに吐き出す。
目の前に並べられた真新しい大量の角狼の角。
こんな物を見せられては信じない訳にはいかないからな。
目の前のそれは、フェルが少女から獲物が獲物だけに、この数を下手に一気に換金をすれば騒ぎになりかねないと、換金するまでの間、一時的に預かっている物の一部らしい。
これらの前には、あの若さで、角狼を二頭を仕留めたと言う、ヴォルフィード家の次男の鬼才など霞む出来事だと言わざるを得ない。
そして、その報告を聞いた時の言葉……。
『周り一帯に、生きている角狼の群れは確認できませんでした』
違和感を感じてはいたが、まさかそう言う事だったとはな。
群れから逸れた単体の角狼ならともかく、角狼の群れとなれば、戦災級の被害が出る。
しかも群れという特性上、討伐は戦災級の魔物の中では難しい魔物となる。
それがまだ人里から遠いとはいえ、人の猟場の内に現れたとしたら問題だと、確認の兵を派遣してはいるが、どうやら無駄骨のようだ。
嘘は言ってはいないが、正しくも無い。
よく儂が目の前の人物にもやられた事だが、あの歳でそれを平気でやれるようになるとはな。
「……戦災級の魔物の群れをたった一人で殲滅。
それほどの才能を、領主である儂が黙っておけと?」
「幾ら才能があろうが、人一人が出来る事なんぞ知れてらあ。
魔導士としての嬢ちゃん一人が守れる人間の数など、一生を掛けてもせいぜいが数千だろう。
だがな、魔導具師としての嬢ちゃんなら、数万、数十万の人間を守れる。
いや、もしかしたら数百万かもしれねえ」
「幾ら何でもそれは」
「ちっとも大袈裟じゃねえな。
いいか、嬢ちゃんが現役で戦っていられるのは、せいぜい四十年だし、今みたいな戦い方ができるのは、その半分以下だろうぜ。
だが嬢ちゃんが作り出した魔導具は、数十年どころか数百年後にまで影響する」
夜戦用の照明、携帯竃とその付属品、前線を支えるための文官達の仕事を支える照明器具、あと最近服飾ギルドが出した滑り止めのついた二種類の手袋。
あれは剣を持つ者達にとって必須の装備となるだろう。
先日の話から更に加わっている、彼女が関わったであろう魔導具の話、それ等は直接的では無いが、確かに広く、そして長く影響する事を考えれば、フェルの言う事も荒唐無稽の話ではない。
「テメエもあの嬢ちゃんを、その目で見て、言葉も交わしただろう。
あれが血生臭え生活が似合う人間になれると思うか?」
「……それについては同意できるな」
「人には向き不向きってもんがあらあ。
幾ら優れていようと不向きな用途で使われたら、そりゃあ優れた能力なんぞ出せるわけねえ。
鋁と同じようにな。
あの嬢ちゃんは普通の生活をして、面白おかしく時折魔導具でも開発していればいい。
その開発した物を、汚え大人が勝手に軍事利用してやれば良いだけだ。
携帯窯や滑り止めの手袋のようにな」
まったく、この男は儂の部隊にいた時から、いつもいつも問題を持ち込んでくる。
しかも大抵が無視する事などできない、頭の痛い問題ばかり。
そして、今回はまた飛び切りの部類と言える。
「俺は特殊なケースだが、それでも一応は元魔法使いだ。
だから魔法使いの連中の実力も、奴等の使われ方もよく知っている。
女の嬢ちゃんじゃ使い潰されるのが目に見えているし、下手すりゃ嬢ちゃんから逃げ出すだろうな。
なら上手く使えれる方をお勧めするぜ」
ヴォルフィード家の次男が、彼女の能力の事を黙っていた意図を考えれば、既に答えは出ているような物だが、それは情で動くような物だ。
今ひとつ背中を押すような、周りを説得できるようなものが欲しい。
「ちなみにな手袋の件だがな。
俺が嗾けておいて何だが、信じられん事に俺の目の前で、お湯が沸くより早く作り出しやがったぜ。
あと、これも土産だ」
そう言って、何かを懐から放り出したと思ったら、それはそのまま放物線を描いて大理石の机の上へと……突き刺さるどころか、一瞬で貫通し、更にその下の床へと深く突き刺さる。
「群青半獅半鷲の爪を使った魔導具だが、威力は見ての通り俺等が知っている物とは雲泥の差だ。
最早、別物と言って良い。
槍の穂先だけでなく、大弓で使う鏃でも使えるのはもちろんの事、剣にまで使えやがる。
造るのには、ちぃ〜〜〜とコツはいるが、そこそこ優秀な魔導具師なら作れねえもんでもねえ。
こんな物を、あの嬢ちゃんは思いつきでホイホイ作るから、俺としては商売上がったりだな」
ああ……、こいつが前回あの少女を連れてきた本当の意味が分かった。
本来は儂が王都から戻ってきてからのつもりだったのだろうが、今回、こうして訪ねて来た本当の意味を、やっと理解した。
「フェル、お前、儂を隠居させる気はねえな」




