105.私、この家を出ます。お世話になりました。
「各ギルドが運営する学習院ですか?」
ラフェルさんの簡単な説明に、そう返してみるのは、詳しい説明を促すため。
「ええ、独立ギルドと言われている、ウチのギルドさえ出資している互助組織ね。
もっとも名目上での話で、実際は各ギルドを隠蓑にした上位貴族達の互助組織だし、組織自身もまだ百年経っていない若い組織よ。
組織の運営する私塾が主要都市にあるし、この街のも二十年程前に創られたばかりだけど、ゆうちゃんが成人するまでの間に、そこで学ぶべる事も多いと思うの」
「そんな物がこの街にもあるだなんて、気がつきませんでした」
「それも仕方ないわ、ユゥーリィさんはあまり貴族街の方に行かないみたいだし、施設そのものは街外れにあるからね。
街の人でも知っている人はそうはいないと思うわよ。
貴族の建物ぐらいの認識しかないんじゃないかな?
ライラもそうでしょ?」
どうやらライラさんも、そう言った教育機関があるとは知らなかったらしい。
もっとも現代で言う教育機関と言うものの、説明を聞く限り実態としてはそれ程しっかりした物ではなく、決まった期間に一定数の講義や訓練を受ける以外は、基本的には自由。
定期的な試験はあるものの、だからと言ってそれは将来に対する絶対の評価ではなく、自習するも、自己鍛錬するも、遊び呆けるのも自由。
あくまで自己責任の学習の場であり、……そして、貴族の子息達の姥捨山。
と言えば口は悪いけど、貴族の子供向けの職業訓練学校みたいなものだろう。
ギルド側は貴族との繋がりというのもあるけど、腐っても貴族で高度な教育を受けた優秀な人材を拾うため。
貴族達は、養いきれない子供達が、何とか生き残るための道を模索させるため。
互いに利害が一致した結果だろう。
「貴族と言っても三男四男、もしくは四女五女はね、どこも溢れてはいるのよ。
かと言って、収入は限られているし、暗臣として雇うのも限界がある。
だけど、どうしても子供には甘くなって、役立たずに育ってしまう事もあるから」
「でも、かと言って、いきなり外に出すのは問題があるし世間体が悪い?」
「ええ、家から離しておけば甘えもなくなるだろうし、そこで駄目になるようで、あれば家に置いていても、いずれはね」
「貴族も大変なのね」
「そうよ、ライラが思っている以上に世知辛いのよ」
そう言う意味では、私にとってぴったりの場所だと言える。
私にとっての今の一番のネックは、成人する前に家を出る事になってしまったため、身の置き場に困っている状態。
この国では基本的に成人してからでないと、何をするにも困るのが実情だからね。
ただ、今、聞いた話だと、基本的には中位貴族以上のための施設で、公爵家や侯爵家そして伯爵家に縁の人間のための物。
紹介や推薦があれば子爵家の者もいけるらしいけど、例え家を出ていなかったとしても、私ではその条件は満たせない人間。
本当の貴族は子爵家から、と言う人間もいるぐらいだからね。
ましてや平民に落ちた私が、とても入れるような施設ではないはず。
「幾つかの知り合いの伯爵家の人間に、紹介状を書いて貰ったんだけど……流石に駄目で、ギルドがユゥーリィさんの後盾、つまり保証人になってくれて助かったわ」
「すみません、大分無理をして貰ったみたいで」
「構わないわよ。
ギルドとしてもユゥーリィさんの保証人になるのはメリットのある話だし、貴女とはそう言う約束でもあるからね。
それにギルドが保証人なら、貴女にちょっかいを掛ける馬鹿な子も少しは減らせると思うし」
「やっぱりそういうドロドロとした物はあるんですね」
「ただでさえ身分格差のある貴族社会に、家名も無しに入ればどうしてもね。
半分は平民落ち確定な癖に、何時までも下らない見栄に縋り付こうとする人達は特にね」
要は学習院という名の選別場なのだろう。
力を身につけて、貴族の血縁者として生き残るか。
自分に諦めをつけて平民として生きるか、それとも黙って家の道具として飼い殺しになるか。
でも貴族として何の未練もは残っていない私にとって、自分を鍛え直す場でもある。
私がやりたい事をやって生きるためには、色々と足りないと実感しているから。
「……そっか、もうこの家ともお別れなんですね」
「そうねぇ、ほんの数ヶ月だったけど楽しい同居生活だったわ」
「はい、私もです。
本当にライラさんには色々お世話になって」
「いいわよ、そんな挨拶は。
どうせ同じ街に住んでるんだから、偶には顔を出してくれればね」
「はい、お休みには顔を出します」
「それを楽しみにしているわ。
あと溜まっている本の方も、そろそろお願いね。
あまり期間が長いと、読者が離れていってしまうから」
「そうですね、なるべく早いうちに用意します」
うん、本気で何処かにアジトを作る事を考えないと。
いっその事、家でも買うか?
