②⑨
少しずつ見え隠れする違和感。シルヴィーはじっと観察するように彼を見る。
「僕は間接的に君のことを魔法を含めて素晴らしいと思う。それに君はマリアにとっても大切な人なんだよ」
「マリア王女殿下が……?」
「君もマリアの力について知っているだろう? 予知によればシルヴィーの力はマリアを救う鍵になるそうだよ」
代々、王女には予知能力が備わって産まれてくる。王太子となる者は国を守る力を。
それも女神からの恩恵だ。
必要とあらば他の兄弟にも能力を持った子どもが王家から産まれる。
だからこそこの国の王政は安定していて圧倒的な支持を得ているのだ。
「十三年前、僕が初めて君のことが気になると言った時、マリアも同じように思った。僕らにとってシルヴィーは特別な存在なんだ」
「……わたしが?」
何度そう聞いても信じられない。自分が誰かの特別だなんてありえないと思ってしまうのは仕方がないことだろう。
「それから珍しい魔法に対する差別をなくしたいと考えているんだよ。シルヴィー、君が王太子妃になることで貴族たちに根づいてしまった価値観をひっくり返したい」
「…………!」
「シルヴィーのような思いをする令嬢や令息がいなくなるようにしたいんだ。その一歩は元ラディング侯爵を捕らえたことで順調に進んでいるよ」
シルヴィーはアデラールの考えに共感していた。
自分のようにつらいめにあってきた元令嬢たち、母を含めて救えるのならば救いたい、そう思ったからだ。
アデラールとの結婚は苦しんできた人たちを救うことになる……ならば一歩踏み出すべきかと考えてハッとする。
(も、もしかして丸めこまれそうになっていた!?)
だんだんと断る理由がなくなってしまうところが恐ろしい。
「それにホレスが産まれただろう? 力の発現が早く、強かったことを考えると数年のうちに何かが起こるのかもしれない。王家としてもそれを危惧しているんだ」
シルヴィーは真剣な表情をしているアデラールの話を聞いていた。
彼は王太子として大きなものを背負っているのだろう。
「君がホレスを産んでくれたことに父上も母上もこれ以上ないほどに喜んでいる。王家はシルヴィーに感謝しているんだよ」
「…………!」
それでもシルヴィーは軽率に頷くことはできない。
無責任なことはしたくなかったからだ。
「今は時間が必要だろう? 今日から君たちにはここで暮らしてほしい。足りないものがあったらリサに言ってくれ」
シルヴィーはリサに視線を送った後に、アデラールに許可をもらわなければいけないことを思い出す。
「アデラール殿下、お願いがあるのですが……」
「なんだい? シルヴィーのお願いだったらなんでも叶えてあげたいな。できれば僕から離れること以外だとありがたいんだけど……」
「……ひっ!」
アデラールから見えない圧を感じて、シルヴィーは思わず引き攣った声を上げる。
顔が整いすぎていて人間味がないからそう思うのか。
もしかしたらアデラールの執着が透けて見えるからなのかもしれない。
「改めて考えてみると、シルヴィーとこうして話すのをどれだけ楽しみにしていたか。ああ、夢みたいだね。君が僕を見つめているなんて……信じられない」
「……アデラール殿下って変わってますね」
親しげな雰囲気にさすがに言いすぎたかもしれないと心の中で反省していたのだが、彼は何故か嬉しそうにしているではないか。
「変わっているのかな。シルヴィーに何を言われても今は嬉しいよ」
シルヴィーがどう反応していいのかわからずに困惑していると、リサや一緒にいた侍女たちも驚いている。
(変わっていると言われるのが嬉しいなんて……アデラール殿下はやっぱり特殊な性癖があるのかしら)
アデラールはシルヴィーのことを知っているようだが、シルヴィーはまだ彼がどんな人物なのかわかっていない。
知っているのは非の打ち所がない王太子ということくらいだ。
とりあえず話を戻そうと、咳払いしたシルヴィーはリーズの店でやり残した仕事があると伝える。
「リサ、店に話を通してほしい。すべてシルヴィーの望み通りにしてくれ」
「かしこまりました」
「ありがとうございます。アデラール殿下」
「こちらこそありがとう。マリアも母も君が作るものが大好きだから、このことを知ればさらに喜ぶだろうね」
(母って……王妃陛下のことよね?)
