③① ミリアムside2
『わかった。ならシルヴィーを追い出してラディング侯爵に売り飛ばそう』
『売り飛ばす……? そんなことできるの!?』
ミリアムは全身に鳥肌が立つほどに喜びに溢れていた。
父の作戦はこうだ。金を得ていらなくなったシルヴィーを処分する。
今まで育ててやった恩を返してもらうために金に変える。
その縁でラディング侯爵と新しい事業を進めるため、今後も金に困ることはないという。
それにシルヴィーの処分の仕方は、彼女の尊厳を踏み躙り、地獄に堕とす最高のシナリオだった。
『シルヴィーの部屋に招待状と生贄の目印となる仮面を置く。居場所がなくなればそこにいくしかないだろう?』
『お父様ってば……なんて素晴らしい提案なの!』
彼女はレンログ伯爵家を追い出した後、夜会でラディング侯爵に売られるのだという。
あまりにもおかしすぎて笑いが止まらない。
シルヴィーは知らないだろうが、ラディング侯爵の醜悪な見た目は令嬢たちから嫌厭されている。
でっぷりとしたお腹にはちきれんばかりのボタン。汗臭い匂いに鼻をつまみたくなる。
だからこそ金で訳あり令嬢を買い取っては娶っているという。
社交界では有名な話で、落ちぶれた令嬢が行き着く場所なのだ。
地位も婚約者も立場も奪われたシルヴィーは、金と引き換えにゴミだめに向かうらしい。
貴族の令嬢が平民になることなんて不可能だ。
シルヴィーは彼の何番目かもしれない妻になるしかない。
もしかしたら自分を助けてくれる王子様と出会えると夢を持っているのかもしれない。
(あんたを迎えにくるのは王子様じゃない……豚よ、豚!)
夜会の日に合わせてレンログ伯爵邸から追い出されてしまうシルヴィー。
ロランと共に婚約破棄を告げたのにシルヴィーは表情も変えずにつまらない結果となった。
(あーあ、つまんないの。夜会があるから余裕ぶっているのね! 今からアンタは地獄に堕ちるの!)
椿が描かれた仮面は犠牲者の証。
そのまま関係を持たれてしまい、嫁がずにはいられないそうだ。
(ウフフ……逃げ場もない。行く場所もない。可哀想にっ!)
目障りなシルヴィーがひどい目にあうと知って笑いが止まらない。
彼女が少ない荷物で屋敷から出ていくのを窓から見下ろす。
背後から『やっと結ばれたね』と、甘えるように言ってくるロランが気持ち悪くて、その腕を弾き飛ばす。
「わたくしに気安く触らないでちょうだい」
「ミリアムはオレのことが好きなんだろう?」
「はぁ……? 勘違いしないで。あなたにそんな価値はないわ」
そう吐き捨ててミリアムは自室へと戻る。ロランなんてもうどうでもよかった。
それよりもシルヴィーがラディング侯爵に穢されたことを知ることが楽しみで仕方ないのだ。
(ふふっ、こんなに面白いことは他にないわ!)
シルヴィーの部屋に行ってみるとあまりの殺風景な部屋に驚いてしまう。
一番にシルヴィーがどうなったかを教えてもらうように頼もうと父の元に向かった。
書斎にはミリアムより先客がいた。
屋敷で働く侍女、シェフや庭師に執事までみんなが揃っているではないか。
(こんなところで何をしているのかしら。邪魔なのよ……!)
一気に不機嫌になったミリアムはさっさと出て行けと視線を送るもまったく動じる様子はない。
まるでこちらを軽蔑するような眼差しを向けてくるではないか。
それはシルヴィーと同じものだ。何もわかっていないとミリアムを見下す目。
ミリアムは怒りから口を開く。
「何よその態度……っ、腹立つから今すぐ出て行きなさい!」
「「「「…………」」」」
「わたくしの前から消えなさいよ!」
「よすんだ、ミリアムッ」
「…………え?」
父に怒鳴るようにして咎められたミリアムは驚いて動きを止めた。
よく見ると父の顔は青ざめている。
逆に侍女や執事たちからは怒りや苛立ちを感じていた。
立場が逆転しているように見えるのは気のせいではないだろう。
「言われなくてもそのつもりですからご安心を」
「……はぁ!?」
「我々は皆、ここをやめるつもりです。シルヴィーお嬢様がいなくなり、もうここに留まる理由はありません」
「シルヴィーお嬢様はきちんと賃金を払ってくださいましたが、旦那様にはそのつもりはないのでしょう?」
「奥様とミリアムお嬢様にはうんざりしております。離れられて幸せです」
生意気な態度にミリアムが執事を殴り飛ばしてやろうかと考えていると、次々と声を上げる使用人たち。
「な、なに……? あなたたち、何を言っているかわかっているの?」
「えぇ、わかっていますとも。むしろ何も理解していないのはミリアムお嬢様の方では?」
執事の言う通りだった。ミリアムはこの状況がまったく理解できていない。
今まで理不尽な命令をしてもミリアムに従っていた者たちは今では敵のようだ。
それに気のせいでなければシルヴィーを慕っていたように聞こえる。
嫌な予感に心臓が激しく動いていた。
「考え直してくれないだろうか。もう少しで大金が手に入るんだ」
それはシルヴィーを売って得る金のことだろう。
金さえあれば使用人たちはここにとどまるはずだ。
「そ、そうよ! ここを出て行っても居場所なんてないでしょう?」
「主人に歯向かうならどうなるかわかっているのか!? 職を失うことになるんだぞ! そ、それに契約違反だ」
父は脅すようにそう言った。
これで解決するだろう、そう思っていたミリアムの考えは簡単に覆されることとなる。
「構いません。この現状を訴える準備はできていますが、契約違反で罰せられて困るのはどちらでしょうか」
「なっ……!」
「もう遅いのですよ。今まで目を背けていた問題に直面することになるでしょう。だけどシルヴィーお嬢様はもういません」
「ま、待ってくれ! 金はちゃんと払う。約束するからっ」
彼らはまったく動じることはない。強気な言葉にミリアムは唖然としていた。
シルヴィーが出ていくのに合わせるようにして次々と出て行ってしまう。
侍女がいなくなれば美しいドレスも着られない。
庭師がいなければ庭の自慢ができない。
シェフがいなければ料理も食べられないし、執事が働かなければ屋敷が回らない。
そのくらいはミリアムにでも理解できる。
(どうしたらいいの。なんとか引き止めるのよ……!)