ああ駄目だ、私の年齢だとお金があっても家は買えない。
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「……要塞? 監獄?」
それが、これからお世話になる建物を見た第一印象。
広い敷地を高い塀が囲い。いくつかのブロックに別れ、広場と庭と建物が建っている。
何というか寄宿学校を幾つかくっ付けたような感じ。
一応塀も建物も庭も、高位貴族の子女が住むに相応しい外観を保ってはいるものの、気のせいか、雰囲気に押されてか、敷地の中を漂っている空気がそんな感じに思えてしまう。
「……まぁ間違ってはいないわね。
もともと領軍の施設だった事もあるし、此処に居る人達も、貴族だから武官として名をあげようとしたり、冒険者となって稼ごうと夢見る子達もいるから、その手の訓練は本格的らしいわ。
逆に嫌々、此処に押し込められている子達もいるみたいだしね。
ユゥーリィさんにとっては、どういうところになるかしら」
「少なくとも時間を無駄にする気はないですけどね」
例え此処での勉強や訓練についてゆけなくとも、私にはやりたい事や学ぶべき事はあるし、魔力制御の訓練にしたって、まだまだ足りないと思っている。
そんな事を考えながら、ラフェルさんと共に敷地の真ん中に立つ建物へと入ってゆく。
「ようこそおいでました。
コンフォード学習院は貴女の入学を許可しましょう。
うむ、誰だったかな?」
「学院長、書類に名前が」
「そんな事は分かっている、家名と家の爵位が抜けている。
書類の不備だぞ」
「いえ、それが……」
冬以外は何時でも入学は可能ではあるらしいけど、この時期の入学者が一番多く、いちいち確認などしていられないのだろうな。
そしてなにより……。
「学院長、挨拶が遅れて申し訳ありません。
私は書籍ギルドのコンフォード領支部長、ラフェル・マイヤーソンです。
以前に何度かお会いした事がありましたが、本日はギルド長の代理として伺いました」
「ああ、そうだったな。
書籍ギルドには何時も多くの書籍を寄贈して貰って、当学院も助かっている。
うむ、思い出した、貴族とは何の関係もない娘が、入学するなどありえない事で忘れておったわ。
なるほど、その娘がそうか、……しかも色なしとはな」
「はい、我が書籍ギルドが保証人になっている子ですので、どうかそのように宜しくお願いいたします」
「承知した。
本学院では貴族の子女として扱う事は約束しよう」
なんと言うか、予想通りの展開と言うのが正直な感想。
私だって、こんな場違いな場に、心から歓迎されるとは思っていない。
むしろ最初からこう言う扱いを受けていた方が、後々気が楽というもの。
とりあえずこれで学院長との挨拶は終了。
半ば投げやり的な相手から幾つかの書類を受け取った後で、見送りに来てくれたラフェルさんと別れ、充てがわれた職員に敷地内を案内して貰っている。
講義は、一般社会学、商業学、服飾学、建築学、芸術学と、此処まではある意味普通の学園と言える内容。
それ以外に、軍学、魔法学、生存学、剣術、体術、馬術と、前世での学校ではあまり馴染みのない学科もある。
基本的には、三ヶ月半ごとのローテーションの内容で、どれを受けるかは自分で決めれば良いらしい。
けれど一度決めたら一定の講義数を受ける必要があり、最後に試験等を受けて合格しなければ履修した事にならないし、上の内容の講義を聞けないあたりは、ある意味前世の大学と似たような仕組みだ。
「彼方の塔が書籍棟となっている、自由に読む事は許されているが、持ち出しは公爵家か侯爵家の関係者のみと決まっている」
「利用時間や、休みはどのようになっているのでしょうか?」
「この春より何時でも可能になった。あと間違っても持ち出さないようにな」
どうやら二十四時間運営の図書館のようだ。