シルヴィーは自分の作ったものがすべてここにあるのではと思ったが恐ろしくて聞き返すことができなかった。
「全部ではないけれど、ほとんど買い占めてるんじゃないかな。君が作ったものから温かい魔力を感じるそうなんだ」
「心を読むのをやめてくれませんか!?」
「顔に出てるからつい……」
「出てません!」
それからホレスと共に環境に慣れるためと、レースを編み上げるために一カ月ほどは部屋でゆっくりしていいそうだ。
話が落ち着いた頃、アデラールから「お茶でもどうかな?」と声がかかる。
結局はアデラールの望み通りになっているような気がした。
すると再び部屋をノックする音。
次から次に人が訪れるではないか。扉が開くと、そこには今にも泣き出してしまいそうなホレスの姿があった。
ギュッと腹部辺りの服を掴みつつ、肩を揺らしている。
彼の後ろには申し訳なさそうな表情の侍女たちが三人ほど追いかけてくる。
「ホレス、どうしたの? 何か悲しいことがあったの?」
シルヴィーがホレスの名前を呼ぶと、涙が流れていく。
「ばぁば、ままぁ……!」
「……ホレス」
ホレスはシルヴィーに突撃するように抱きしめる。
環境が変わり、シルヴィーや母がいなかったことで急に不安になってしまったようだ。
胸に顔を埋めるホレスは凄まじい力でシルヴィーの服を握りしめているではないか。
シルクの寝間着に鼻水がべったりつくのを避けるために反射的に体を離してしまうが、さらに食い込む頭。
ホレスには我慢させてばかりだ。シルヴィーから絶対に離れようとしない彼を宥めていると……。
「ホレス、ママと会えてよかったね」
「……っ」
アデラールに名前を呼ばれたホレスは恨めしそうに視線を向けた。
まだ肩が小さく震えているホレスの背を撫でる。
「ぼく、かえる」
「今度からここがホレスの新しいお家になるんだよ」
ホレスはすぐに首を横に振る。
アデラールから顔を背けるようにして視線を逸らした。
「おうち、かえるっ」
「…………ホレス」
どうやらここに遊びに来ていると思っているようだ。
確かにこうして豪華な部屋を見ていると、今までとは違いすぎて違和感があるだろう。
「今日からはパパと一緒にお城で暮らそうか」
「ぱ、ぱ……?」
ホレスはアデラールの顔をじっと見る。
父親のことをホレスに話したことはない。
だけど街では家族揃って歩いている親子を目にする機会は多い。
ホレスがどこまで認識しているかはわからないが、どう言葉を返すのか気になっていた。
「ままのこと、すき?」
「うん、ママのこと大好きだよ」
「いっしょ!」
「……ホレス」
ホレスが天使すぎて、シルヴィーは笑みがこぼれる。
「これから、いっしょ?」
「うん、そうだよ」
泣き止んだホレスは確認するようにシルヴィーを見上げる。
恐らく本当にここでアデラールと暮らすのかと確認しているのだろう。
アデラールから感じる笑顔の圧。
ここで彼が父親であることを否定することはできない。
シルヴィーはヘラリと笑いつつ、頷くしかなかった。
「……ん」
ホレスは納得したのか、頷くと少しずつ体を離す。
シルヴィーはホッと息を吐き出した。
だが、寝間着はホレスの涙や鼻水でびしょびしょになってしまったようだ。
「ぱぱ、あそぼっ」
「……!」
アデラールはホレスにパパと呼ばれたことに心の底から嬉しそうにしている。
わかりやすい感情の変化に親近感を覚えて笑みが溢れた。
アデラールはホレスを軽々と抱え上げてから頬を擦り寄せる。
「うん、たくさん遊ぼうね」
「ちょーだい!」
「……なにを?」
「ちょーらい、ぴょんぴょん」
ホレスはここで遊びたいと伝えているが、侍女たちは何がいいたいのかわからずに困惑している。
見かねたシルヴィーがホレスの意思を説明すると納得したように「おもちゃを持ってまいりますね」と、慌てて部屋から出て行った。
それからシルヴィーの前でホレスとアデラールが遊び始めた。
なんだか不思議な光景である。
ホレスもアデラールと遊ぶのが嬉しいのか、楽しげに声を上げながら遊んでいる。
幸せそうな彼と楽しげなホレスを見つめながら、シルヴィーはこれからのことを考えていた。




