①⓪
「反省してくらはーーーい」
「──ギャアアアアアッ!」
そう言いつつシルヴィーは腕を何度も何度も尻に向かって振り下ろす。
バチンバチンと音が聞こえたところで勢いよく扉が開いた。
光が漏れたことでシルヴィーはゆっくりと首を傾ける。
全顔が隠れる仮面をつけているシルバーの髪の青年がこちらに向かってくるではないか。
「大丈夫かい!?」
「…………はぁ、大丈夫じゃない」
「……え?」
「どうみたって、らいじょうぶじゃないわっ!」
シルヴィーはどうしようもない気持ちを八つ当たりするように声を上げた。
その間にもバランスが取れずに体はブンブンと揺れていく。
再び腕を上にあげると仮面の青年はシルヴィーの腕を押さえつけた。
どうやらラディング侯爵はシルヴィーが容赦なく振るった鞭の痛みに耐えられず、気絶してしまったようだ。
シルヴィーは不機嫌そうに顔を歪めながら仕方なく鞭から手を離す。
「すまない、いろいろと手間取ってしまって……」
「…………はい?」
シルヴィーはなんとか視線を青年へと流す。
この時、思考が朦朧としていて青年が何を言っているのか理解できなかった。
なんだか体がふわふわして気持ちがいい。
そんな時、シルヴィーの視界に映ったのは青年が着ているコートやベストに施された美しい刺繍だ。
(なんて素敵なレースや刺繍なのかしら……)
青年は心配そうにシルヴィーの体を支えてくれた。
「もうすぐ医師を呼ぶよ。だから……」
「…………?」
何か言っているような気がしたが、もう意識があったりなかったりを繰り返している。
青年がシルヴィーを抱え上げてベッドに寝かすのと同時に、シルヴィーは思いきり彼の仮面を剥ぎ取った。
「な、なにを……!」
凄まじい力で引っ張ったせいか、青年は眉を寄せつつ痛みに顔を抑えている。
シルヴィーはそんな彼を気にかけることなく仮面を放り投げた。
床にカランカランと仮面が落ちる音が聞こえる。
端正な顔立ちが露わになり、ライトブルーの透き通った瞳、左目の泣きぼくろが見えた。
(…………あの時と一緒だわ)
シルヴィーは細かくこだわって作られた襟の金の刺繍に釘付けだった。
それにジャボや袖口のレースの作り込みが素晴らしい。
(なんて素敵なデザイン。もっと近くで見たい……!)
シルヴィーは今後のためにもデザインを近くで見たい、そんな思いから胸元を掴んだ。
(やっぱりこんなにも丁寧に作られているわ。糸の発色も申し分ないじゃない! ああ、こんなに美しいものを見られるなんてっ)
ジャボや袖口のレースを見て、シルヴィーは大興奮していた。
「惚れ惚れするデザインですねぇ。あのときもこうひて……?」
そう言いかけたところでブチリと何かが破れる音がした。
繊細なレースで作られたジャボが千切れてしまったようだ。
(わ、わたしとしたことが……!)
シルヴィーは大きなショックを受けていた。
「あぁ、なんてことを……! 今すぐに直しまふから脱いでくだはいっ」
グラグラと腕を動かしてシルヴィーは男のシャツを乱暴に掴む。
シルヴィーは破れてしまったジャボを今すぐに直したいと必死に訴えかける。
いつのまにか破れてしまったシャツを着た彼は、シルヴィーにサイドテーブルにあった水を飲むように促している。
しかしシルヴィーはその提案を無視して青年の服を脱がしていく。
今、自分がどういう状況で何をしているかわかっていない。
とにかくジャボを直さなければと必死だったからだ。
「君の事情はわかった。わかったから落ち着いてくれ……!」
シルヴィーはその言葉にぴたりと動きを止めたが、再び動き出して魔法を使いながらジャボをすぐに編み込んでいく。
青年は目を見開きながらその姿を見ている。
魔力切れになることもなく、ジャボが元通りになった。
(我ながらいい出来栄えだわ。あの時よりもずっと腕を上げたわね)
シルヴィーは満足気に微笑んでから青年に返していく。
「もしかして……君はあの時の」
「…………?」
いつまで経っても受け取ってもらえないことに、シルヴィーは不満に思い首を横に傾げる。
「僕は、君をずっと探していたんだ……!」
シルヴィーは驚いて顔を上げた。
初めて彼の顔を正面から見る。
すっとした鼻筋と薄い唇、垂れ目で左目の下にある泣きぼくろ。
「…………え? 気に入りませんか?」
シルヴィーは見事に聞き間違えていた。
(うまく直したけど、やっぱりダメだったのかしら……)
よくよく見ると彼のシャツも派手に破けていた。
「今すぐに……直します。すぐにやりますから…………すぐにっ」
シルヴィーはずっとずっと邪険にされてきた。
お金もないため朝から夕方までは侍女として働きっぱなし。
夜も更けるまで魔法でレースを編む日々。
合間には父の代わりに領地に視察に行ったり、執事と共に書類整理。
年頃の令嬢のように過ごせたらと何度思っただろう。
散財することしか考えていない家族とも呼べないような奴らと裏表の激しい婚約者に馬鹿にされる日々。
何度挫けそうになったって、我慢したって報われることはない。
誰かを守ろうとするばかりで、誰も助けてはくれなかった。
最後は売られて金にされるほど、いらない娘だったのか。
今まで溜め込んでいた悔しさや悲しさが一気にあふれ出してしまう。
「もうなんなのよ。誰か助けて……っ」