過労が原因による注意力の低下による交通事故死、と言う前世が前世だった事もあり、労働基準とかどうなっているのだろうかと、思わずそんな事が気になってしまうので、今度、働いている人達に聞いてみよう。
あっ、あっちに演習場や運動をする場所があって、反対側が馬場と。
建物は宿舎は、公爵棟と侯爵棟が七棟づつに、伯爵棟が五棟で、その他扱いが四棟あると、それで私がお世話になるのは、建物が一番古い方と。
あっ、此処でお別れですか、ありがとうございます。
あとは各棟の管理されている方に引き継ぎですね。
「古いと言っても石造りで頑丈ですね」
「暴れて壊されたら、立て直しが面倒だからな。
他にも慣れない家事で失火でも出されては困る」
「上の方達は、付き人の方がおられるんですね」
「まったく下級貴族でもアレなのに、何てったって、こんな名無しが……、まあいい、此処がお前の部屋だ」
管理人さんの態度はともかくとして、案内されたのは部屋は十四畳程もあり、更に奥の部屋に窯のある台所と水場、そして反対側にお手洗い。しかもウォークインクローゼットという名の物置。
なかなか悪くないと言うか、私にとっては優良物件です。
あれ、この柱みたいな石は? 建物の柱には見えませんが。
ああ、上の階の排泄管が埋まっている訳ですね。
井戸は中庭にあると。
此処にはいないけど、伯爵棟とかの方は、専用の人を置いてある訳ですか。
自分でやれば良いのにと思うものの、貴族と言うのはそう言う世界なのでしょうね。
まぁ元貴族の私が言うのも何ですけど。
何にしろ、自分で全部できると言う所が良いです。
「書類は明日の昼までに書いて、本部棟の受付に渡しておけ」
「分かりました」
「荷物はこれから運び入れるんだろうが、他の者の邪魔にならねえように言っておくように、ただでさえこの時期は揉め事が多いのに、平民風情が貴族に混じって居ると知ったら、どんな問題が起きるだか」
「大変そうですね〜。とりあえず荷物を運び入れる人はいないから大丈夫です」
「はぁ? ベッドもねえのにどうやって寝るんだ。
まさか犬猫みたいに床で寝るつもりか?」
何か失礼な事を言っている気がするけど、そんな訳がない。
魔導具の腕輪から開放した収納の魔法から、前もって購入しておいたと言うか、ラフェルさんに用意されたベッドやチェストや机などを出してゆく。
細かい配置は後にしておいて、まずは出すだけ出しておくかな。
「……魔導師、ただの平民と言う訳ではねえって言う事か」
貴族落ちした唯の平民だけど、本気でごく普通の小娘が、書籍ギルドが保証人になってくれる訳がないと思うのに、何だと思っていたのだろうか?
それとも誰かの隠し子とでも思っていたのかもしれない。
そう思うと随分失礼な想像だと思う。だって私は、お父様とお母様の子供である事を、誇りに思っているのだから。
まぁ、彼の失言は置いておくとして……。
「すみません、服とかの整理とかもあるので、まだ何かあるのなら早めにお願いいたします」
「それは失礼したな」
そう言って部屋から出て行ったところを見ると、どうやら諸注意は特にないようだ。
つまり自由にやって問題が起きたら、自分達で対応しろと言う事だろう。
一応この棟は女子寮となっているらしいけど、管理人が男性と言うのは、どうかと思ってしまうけど、管理人室が建物の入口にあるのを見る限り、守衛を兼ねているのだと思う。
「想像より待遇が良くて安心かな」
一人部屋も実家で私が使っていた部屋の倍以上も広いし、窓もやや高めの位置に水晶壁が埋め込まれていて、風通し用の窓は小さい物が高い位置にある。
そもそも一階部分が地面より高いため、たまたま視線が合うと言う事はないだろうし、あんな小さな風取り用の窓からは、例え子供であっても侵入して来れないだろう。
多分これでも、此処の施設の中ではランクが低い部屋なのだろうけど、逆にこれ以上広かったら、随分と居心地が悪い部屋だろうと思ってしまうのは、きっと根が庶民のせいなのだと思う。




