④⓪
「わ、わたしの方こそ、アデラール殿下にひどいことをしませんでしたか?」
「君が僕に?」
「はい……あの状態でしたから。嫌われるのは……わたしの方かと」
シルヴィーがモジモジしつつもそう問いかけると、アデラールは珍しく噴き出すようにして笑っているではないか。
「ア、アデラール殿下?」
「ははっ、君は本当におもしろいことを言うね」
シルヴィーは首を傾げつつ、アデラールが笑っているのを眺めていた。
「ひどいことなんてありえない。君はただ酔って僕の服を引きちぎって泣きながら直して、その後にまたシャツを引きちぎってから馬乗りに……」
「わああああっ!」
どうやらお酒の力も借りてやりたい放題だったようだ。
自分の予想よりも遥かに上を越える暴挙に思わず叫んでしまう。
両手のひらで顔を隠しながら恥ずかしさに身悶えていた。
(今すぐに穴の中に入りたいっ!)
下唇を噛みながら今すぐ逃げ出したい気持ちを押し込めていた。
「そこで僕が君を守るって約束したんだよ?」
「……約束、ですか?」
「うん、そう約束したんだ。だから僕は君を守るよ」
アデラールはそう言いつつ笑みを浮かべている。
時折、いつもの優しい笑みとは違う。少しだけ暗い感情が含まれた笑みだ。
「どうしてそこまで……?」
「シルヴィーは僕の心を動かしてくれた初めての人だから」
「……!」
シルヴィーは目を見開いた。
(も、もしかしてわたしに執着しているのって……酔っ払った時の姿がやばすぎたからでは!?)
王太子として淑やかな令嬢たちとばかり話していたから、酩酊状態のシルヴィーに襲われて何かに目覚めてしまったのだろう。
(……アデラール殿下、可哀想に)
シルヴィーからアデラールに送られる哀れみの視線。
それにホレスもいることで、シルヴィーから逃れることができなかったのかもしれない。
(こうして優しくしようとしてくれているけれど……本当は)
なんだかアデラールが可哀想に思えてしまい眉を寄せつつ考えていた。
(アデラール殿下なら選び放題だったのに……)
おそらく彼は責任感も強いのだろう。
でなければ立場もなく平民のシルヴィーを選ぶことは絶対にしないはずだ。
家柄も容姿も特段よくなければ誇れる特技もない。
彼につり合っているかと言われたら、誰もが違うと答えるだろう。
「……アデラール殿下に申し訳ないです。夜会の件でわたしを選ぶしかなくなってしまったんですもんね」
その言葉を聞いたアデラールは目を見張る。
「君は何もわかっていないんだね」
「どういう意味でしょうか」
「シルヴィーは僕が……いいや、なんでもない。今は怖がらせてしまうから」
「……!?」
「時間はあるから、少しずつわかってくれたらいいよ。僕がどれだけシルヴィーのことを愛しているのか」
当然のようにそう言われたことでシルヴィーの頬が赤らんでいく。
異性からそのようなことを言われたことがないため、免疫がないのももちろんだが『もう恋をしない』と決意してここまできたのに、いつのまにか絆されそうになっている。
(なんだかわたし、どんどんとアデラール殿下のことが気になっているような……)
今まで無理やり諦めようとしたものが目の前にある。
違った形にしろ好意を向けられていることに戸惑いを感じていた。
それは好きになるのが怖いという感情だ。自分が育ってきた環境が原因だろう。
どうすればいいかわからない、そんな気持ちが渦巻いている。
(もし……アデラール殿下もあの人と同じだったら? ううん、アデラール殿下はホレスがいてもわたしに優しくしてくれた)
母と父は政略結婚だった。義母との仲を邪魔していた母を拒絶していたのだ。
そして自身の属性を継がなかったシルヴィーを嫌っていた。売り払ってもいいと思うほどに……。
「ア、アデラール殿下は他に好きな人はいないのですか?」
「僕が好きなのはシルヴィーだけだよ。そろそろ信じてくれてもいいんじゃないかな?」
アデラールから感じる笑顔の圧。
シルヴィーの心は揺れていたが、やはり彼の言葉を素直に信じることはできなかった。
「やっぱり信じられませんっ!」
「……どうして? そんなに力強く言わなくても……」
彼の眉が下がる。悲しむ彼に心が痛むが、どうしてもアデラールの好意を素直に受け入れることができない。
「アデラール殿下がわたしを選ぶメリットがありませんから! それにたった一夜の関係で、ここまで執着するなんて変です。命を救ったわけでもないのに……」
「そうかな? 僕には特別な夜になったんだけど」
「ホレスを選んで、わたしを捨てたってよかったんじゃないでしょうか!」
「そんなことしないよ。もうシルヴィーがいない生活なんて考えられない。君を手放せない……絶対に」
アデラールの声が徐々に低くなっていく。
どう言葉を返せばいいか迷っていると、いつのまにかアデラールの表情はいつも通りに戻っている。
「そうだね。まずは僕が君のどこが好きなのかを知ってもらうところから始めようか」
「……へ?」
「まずは十三年前の話からしようね。僕はマリアが泣いていて本当に困っていたんだ。周りに侍女もいないのに刻刻と時間は迫っている。マリアがこんなふうになるのは初めてで僕は気が動転していた。彼女はずっと我慢していたんだろうね。気の利いた言葉を言えなかったんだ。そんな時、君が現れた。今も鮮明に覚えているよ。まるで女神のようだった。マリアにハンカチを渡して、魔法を使って破れたジャボを直してくれた。魔力がなくなるまで……。あの年齢で、あの場所で人のために力を使える子どもがどのくらいいると思う? 君は刺繍に夢中だったみたいだけど、僕は一目惚れに近いかもしれないね。その瞬間から君と結婚したくてたまらなくなったんだ。こんな気持ち初めてだったよ」
「ア、アデラール殿下……?」
シルヴィーが思っている以上の熱量で返されて困惑するばかりだ。
アデラールは恍惚とした表情でいるところを見るに、本気でそう思っているのだろう。
(もしかしてアデラール殿下って、重いのかしら……)
アデラールのシルヴィーへの想いはとどまることを知らない。
あふれ出す感情を受け止めきれずに口端がピクリと動く。
これは重いという一言で片付けるには足りないかもしれない。
(重い……じゃなくて激重だわ!)
そんなアデラールに好かれている事実を改めて自覚したシルヴィーは震えていた。
(手遅れかもしれない。十三年前にアデラール殿下を助けた日から……もう)
しかし多少なりとも捻くれていて母以外の愛情を知らない自分には、このくらいの方が丁度いいのかもしれないと思ってしまうことが一番怖い。
それに、ホレスのことを考えたら彼と共にいる方がいいのだろうか。
シルヴィーはアデラールに絆されつつある事実を認めざるを得ない。
「大丈夫、僕と結婚したこと絶対に後悔させないからね。はい、指輪」
「ふぁ……!?」
シルヴィーに跪いて指輪を渡すアデラール。
その指輪の宝石の大きさと眩さに目眩がする。
「あの……こんな高価なものはいただけません」
「……え? 困ったな。シルヴィーに似合いそうだとあと五個ほどオーダーしてあるんだけど」
「そ、そんなに!?」
シルヴィーは開いた口が塞がらなかった。
しかしそんなに贅沢をしていいのかと焦っていると……。
「僕はシルヴィーのために十三年前から蓄えているんだ。欲しいものがあったら何でも言ってね」
「いえ……」
「あ、そうだ。僕以外の前でお酒飲むのは絶対に禁止。約束できるよね?」
「…………はい」
その時のアデラールの顔は恐ろしかった。




