③
母を逃す作戦は大成功だった。
御者に協力してもらい、馬車は崖の下。
馬車を一台ダメにしてしまったが、今まで遊び回り、母を蔑ろにしていた父への復讐となり、ざまぁみろといった気持ちだ。
だが、父は予想もしない形で母が亡くなったことに大喜びした。
先代の頃から勤めていた執事も父がここまで堕落していたとは思わなかったそうだ。
それはシルヴィーも同じ気持ちだった。
まさか母が死んだことを喜ぶほど落ちぶれているとは思わなかったのだ。
馬車をダメにした御者も咎められるどころか褒められたと聞いて愕然とした。
シルヴィーがここに残ったのは母のためでもあるが、まだ父から愛されているのだと信じたかったのかもしれない。
そんなはずはないのに、愛される未来を望んでしまう自分の甘さが浮き彫りになったような気がした。
葬儀は遺体もないからとあっさりとしていた。
大した確認もしなかったため、シルヴィーも一緒に死んだことにしていたら何か変わっただろうか。
でもこれで母は助かるのだと安堵する。それは私にとっては一番の希望だった。
そこからは母の予想通り、父はすぐに後妻を連れてきた。
我がもの顔で屋敷に入ってきた義母は、シルヴィーを思いきり睨みつけた後に、いきなり頬を叩いた。
しかし父は何も言うことはなかった。
義理の妹ミリアムが同じ年の十歳だと知った時、シルヴィーは悟った。
母と同時期に関係を持っていたことを理解した瞬間、鳥肌が立つ。
この時の父への軽蔑の気持ちを忘れはしない。
わずかに残っていた希望は完全に砕け散った。
嫌悪感でいっぱいになり、挨拶をすることもなく背を向けた。
(……お父様なんて大嫌い)
シルヴィーと母のせいで、彼のそばにいれなかったのだと義母とミリアムは恨みつらみを吐きかけてくる。
感情のままに暴走する彼女達を見て、シルヴィーはドレスを掴んで耐えるしかなかった。
義母からは今までの恨みを発散するように文句を吐きかけ続けられたが、あまりにも恐ろしくて何も言い返せない。
今までずっと一緒にいてくれた母はもうそばにいない。
この時から伯爵家の中でシルヴィーの居場所はなくなった。
けれど、今はそれでいい。
(お母様を守るためだもの……わたしはどんなことにだって耐えられるわ)
シルヴィーは義母やミリアムの顔色を伺い、とにかく目立たないように過ごしていた。
けれどミリアムからの嫌がらせはひどくなっていくばかり。
侍女や執事たちも庇ってはくれたが、今度は彼女たちが標的になってしまう。
そのうち、シルヴィーが何をされても無視するように頼んだ。
そうすれば彼女たちには手を出さなくなる。彼らを守るためにはこうするしかないのだ。
ただでさえ、シルヴィーが反抗したり文句を言うと、気に入らないという理由でミリアムに魔法で私の物を燃やされてしまう。
シルヴィーの部屋にはほとんど何もなくなってしまった。
数着のワンピースをリメイクしながら使い回す日々。
社交界では、シルヴィーは母と同じ病気で苦しんでおり社交界に出られないということになっているらしい。
だから、代わりに義母とミリアムをすぐに迎え入れたのだと噂されている。
貴族らしい華やかな生活を送る三人とは対極に、シルヴィーは部屋の中で魔法でレースを編んでいた。
それは母が過ごしている高級洋装店に売ってお金を稼ぐためだ。
体調はよくなっているといっても、まだ本調子ではないためシルヴィーが母を手伝っていた。
いつかこの屋敷から出て自分も母と一緒に暮らしたい……それがシルヴィーの夢だった。
(わたしもいつかはお母様の元へ行きたいわ。また平和に暮らしたいもの)
三人は後先考えることなく散財を繰り返す。
シルヴィーはレースを編んだり、いつ平民になってもいいようにと準備を進めたりしていた。
母と共にブティックで刺繍やレースを編んで平和に過ごしたい。
(逃げ道があるのは気楽ね)
貴族としての最低限の教育は受けていたものの、次第に父はシルヴィーだけでなくミリアムの教育費すらケチるようになっていく。
父が少しでもシルヴィーに肩入れすれば義母が許さずに、金切り声を上げて『ミリアムが大切じゃないの!?』と責め立てる。
そのしつこさと強欲さにはシルヴィーも驚きだった。
(わたしはもう何も持っていないのに……)
何度かそういうことが起こり、面倒になったのだろう。
父はシルヴィーに近づくことすらなくなった。
最低限、必要なものは執事に頼めば用意してもらえたのは幸いだった。
それでも目立ったことをしてはいけない。
彼女たちがいる間は距離を置いてもらい、買い物に行って屋敷にいない時にレースを届けられるように手を回してもらう。
(これから平民になるんだもの。自分のことは自分でできる。お母様と幸せに暮らすチャンスがあるなんて幸運だわ)
シルヴィーはずっと部屋に引きこもっていると思われているようだ。
実際にはレースを編んだり刺繍をして、母を少しでも助けるためにせっせと手を動かしていた。
──ミリアムたちが来て数カ月が経とうとしていた。
次第に口うるさい義母に束縛され、ミリアムのわがままを聞くのがめんどうくさくなったのだろうか。
父は頻繁に出かけるようになった。
『新事業の打ち合わせだ』
そう言っていたがシルヴィーはその光景に見覚えがあった。
恐らく他に女性がいるのだ。
(また同じことを繰り返すのね。本当に愚かだわ)
母と同じことを義母にするつもりなのだろう。今は義母から逃げるように屋敷を空けることが増えていた。
しかし義母は父がいないのをいいことに好き放題していた。




